◆100年前の女の子(文集文庫・船曳由美著)    

  常盤さんから、本の紹介と聖地巡りのお話を頂きましたので紹介いたします。

 

 昨年(2015年)、浅田次郎の「一路」を読んで、あまりの面白さに感激し、中山道を歩くことを決意しました。日本橋から出発し、数時間歩いて帰宅。秋には木曽路から美濃へとの思いでしたが、交通費がドンドン嵩むようになり、財布が悲鳴をあげました。結果、とりあえず軽井沢でストップしてしまっています。

 さて、一週間に一冊くらい文庫本を読む習慣がありますが、今年出会った本の中で、この「100年前の女の子」が最も心に残る作品でした。勝手ながら、多くの方にお読みいただき、感想などお聞かせいただければと思います。

 主人公は、現・足利市にある高松という村で育った「寺崎テイ」という女性です。筆者の船曳由美氏は、寺崎テイの二女だそうです。テイは2010年に101才で大往生しますが、80才を過ぎたころから、自分の娘時代を語り始めたそうで、それを物語にまとめたという形態です。

 高松は、足利市の南の方にあり、東武鉄道の多々良が最寄り駅です。群馬県館林の次の駅です。多々良駅は群馬県ですが、駅前を流れる矢場川を渡ると栃木県に入り、足利市の高松という順序です。

 物語は、テイの幼少時における上州(高松は栃木県なので野州ですが、となりの館林の影響が強く、実質的に上州)の風物などを細かく紹介してあります。合計4人いるはずの祖父母を、ほとんど一人も知らない私にとって、昔の風習など、聞いたことはあっても、まったく無縁の世界です。季節ごとにとり行われる風習、興味深く読ませていただきました(ワタクシ、恥ずかしながら、お盆お彼岸の区別もつきません)。

 内容については、是非ご一読いただきたく思いますが、小学校に上がる前までの人間関係が、非常に複雑です。また当時の女性の名前、この寺崎テイをはじめ、ロンとかヤスのようなカタカナ2文字が普通だったようで、とてもわかりづらいです。5〜6才のところまで読み進んだら、最初から再読することでスッキリします。なお、テイは貞節の貞を意味するようです(本文中にあります)。

 年の瀬もせまったある日、冬型、快晴、強風のもと、寺崎テイの実家をたずねました。得意のストーカー訪問です。作品を最後まで読み、インターネット検索することで、家を完全に特定できてしまいます。セキュリティ面で問題だなあと思いつつ、地図をプリントしました。

 早朝の電車で、日暮里、北千住経由で東武鉄道に乗車です。北千住7時24分発の区間急行が、多々良駅に8時49分着。この多々良駅は、100年前、物語のころは中野駅と言ったそうです。ここの駅舎、物語同様100年くらいたっているのではないかと思われます。木の柱が長い時間を経て、やせ細っています。

1)東武鉄道多々良駅


 駅からほんの数分、群馬・栃木の県境となっている矢場川を渡り、高松地区に入ります。まだ営業時間前の藤屋という商店(文中に出てくる)の前を通り、北に5分も歩いて、ここいらだなというT字路を左折しました。

2)矢場川を渡って栃木県に入る


3)本文中に藤屋というお店の記述がある


 ほんの3歩で渡れる川(実際は水路)を越えて2軒目が、寺崎家です。文中で、70メートルほどもあるというカイド(街道)の奥に、目指した家がありました。本来なら、ノコノコと入ってゆくべきなのでしょうが、そんな勇気はありません。遠くから眺めて、写真を撮るだけで十分です。これで第一の目的完了。

4)カイドの奥にある寺崎家、けっこう立派


 「みくり」と言えば、逃げ恥の森山みくり、十六茶のCMで、緑のスーツ着て踊っていたガッキー、可愛かったですね。この付近の田んぼ、御厨田と呼ぶそうです。広々とした田園地帯、遠くに真っ白な富士山がくっきりと見えました。また日光男体山、西風に吹かれて粉雪が舞っている赤城山もゲット。

5)強風で、雪雲に覆われた赤城山


6)遠くに富士山が望める


7)広々とした御厨田


 およそ1時間半を高松で過ごし、次の目的地は足利です。足利と言えば足利学校でしょうが、今回の目的地は、その近くの高校です。東武鉄道の足利市駅まで行き、徒歩で渡良瀬川を渡るとJR足利駅です。駅からその高校まで1キロくらい離れており、ちょっと面倒だなあと思ったのですが、一日2本しかない「生活路線バス」に運よく乗ることが出来ました。偶然なのですが、バス停に着いたのが発車5分前でした。

8)渡良瀬川を渡る


 明治42年に足利高等女学校として創立された通称・足女(あしじょ)、現在の、県立足利女子高校です。ここに寺崎テイが通っていたのだそうです。かつて、その土地の代表格のような男子校と女子高が、別々に存在していた時代がありました。しかし、戦後そしてその後の学制改革で男女共学になり、名前を変えてしまった例が多くあります。ところがここは、足高、足女と昔ながらの風習が残っています。この男女別学、昔っぽく、男臭く(女臭く?)て大好きです。

9)足女の校門


 女子高前という停留所で下りて、休みで誰もいない学校の周りをウロウロし、正門の前でパチリ。創立100周年の看板が目を引きました。女子高の写真を撮るのは、今どきかなり勇気がいります。早々に退散します。もちろん帰りのバスなどありません。当たり前ですが、駅まで徒歩です。

10)100年以上の歴史がある


 JR足利駅まで帰ってきましたが、両毛線で高崎もしくは小山へと向かうのは、時間ばかりかかります。再度、渡良瀬川を渡って足利市駅へ行き、トロトロ走る東武鉄道で帰ることにしました。今回の行動中、スマートフォンで電車の時刻を調べたり、地図ソフト・ナビで駅までの道を調べたり、ちょっとした疑問を検索したりしました。ほんの半日なのに、電池の消費量が通常の3日分くらいになりました。なかなか充実した小旅行でした。この物語、是非読んでくださいね。


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