内視鏡的胃粘膜下層剥離手術

   
Tokkeyさんから内視鏡手術の体験をご紹介頂きましたので報告いたします。 
 

◆内視鏡的胃粘膜下層剥離手術

 家に東京都の区分地図があれば、港区三田1丁目のあたりを開いてみてください。慶応義塾大学から北へ500メートルほど、中の橋と言う地名が見つかるかと思います。ここには済生会中央病院と東京専売病院がとなりあっています。インターネットの地図ではこの東京専売病院が、「国際医療福祉大学三田病院」となっているはずです。

 今回この国際医療福祉大学三田病院で、内視鏡による胃癌摘出手術を受けました。検査から病院選び、そして手術のもようなど、記憶と記録を頼りにご紹介したく思います。当然医学については素人であり、内容については推測の部分が少なくなく、誤った部分も多々あるかと思いますが、何卒ご容赦くださいますようお願い申しあげます。


◆国際医療福祉大学三田病院

 人に一つしかない命、そのためにお金を惜しむことは絶対的に悪であります。身内のものが病気になったとき、このお金を惜しまないというポーズを怠ると、近親者から非難をあびることになります。癌であるとか脳、心臓疾患など、重篤な病気に襲われた場合、自分の行ける範囲でではありますが、「最善の病院」を選ぼうとするのは当たり前です。特に癌の場合、1分1秒といった時間を争うわけでないし、治癒に時間がかかることが多いため、選択の余地はさらに大きく広がるのかもしれません。

 港区と言えば、東京で最もハイセンスであるかのように見える区かと思います。知的水準も所得水準も高く、そのような理由からかいわゆる良い学校とか良い病院など、それこそはいて捨てるほどあります。たとえば半径1〜2キロ程度の円を書けば、有名病院の2つや3つは必ずひっかかります。中の橋を中心にすると、済生会中央病院が一番近く、大きくて立派ですが、それでも少々地味な気がします。北東に1キロ行けば慈恵医大病院、北北東1.5キロには虎ノ門病院、西方1キロに広尾の日赤医療センター、信濃町の慶応病院にしたってわずか2キロです。

 こんな激戦の地で「専売公社の病院」、なかなか厳しいですよね。東京専売病院がどのような経営状況であったか知る由もありませんが、なんとなく芳しくなかったくらいは推察できるでしょう。そして「健康」のイメージの対極にあるたばこ、喫煙を奨めるべきか禁じるべきか、矛盾に悩まされたことでしょう。このような事情を考慮すれば、経営が変わることもしかたないかも知れません。

 さて国際医療福祉大学とは?あんまり聞かない名前です。調べてみたら、1995年に栃木県に設立された、おもに看護士さんなど医療関係者を育てる大学であることがわかりました。医学部はありません。かつて大学病院を名乗るには、その大学に医学部があることが必須だったようですが、現在はその規制が緩和されて、この大学にも付属の病院が持てるようになったのだそうです。2005年3月にこれまでの専売病院が国際医療福祉大学付属三田病院(その後、名称から付属を削除)と名称変更(開設)されています。

 この病院、ここ数年で大変注目される存在になっています。まずはみのもんた。腰の痛みと格闘しながら紅白の司会を終了してすぐ直後に入院・治療したのはこの病院だそうです。もちろん執刀医はその道の権威です。また、王監督が腹腔鏡手術を受けたのは慶応病院なのですが、その執刀医がその後ここの院長に就任しています。いわゆる超大物を引き抜いている病院なのですね。

 すなわち、超大物スター教授をヘッドに置き、たとえば慶応や東大でほんの少しの差で不遇であったり、出身大学がブランドではなかったが、その後めざましい活躍を示しているような医師をごっそり集めたりして、内々では早くも評判をとっているようなのです。ただしその評判は必ずしもポジティブなものばかりでなく、芸能人を広告塔に使っているにすぎないという声もあるようですが、深い事情は素人にわかることではありません。

 私の診断を受けた消化器センター(建物の4階部分)はみごとにリフォームされ、壁紙・じゅうたん・椅子など、清潔感漂っています。しかしここ以外はなんとも古色蒼然とした設備で、例えばエレベーターは緊急用1基と一般用2基しかなく、ちょっと運が悪ければ5分くらい待たされることははザラです。また院内に「歩行禁煙」というポスターが(撤去されることなく)残されており、思わず失笑させられました。


◆久しぶりの内視鏡検査

 平成元年に生まれて初めてバリウム検査を受け、それが要再検査だったためにすぐに内視鏡検査を受け、その結果がまぎれもない胃癌だった。そして奨められた「国立がんセンター」に入院し、胃の3分の2切除手術を受けた。バリウム検査から手術までわずか2ヶ月でした。あれからもうすぐ20年がたちます。びっくりしたし、強いストレスに襲われたし、今から考えてもこれまでの人生で最も厳しい時期であったこと、間違いありません。

 国立がんセンターでは、毎年一回の術後健診を欠かさず受けていたのですが、10年を区切りに「卒業」を強要されました。少なくとも、前回の癌とは縁の薄くなった患者のフォローを続けるより、新たな患者が押すな押すなで待っている病院なのですから、これは致し方ないことと思いますが、ここを出されて数年間は無所属・無検査の状態が続くことになりました。

 そして今年の春、会社の健診において、バリウム検査と内視鏡検査が選択できるように変更になっていたのです。去年まではまずはバリウムと定められていて、最初から内視鏡というのは不可能でした。バリウムのあのイチゴ味(20年くらい飲んでないので最新の味はわかりません)、うそ臭くて大嫌いなのです。「イチゴ味で隠してあるけれど本当は毒薬、ああ私にはわかってしまう」とういところです。

 会社の指定は神宮前の「フェニックス・クリニック」という、検査専門の病院でした。代々木駅から5〜6分、6月からは副都心線が開通して便利になります。でもちょっと怪しいっぽいネーミング。ここの賀来先生という医師による検査、ずいぶんお上手で苦痛はほとんどありませんでした。そして結果は「疑いあり」再検査でした。

 私はこの時点でうすうす感じていたのです、「こりゃあ、癌手術まで行くな」って。2度目の内視鏡、その結果発表ではもう「疑う余地なし」であり、その場で病院の提示を受けました。こういう時、私は家に帰って相談するということはありません。天から受けた啓示のように、すぐにその運命に従ってしまうのが私の生き方です。

 賀来医師は、この癌なら内視鏡による剥離術が向いていそうだが、専門の医師は少ない、この先生に決めたらどうですかと言われました。慶応かな?東大かな?とわくわくしながら説明を待つ私に言われたその病院が、国際医療福祉大学三田病院なのです。ここの吉田昌先生が最高の腕前なのですと。

 みのもんたの件も王監督の主治医のことも知らない私にとって、国際医療福祉大学と言われてもなんの予備知識もありません。でも検査の時に非常に親身になってくれた、とてもやさしそうな、信頼できそうな賀来医師が最高だと言うのだから、きっとそうなのだろうとあっさり納得することにしました。


◆入院前検査

 賀来医師は病院の紹介と同時に、その場で「紹介状」を書いてくれました。それを携えて吉田医師に初めて会ったのが平成19年8月8日です。暑い夏の盛りでした。賀来医師からの紹介状でほぼすべて掴んでいたので、それほどの待たされることもなく入院の日程が決まりました。これから一ヶ月のあいだにCT検査をして、再度内視鏡検査で部位を確定させ、9月5日に最終確認後10日に手術という予定です。

 これらの流れですが、たぶん標準的なものであろうと思われます。20年前の経験もあるし、胃粘膜の癌を内視鏡で切除できるということは初期癌であるということだし、たいしたプレッシャーもなく、淡々と流れに乗っている感じでした。なお吉田医師ですが、この初めての面談以降何度も顔を合わせて話を聞いたりしましたが、毎回その実直な態度には心打たれるものがあります。年齢は40才半ばくらい、とにかくやさしくて包容力のある先生です。

 8月21日に吉田医師による内視鏡検査を受け、9月5日にいよいよ直前顔合わせ。にっこり笑って余裕の私だったのですが、先生からはつれない返事が。「賀来先生から指定された場所、さらにほかのどこを調べても、癌の場所を特定できない」のでだそうです。なんと、癌が(表面的には)なくなってしまったのだそうです。胃粘膜をきれいに均された畑とします。踏み跡のような陥没部分に癌が存在していたのだが、検査で見つけたときに、ほんの少し細胞を摘んだだけで取れてしまったのだそうです。しばらくはその畑(粘膜)が自然に均されるのを待ち、形状的にもあきらかにこれだと特定できるようになったら手術にしましょう。こういうのを経過観察と言うのだそうで、次回の内視鏡は11月20日。

 この吉田先生の内視鏡検査の手順です。最初にへんな水を50ccくらい飲まされます。これは胃をきれいにする薬だそうです。次にすぐに氷結したドロップを渡されます。口の中でゆっくり溶かして飲みます。喉の麻酔薬。通常はドロッとした液体を喉の奥に溜めて数分待たされるのですが、けっこうしんどいです。氷結ドロップは2〜3分で全部溶けますが、溶けおわった時点で麻酔は完了しています。いよいよ検査台に乗ります。点滴の注射をします(チクッと痛い)。喉を開けて「アー」と言っている間に「ノドヌール」のような麻酔をかけられます。ちょっとオエーとします。身体を横に向けます。口にマウスピースがはめられます。「麻酔入れまーす」という声がかかり、点滴を通じて液体が流入する気配がします。そして次が、「はい終わりましたー」です。つまり麻酔(鎮静剤)によって、ファイバー挿入時には意識がないため、違和感は感じている暇がないのです。さらに胃の中でどのように動いているのか、細胞の採取が行われてのかどうかなど、患者はなにも気づかないままに終了しているのです。とっても楽ですよ。

 11月20日、2度目の内視鏡検査も以上の通り。検査後一眠りして帰るのですが、会社で眠くなって困りました。そして12月5日に再度結果発表となりましたが、今度はめでたく癌が特定でき、2月12日手術と決定しました。手術直前に3回目の内視鏡検査をして、慎重に手術に向います。

 内視鏡検査の場合、前夜の夕食は控えめに済ませ、当日朝は絶食です。11月の時、前夜の夕食が21時ころになってしまい、かなりの量を食べたため、食物残渣がだいぶ残ってしまいました。胃の中に残渣が大量に残っている写真を見せられると、恥ずかしくて穴があったら入りたい心境になります。そこで3度目の直前検査の前日は、夕食を19時ころ、山芋とご飯と少々と決めていたのですが、目の前にあったチンジャオロースに目がくらんでつい一口二口食べてしまいました。この結果、筍のカスがほんのひとかけらだけ写真に写ってしまったのです。少しでも食物残渣があると、手術の時に邪魔になるのだそうです。この筍ひとかけらのため、当日入院・即手術が流れて、念のため前日入院に変更されてしまいました。したがって、入院したのは2月11日(月)、建国記念日の休日です。指定の10時に病院に到着したのですが、休日のため入院患者以外は誰も待っているわけでもなく森閑としていました。手続きなどもすべて翌日回しになりました。


◆入院生活

《2月11日(月)》
 本来なら12日入院であるべきところ、念のための一日前倒し入院です。夕食は流動食になることは知らされています。11時ころ身の回りの整理も済んで、さてお昼は(術前これが最後の食事だし)どうしようかと思案していた矢先、医師と看護師がやってきて、あっという間に静脈注射(点滴のために何日も刺しっぱなしにしておく)をされてしまいました。昼食から流動食だそうで、まさに「はめられた」っていう感じです。
 こ腹がすいてきた時間に出された流動食、まずいのなんのって。完全に糊のようになった「まあ、あかゆ」、米粒なし。外皮を完全に取り去ったコーンスープ(まあ、美味しい)。
にんじん味のまずいスープ。チョコレート味の液体パック。しょうがないけど情けない、味気ない。やけになって、一気に飲み干しました。ところがこれらが午後からおなかの中で膨れてきて、膨満感と軽い吐き気に悩まされました。
 なお、入院した部屋は4人部屋。ひとりはどこかの癌で抗がん剤治療を長く続けている人らしく、部屋でコーヒーたてたりします。ひとりはこれも抗がん剤の方で、まもなく一時退院です。もう一人は数日前に入院した大腸癌の方でした。入室の際にだれもがカーテンを閉めており、挨拶する雰囲気でもなかったので、そのままになってしまいました。そしてその晩も流動食が配られ、手術前の夜は静かに過ぎてゆきました。

《2月12日(火)》
 いよいよ手術当日です。と言っても絶食ですから食事なしで、午前中はなにもすることがありません。となりのベットの大腸癌の方も同日・ほぼ同時刻に手術であることがわかりました。私の指定されていたのが13時30分手術開始、15分までに4階の消化器センターに来ること、でした。大腸癌の方は12時半ころ手術室に向かい、私はこれが最後と喫煙所でたばことの今生の別れをしのびました(本当にお別れできるでしょうか)。
 手術中待機してくれる家内がやってきたのが13時少し前です。手術室に向うときはストレッチャーに乗せられて、看護師さんに連れて行ってもらうのが私の常識ですが、さすがに内視鏡手術は違います。看護師さんから大き目のカバンのようなもの(確かカルテが入っていると言っていたような記憶)を渡されて、時間までに自分で行くのだそうです。そのとおり、13時10分ころ消化器センターに到着しました。

《胃粘膜下層剥離手術について》
 吉田医師から手術の手順や危険性など、事前に十分な注意・説明などを受けましたが、こちらは「先生にまかせるのだから」いろいろな危険があったら、先生の最良と思われる判断で適宜処置してもらえればそれで結構であるという認識です。だからあまり質問はしないし、説明はもう良いですよ、どこにサインすればよいのですか、という態度。
 またどこで見たのか思い出せないのですが、通常2泊3日程度で退院できる、日帰り手術も可能であるという記事がありました。そこで火曜手術・木曜退院、遅くても金曜、百歩譲って土曜と決め込んでいました。そうはならなかったのですが、どうやら件の記事は、別の手術のことではないかと思われます(術後探したが見つかりません)。今回の手術はもともと日帰りや2拍3日で帰れる手術ではなかったもののようです。
 手術時間は1〜2時間と聞かされていました。これは確かにそのとおりらしく、2時間を超える例は見たことありません。過去に内視鏡検査で1時間くらい入れっぱなしの経験もあり、これなら辛さを自分でコントロールできる範囲内だろうと思っていました。まさか4時間もかかるなんて完全に予想を超越しています。
 もう一点誤謬がありました。粘膜下層剥離手術のことを粘膜剥離手術と勝手に置き換えていたことです。癌細胞が粘膜内にとどまると思われるため、念のためその下の粘膜下層まで切り取るのが今回の手術(読んで字のごとく)です。粘膜下層をえぐりだす経験はしたことありません。これまで内視鏡で何度も粘膜の細胞採取を行っており、ほとんど痛みを伴いませんでしたが、今回の手術もこのように進んで、粘膜を「チョンチョン」と摘むように済んでしまうのだろうと思っていました。

《麻酔入れまーす》
 さあ、いよいよ手術開始です。13時20分すぎにいつもの検査台乗ります。特別な手術室ではないのです。水薬を飲んで、氷結ドロップをなめて、ノドヌールをシュッとやって、点滴を装着して、マウスピースを口にはさんで横になります。目の前に内視鏡のディスプレイがあります。上のほうには時計があり、時刻はわかります。13時28分ころ「麻酔入れまーす」の声がかかりました。さあ、いよいよスタートです。今28分だから、手術開始は13時30分だなと頭の中で確認しました。
 ファイバーをどのように入れたのか、今回もわかりません。次に認識した映像には胃の内部が映っており、白い点のようなもので丸いマーキングがされているところでした。ああこの丸い部分を取るのかな?そしてまた意識が遠のくのです。あとは何となく苦しくて今何時なのか時計を見たうっすらとした記憶があります。ずいぶんたっているじゃあないかと思ったように記憶しているので、16時ころでしょうか。だんだん辛さが増してきて、「ぐうぉぅえぇぇ」となることが何回かありました。ディスプレイの映像がぐしゃぐしゃに歪みます。お腹を膨らませるために空気を注入し続けるのですが、これが結構厳しいのです。記憶と実際とでは大きな差があるのでしょうが、最後の1時間くらいは我慢も限界に達し、嘔吐の連続であったような気がします。
 ついに「終わりましたー」の声がかかりました。この瞬間に意識は戻るのです。ファイバーはもう抜かれていたように思います。最初に時計を見ると17時半でした。極限の苦しさの最中なのに、思わず開始から4時間という計算をしていました。この時間はまさに最大の「ぐうぉぅえぇぇ」です。消化器に充満した空気で苦しいのです。おならも出てアシストしてくれます。でもそれだけではおさまりません。ぐわぅ、ぐわぅと呼吸を繰り返し、空気が抜けるのを待つ。お帰りはストレッチャーで病室まで運んでもらったようです。このあたりは再度記憶が欠落していますが、鎮静剤を打たれて、あっと言うまに眠ってしまったそうです。

《2月13日(水)》
 朝は5時ころ目が覚めました。元気です。痛みもありません。一人でトイレにも行けます。ベッドでテレビニュースを見たりしてすごします。朝8時ころに会社に報告電話したり、お見舞いメールの返事を出したりして過ごします。集中力が欠如していて、メールの文章がうまく書けなかったけれど、ほぼやるべきことはやりおわりました。
 そのころより、徐々に腹痛がやってきました。鎮静剤が切れてきたのでしょう。我慢していましたが、だんだん痛みが強まってきて、ついにナースコールで「一本お願い」しました。さすがに効果抜群で、しばらくで痛みはおさまりいつしかうとうと眠ってしまいました。この日はこれの繰り返し、家内が来ましたが、あとで聞くと「わたしの会話は何をしゃべっているのかわからない」状態だったそうです。
 また高熱が出て、計るたびに38℃台、夕方には39.5℃まであがり、ちょっとびっくりしました。発熱のため、寒くて寒くてしかたありませんでした。

《2月14日(木)》
 朝5時、痛み止め注入でこの日が始まりました。うとうとしたり目がさめたりで一日を過ごします。体温はずっと37℃台でだるいのですが、痛みの峠は越えた感じでした。夜には痛みがあり、この日も痛み止めをお願いしました。

《2月15日(金)》
 前夜の痛み止めが効いたのか、久しぶりに平熱に近い状態に戻りました。夜中に計ってみたらなんと36.7℃。ひと眠りして再度計ったら36.5度。もうこれで完了かと思いましたが、明け方は37℃、その後昼間はずっと37℃台が続いてしまいました。一進一退で、あまり気分の良い日ではなかったです。

《2月16日(土)》
 朝4時半ころ、これまでうんでもすんでもなかった「お通じ」がほんの少しありました。2月11日以来だから5日ぶり。ちょっとうきうきしました。熱は相変わらずの37℃台でなかなか下がりません。この日からお水、お茶なら飲んでもかまわないと言われ、お茶を久しぶりに飲みましたが、感動的にうまいってほどではなかったです。
 またシャワーの許可が下りたので早速シャワーを浴びます。入院時のアンケートに一週間の入浴回数というのがありましたが、私は毎日朝晩シャワーを浴びているので、14回と記入しました。2月11日、家での朝シャワー以来ですから、これも5日ぶり。蘇生する思いでした。

《2月17日(日)》
 前夜ほぼ熟睡できて、満足感のある目覚め。回復が顕著になってきたように思えましたが、朝の体温は相変わらず37.5度。東京マラソンを見ながら過ごしました。朝の回診でとなりの大腸癌の方に昼から流動食の許可が出ました。とても羨ましく感じました。そして8時45分に再度計ってみると36.8℃、二日ぶりの平熱です。やりました。
 今日は日曜だから来ないだろうとあきらめていた吉田医師が10時ころやって来ました。熱も下がりそこそこ快調であることを告げると、私にも夜から流動食の許可が。「先生、今日は休みで来ないのだろうと思っていましたよ。となりの方に食事許可が出て、とても羨ましかったのですよ」と言えば、「そんなことだろうと思って来たのですよ」との返事。心からうれしかったですね。
 午後からは熱も出ず、ずっと元気。これなら来週の後半には退院できそうだなと計算できます。夕方には会社の同僚の家に状況説明の電話をし、久々の流動食を一口流し込み、夜はサッカー東アジア選手権対北朝鮮戦、篤姫などを見て9時半ころ就寝。

《2月18日(月)》
 この日以降発熱はまったくありません。朝は流動食でしたが、昼から3分粥にステップアップ。おかずについていたじゃがいも、おいしかったなあ。そして17時ころ、ついに本物の排便がやってきました。入院の日の朝食が7日ぶりに日の目をみました。おなかすっきりだし熱はないし、食事はご馳走だし。夕食には煮魚(キャラメル2個分くらい)まで出ちゃって、大喜び。

《2月19日(火)》
 ここからはもうラストスパート。この日の吉田医師の回診で2月21日退院が決まり、入院以来お世話になった静脈への点滴も夕方で終わり。身体に針が刺さっているのは、何となく不快であり、夕方、点滴が終わって、針を抜いてもらってすっきりです。

《2月20日(水)》
 もう、何もすることがありません。翌日の退院に備えてシャワーを浴びたり、身辺整理をしたり。夕方、会社の同僚が来てくれました。今回、会社の方々には「3泊4日」だし、特に痛い手術でもないし、まったく楽勝なのだから、お見舞いは無用ですよと言っておきました。来てもらっては困るわけではないけれど、申し訳ないし、形式的なことは好きでないので、「謝辞」という言葉で説明しておきました。
 だからこれまで家族以外の来客はゼロで、それはそれでゆっくりできて良かったのですが、2月18日出社の予定が数日間のびてしまって(電話で説明はしましたが)、ずいぶん悪かったのかとの誤解を生むことになってしまいました。3泊4日こそが間違いの元凶であり、予定通りの順調な回復であることを同僚に説明できました。彼は翌日(私が退院の日)会社で説明してくれたので、出社日に違和感はありませんでした。

《2月21日》
 朝食を済ませて、本を読んだりして過ごしました。迎えの家内が10時すぎにやってきて、11時半ころ会計を済まして病院をあとにしました。これで今回の入院生活はすべて終わりとなりました。この日の夜は普通の硬い飯をお茶碗4分の1ほど。こっそり缶ビール1本。翌日は元気に出社しました。


◆その他もろもろ

 今回の入院費用はおよそ127000円です。外来での内視鏡検査がおよそ10000円、CTも10000円くらいです。レントゲンその他の検査はそれほど高価ではないし、問診はほとんどただのようなものです。最初の顔合わせからこれまでのおよそ半年、内視鏡検査が3回あり、すべての費用の合計が175000円くらいかと思います。

 私は20年前と今回、2度の癌手術を受けています。素人の軽々しい判断はあまり役に立つものではないし、私の経験のみからの判断ですが、早期胃癌との診断(胃癌以外は何も知りません)を受けたなら、それならもう大丈夫とにっこりすべきと思います。

 病院をどこにするか決めるのは、特に選択肢の多い東京では頭を悩ませるところだと思います。有名病院、有名な先生と言っても相手にも限度があり、必ずしもかかれるかどうかわかりません。その先生の執刀かどうかもわかりません。でも重篤な症状の患者以外なら、どこでも標準的なマニュアルに従って手術が実施されるのであろうと思われます。よほど運が悪くない限り、どこの「大病院」でもそこそこの満足は得られるものと思われます。私は、国際福祉大学三田病院、吉田医師ともに、ほぼ満足させていただきました。



@ 2007年6月下旬
会社の健診、フェニックス・クリニックで内視鏡検査。
A 2007年7月上旬
その発表。癌の疑いがあるので要再検査との指摘を受ける。
B 2007年7月中旬
フェニックス・クリニックで2度目の内視鏡検査。
C 2007年7月下旬
その発表、癌が確定。国際医療福祉大学三田病院吉田医師への紹介状をもらう。
D 2007年8月8日
外来で吉田医師と面談。手術前の検査と手術の日程などを決める。
E 2007年8月17日
CT検査、レントゲン検査。
F 2007年8月21日
手術前内視鏡検査。
G 2007年9月5日
その発表。胃癌の部位特定ができず、9月10日予定だった手術が延期になる。
H 2007年11月20日
2度目の内視鏡検査。
I 2007年12月5日
その発表。ほぼ部位の特定ができたので、2月12日手術を決定。
J 2007年12月19日
レントゲンなど各種検査。
K 2008年1月9日
家内同伴で説明を受ける。リスクなどを家族に知らせておきたい模様。
L 2008年1月29日
直前の内視鏡検査。入院日が一日早まって、2月11日となる。
M 2008年2月11日
入院。
N 2008年2月12日
手術。
O 2008年2月21日
退院。
P 2008年2月22日
出社
Q 2008年2月24日
身体の状況把握のために高尾山登山。