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1987年、ホイチョイ・プロの“私をスキーに連れてって”であります。今ではAGF専属コマーシャルタレントのようになってしまいましたが、あの原田知世ちゃんが、内足ぎみの癖を直されながら、志賀から万座へとスキーを滑らせたのです。
そして“極楽スキー”、実に楽しい本でした。だれかお持ちでしたら貸して欲しいです。うっすらとした記憶ではありますが、白馬を否定、志賀高原を特別称えていたように思えます。そのわけは白馬は関西人が多いから。
当時東京からスキーに行く場合、こんな選択をしました。中央高速(中央線)で大町、白馬方面。関越(信越線)で藤岡から長野、妙高方面または志賀高原。関越(上越線)で苗場または石打方面。東北道(東北本線)で蔵王、足を伸ばして安比。飛行機は高いから北海道は現実的ではない。
白馬はいやだね、だって関西弁が飛び交っているんだもの。そうなんです、白馬は関西からのアクセスが比較的良く、あっち方面の方々がとても多かったのです。リフトの割り込みはするし、声はでかいし・・・。バブル当時、関西人は外人でした。
バブルがはじけて1990年代前半、私と田中君が同行した穂高岳山行。涸沢は50代くらいの“老人”に占領されていました。ありゃりゃー、山に若者はいなくなっちゃったね。老人という外人(今の自分て、すでに老人です)。
つい5〜6年前の剱岳、穂高岳です。山小屋も標識もハングル文字だらけ。そう言えば、ソウルから富山空港まで2時間くらいでひとっ飛びです。白頭山は聖なる山でしょうが、韓国の人たちにとって剱・立山、穂高岳は身近なアルプスになったのですね。ここでの外人は韓国人でした。
ここ数年、毎年富士山に登っています。富士山では、“根性のペナント”とか“旭日旗”がひるがえった六根清浄の杖は必需品です。太っちょのアメリカ人が神風のはちまきをして剣が峰を目指します。富士山は外人だらけ。
2010年4月29日、ゴールデンウィーク初日、上高地に行ってきました。板橋の我が家を5時過ぎに出発、天候は晴れ、道はすいています。低気圧の影響で、2時間ほどで降雨となる予想でした。7時ころから雨が降り出し、諏訪湖SAに到着した7時半は土砂降り状態でした。しばらく休憩して松本IC8時半、沢渡に9時過ぎ。タクシー相乗りで9時半過ぎにめでたく上高地河童橋畔到着です。天候は雪、寒いです。
雪の上高地(モノクロ写真ではありません)
上高地のケショウヤナギ
この時間の上高地は人がまばらです。河童橋のたもとに10人くらい、橋の上に5人くらい、白樺荘のあたりに5人くらい。さすがはシーズン前だなあと思われましたが、2時間後には様相が一変するのです。普段は行ったことのないビジターセンターで時間をつぶして、いよいよ昼食です。
荒れる岳沢
河童橋横の清水川、岩魚がいます
今回の最大の目的は「五千尺ホテルのビーフシチュー」でした。20年以上前ですが、田中君から、ここのビーフシチューを食べるために来たことがあるという、なんともバブリーな自慢話を聞かされています。その2〜3年後、家族4人で雨の上高地、娘は寒さで唇が青く変色していましたが、五千尺でおいしい料理を食べさせてやりたい親心でした。
雨の上高地に逃げ場はなく、誰もが近くのみやげや、食堂に逃げ込みます。五千尺も同様で、食堂はごった返しています。それにしたってバブル期の株屋、金ならある!レストランへずかずか入っていったのですが、待っていたのは「ご予約いただいていらっしゃいますでしょうか」というすげないお断りでした。
あれから20年が過ぎ、老人となった夫婦ふたり、こんどは失敗は許されません。事前にインターネットで予約しました(そう言えば20年前はそんな方法がなく、すべて電話でした)。予約した11時の2分前にレストランへ。窓際の良い席に案内されました。他に客は一組だけです。念願のビーフシチュー、たしかに柔らかかったけれど、なんだか甘ったるかったように思えます(まさか砂糖で味付け?)。
五千尺ホテルレストランとおかん
これが3800円のビーフシチューだ
五千尺のテラスで、さらに定番の河童橋から穂高岳をバックに記念写真。天候は回復傾向で、明神岳と前穂高岳はなんとか姿を現してくれましたが、吊尾根の途中から奥穂高岳、そして西穂高岳も雲の中でした。
河童橋から明神岳方面
西穂高岳下部
11時40分、お腹もいっぱいだしあとは帰るだけ。まあちょっとだけ歩きます。河童橋からウェストン広場、田代池、大正池へと、1時間ほどの散策です。
河童橋周辺、気がつけば人だらけです。みんなバッジをつけています。ツアー客の群れ。お昼を上高地で過ごすというコンセプトのようです。上高地バスターミナルから河童橋へのほんの5分の散策路。さらに大正池方面から梓川右岸を歩いてくる人。人人人、整然と進んできます。
あれれ、みーんな中国語ではないですか(韓国語との違いは良くわからないけれど)。確かに水溜りを飛び越えるのに、イイ、アル、サン、って言っていました。意外かも知れませんが、皆さんお行儀良いです。やっぱり13億人のうち1億人以上のお金持ちがいるのですね。靴とかジャケットとか、NIKE、FILAなどのブランドが多かったようです。MIZUNOがんばれ。
そうか、上高地、たぶん黒部湖も一緒だろうけれど、ゼニになるんだ。今どき上高地にやってくる日本人は、我々のように金を落とさない老人ばかりだけれど、中国人は土産とかがっぽり買うだろうなあ。それにしても土産屋に“熱烈歓迎・中華人民共和国”とか“胡錦濤主席万歳”とか、あってしかるべきだよなあ。くすぐったほうが良いのになあ。中国語のわかる店員も絶対に必要です。
大正池でバスを降りて、河童橋まで歩くというのが順路のようで(もちろん河童橋のバスターミナルで下車する人が圧倒的でしょうが)、ほとんど人が途切れません。1秒にひとりすれ違えば1時間に3600人です。大正池までに多分1000人以上の中国人団体客とすれ違っています。河童橋へ直行組とあわせると、3000〜5000人くらいの方々なのでしょう。外人いや中国人だらけの上高地でした。
あと5年くらいたつと、団体旅行に飽き足らず、個人旅行が盛んになるはずです。日本の山々もきっと中国人登山者であふれることになると思います。山が人でにぎやかなのは嫌いではありません。片言の英語か文字で意思の疎通がはかれれば楽しいだろうと思います。
ウェストン碑
焼岳
さて大正池到着が12時50分。ここまでのコースにはところどころ雪が残っており、運動靴の人たちは、足がぐしょぐしょになってしまったと思います。私達はトレッキングシューズだったので、雪も水溜りも無敵状態でした。大正池からすぐに下りのバスに乗り、沢渡13時15分着。帰りの中央高速もがらがらで、17時に帰宅できました。弾丸上高地ファミワンのご紹介でした。
大正池付近から振り返る穂高岳
使われなくなった旧釜トンネル
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常盤 |
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