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野歩の会におきまして、名簿からは災害地近辺の方はいらっしゃらないようです。ただし、ご家族・ご友人などが被災されたケースが皆無とは限りません。勝手ではありますが、少なくとも関係の方々が全員無事であることを祈ります。私の同期、福島県在住のN君、茨城県・M君、一学年下のN君、もちろん無事と思います。身体をこわさないよう、復旧がんばってください。
以下、自分が味わった東京周辺の様子です。東北地方、北関東や福島原発周辺では深刻な状態で、ノー天気な駄文は不謹慎とのそしりを受けるかもしれません。あくまでも「大きな被害を受けなかった東京都民の一般的生活のレポート」と受け取っていただきたく思います。万一不適当な表現などがあった場合、どうかご容赦くださいますようお願い申し上げます。
2月26日に筑波山ハイキングを実施しました。大人数で楽しいひとときを過ごしました。あれから2週間、思ってもみなかった震災に見舞われ、茨城県も被災地のひとつになってしまいました。
3月11日午後2時46分に、皆様はどのように過ごしていらっしゃいましたか。私は会社で電話営業を行っていました。大揺れの最中にコールがありましたが、さすがに受けることはできませんでした。自前のパソコンが机から落ちないよう押さえていました。ロッカーの扉が開き、店内の植木が倒れた程度で、被害はありませんでした。
3時半に社内放送があり、様子を見ながら適宜帰宅するようにとの指示がありました。このような場合、電車はまず運休となります。バスも渋滞で利用が難しいので、家まで歩けるなら歩いて帰るべき、以前からこのように決めていました。
私の仕事場は上野広小路という繁華な場所にあります。銀座四丁目に匹敵する場所です。ただしあちらは鳩居堂、和光、資生堂パーラーなどに囲まれていますが、こちらは富士そば、ラーメンの日高屋、パチンコ屋など、その裏にあるのは高級クラブでなく、ぼったくりバーという危険地帯です。
まず、徒歩で7階の仕事場から1階に下りて、ATMでお金をおろしました。災害のときはキャッシュがものを言うと聞いていたからです。まわりのバス停にはたいそうな人だかりができ、乗車するには1〜2時間かかりそうです。途中の停留所で乗ることは不可能と考えたほうが良さそうです。再度会社に戻り、トイレを済ませました。
上野広小路交差点は、中央通りと春日通りが交わっています。春日通りはそのまま国道254号となり、川越街道と名前を変えます。私の住まいは川越街道近くですから、とにかく春日通りを進んで行けば家に帰れます。パソコンで道のりを検索したら16キロほどであることがわかりました。3時間くらい。
4時半、いよいよ出発です。会社近くのコンビニで、夕食用のお握りとパン、それにタバコを購入。この時間には、棚が空っぽということもなく、混み合ってもいませんでした。また歩道の混雑もほとんどありませんでした。湯島、本郷三丁目、小石川、茗荷谷、順調に歩いて、池袋到着が6時ころ。途中まではバスと同じくらいの速度でしたが、池袋近辺では圧倒的に徒歩が勝っています。なお途中の飲食店などは、まったく普段と変わらない営業状態で、少し不思議な気分でした。
いったん川越街道を離れ、池袋駅に行ってみます。歩いている最中は情報が手に入らないため、電車が復旧している可能性があったからです。しかし、予想通り電車が動いている気配はありません。再び川越街道に戻ります。あと半分です。6時を過ぎていたので、歩道に人が増えてきましたが、自分の歩行速度が妨げられるほどではありませんでした。
途中、メールなどで家族の無事は確認できていたのですが、家で待つ猫の状態が気がかりです。7時半に無人の家に帰り着きました。通常は気配を感じて迎えにくるのですが、今回は出てきません。ちょっと心配でしたが、奥のほうで丸まって寝ていました。かなり大きなショックを受けたようで、なかなか起き上がりませんでしたが、怪我はありませんでした。しばらくすると大声で鳴きだしました。
テレビが1台倒れていました。電話が台から転げ落ちて宙ぶらりんになっていました。本やノートが散乱していました。被害はそれだけでした。テレビも電話も壊れてはいませんでした。ガスストーブが点火しませんでしたが、元栓が自動的に閉まっていたためで、すぐに復旧しました。ただし、帰りの3時間の歩行で、花粉を思い切り吸い込んだため、くしゃみが制御不能となってしまいました。
同じ支店に浦安から通っている同僚がいます。浦安は、東京で最も近い被災地かと思います。液状化で上下水道、ガスが使えなくなっているそうです。
その同僚が、3月17日の夕方、ポリタンクで家に水を持って帰る姿を見ました。聞けば、給水車で水は分けてもらえるが、1時間くらい待たされるということです。
そうか、水がそれほど貴重なのか、それでは持っていってあげましょう。でも、ポリタンクは売り切れだろうなあ。家内に相談すると、ポリ袋で代用できるとのこと。そうか、そんな手があったのか。
会社のシュレッダーの袋を無断借用しました。90リットルくらい入る巨大袋です。19日の朝、5時に起きて水を運搬する準備。普段使わない35リットルのリュックサックにポリ袋を二重に入れます。万一破裂したら冗談では済まないからです。風呂場の水道でその中に注水します。せっかくだから持てるだけ持っていきたいです。どうせなら20リットルではもったいない、でも30リットルだと身体がもちません。かつて、30キロとか35キロの荷物を軽々と担いで歩き回っていたではありませんか。いや、うそです。25キロでアップアップでした。というわけで25リットルの水を詰め込みました。
これも会社から借用した輪ゴムとひもで厳重に封印し、リュックサックを担ぎます。昔とった杵柄、まずは床に置いたリュックサックに両腕を通します。それをぐいと背中に移動させ、じわじわと立ち上がります。腰から上を20度くらい前に傾けると安定します。これだけでハアハアです。
自転車で駅まで走りますが、体重プラス25キロの重量で、カーブがうまく曲がれません。まっすぐ進みそうになります。駅のエスカレーターは運行中止なので、一歩一歩歩いて上ります。電車に乗ってホッと一息入れました。
池袋から有楽町線に乗り換え、終点の新木場でJR京葉線に乗り換えます。現地ではトイレが使えないと言うことなので、途中でトイレを済ませます。京葉線は高架なので途中の景色が楽しみです。おお、ディズニーランド!20年ぶりくらいに見る姿だ。でも誰もいません、営業休止中です。住宅がたくさん立ち並んでいていますが、ほとんどすべてが被災地なのかと感慨深いです。新浦安駅に7時すぎに到着しました。エスカレーターはすべて休止。ここで同僚に電話しました。
「君のところに水を届けるよ」と先に言うのはいやだし、万一不在だったら困るし。前日様子を尋ねたら、この日は一週間分の洗濯のために実家に出かけるということ。ならば7時半ころまでには着かなければ、出かけてしまっているかも知れません。逆に電話が早すぎると、寝ているかもしれません。ですから7時すぎに電話というのがベストと判断したのです。
電話に出てくれました。今は家にいますとのことでした。ほっとしました。家のある場所は地図で確認してありましたが、駅から2キロくらい離れています。乗るべきバスと停留所を聞き、無事に乗車できました。
その前に駅前を見回しました。液状化とはどんなものか。駅前のスロープのコンクリートが壊れており、段差ができています。ロータリーは砂で覆われています。電車やバスを利用するのに大きな障害はありませんが、町中の道路、特に歩道が至るところで壊れています。バスが大きく揺れます。車道は応急修理されているのですが、ところどころ盛り上がったところがあるのです。
バス停で待つ同僚にリュックサックごと水を渡し、身軽になって街を歩きました。傾いたスーパーなどを見ながら帰路につきます。すばらしく整備され、シュロの植樹などがされた美しい街。「夢海(ゆめみ)の街」とか「望海(のぞみ)の街」とか、こそばゆい名前の街路が続きますが、ほとんど砂埃に覆われています。各所に自衛隊の給水車が配置されています。
大きなトラブルもなく、途中からはバスもやってきて、8時には新浦安駅に戻ってきました。JRで、ほんの10分で新木場、そこから有楽町線10分で新富町。ここで下車すると、徒歩5分で築地市場です。何ごともなかったような賑わいでした。久しぶりに市場で買い物などを済ませ、10時ぴったりに我が町に帰ってきました。そうだ、ちょっとスーパーで買い物をしなければ。開店直後でごった返す店に入ります。と数分後の放送、「ご好評のお米は、本日完売いたしました」。どこどこ産のコシヒカリとか、あきたこまちとかでなく、ただのノーブランド、農協パールライスなのですが、わずか数分で完売でした。
夕方、なんとなく腰がはってきました。おお、腰痛です。肩もなんだか痛いです。25キロのリュックサック、やはり今の体力では無理であるようです。腰痛がぎっくり腰にまで進むことがないよう、今は祈るだけです。
地震以来、会社からの帰りに地元のイトーヨーカ堂に寄るのが習慣になっています。商品の棚が空になっているのを見るって、それほどいやではありません。
昭和48年のときのトイレットペーパー騒動のときは大学2年でした。あまり実感はなかったですが、公衆トイレからペーパーがなくなったため、利用する際は先に確認する癖がつきました(当時は今ほどお腹がゆるくなかった)。平成6年の米騒動、近くの米穀店の若主人と親しかったので、特別にお米を回してもらい、事なきを得ました。
そして、十数年ぶりにやってきた小パニックです(誤解なきよう、あくまでも東京での小パニックのことであり、被災地での出来事とは次元が違います)。
最初になくなったのは電池かと思います。こいつは買い損ないました。停電した場合、登山用のヘッドライトしか使えません。つぎがガソリン。昨年車をやめたため、直接関係ありません。灯油はたまたま2週間前に購入し、2ヶ月くらい大丈夫です。
上記のように、米が手に入りにくくなっています。我が家には、現在在庫が20日分くらいあるのでなんとか凌げそうです。開店前に並べば買えることも知りました。玉子がなかったけれど、さっき買ってきました。これまで10個248円の「まごころ玉子」が298円に値上がりしていましたが、生産者に還元されるなら納得です。お菓子と即席めんの棚が空になっています。そもそもカップヌードルは山で食べればおいしいけれど、家庭では食べません。お菓子も同様。第3のビールが品不足気味です。これがなくなってしまうのが、今いちばんの心配です。申し訳ありませんが、本日とりあえず2パック(12本)ほど買い占めさせてもらいました。ごめんなさい。
字ばっかりですみません。震災時の帰宅の状況、浦安の様子などをカメラにおさめることができたら良かったのですが、カメラがありませんでした。スーパーの空の棚とか、開店前の行列も絵になりそうですが、スーパーのGメンに逮捕されそうなので、撮影する勇気がわきませんでした。復旧が進み、早く状況が改善して、また皆様とご一緒できることを願っています。
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常盤(S51卒・板橋区在住)記 |
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