奥多摩とは何だ?    

  常盤さんから、奥多摩についてのマップ(概念図)と解説を頂きましたので紹介いたします。

 

(鎌田追記1:上のマップをクリックすると別ウインドウに大きなマップが開きますので、それと見比べながら以下の本文をお読みいただくと分かりやすいと思います。)

(鎌田追記2:以下の本文が長文のため読みずらい、あるいは、本文を印刷したいという方のためにPDF版とワード版を用意いたしました。こちら(PDF版ワード版)をクリックしてご覧ください。)



 もう半世紀も前ですが、小学校の社会の授業で、日本各地の山脈や山地の勉強をしました。こういう科目ってわりと好きなほうだったので、一生懸命に覚えたものです。北海道の日高山脈、東北の奥羽山脈、越後山脈、飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈、鈴鹿山脈などなど。お気に入りは、等高線の込み合った飛騨山脈でありました。逆に鈴鹿山脈なんて、屁みたいだなあと思っていました(すみません)。そして、関東平野の西のほうにある山々を、関東山地と呼ぶということを知りました。

 ところが、このような名称は次第に使われなくなってしまいました。日高山脈、奥羽山脈あたりは今でも耳にしますが、飛騨山脈は北アルプスであり、木曽山脈は中央アルプス、赤石山脈は南アルプスであります。この南北・中央アルプスの総称が日本アルプス(イギリス人の鉱山技師、ウィリアム・ガラウンドが命名)でしたが、これも死語になってしまった感があります。

 関東山地です。お得意のWikipediaによりますと、「関東地方と中部地方を隔てる山地である。関東平野の西側にあり、北側に秩父山地、南側に丹沢山地が広がる。最高峰は奥秩父山塊の北奥千丈岳である」となっています。ではありますが、今どき関東山地なんて言っても、ピンと来る人なんて、誰もいないのではないでしょうか。完全に死語の世界。

 現在の一般的な名称は、奥秩父、奥多摩、大菩薩、丹沢、さらに奥武蔵(東武東上線が命名?)、外秩父(西武池袋線が命名?)、高尾・陣馬、道志、中央線沿線の山々など、細かく分類しています(そうか、これって昭文社のエアリアマップの分類だ!洗脳されていますね)。桂川(相模川の山梨県郡内地方での名称)をはさんで、北と南では、山の持つ雰囲気や形状などがずいぶん異なっているように思えます。ズバリ、奥秩父と奥多摩は兄・弟の関係ですが、丹沢は血縁のない義理の関係である、との思いです。

 北アルプスってどんな形?答えはアルファベットのYです。真ん中の交点から上の左斜め部分が立山連峰、右斜め部分が後立山連峰、付け根が三俣蓮華岳、下の部分が西鎌尾根から槍ヶ岳、手前の双六小屋から笠ヶ岳方面が分かれ、東鎌尾根から常念岳方面と、真南へ穂高連峰となります。南アルプスは複雑で、なんとか理解できたのがほんの数年前でした。野歩の会ホームページ、情報館、2012年6月、石川島播磨重工のIHIと、サザエさんのお父様、波平さんの禿げ頭をたとえに使って拙文を書いてみました。

 北アルプス、中央アルプス、南アルプス、奥秩父も大菩薩も丹沢も、どこの山域でも(一般的に)、稜線通しに山から山へとたどっていくことができます。たとえば、剱岳から黒部川をへだてた白馬岳であっても、三俣蓮華岳経由で行くことが可能です。つまり山域の名称は、山のかたまりとしてつけられていることが多いということです。

 最近、足の衰えとヤマビルの恐怖から、丹沢がお気に入りから外れ、奥多摩や高尾山周辺を訪れることが多くなりました。しかし、若いころにしっかりと勉強したわけでなく、この山域の概念がまったくありませんでした。デジタル的に、いちばん高い山は雲取山であり、中央に位置するのが大岳山であり、お手軽さが人気の三頭山、高尾山は奥多摩なのか違うのかわからない、このような認識でした。
 
 先日、三頭山に登って、フッと思ったのです。ここと大岳山、御前山を、奥多摩三山と呼ぶらしいけれど、登山口が全く違うし、どうしてひとくくりにするのだろうか。三頭山は笹尾根の起点であり、盟主であります。大岳山は御前山、御岳山、日の出山とグループをなしています。かたや、秋川沿いの五日市部屋、こなた、多摩川沿いの奥多摩部屋であります。

 ガイドブックなどによれば、笹尾根は三頭山が北限であり、奥多摩湖へ下ってしまうとされています。大岳山や雲取山へ行くには、どうしたら良いのかしら。気になって気になって、そして、重大なことに気付いたのです。三頭山から御前山、大岳山には、稜線通しに行くことが容易である。しかし、雲取山に行くには数日を要し、とてつもなく遠回りになる。

 多摩川を下流方向から遡ります。拝島付近で、多摩川本流と秋川に分かれます。鉄道でいえば青梅線と五日市線です。本流は、奥多摩駅、奥多摩湖、丹波山村、さらに二股に分かれて、奥秩父の笠取山と、大菩薩の柳沢峠まで続きます。また、奥多摩湖の三頭橋のところから分かれて、小菅村の上流をたどると、かの有名な大菩薩峠です。

 秋川の上流は、檜原村。役場のある本宿で北秋川と南秋川に分かれます。北秋川の北には、大岳山や御前山が連なっています。上流はいくつもの小沢に分かれ、三頭山の近くの月夜見山、ないしは御前山が源流かと思います。また南秋川ですが、人里(へんぽり)、笛吹(うずしき)といった、武者ぶりつきたくなるほどかっこいい名前の集落を過ぎて、最終が数馬です。数馬の少し上流に都民の森があり、そこまでバスが上ってくれます。標高1000メートルもあり、三頭山1531メートルまで1時間少々で登れてしまいます。この三頭山が南秋川の源頭といえるでしょう。北秋川と南秋川を分けているのが浅間(せんげん)尾根。

 ということです。奥多摩は、山のかたまりではなく、川(多摩川と秋川)が主役らしいです。そして、大河である多摩川が、北と南を完全に分断して流れています。その源頭は奥秩父ないしは大菩薩であるため、北部と南部を行き来するには、一度多摩川に下るか、奥多摩とは言えない地域にまで迂回する必要があるのでした。どんなことがあっても再び会うことができない真知子と春樹、君の名はでありました。

 それでは、奥多摩の旅に出ます。その前にアルファベットのU、これを右に90度倒してください。開口部が右になります。多摩川の北も南も同様です。U横倒し、右下から左へ、カーブを上へ時計回りに曲がって、右方向です。

 まずは多摩川の北から。JR奥多摩駅が起点。駅の近くに石尾根の登山口があります。石尾根は、雲取山2017メートルから、ほぼ東西に延びる長い尾根です。頂上から駅まで下ったことはありますが、8時間も9時間もかけて登る勇気はありません。途中の大きなピークは鷹ノ巣山です。七ツ石山あたりから北に向かい、頂上の一角である雲取山避難小屋前に出ます。

 雲取山は奥多摩の最高峰と呼ばれればナンバーワンですが、奥秩父の東端との位置づけでもあり、その場合はワンオブゼムとなって埋没してしまいます。西に向かえば、飛竜山を経て奥秩父の縦走路が始まります。北に向かうと数時間で三峯神社です。日本武尊まで登場する由緒ある神社で、狼が守護神だそうです。

 この三峯神社への縦走路の途中、芋ノ木ドッケという奥多摩らしいネーミングのピークから、東へ向かう尾根が派生します。これを長沢背稜と呼ぶそうです。酉谷山、天目山、蕎麦粒山と、実力はあるが見目麗しくない(と思われる)地味な山が並んでいます。長澤まさみなら結構ですが、ちょっと不細工で、性格もよろしくなさそうなこの山域、ワタクシの手に余り、恥ずかしながら未経験です。今年の秋、酉谷山から北に派生する尾根にある熊倉山に登る計画があります。ただし、長沢背稜は多摩川と荒川の分水嶺であり、熊倉山となると奥多摩ではなく、秩父の山(奥秩父ではない)となります。同様な観点から、雲取山から三峯神社への稜線も秩父の山との位置付けが妥当です。
 
 U右倒し、石尾根が下の線、七ツ石山から右に曲がり、雲取山を経て芋ノ木ドッケから上の線です。長沢背稜という暗く重いイメージの部分は蕎麦粒山でだいたい終わりです。その先の日向沢ノ頭から南に尾根が派生し、人気の川苔山へとつながります。川苔山といえば、奥多摩駅からすぐの印象があります。山あり谷あり滝ありの、コンパクトで素晴らしい山ですね。
 
 日向沢ノ頭からそのまま東進すると、これまた人気の棒ノ嶺(棒の折山)、ここは飯能からバスで名栗湖からも登れるし、青梅線の川井からも登れます。そしてトリは高水三山。岩茸石山、惣岳山、高水山でついに完了です。私見ですが、この高水三山、あまりにも「ハイキングに適当」を強調しすぎていて、なんだか嫌いです(お前に嫌われてもどうってことないか)。20年以上前に子供を連れて一回、数年前に棒ノ嶺からダダーっと縦走、2回しか経験なしです。奥多摩、多摩川の北部分はこれで終了。

 こんどは多摩川の南です。最初に種明かし、高尾山は奥多摩の一部であります、と断言してしまいましょう。広義に、笹尾根の末端です。いくつかのコースがありますが、高尾山口から数分、ケーブルカー横から稲荷山コースを登ります。気持ちの良い尾根道を1時間で高尾山山頂に到着します。頂上直前の長い階段が嫌なら、右の巻道を行くと頂上直下のトイレ前に出ます。

 頂上から裏高尾。階段を下り、最低鞍部から少し登り返せば一丁平、もうひと頑張りで城山です。城山から下れば小仏峠。ここには明治天皇がお休みになったという記念碑があります。さすが皇族、山登りがご趣味かと思いましたが、秩父宮殿下・皇太子殿下と違い、そんなご趣味があったはずありません。上野原方面への行幸の際、浅川(現・高尾)から与瀬(現・相模湖)へと向かうのに、この峠をお通りになったのであります。

 景信山には茶屋が2軒あります。たいそう賑わっており、景色も良く、私の最も好きなスポットのひとつです。白沢峠、底沢峠、明王峠、奈良子峠、景信山から1時間半で陣馬山。頂上の白い馬のオブジェ、私の目の黒いうちに、撤去する話が出るでしょうか。これさえなければ、満点の頂上なのですが。だだっと下ると和田峠です。浅田次郎の「一路」、白雪が死に、お殿様の蒔坂左京大夫が「くそ」と叫んで越えた和田峠ではありません。ここの茶屋のおばさんは意地悪で、何も買わない場合はベンチに腰掛けるのは不可。くわばらくわばら。

 ここから険しい道となり、生藤山へと登り返し。ここからが一般的に笹尾根と呼ばれる尾根の始まりです。ただし、高尾山口から、一回も沢を渡っておらず、大きな下りもない顕著な尾根道でしたから、高尾〜陣馬も笹尾根の一部と考えて良いはずです。

 熊倉山、土俵岳、丸山、槇寄山、大沢山と地味な小ピークが続きますが、興味深いのはその間にある峠です。北の南秋川と、南の鶴川(上野原から棡原を通って小菅村へと続きます)の集落を結ぶ生活道路が、いくつも開かれていたようです。三国峠、浅間峠、日原峠、小棡峠、笛吹峠、西原峠、どれもかわいい峠です。稜線も、登り下りが小さくて、ポツポツ歩くのに最適です。

 昭和40年代の終わりころ、横山厚夫先生の「登山読本」に大きな影響を受けた私です。著書の中に、南秋川から生藤山に登り、三国峠から上野原に下るという説明があります。神奈川県南部在住でしたから、山といえば丹沢であり、奥多摩にはほとんど縁がなく、何が何やらさっぱりわかりませんでした。都内に移住して30数年、最近になってようやく概略がつかめてきました。40年たっても十分通用する著書であり、古本で購入する価値大であると断言します。この「登山読本」たぶん20回くらい読み直しています。私のこれまでの拙文にも、何回か登場したはず、「道に迷ったと気づいたら、深呼吸してタバコを一服」です。

 ようやく、三頭山までやってきました。ピークが3つあるから三頭山です。さきほども書きましたが、都民の森までバスで上がれば、ほんの1時間で頂上に達することができます。高尾山口から三頭山まで、健脚なら8時間くらいでしょうが、下りの鉄人を自称する私にはちょっと荷が重く、未だ経験ありません。有名な「ハセツネ」のコースは、五日市から戸倉三山、笹尾根経由で三頭山、そしてこれから説明する大岳山方面へと向かうのですが、プロのランナーは、ここまで3時間くらいで走破するらしいです。

 三頭山でU右倒しの下の横線から、時計回りカーブ、左の頂点といったところ。都民の森からの三頭山は、鞘口峠を経由することが多いのですが、今回は逆に峠に下ります。そこから、ニョロニョロした稜線が続くのですが、残念ながら未踏部分です。奥多摩周遊道路が走っていて、趣がなくなる(らしい)といった認識です。風張峠、月夜見山、小河内峠、惣岳山、そして御前山(ここも未踏)。

 御前山から鋸山、そして大岳山へと稜線が続きます。御岳山から大岳山に登り、奥多摩駅に下るには鋸尾根が近道です。しかしノコギリですから、小ピークがいくつも続き、単なる下りではありません。特に鋸山への標高差80メートルの登り返しがきついです。泣いたことがあります。

 大岳山まで来ると、登山者の数が数倍になります。頂上から大岳山荘(昭和51年に泊まったことがある。現在は廃屋)へと下り、よく整備されたハイキングロードをたどれば御岳山。頂上は御岳神社に占領されているようで、わかりにくいです。天空の土産物屋街、宿坊などをブラブラ歩き(登りはけっこうきつい)、日ノ出山まで1時間もかかりません。下山はつるつる温泉か吉野梅郷、もしくは長大な金毘羅尾根で武蔵五日市(これが正当か?)、長い旅が終わりました。

 これで、奥多摩の概略は終わりです。Uの右倒し、これを上下にふたつ重ね餅です。真ん中に多摩川、北の山脈(石尾根から雲取山、長沢背稜)と南の山脈(高尾山、陣馬山から笹尾根、三頭山から奥多摩三山)という基本的な骨格です。大岳山から馬頭刈尾根とか、浅間尾根など、説明しきれない部分がありますが、ご容赦ください。

 最後に、三頭山から雲取山へ、稜線通しに行く、大迂回コースを検討します。頂上から西に鶴峠に下ります。ここから奈良倉山までは踏み跡程度らしいです。松姫峠から鶴寝山、大マテイ山。ずいぶんオドロオドロしい名前です。先輩に一度連れて行ってもらいましたが、何がなんやらわかりませんでした。大月の北のほうの深い山みたいです。さらに牛ノ寝通りを経て石丸峠。ここはもう大菩薩山嶺の核心部です。南に向かう小金沢連嶺を分けて、大菩薩峠、大菩薩嶺、丸川峠、そして青梅街道の通る柳沢峠。ハンゼノ頭、藤谷ノ頭、倉掛山など、実は名前も知らない山々を通過して、ついに奥秩父縦走路の笠取山に達します。ここからはメインの道となり、将監峠、飛竜山を経て、めでたく雲取山に達することができるのです。さて、何日かかることやらであります。我が野歩の会の先輩、後輩、こんな酔狂なコースを踏破したことがある人、たぶん皆無と思われますが、いかがでしょうか。

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