◆初めての中国旅行     

  常盤さんから、旅行記を頂きましたので紹介いたします。

   
 このたび、いつもの相棒(田中さん)と中国に行って参りました。たった1週間ですが、異文化を覗いてくることになりました。以下、統計数字をきちんと把握してのことではなく、かなりの部分が私の主観・思い込みで書いたものであります。不適切な表現がありましたら、どうかお許しください。いろいろな場面でびっくりしていますが、中国にご旅行された経験があれば、当たり前のことばかりかも知れません。さらに年寄りはくどくていかん、かなりな長文ですが、お暇があったらお読みください。


発端

 ある幸運な事情があって、この4年間に数回の海外旅行に出かけています。スイスのツェルマットで、マッターホルン周辺の散策をした以外は、すべて相棒と私、2人だけの旅行です。中年から老人への入口に入った男同士の旅、ある国の列車では、明らかに同性愛者との疑わしい目で見られたと思われる経験もしました。もちろんそんなことはありません。45年ほど前、こちらは大学3年生、相棒はかわいい新入生、サークル内での神様と従僕のような関係。「何年たっても年下の人」であることは、あちらの世界へ行くまで変わらないのですが、どうも最近、その関係が逆転しつつあるように思われます。相棒から、「マイルが相当たまったはずですから、マイルを使った海外旅行に行きましょう。目的地は中国、それも西の辺境でシルクロードが良いです」とのご提案。良くわかないが、「よし、そうしよう」となったのが、半年以上前です。「寒いけれど、2月ならいろいろ安いので、そのころとします」と相成りました。西の辺境とは、新疆ウイグル自治区のウルムチだそうで、そのころの気温は、−20℃くらいになるようです。飛行機、列車(中国版新幹線…高鉄と呼ばれています)、ホテルなど、すべて相棒がインターネットを駆使して予約してくれました。旅行会社は通さない、まったくの個人旅行です。



準備(1)会話

 北京・上海などの大都会なら、英語がだいたい通じるそうですが、地方都市ではまったく通じないと覚悟しなければなりません。さらに辺境のウルムチやその郊外の観光地(トルファンという遺跡に行ってきました)などでは、中国語(北京語)も怪しくなり、一般的にはウイグル語が通用語であるらしいです。相棒は、石神井にある高校でドイツ語を学び、大学ではスペイン語を選択したという勉強家。高校での順位は、相当の下位であったといつも自慢していますが、やはりポテンシャルが高い。前のスペイン旅行の際は、NHKの語学番組でスペイン語会話を学びなおし、今回もNHKで中国語会話を習得、ホテルのチェックイン、レストランでの注文や、街中で「写真を撮ってください」くらいはできるようになっています。また仕事の関係上、英語やドイツ語などは、普通の生活レベルでは困らないレベルです。最近、コンビニなどの店員にアジア系の外国人が多いですが、彼らの日本語か、もう少し上くらいのレベルでしょうか。一方のワタクシ、天才的な受験術で入試を突破して以来、外国語を使う機会はゼロ。高校生の時に、鯨の構文…鯨が魚でないのは、鳥が魚でないのと同じだ…などを暗記し、記憶にかけらのように残っているが、現実に外国人と会話をしたことのない歴65年です。もちろん中国語はそれどころでなく、謝謝(シェイシェイと普通にしゃべると相手はわからないらしいです。中国語には日本語にない抑揚がある)ニイハオ以外の知識はゼロ。「指さし会話帳」という本で何とかなるさと、中国語会話帳を購入。ないよりマシではありました。ところで、ウルムチで泊まったホテルは、東方王朝酒店という名前です。空港でタクシーのドライバーに伝えるのに、「とうほうおうちょうさけてん」が通じるわけないし、相手は英語がわからないであろうから、オリエンタル・ダイナスティ・ホテルではダメ。ただし、漢字が書ける私たち、中国の簡体字に注意すれば、筆記で何とかなることが多い。これは私たち日本人には、大変なアドバンテージです。ノートにサインペンで大きく書けば、すぐに通じます。これを用意したのはワタクシ。さらに相棒は、念のため話題の翻訳機、ポケトークを知り合いから借りてきました。できることは、すべてやったつもりです。



準備(2)インターネット

 中国では、googleが使えません。したがって、普通にdocomoの、中国で使えるようなモバイル通信の契約をしてもダメ。しかしグローバルWIFIならgoogle使用も可能であるとのことで、ひとり1台ずつ用意しました。これがないと、インターネット不可であり、検索はもちろん、スマホの翻訳ソフト、地図、秘密兵器のポケトークもダメですから、相棒の片言中国語と、私の指さし中国語だけが頼りとなります。



準備(3)お金

 中国は完全なキャッシュレス社会で、最近は現金払いが拒否されるとの情報。キャッシュカードもJCBはもちろん、VISAもMasterも使えないことが多い。銀聯カード(ユニオン・ペイ)こそ無敵であるとのことで、赤坂の中国銀行(バンク・オブ・チャイナ)にて口座を開設し、銀聯デビットカード(銀行に残高があれば、支払い時に決済される)を用意することにしました。出発1か月以上前の、正月明けに銀行に出向いたのですが、1か月では届かない可能性があるとのことで、慌てて三井住友銀行の銀聯カード(こちらは翌月決済のクレジットカード)を申し込みです。さすが日本のメガバンク、2週間くらいで届く予定。結果は、どちらも1月中に届けられて来て、ひと安心です。

 それはそうと中国のキャッシュレス化はさらに進み、最近はスマホ決済が常識になり、アリペイかウィチャットペイでないと支払いができないケースが目立つと、インターネット情報を相棒が見つけてきました。アリペイは難しいが、ウィチャットペイなら日本でも準備可能とのことで、大変な苦労をしてアプリをダウンロードしました。中国人は、自分の銀行に残高があれば良いのですが、私たちはいわゆる紐付けができないらしく、都内各所にあるポケットチェンジという専用機で入金することにしました(機械に円を入れて、出てきた領収書のバーコードをスマホに読ませると、そこで元になっている。しかしその際に5%くらいの為替手数料を取られてしまうので、かなり割高になる。さらに、帰国した際に残った元の残高は、今のところ国内では使用不可…未確認ではありますが、一部使える店舗もあるらしい…だそうです)。もちろん、元の現金も用意しました。

 中国銀行の銀聯カード、日本で爆買いして下さる方々が、普通に使っているはずです。しかし、日本人で持っている方はほんの少数でしょう。中国銀行に入金するためには、みずほ銀行の中国銀行口座・東京営業部あて送金します。送金依頼人は、中国銀行の口座番号と自分の名前を組み合わせたものです。残高確認は、セブン銀行などのATMで行います。良かった、ちゃんと入っていました。この時点では、残高は円のままです。1万円だけ出金してみました。良かった、ちゃんと1万円札が出てきました。ただし、300円くらい手数料がかかりました。出金時の手数料もたいしたことなく、とにかく出金可能なこともわかりました。さらに試しに、地元のマツキヨで、銀聯デビットカードにて買い物をしました。綿棒1パック、たったの198円です。銀座とか上野のデパート、ドラッグストアなら銀聯カードはお得意様でしょうが、上板橋マツキヨで銀聯カード使用の客は史上初めてだったらしく、店員さんは大変なパニックでした。



準備(4)情報収集

 中国旅行に関する注意事項、禁止事項などの情報収集です。2人とも「地球の歩き方」、相棒は精読、私は斜め読み。そして、インターネットの個人の書き込み。相棒は、ここから多くの知識を得たようですが、私は集中力散漫で、まあ一通り程度。相棒は、元の会社で雇っていた中国人従業員などから、いろいろな知識を得たようです。私には、そのような知り合いはいません。ただ一人、中国在住の方を知っています。ご実家が東京・山手の「ええとこのお嬢さん」です。ご主人の仕事の関係で、何年か中国に滞在しています。私は、前の仕事の関係で、ご実家には何回かお邪魔しています。お母さまは大変お上品な方で、お嬢様(ご本人)もそうに決まっています。鏡台の上だったかに、お嬢様がご結婚されたときの写真があって、こっそり拝見。ごっつい美人さんであることはわかっていますが、実際にお会いしたことはありません。ただ仕事上、電話でお話したことが数回あるだけ。たまたま旅行の直前に連絡することがあり、中国旅行についても、メールにてやり取りしました。特に新疆ウイグル地区では、写真撮影などに注意すべき、とのアドバイスを頂戴しました。無事に帰ったら、その旨報告致します。



出発

 2月13日午前9時05分(以下すべて現地時間、中国は全国が北京時間で、日本との時差はマイナス1時間)羽田発のANA機で北京12時15分に到着予定。2人ともマイル利用の無料航空券ですが、相棒は航空会社でのステイタスが高いお得意様(サラリーマン生活40年間ほどで、数千回は飛行機を利用しているはず、ワタクシは数十回)であるため、空席があると上級シートに自動グレードアップされます。相棒の指定された席はビジネスクラスでありましたが、年初から腰の具合が悪い私を気遣って、チケットを交換してくれました。おお、初めてのビジネスクラス!上気して、シートの動かし方などがわからん。いろいろと試行錯誤の結果、なんとフルフラットになることが判明しました。大変豪華な気分でありましたが、ビール1缶飲んだら眠くなり、堪能する間もなく北京到着です。



北京

 北京空港で、中国入国です。まず驚いたこと、中国人は全員が身分証明カードを持っているようです。これは空港に限らず、外出する際は必携のようです。空港内に保安員だったか、ものすごく多くの監視員がいます。案内係ではなく、不審人物を見つけ出すためです。そのほかに警察官が多数、銃を携えた軍人もいたような気がします。私たちは、やましいことは何もなく、顔つきも温厚そのものだったはずで、私自身は大きなトラブルなしでした(ただし、入国の際に全員が指紋を取られるのですが、ワタクシ、年末の力仕事アルバイトで指の脂肪が抜けてツルツル、機械でのスキャンがうまくいかず、これだけで20分くらいの時間を費やしました)。相棒はと言えば、予備バッテリーを数個持っていた(規制の範囲内)ために、あれやこれや詰問されています。優しく質問ではなく、「おいコラ、これはいったい何のためなんだ」です。手持ちのバックに鍵がしてあり、「開けてください」ではなく、「鍵をかけるとは怪しい、いったい貴様は何のために鍵をかけているんだ」そんな場面もありました。もしも立場が逆であったら、私は謝謝とニイハオしかわからないし、早口英語は聞き取れないので、そのまま豚箱行きだったかもしれません。「貴様、返事をせんと豚箱に入れるぞ!」「謝謝」。とにもかくにも、なんとか無事に娑婆に出ました。空港から快速電車と地下鉄を乗り継いで、まあまあ順調にホテルに到着。



人々

 空港でも、街中でも、掃除などに従事する人の数がものすごく多いです。主観ではありますが、年収50万円くらいではなかろうかとの推測です。中国の物価高騰はすさまじく、都心にニョキニョキ建っているマンションなど、日本の億ション以上の価格と聞いています。ニョキニョキって、話題の武蔵小杉の数倍規模の高層マンション群が、そこら中に立ち並んでいるし、建設中の高層建築の数もものすごい数です。ただし、普通の物価は、我が国の4分の1くらいではないかと思われます。空港から市内への快速電車、ほとんど停車せずに30分くらい乗車して25元、およそ400円相当です。我が国の料金と大差ありませんが、これを利用するのは、所得が高い方か外国人が中心でしょう。市内の地下鉄は、距離に応じて3元(50円)から6元(100円)くらいなので、3分の1か4分の1くらい。北京ではありませんが、ウルムチの市内バスは、どこまで乗っても1元(16円)でしたので、10分の1以下です。電車賃だけですべてを推測するのは乱暴すぎますが、年収が50万円、夫婦の世帯所得が100万円あれば、普通に暮らせるのではないかとの勝手な推測です。

 また空港に限らず、街中にも警察官とか保安員という方々がたくさんいます。これまた勝手に年収100万円くらいではないか?夫婦の世帯所得200万円なら、十分安定した暮らしが可能でしょう。このような方々は、都市部に住む中の下くらいでしょうか。中国13億人のうち、農村在住で、収入が多分都市部の清掃員以下の方々が数億人、都市部の上記中間層の方々が数億人かと思います。かつてお金持ちを表す、万元戸(年収160万円)という言葉が、使われたことがありますが、まずまずのお金持ち3万元戸(年収500万円程度)が数億人いるのでしょうか。このくらいの収入があれば、海外旅行も可能でしょう。さらに日本円換算1000万円以上が1億人以上、億円単位の大金持ちも数百万人か一千万人以上いるかもしれません(すべて勝手な推測)。空港などで、当たり前にビジネスクラスを利用する中国人を多く見かけますが、それはそのような計算をすれば、まあそんなものかと納得できます。どんなものでしょうか。

 我が国1億3000万人、自腹でビジネスクラスを利用する、当たり前にベンツを購入する、そんな富裕層は1000万人くらいかしら。エコノミークラスでたまに海外旅行に行く、小型の自家用車を所有し、家賃10〜12万円の賃貸住宅で暮らす、もしくは4000万円くらいの建売住宅を、ローン組んで購入する、都市部の生活者が数千万人。さらに農村部、地方の生活は良く知りませんが、ずいぶん裕福だそうで、世帯年収2000万円は難しいでしょうが、1000万円くらいはザラらしいです。最大の問題は、都市部に住み、平均以下の収入の方々にあるのかも知れません。世帯年収が200万円〜300万円程度で、家賃が80万円ほどかかったら、中国の清掃に従事する労働者より厳しいかも知れませんね。まあ、我が家の実態と同様ですが。



北京見物

 北京到着が2月13日の夕方です。宿泊したホテルは、天安門広場まで1〜2キロですから徒歩圏です。神田・新橋・飯田橋のようなイメージでしょうか。この日は長旅の疲れもあったし、ホテル周辺の散策で終了。晩ご飯は、ホテル近くのまあまあ高級店で、中華料理数皿とビール6本くらい、2人で359元、6000円くらい。我が国であったら2倍の12000円くらいかな。普通においしかったし、ビールも多少ぬるい程度でした(中国では、キンキンに冷えたビールはない)。

 翌日は朝からひどい冷え込みで、終日雪でした。予定は天壇公園〜天安門広場〜故宮という定番でしたが、スタートが遅く、雪で足が滑って行動が遅く、天壇公園で時間をかけすぎたため、天安門広場到着が15時ころ。故宮入場の最終時刻15時30分に間に合いませんでした。最大の見どころでしたが、しかたありません、次回は故宮と万里の長城だねと、諦めました。天安門広場に、毛沢東主席の肖像画がかかっているのはご存知ですよね。その途中、国家博物館があります。改革開放40年という大きな垂れ幕です。つまりケ小平から40年ということで、これにはびっくりさせられました。毛沢東は、元紙幣ほぼすべてに印刷されている中華人民共和国の開祖です。しかし、昨今の中国繁栄をもたらしたのは、つまりケおじさんという位置づけのようです。この日の夕食は、街中の串揚げ屋、2人で145元、2400円くらいでした。



西安

 秦・漢・隋・唐などの国家が都を置き、かつては長安と呼ばれた古都です。西暦607年、小野妹子が倭国王の国書を携えて渡海し、「日出処天子致書日没処天子無恙云云」と書かれた国書を煬帝に差し出して激怒させた。数十年前私たちは、痛快な話として学習したのですが、当時のGDP比較では、千分の一とか万分の一とかいう小国が、無茶なことをしたものです。だいたい倭国の倭とは、世界の中心である中国による我が国への呼称であり、従順なといった意味合いだそうで、一説によると背が低い矮小の矮に通じるという意味もあるらしい。もちろん、付け焼刃レベルの知識です。いずれにしても、天子様中心、まわりは北狄・東夷・南蛮・西戒の野蛮国という世界観なので、やっぱり隣のチビ国なのでありましょう。

 ここのホテルは、街の中心である、鐘楼というロータリーに面していました。なんでも東京で例えたいのですが、適当なものがなく、パリ・エッフェル塔の脇とすべきでしょうか。北京2泊、ウルムチ3泊はツインルームでしたが、ずっと一緒では息も詰まるし、ここではツインルームに1人で泊まるという、ゴージャスな設定です。北京2泊、西安2泊、ウルムチ3泊、それぞれの払いが各ホテル10000円少々(2人で20000円強)。エッフェル塔脇のゴージャスホテル、ツインルームに1人で泊まって、1泊5000円強というアパホテル、東横イン並みの料金でした。

 北京から西安。飛行機なら早いし、マイルの残りがあるのでタダで行けます。ところが我が相棒は、新幹線を選択しました。東京〜博多もしくは鹿児島くらいの距離ですが、私より鉄分のずっと濃い人なのです。数年前、脱線して鉄橋から落下し、土中に埋めてしまったのはどういうわけか知りません。最高時速300キロの、快適な鉄道旅でした。

 移動で一日が終わり、翌日は兵馬俑見学です。1974年3月、井戸掘りの際に発見されたとのこと。1974年・昭和49年3月とは、私がW大学2年から3年になるときです。私の大学4年間で、試験があったのはこの年だけ、学生運動末期で毎年レポート提出だったために、学士様なる資格を頂戴しました。試験があったこの年、2科目で不可をもらい、けっこうへこんでいたころです。

 ただ、将来の中国旅行のため、1から9までの数字と、赤・緑・白の色、4方向の呼び方をしかと勉強しました。最近、本番のことを本チャンと呼びますが、当時の中国語学習博打における、混全帯(字牌が混ざったチャンタ・ホンチャン、字牌が入らなければ純全帯・ジュンチャンと区別。ちなみに当時、ジュンチャン・サンシキ・イーペーコーこそが、最も美しく、あこがれていた手であります。あ、それ当たり!ダマで悪いけど。親でドラドラが付いているので、親倍ニーヨンマルZ。50年近い中国語学習歴ですが、いまだに未経験の夢の手です。)との混同ではないかと、密かに考えています。

 ああそうだ、兵馬俑でした。西安の鉄道駅脇からバスが出ています。10台か20台か、いろいろな会社があるようです。「歩き方」によると、西安駅の正面右側に行けばわかるとなっていますが、まさにその通りでした。女性の車掌さんが大きな声で客引きをしています。もちろん何を言っているのかわかりませんが、とにかく連呼・連呼です。適当にこのバスにしましょうかという選び方。兵馬俑までおよそ1時間で7元、120円くらい。新宿から町田までおよそ20キロ、空いていれば30分くらいでしょうから同じくらい、こりゃあ安いです。ただし、帰りに違う会社のバスに乗ったら10元でありました。たった3元・50円の差ではありますが、およそ1.5倍もの高額料金であり、現金払いのみで切符もくれなかったので、運転手さん、車掌さん、ずいぶんふところが暖かくなったことと思われます。

 兵馬俑は、1号坑(いちばん大きくて、230m×62mの巨大体育館風)、すぐとなりにあるもう少し小さな2号坑、3号坑、文物陳列庁などで構成されています。確かに巨大ではありますが、建物いっぱいに兵隊や馬が並んでいるわけではありません。ある一部分に並べてあるという感じでした。さらに、バラバラだった土片をつなぎ合わせて再現したようで、針金のようなものでつなぎ合わせてあるものが多数でした。確かに大迫力ではありましたが、建物全部が像で埋め尽くされているものと考えていたので、ちょっと拍子抜けではありました。開館は8時半から。私たちは早めに9時ころ到着しましたが、考え通りというか、10時ころからは人・人・人が湧き出してくるほどの混雑で、早く帰りたくて仕方ありませんでした。

 北京(平日)、兵馬俑(土曜)、どうしてこんなに観光客が集まるのでしょうか。どこからやって来るのでしょうか。それは、中国全土からやって来るのでありましょう。最初に触れたように、国内旅行なら何とか可能な人が数億人いるのですから、そう考えれば無理ないです。ちなみにヨーロッパ全体の人口が7億人強、アメリカ合衆国が3億人強です。ヨーロッパやアメリカ、ましてやとなりの島国からの観光客など、歯牙にもかける必要ないのです。飲食店や観光施設で、英語ができなくても十分やっていけるのです。

 というわけで、西安観光は兵馬俑とホテル真ん前の鐘楼くらい。ホテル近くに回教街というイスラムの匂いただよう下町があり、そこで羊肉の夕食と思いましたが、どこもここもビール無し(もしかしたらアルコール一切ない)でした。仕方なく、ホテルのレストランを利用しましたが、けっこう豪華に頼んで4000円くらいでした。また火鍋のレストラン、美味しいけれど赤くて(唐辛子)、ニンニクを大量に使用。昼間は寒くて汗をかかないので、今朝からのシャツを翌日も着ようかとの思惑でしたが、顔から首から大汗をかいたため襟まわりビショビショ。ひとり寝の2泊は、連チャンで大洗濯大会と相成りました。



ウルムチ

 最後の訪問は、新疆ウイグル自治区のウルムチです。三角定規、正方形を2つにした二等辺三角形と、正三角形を2つにした直角三角形のものがありますね。この正三角形半分の直角三角形、短辺(1)、斜辺(2)、底辺(√3)です。西安からウルムチに直接行けば底辺(√3)なのですが、私たちはわざわざ短辺(1)で北京へ行き、そこで乗り換えておよそ3000キロ、斜辺(2)でウルムチへと向かいました。スターアライアンス・グループには、西安〜ウルムチの直行便がなく、グループのエア・チャイナで安く(タダで)行こうと、遠回りしたのです。西安を暗いうちに出発して、ウルムチのホテル到着は21時過ぎです。北京〜ウルムチは、飛行時間3時間45分です。ちなみに北京〜羽田は2時間半ですから、すばらしく遠距離。さらにもうひとつ。ウルムチは東経87度、北京標準時は東経120度が基準です。33度もの違いがあります。太陽は、1時間で15度(地球が)動きますから、2時間以上の差があります。中国では、すべて北京時間で統一されており、行政上の時差はありません。しかし北京の日の出が7時であるとすると、ウルムチの7時は、いちばん寒い5時前に相当します。逆にホテルに21時到着と言っても、まだまだ宵の口です。

 新疆ウイグル自治区は、もともと漢人の土地ではなかったはずです。この地域の人たちの、砂漠の中の国でした。俄か知識で歴史を語る資格はありませんが、ウイグル人を始めとした人たちが、漢人の支配をどのように考えているのか、想像に難くありません。2009年に大規模な暴動が発生して、3000人以上の犠牲者が出たそうです。またまたたとえ話。戦前、我が国が朝鮮半島を併合していました。北海道とか九州などと同じ、日本国であります。その間に理不尽な政策が様々実施されたらしいですが、それらについて、その後の処理については、こんな駄文で論じることではありません。ただし、もしもかの半島が日本国のまま数十年が経過し、民族独立の運動が起こっていたらどうなっていたでしょうか。あっちで暴動、こっちで騒乱と、ひどいことになっていたはずです。無責任極まりなく、大変失礼で、自己本位な考えかも知れませんが、別れて本当に良かった。

 今回訪問したすべての公共施設(飛行場、鉄道駅はもちろん、観光地やスーパーなど)に金属探知機があって、入場するのに荷物はX線、人は身体検査を必ず受けるのですが、ウルムチではそれに加えて、ホテルの回転ドアの内側に、ヘルメットかぶった警官が数人待機しているのです。感じの良いフロントマンが英語で対応してくれて、無事に部屋に入ったのですが、数分後に内線電話がかかってきて、そのフロントマン(通訳)と警官が尋問にやってきました。もちろんパスポートを提示して、飛行機の紙チケットを見せて、すべての質問に穏やかに答えました。お前らは、何しに来たのか?そりゃあ、私たち日本人は、シルクロードにあこがれているので、こんな遠くまでやってきたのです。何でツアーではないのか?個人で何とかなるだろうと思うし、個人旅行の方が楽しいし。どこに行く予定なのか?本当は決まってなかったが、「歩き方」を開いて、こことここの予定です。なぜ、わざわざ遠回りして北京経由で来たのか(1・2・√3とはお互いに言わなかったが)?エア・チャイナを使えば、マイルでタダだから。フロントマンは理解していたが、警官は意味がわからなかった模様。そんなやり取りが20分くらい。どう見ても善良な旅行者だし、警官も次第に柔らかくなって、ようやく放免してくれました。ドアを閉めてから「フー、すごい国だね」と言おうとしたら、相棒がダメダメと手で合図。すべての会話が  盗聴されているものと考えて、少しでも批判的なことを言ったら、豚箱入りなのだそうでした。

 翌日は市内巡りです。昨日、警官にこことここへ行くと答えましたが、だいたいその通りにしないと、豚箱に入れられるかも知れません。すべて監視されているわけで、尾行されている可能性だってゼロではないですから。まず最初は国際大バザールです。ホテルから徒歩30分くらい。厳重な検査を受けて、会場に入ります。イスタンブルのバザールのようなものを期待していましたが、残念ながら期待外れ。私たちは、肉・魚・野菜・果物などの地元食材を見て回るのが好きなのですが、そのような物はほとんどありませんでした。絨毯・宝石・貴金属・洋服・漢方薬、そして安っぽい玩具など。買いたいものも、見ていて楽しいものもほとんどなく、早々に退散です。つぎに、新疆ウイグル自治区博物館に行ったら、月曜日で休館。それではとのことで、紅山公園へGO。市内にある比高100mくらいの岩山と、そのふもとにある公園です。入口がわからず、30分ほど周辺をウロウロしました。公園には、氷の滑り台・観覧車まであり、市民の憩いの場所だそうで、山頂に向けて階段が一直線に伸びています。ここを上るのに10分少々かかったので、多分比高100mくらいというわけです。山頂の仏塔はどうでも良いが、市内の眺めが素晴らしいです。町の中心部からわずか1〜2キロに位置する大展望台、そうか東京タワー展望台に、歩いて上ったのとだいたい同じか。ここからの帰り、ウイグル人と思われる(漢人ではない)、風体のあまりよろしくない男性が、突然尋問を受けるのに出くわしたり、なんとも緊張の連続。



トルファン

 日程7日目はトルファン。ウルムチの南東183キロに位置し、通常はバス利用が便利となっています。バスなら3時間くらい、しかし相棒は新幹線を選択します、たった1時間ですから。ホテルからウルムチ南駅まで、タクシー10分くらい。新幹線は、8時過ぎ出発の列車を予約。7時半出発で十分かと思いましたが、フロントマンのアドバイスは、2時間半前に出発しなさいとのこと。保安検査に、思わぬ時間を要するかもしれない。ちょっと遅れて6時すぎに出発し、6時半には駅に到着しました。念のための、2時間半前出発推奨ではありましたが、確かに厳重な検査がありました。お国柄ですから仕方ありませんが、次第にストレスがたまります。それでも列車に乗ってしまえば、順調にトルファン北駅に到着です。交河故城、高昌故城、ベゼクリク千仏洞という、遺跡探訪です。どれも初耳だし、興味津々ではありませんでしたが、シルクロード・砂漠の中の2000年近く昔の遺跡、雰囲気を味わうだけで結構です。「歩き方」によると、行き方は旅行会社で1日ツアーに参加となっています。簡単に踏み込める場所ではない模様。私たちの予定は、駅前でタクシーをチャーターし、「歩き方」を開いて、こことここという具合に、指で示すでした。会話も怪しいし、価格交渉とかどうなることやら。

 ずいぶん長くなりました。ここまで読んでくれた人が、いったい何人いるのか。もちろん書く方だって大変です。3日がかりで、腰が痛てて。ところが、ここからの1時間が今回の旅行のハイライトでした。

 トルファンの改札を出たところで、警官につかまります。私たちと異民族らしい2人が、大きめの交番のようなところに連れていかれます。不審物が入っている可能性がある(と、向こうが判断するのか)かばんは、交番外の棚に置くように指示されて室内へ。もちろんパスポートは取り上げられます。室内の奥に行くには、牢屋の檻のようなものがあり、その中に引っ張り込まれたら、それこそ豚箱入りです。ホテル到着のときのような尋問があり、15分か20分くらい待たされます。説明のために、室外のカバンの中のガイドブックを取りに行きたいけれど、ドアには鍵がかかっています。幸いトイレの急用はなかったけれど、もしもそうであったら相当困ったはずです。それこそ緊張しました。もちろん善良な旅行者ですから、最後はちゃんとわかってくれました。そこで相棒、無謀にも警官に対して、タクシーをチャーターして遺跡巡りをしたい旨、相談したのです。役目柄、恐ろしげな警官ではありますが、根は優しい人なのでしょう。タクシー乗り場まで同行してくれて、ドライバー(10数人が客待ちしていました)相手に価格交渉してくれたのです。現地旅行社に頼むと、この部分だけで数千円かかるものと思われますが、無料で最も高いハードルをクリアできました。何しろ警官のお墨付きですから、雲助ドライバーであるはずありません。ウイグル人と思われる、現地のとても気の利いた青年でした。1日、ガソリン代込みで400元です。7000円くらいですから、こちらとしては高くないし、ドライバー君にとってもおいしい仕事であったことでしょう。

 交河故城、高昌故城、ベゼクリク千仏洞、おお、たいしたものだ。夏休みに訪問すると、通常は気温40℃の熱風に耐えながら見学するらしいのですが、なにしろ真冬。晴天・無風だったので、それほど寒くもなく、快適な見学でした。砂漠の中に、城郭の一部が点在する程度のものではありますが、シルクロードとオアシスの雰囲気満点でした。昼食はどうしようかとのことで、トルファンの地元料理が食べたいと申し出て、揚げ餃子の店に案内されました。お店の中で肉を包んでおり、それを外で揚げます。ドライバー君が10個ほど頼んで、3個ずつ食べて大満足。私の記憶では12元、相棒は24元だったと主張しますが、いずれにしても1人100円前後です。ドライバー君が払ってくれて、となりの店でミネラルウォーターまで買ってくれました。そうそう、私が日本のタバコを吸っていたら、1本もらえるかとのことで、1本と言わずに3本提供。別れ際に10本ほど残ったタバコを箱ごと渡したら、相手も現地のタバコをくれました。昔の「いこい」「しんせい」(親が吸っていて、子供の私は吸ったことない)みたいな感じでしょうか、1本吸ったら頭がクラクラしました。帰りの電車、もしも間に合わなかったら、このままタクシーで送ってくれるとのことでしたが、時間がかかるし、丁重にお断りしました。



帰国

 ウルムチの空港から、朝9時15分発のエア・チャイナ機に乗って、13時ころ北京到着。15時15分のANA機で羽田に19時半到着予定。ホテルから空港までタクシー30分くらいですが、万々一のこともあるし、5時半にフロントで精算し、6時前に出発です。若干の渋滞がありましたが、7時ころ空港に到着しました。出発からここまで、とにかく無事にたどり着きました。正直なところ、緊張から早く解放されたいです。エア・チャイナは、さすがに安いだけ(通常料金もANAの半額くらい?)あって、すし詰め状態です。左右の幅も狭いようだし、前後のピッチが明らかに短いです。フライトの最中に、粗末な昼食が供されますが、テーブルを開くと腹がくっついてしまいそう。でもまあ良いではありませんか、たった4時間の辛抱だし、憧れの空の旅だし。

 ウルムチ空港での検査に数十分、北京でも同様に数十分、とにかく時間がかかります。その最中に、何が気に入らないのか、パスポートとチケットを取り上げられて、10分以上待ちぼうけを食わされたり。北京空港で出国(免税店の並んでいるエリア)できた時には、心からホッとしました。検査場所から50mほど離れたところで、相棒の顔色が変わります。ダダーと荷物検査場所に戻ります。えっ何だって?パスポートとチケットがない。検査のときに提示しているので、ほんの数分前に紛失した模様。保安員は、ああだこうだと難癖をつけてきます。パスポートとチケットを別の検査箱に入れるよう指示し、彼らのミスでそのまま回収されてしまったらしい。検査場所に戻って数分、「これは誰のものですか?」と保安員が聞いて回っていました。その人も、やっぱり怖そうだけれど、根は優しい人たちなのでしょう。再度、心からホッとしました。とにかくこのエリアは落ち着いています。中国語大声で叫ぶ人はいません。半分帰国したみたいな気分です。そして帰りのANA・ボーイング777、ただのエコノミークラスなのに、なんて座席が広いんだ。これまでの海外旅行、席の狭さに辟易していたけれど、それって世間知らずと言うものなのでしょうね。まったく快適な空の旅です。途中で出された機内食のおいしいこと!何かの煮物だったか、噛んだらだしの汁がぎゅうと出てきて、至福の時間でした。キンキンに冷えたビールも1週間ぶりだし。最後にひとつだけ、ウルムチ−15℃対応でホテルを出て、羽田空港の室内多分20〜25℃、その差は40℃近いわけで、大汗をかきました。



トラブル

 警官にしょっ引かれたり、パスポートやチケットを取り上げられたりするのは想定内であり、やましいことは何もないのですから、たいしたことではありません。最大の問題は、用意したwifi機の不調でした。西安から北京経由でウルムチに移動する際に、私のwifiが突然使用不能になりました。画面に従って、相棒が国際電話で日本のサービスセンターに電話(料金は会社持ちだそうです)。設定を初期化したりして、なんとか使えるようになったと思ったら、また不能に。私のだけなら相棒のwifi相乗りで、なんとかしのげますが、どういうわけか、通話もショートメールも不可。絶対に迷子になれません。しばらくして、相棒のwifiにも同じ症状が出現。インターネットがまるでダメだと、検索・地図などのほか、せっかく用意したウィチャットペイでの支払い不可、秘密兵器のポケトークも役立たずです。トルファンでのドライバーとのやり取りのときは、確かどちらかのwifiが生きていて、最悪の危機は避けられましたが、いったいどうしてなのでしょうか。その筋から、回線を遮断するような細工がされたのかも知れません。真相は不明ですが、とにかく困りました。夜のホテルで、私が寝ている間に相棒が交渉してくれた模様ですが、1回の連絡に30分とか1時間くらいかかるわけで、大変有り難く思います。



いろいろな事情

 トイレの事情、とにかく訪問した大都市だけかも知れませんが、街中に無料公衆トイレが多数あり、まったく困りませんでした。地方都市のウルムチは、それほど多くはなかった記憶ですが、我が国やこれまで行った欧州の事情より、よほど良いという印象です。またガイドブックには、恥ずかしい「ニイハオトイレ」の紹介がありますが、ほとんど出くわしませんでした。公衆トイレには必ず清掃員が常駐していて、一日中掃除をしている模様、まずまずきれいです。このあたり、インターネットの1〜2年前の情報とは大違いです。相棒が10年位前に中国を訪問した際は、それこそ立ション天国だったらしいが、今どきそんなことをすると、バーとパトカーがやってきて(常に監視されている)、豚箱入り必至だそうです。相棒は、念のため大人用オムツを用意していましたが、使用したか否かは不明。何でも試してみる彼のことですから…?。

 屋外での喫煙は、まったく自由です。現地の人たちは、ヒョイと吸ってポイと捨てます。私は、そこら中に設置してある吸い殻入れを利用し、ポイ捨てなどしませんが。この分だと近い将来、ポイ捨て即豚箱入りになるかも知れません。また、北京、西安、ウルムチ、空港で喫煙所を探したけれど、見つかりませんでした。通常はライター1つだけ持ち込み可ですが、すべて取り上げられます(もとろんマッチも)。だから吸いようがない。鉄道駅、商業施設でもライター取り上げが何回かありました。便利店で1個1元で売っているので、取られたらまた買うの繰り返しでした。帰国の日、明け方にホテル前で一服して、深夜自宅で一服するまで禁煙でした。私の知り合いで、喫煙する人は少ないですが、まあそんな事情です。

 訪問した3都市と観光地だけしかわかりませんが、治安は完璧に守られている印象です。乞食はほとんど見かけなかったし、スリやひったくりも多分少ないものと思われます。ただしこれは、強烈な警察組織によって守られている印象で、汚い壁に厚くペンキを塗ったようなものかもしれません。とにかく、警官・保安員には注意が必要です。現地の漢人たちも、安全を保ってくれる人たちのお陰で、安寧に暮らせるという認識があるようです。とりあえず怖いのは彼ら、何をやっても豚箱入りです。そう言えば、ホテル近くの商業ビルの中で、本気での殴り合い喧嘩を見ました。それから微速ではありますが、バスとバスが衝突する場面にも遭遇しました。どちらも、我が国で私が体験したことのない出来事でした。

 飛行機に乗る際に、バッテリーのチェックが厳しいです。袋を開けてチェックします。バッテリー本体の、何を確認しているのか不明ですが。また手持ちカバンの、奥の方に入れておいたカメラを出せと言われたときはちょっと焦りました。これも小さな予備バッテリーのせいらしいです。

 本文にも書きましたが、行きのANA機で飲んで以来、帰りのANA機でありつくまで、冷えたビールとはおさらばです。我が国の飲食店での、当たり前のキンキンに冷えたビール、これこそ非常識なのかもしれません。最終日、ウルムチ市内でやっと探し当てた、ビールの飲めるお店。店内に積んであったので、飲めることはわかりました。注文したら、それをそのまま出されたので、ちょっとがっかりしました。

 お金は、まずはスマホ決済、つぎが銀聯カード、念のために元紙幣、そのように考えていました。ところが、現金もほとんど問題なく使えたという印象です。ただし万円単位の支払いはホテルの宿泊料だけ。これはカードで済ませ、あとは一回数千円程度の支払いしかしていません。最高額紙幣が100元で1600円くらいですから、数万円もの宝石とかブランドバックとかを購入する際は、現金不可かもしれません。最も、中国でブランド品は買わないか。



おすすめ

 飛行機の中、JALやANA、ルフトハンザなどの国際線には、座席前にディスプレイが設置してあることが多く、それによって現在位置がわかります。しかしエア・チャイナ国内便には、これがありませんでした。多分、我が国の国内線も同様と思います。これがわかる手段を見つけました。私のiphoneに、「コンパス」というアプリが入っています。無料アプリです(もちろんAndroid機にも同様なアプリがあるはずです)。方向がわかって便利ですが、GPS機能によってその場所の緯度・経度・高度までが表示されます。それと普通の世界地図を組み合わせれば、現在位置がわかります。飛行機内では機内モードにしますが、これは機内モードでもちゃんと機能します。「コンパス」と「紙の世界地図」です。ただし、窓際席では使えましたが、通路側ではGPS電波が届きません(コンパスのみ使用可)。その場合は、トイレのある場所など、窓際に移動すれば多分使えると思います。

 またこの「コンパス」、街中でも便利です。多くの方が観光地などの概念を、地図で把握しているかと思います。しかし自分の向かっている方向がわからなければ、方向音痴です。通常はgoogle mapなどでわかるのですが、万一使用不能のときに大変便利です。もちろん、登山などでも使えます。方位だけでなく、現在位置を知る、アナログ式GPSとしても使えそうですね。

 さてここで、年寄りの悪い癖、くどい検証です。赤道上のぐるり1周は4万キロであり、1度はその360分の1で111.1111キロ、1分はその60分の1で1.8518キロ、さらに1秒は0.0308キロすなわち30メートルほどです。スマホ片手に家の周辺を歩いてみると、確かに30メートルくらいで1秒ほど表示が変わります。なお、グリニッジ天文台の東経・西経ゼロ度でも、東京の東経およそ140度でも、緯度の1度は111.1キロで同じです。しかし、ぐるり1周は、北緯・南緯0度の赤道では4万キロですが、北極・南極の90度では0メートルですよね。ですから、南北は簡単ですが、東西は単純に1度111.1キロでなく、ええと四半分の円を書いて、中心から35度の線を引き、その交点からぐるり1周だから…もうやめます、我が国あたりでの東西、経度の1度は多分80キロくらい。

 国土地理院のサービスに、緯度経度地図というのがあります。これの表示、我が家においては、35.〇〇〇〇…、139.〇〇〇〇…となっていました。国土地理院とGPS、どちらが正しいのかわかりませんが、緯度で0.025度≒1分30秒(約2.7キロ)、経度で0.081度≒5分(約7キロ)ほどの違いがありました。上記、「登山などでも使えます」ですが、方向を知るのには便利ですが、「アナログ式GPSとしても使えそう」は、急遽撤回です。

 さらに今回、maps.meという地図ソフト(無料)をダウンロードして行きました。上記コンパスのように、GPS機能で現在位置を割り出します。行き先の地図(今回は、北京・西安・ウルムチ)を事前にダウンロードさせておいたので、想定外のwifi不調にある程度対応できました。ただし、インターネット無しだと、表示が不安定になるような気がします。まあ、無いよりましです。

 以上の「コンパス」「maps.me」、特にポケットwifiをレンタルしない場合に、有ると無しでは大違いという差が出るかと思います。



土産

 中国産の食品、もらった人は礼を言うでしょうが、たいていはそのままゴミ箱直行となるかと思います。例の餃子の事件もあり、中国の食品に過敏になっているのかもしれません。しかし我が国の飲食店で、すべて国産品だけで調理しているところは少ないでしょうし、その正真正銘の国産品が、絶対安全であるというのも、為政者の恣意的な誘導そのものかも知れません。おいしくて安い日高屋の肉野菜炒め、そのタケノコが中国製の3倍もする国産品が使われていると考える方が、無理があるかと思います。でも、嫌なものは嫌ですよね。

 あとは、お茶なら飲んでくれるかも知れません。高級なウーロン茶なら多分OKでしょう。今回そのつもりでお店を覗いてみましたが、たいていは漢方薬のお店でした。各店で症状を申し出て、調剤してもらうらしいが、自分用ならともかく、他人に差し上げるものではありません。定番の高級チョコレート、スーパーには置いてあったでしょうが、普通は買わない。メダル、キーホルダー、その他の玩具類、パンダのぬいぐるみ、人それぞれです。

 私が自宅と娘宅用に買ったのは、レーズンなどの干した果実。トルファンの郊外には、ブドウ畑が拡がっており、相当の量が収穫できるそうです。それこそ地元の特産品です。でもね、やっぱりゴミ箱直行でしょうか。

 そして自分用に買ったのが乾燥キクラゲ。ヤマキの花カツオのような袋に大量に入って、20元(300円)くらいでした。我が家にあるキクラゲ、通常は小袋に入って150円くらいの中国製、たまに3倍くらいする熊本産、まれにもっと高い生キクラゲです。当地で炒め物として、ずいぶんいただきましたが、そりゃあおいしいです。中国製のキクラゲ、それほど嫌われていないと思われますので、もらえば重宝するかもしれません。ただし、軽いけれど非常にかさ張るので、土産に適しているか否かは不明です。これは、アメ横や築地の乾物屋でも安く売られています。



まとめ

 国民栄誉賞受賞の植村直己と同じころに活躍された登山家・小西政継。1967年にマッターホルン冬季登攀、1970年のエベレスト南西壁登攀、翌年のグランドジョラス北壁冬季登攀、また所属する山学同志会によるジャヌー北壁初登攀など、輝かしい功績を残されました。無酸素・アルパインスタイルなど、非常にシビアな姿勢が記憶に残っています。しかし引退したら、バンバン金を使ってガイドを雇い、酸素バコバコ吸って、殿様気分でヒマラヤのジャイアントに登るんだという発言をされました。エクゼクティブ登山と言うそうです。このエクゼクティブスタイルで、1994年にダウラギリ1峰(8167m)、1995年にシシャパンマ(8027m)に登り、翌1996年のマナスル(8163m)にて登頂後に行方不明になられました。58才でした。なおこの年の5月、我が野歩の会の、田中(難波)康子先輩も、エベレスト登頂(田部井淳子さんに次いで、日本人女性第2登)後にサウスコルで亡くなられています。

 現在の私たちと言えば、還暦をとっくに過ぎて古希に近づきつつあります。バンバン金を使って最低でもビジネスクラス、ガイドを雇って、殿様気分でツアーに参加すべき立場かも知れません。しかしそのようにすれば、今回のような日程で、少なくとも50万円以上の出費は覚悟しなければなりません。マイル利用で航空券は無料でしたが、ホテル7泊で3.5万円、列車移動(1等車も含む)で2万円くらい、食事代が2万円くらい、観光地の入場料などで1〜2万円という格安旅行。どちらを選ぶかと言えば、それは論を俟ちません。

 それでもね、今回のレポートに何度も登場する、「豚箱入り」の恐怖は、全行程を通じて相当なものでした。私ら年金生活の年寄りには、ガイド付きのエコノミークラス利用あたりが、適当なのかも知れないですね。
 
 
 
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