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山の小説や古い記録などを読むと、南アルプスの山に取り付くのに、いくつもの峠を越えたという記述が出てきたりします。またその峠越えですが、たとえば転付峠に登りついたら、そこにはトラックが走り回っていた。すなわち最奥地に林道が走っていたというのです。何がなんだかまったくわかりませんでした。そこで今回、稜線と河川の水系から概念図を作ってみました。
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南アルプス概念図
(こちらをクリックすると、pdfファイルが開きます。)
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石川島播磨重工業という会社、今の正式社名はIHIです。それはさておき、紙にIHIと書いてみてください。左のIを@とします。Hの左の縦線をAとします。Hの横線をBとします。Hの右の縦線をCとします。そして右のIをDとします。
Hの左の縦線Aの線を上に延長し、時計回りに半円を描き、右のIDとつなげます。さいごにこの半円の頂点あたりから、さざえさんの父、波平さんの髪の毛のように、一本上に線を引きます。これが南アルプス稜線の基本的な姿です。うまく描けましたか?
それでは、この変な図形を少し修正します。波平さんの髪の毛ですが、真上でなく、左斜め上(北西方面)にして下さい。Hの縦線AとCは下のほう(南)に長く伸ばします。実際は遠州灘、駿河湾にまで伸びています。Bの横線は、実は1キロくらいしかありません。
波平さんの髪の毛、およびAの縦線より左(西)は、天竜川の流域です。Hの横線BとHの縦線AとCの下の部分に囲まれた地域は、大井川の流域です(下流の一部は安倍川)。その他はすべて富士川です。ただし、Hの右の縦線Cと右のIにはさまれて、上のほうがぐるりと回っている部分は早川(上流は野呂川)です。早川は右のIDが途中で尽きるところ、身延近辺で東に向き、富士川本流と合流します。天竜川の河口は浜松、大井川は金谷(正確には焼津の西端)、安倍川は静岡、富士川は富士です。
まずは@です。天竜川に沿った大きな平野、中心は飯田です。ここからAの山脈の手前に、屏風のように立ちふさがっている山々がありますが、これのことです。登山の対象になる山がほとんどないので、我々凡人にはただのお邪魔な山扱いをされています。茅野から杖突峠を越えると、桜で有名な高遠の町です。武田信玄の四男、勝頼の居城があったそうです。この茅野から始まり、高遠を通ってそのまま南へと向かう道は国道152号線です。@とAの間の谷ですが、この国道152号線は青崩峠というところで寸断され、数キロ先からまた復活、最終ゴールは浜松駅前という長大な道路です。余談ですが、鹿児島の中心部から鹿児島港、種子島、奄美大島を経て沖縄に上陸し、那覇の県庁まで続く国道58号というのをご存知でしょうか。鹿児島市部分が700メートル、総延長857キロ(陸上255.5キロ、海上およそ600キロ)というエキサイティングロードです。すべて海底トンネルで結ばれたら、えらいことですね(国道寸断で脱線しました)。
次がAとDです。上(北)のほうの半円でAとDはつながっており、杖のような形の一本の山脈です。これを狭義の赤石山脈と言う場合があるそうで、言ってみれば南アルプスの本家です。Aの下(南)から上(北)に向かって、光岳、聖岳、赤石岳、荒川三山(このうち東岳を特に悪沢岳と言う)、三伏峠、塩見岳、仙丈ヶ岳、北沢峠、駒津峰。ここが半円の頂点で、波平さんの髪の毛の根元です。南東に下ってDになります。鳳凰三山、夜叉神峠、櫛形山で終わります。光岳の南ですが、遠州灘近くまで深い山々が続いており、奥三河と呼ばれています。ここには魑魅魍魎が住んでおり、足を踏み入れたことがありません。光岳から南へ4時間ほどで林道に出ます。柴沢吊橋(光岳登山口)という場所ですが、ここから寸又峡温泉まで36キロ、12時間だそうです。もちろん車は入れず、歩くのみです。こんな非常識がまかり通る、とても恐ろしい地域です。
波平さんの髪の毛。駒津峰のすぐ北に甲斐駒ケ岳、鋸岳、釜無山、入笠山。ここから先にも分水嶺(天竜川と富士川)が続いていますが、高原地帯で顕著な山脈ではありません。中央本線でいちばん標高の高い駅は富士見です。富士見駅から松本方面に、鉄道に沿った国道を10分ほど登っていきます。入笠山へと分岐する場所を富士見峠と言い、かつて「分水」という名の民宿がありました。ここが天竜川と富士川(このあたりは釜無川)の分水嶺で、鉄道、国道ともに茅野に向かって長い下りとなります。天竜川は暴れ川として有名ですが、それは中流域のこと。上流には諏訪湖があり、さらにその上のほうは、用水路のようなチョロチョロした流れです。
Bの横線。Aとの交点は三峰(みぶ)岳、Cとの交点は間ノ岳です。実際の長さはほんの1キロ、コースタイム30分または1時間(登り下りによる)ですから、小縮尺(広い範囲)の地図で見ると、点のようになります。静岡県の形は、上(北)のほうがやけに尖がった三角になっていますが、その三角の頂点(実際は1キロくらいある)がこのBです。
最後がCです。Hの右の縦線。野呂川の半円の真南、小太郎山がスタートです。広河原から北岳を目指して草すべりを登り、稜線に出ます。この稜線がCであり、右に見える山が小太郎山。1時間半ほどで行けるらしいですが、私はいつもヘトヘトで、行ったことがありません。南に行けば北岳、間ノ岳(Bとの交点)、農鳥岳。通常はこの先から大門沢経由で奈良田温泉へと下りますが、次の広河内岳までは一般登山道となっています。なお、このずっと先に転付峠があります。白峰三山のことは、よく耳にすると思いますが、この山脈を狭義の白峰山脈と呼ぶ場合があるそうです。
南アルプスの本家が赤石山脈、分家が白峰山脈。本家の跡継ぎが赤石岳なのですが、分家の息子である北岳がなかなか優秀で、世間の評判は、どうも分家のほうに軍配が上がってしまいそうですね。小学校で、飛騨山脈(北アルプス)、木曽山脈(中央アルプス)、赤石山脈(南アルプス)、ぜんぶ合わせて日本アルプスと習いましたが、現在は、南・北・中央アルプス以外はほとんど死語になっていると思われます。
最初に転付峠のトラックについて書きました。かつて(ほんの40年くらい前)の赤石岳周辺に登るためのアプローチ。まずは夜行列車で、身延線(富士川流域)の身延に行く。ここから早川沿いの道をバスで奈良田温泉方面へ。途中の転付峠への登山口で下車し、いったん早川の河原に下って、6時間かけて転付峠へと登ったそうです。ここにトラックがビュンビュン走っていたのですから興ざめですね。転付峠から下り1時間半で二軒小屋ですが、この日の行程は当然ここまでです。今なら、まったく歩かないで二軒小屋まで達することができます。
かつて大倉喜八郎の作った大倉財閥というものがあり、おおもとは大倉組(現在の大成建設)であったそうです。傘下には帝国ホテル、ホテルオークラ、東海紙料、その他多くの会社が属していたそうです。この東海紙料が戦後東海パルプとなり、特種製紙と合併して特種東海製紙、現在は特種東海ホールディングです(ここでは東海パルプと呼びます)。東海パルプは、戦前から森林開発を進めており、静岡県北部の、尖がった三角形部分のほとんどは社有地だそうです。大井川の谷の東側、北は間ノ岳から農鳥岳、ずっと南の転付峠への稜線。西側、Hの横線部分から、三峰岳、そこから赤石山脈沿いに、聖岳、光岳あたりまで。この両山脈の稜線に挟まれた広大な地域が東海パルプの社有地で、24430ha(山手線内の4〜5倍)だそうです。
今では輸入木材のほうが安いし、この地域は南アルプス国立公園に指定されていますから、東海パルプはむやみに伐採しているわけないでしょう。しかし、50年前とか100年前なら、無限と思われた森林資源を「開発」していたことに疑う余地はないと思います。この東海パルプの観光事業を担っているのが、東海フォレストです。
大井川水系には多くのダムがあります。明治時代から電源開発が進められてきました。上流にある畑薙第一ダムとその下の畑薙第二ダムの間では、揚水発電が行われているそうです(どちらも大成建設ではなく、間組が施工)。車で、静岡から安倍川沿いに、最後は峠を越えて大井川沿いの井川へ。または金谷から大井川沿いの大井川鉄道を利用、千頭乗換えで井川へ。ここには集落があり、川根茶の産地として有名です。静岡からのバス(昨年は一日一便、今年は未定)は、この先の畑薙第一ダムまで入ります。しかし井川からの乗車はできず、タクシーも営業所がないため、大井川鉄道で井川まで来てしまうと、畑薙第一ダムまでのおよそ30キロの交通手段がありません。電車を乗り換えた千頭から、空のタクシーを呼ぶことになります(実際には千頭からタクシー利用となるでしょう)。
二軒小屋から椹島まで20キロ弱、さらに畑薙ダムまで20キロ強(コースタイムから推測)の林道歩き。野歩の会の後輩(誰だか知りません)が、二軒小屋から40キロの林道歩きの際、これが夢であるようにとお祈りしたことがあるそうです。もちろん夢であるはずもなく、8時間もの単調な林道歩きの苦行を味わったらしいです。ご苦労様でした。いつもご一緒するタカシ先輩やタジリ先輩が、学生時代に荒川小屋でアルバイトしたそうですが、途中まで社用車で送ってもらったのか、全部歩いたのか、興味のあるところですね。
現在、椹島までなら東海フォレスト系の山小屋に泊まれば(素泊まりでも可)、送迎バスに乗車できます。無料です。椹島ロッジ、二軒小屋ロッジと、稜線の百間洞山の家から、赤石小屋、荒川小屋、千枚小屋など、この地域のすべてがそれに該当します。しかし、聖平小屋、茶臼小屋、光岳小屋は該当しないため、椹島から聖平、茶臼岳、光岳方面への縦走の際、椹島に宿泊しないとバスに乗車できません。行きの場合は、椹島に宿泊しなくても、たとえば赤石小屋に泊まると嘘をつけば乗れます。利用券を3000円で購入し(宿泊すればこれが宿泊料の一部になる)、そのまま権利放棄すれば良いのです。しかし、光岳方面から北上し、聖平小屋から椹島に下山した場合、東海フォレスト系の小屋に泊まっていません。椹島ロッジに宿泊せずに、そのまま下山する際に、3000円払えばバスへの乗車が可能なのか否か不明です(あくまでも送迎バスなのだから不可と思います)。さらにテント泊の場合も、バスに乗りたいがために、一泊は小屋泊まりとするケースが多いと思います。
なお二軒小屋までのバスは、二軒小屋ロッジに二食付きで宿泊する客のみが利用可能です。ここは完全予約制であり、早くから満員となってしまうので、利用することが非常に難しくなっています。いずれにしてもこの送迎バスの制度、ずいぶんおかしいですよね。転落事故などが起こり、亡くなる方が出たりすれば、それこそ大問題となること必至です。今のところ、山小屋料金が特に高いわけでなく、バス無料ですから、あまり文句も出ないでしょうが。
話が横にそれました。椹島ロッジは大規模な施設であり、収容人数200名となっています。入浴もできます。電源開発なのか森林開発なのかわかりませんが、戦後の開発の拠点(飯場)であったそうです。二軒小屋も似たような歴史があるかと思います。現在、どちらも快適な旅館であり、上高地の徳沢園や横尾山荘と比べても遜色ないようです。転付峠のトラックは、大井川を畑薙ダム、椹島、二軒小屋とたどり、その先でCの稜線まで登り、さらには稜線上を走っていたようです。と言うわけで、文頭のトラック疾走の理由はこうだったのですね。現在、もしも二軒小屋に行くとして、予約が取れなかった場合にどうするでしょうか。一日かけて転付峠を越える。椹島までバスで行き、ここに泊まって4時間の林道歩き。畑薙ダムから、一日かけて林道を歩く。どれも大変そうです。あえて言うなら転付峠越えでしょうか。ただし、二軒小屋から千枚岳、椹島から千枚岳、前者のほうが少し楽ではありますが、二軒小屋に行くこと自体が大変なので、ここを利用する人は、ほとんどいないものと思われます。
最後に奈良田温泉と広河原についてちょっと書いてみます。北岳登山の基地は広河原です。甲府からのバスは夜叉神峠をトンネルで抜けて、野呂川の左岸に出ます。そして、鳳凰三山の山腹をトラバースするように上流へと向かいます。川の対岸(右岸)にも林道が見えています。上流で道路はヘアピンターンして広河原ですが、ここで野呂川の源流、北沢峠方面へと登る道を分けます。広河原から奈良田方面へのバスが出ています。道は広河原の少し先で右岸へと渡りますが、これが先ほど見えていた対岸の道です。10年くらい前に、夜叉神トンネルの先で崩壊があり、数年間通行ができなかった時期がありましたが、広河原〜奈良田温泉の道は、多分そのときに整備したものと思われます。とにかく20年前には、広河原〜奈良田温泉のバスは走っていませんでした。所要時間は、およそ1時間です。奈良田温泉から東京に向かう場合、身延経由で甲府に行くより、広河原経由で甲府に出たほうが、便利になりました。世の中変わるものです。
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以 上 |
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