《2月11日(月)》 |
|
本来なら12日入院であるべきところ、念のための一日前倒し入院です。夕食は流動食になることは知らされています。11時ころ身の回りの整理も済んで、さてお昼は(術前これが最後の食事だし)どうしようかと思案していた矢先、医師と看護師がやってきて、あっという間に静脈注射(点滴のために何日も刺しっぱなしにしておく)をされてしまいました。昼食から流動食だそうで、まさに「はめられた」っていう感じです。
こ腹がすいてきた時間に出された流動食、まずいのなんのって。完全に糊のようになった「まあ、あかゆ」、米粒なし。外皮を完全に取り去ったコーンスープ(まあ、美味しい)。
にんじん味のまずいスープ。チョコレート味の液体パック。しょうがないけど情けない、味気ない。やけになって、一気に飲み干しました。ところがこれらが午後からおなかの中で膨れてきて、膨満感と軽い吐き気に悩まされました。
なお、入院した部屋は4人部屋。ひとりはどこかの癌で抗がん剤治療を長く続けている人らしく、部屋でコーヒーたてたりします。ひとりはこれも抗がん剤の方で、まもなく一時退院です。もう一人は数日前に入院した大腸癌の方でした。入室の際にだれもがカーテンを閉めており、挨拶する雰囲気でもなかったので、そのままになってしまいました。そしてその晩も流動食が配られ、手術前の夜は静かに過ぎてゆきました。 |
《2月12日(火)》 |
|
いよいよ手術当日です。と言っても絶食ですから食事なしで、午前中はなにもすることがありません。となりのベットの大腸癌の方も同日・ほぼ同時刻に手術であることがわかりました。私の指定されていたのが13時30分手術開始、15分までに4階の消化器センターに来ること、でした。大腸癌の方は12時半ころ手術室に向かい、私はこれが最後と喫煙所でたばことの今生の別れをしのびました(本当にお別れできるでしょうか)。
手術中待機してくれる家内がやってきたのが13時少し前です。手術室に向うときはストレッチャーに乗せられて、看護師さんに連れて行ってもらうのが私の常識ですが、さすがに内視鏡手術は違います。看護師さんから大き目のカバンのようなもの(確かカルテが入っていると言っていたような記憶)を渡されて、時間までに自分で行くのだそうです。そのとおり、13時10分ころ消化器センターに到着しました。 |
《胃粘膜下層剥離手術について》 |
|
吉田医師から手術の手順や危険性など、事前に十分な注意・説明などを受けましたが、こちらは「先生にまかせるのだから」いろいろな危険があったら、先生の最良と思われる判断で適宜処置してもらえればそれで結構であるという認識です。だからあまり質問はしないし、説明はもう良いですよ、どこにサインすればよいのですか、という態度。
またどこで見たのか思い出せないのですが、通常2泊3日程度で退院できる、日帰り手術も可能であるという記事がありました。そこで火曜手術・木曜退院、遅くても金曜、百歩譲って土曜と決め込んでいました。そうはならなかったのですが、どうやら件の記事は、別の手術のことではないかと思われます(術後探したが見つかりません)。今回の手術はもともと日帰りや2拍3日で帰れる手術ではなかったもののようです。
手術時間は1〜2時間と聞かされていました。これは確かにそのとおりらしく、2時間を超える例は見たことありません。過去に内視鏡検査で1時間くらい入れっぱなしの経験もあり、これなら辛さを自分でコントロールできる範囲内だろうと思っていました。まさか4時間もかかるなんて完全に予想を超越しています。
もう一点誤謬がありました。粘膜下層剥離手術のことを粘膜剥離手術と勝手に置き換えていたことです。癌細胞が粘膜内にとどまると思われるため、念のためその下の粘膜下層まで切り取るのが今回の手術(読んで字のごとく)です。粘膜下層をえぐりだす経験はしたことありません。これまで内視鏡で何度も粘膜の細胞採取を行っており、ほとんど痛みを伴いませんでしたが、今回の手術もこのように進んで、粘膜を「チョンチョン」と摘むように済んでしまうのだろうと思っていました。 |
《麻酔入れまーす》 |
|
さあ、いよいよ手術開始です。13時20分すぎにいつもの検査台乗ります。特別な手術室ではないのです。水薬を飲んで、氷結ドロップをなめて、ノドヌールをシュッとやって、点滴を装着して、マウスピースを口にはさんで横になります。目の前に内視鏡のディスプレイがあります。上のほうには時計があり、時刻はわかります。13時28分ころ「麻酔入れまーす」の声がかかりました。さあ、いよいよスタートです。今28分だから、手術開始は13時30分だなと頭の中で確認しました。
ファイバーをどのように入れたのか、今回もわかりません。次に認識した映像には胃の内部が映っており、白い点のようなもので丸いマーキングがされているところでした。ああこの丸い部分を取るのかな?そしてまた意識が遠のくのです。あとは何となく苦しくて今何時なのか時計を見たうっすらとした記憶があります。ずいぶんたっているじゃあないかと思ったように記憶しているので、16時ころでしょうか。だんだん辛さが増してきて、「ぐうぉぅえぇぇ」となることが何回かありました。ディスプレイの映像がぐしゃぐしゃに歪みます。お腹を膨らませるために空気を注入し続けるのですが、これが結構厳しいのです。記憶と実際とでは大きな差があるのでしょうが、最後の1時間くらいは我慢も限界に達し、嘔吐の連続であったような気がします。
ついに「終わりましたー」の声がかかりました。この瞬間に意識は戻るのです。ファイバーはもう抜かれていたように思います。最初に時計を見ると17時半でした。極限の苦しさの最中なのに、思わず開始から4時間という計算をしていました。この時間はまさに最大の「ぐうぉぅえぇぇ」です。消化器に充満した空気で苦しいのです。おならも出てアシストしてくれます。でもそれだけではおさまりません。ぐわぅ、ぐわぅと呼吸を繰り返し、空気が抜けるのを待つ。お帰りはストレッチャーで病室まで運んでもらったようです。このあたりは再度記憶が欠落していますが、鎮静剤を打たれて、あっと言うまに眠ってしまったそうです。 |
《2月13日(水)》 |
|
朝は5時ころ目が覚めました。元気です。痛みもありません。一人でトイレにも行けます。ベッドでテレビニュースを見たりしてすごします。朝8時ころに会社に報告電話したり、お見舞いメールの返事を出したりして過ごします。集中力が欠如していて、メールの文章がうまく書けなかったけれど、ほぼやるべきことはやりおわりました。
そのころより、徐々に腹痛がやってきました。鎮静剤が切れてきたのでしょう。我慢していましたが、だんだん痛みが強まってきて、ついにナースコールで「一本お願い」しました。さすがに効果抜群で、しばらくで痛みはおさまりいつしかうとうと眠ってしまいました。この日はこれの繰り返し、家内が来ましたが、あとで聞くと「わたしの会話は何をしゃべっているのかわからない」状態だったそうです。
また高熱が出て、計るたびに38℃台、夕方には39.5℃まであがり、ちょっとびっくりしました。発熱のため、寒くて寒くてしかたありませんでした。 |
《2月14日(木)》 |
|
朝5時、痛み止め注入でこの日が始まりました。うとうとしたり目がさめたりで一日を過ごします。体温はずっと37℃台でだるいのですが、痛みの峠は越えた感じでした。夜には痛みがあり、この日も痛み止めをお願いしました。 |
《2月15日(金)》 |
|
前夜の痛み止めが効いたのか、久しぶりに平熱に近い状態に戻りました。夜中に計ってみたらなんと36.7℃。ひと眠りして再度計ったら36.5度。もうこれで完了かと思いましたが、明け方は37℃、その後昼間はずっと37℃台が続いてしまいました。一進一退で、あまり気分の良い日ではなかったです。 |
《2月16日(土)》 |
|
朝4時半ころ、これまでうんでもすんでもなかった「お通じ」がほんの少しありました。2月11日以来だから5日ぶり。ちょっとうきうきしました。熱は相変わらずの37℃台でなかなか下がりません。この日からお水、お茶なら飲んでもかまわないと言われ、お茶を久しぶりに飲みましたが、感動的にうまいってほどではなかったです。
またシャワーの許可が下りたので早速シャワーを浴びます。入院時のアンケートに一週間の入浴回数というのがありましたが、私は毎日朝晩シャワーを浴びているので、14回と記入しました。2月11日、家での朝シャワー以来ですから、これも5日ぶり。蘇生する思いでした。 |
《2月17日(日)》 |
|
前夜ほぼ熟睡できて、満足感のある目覚め。回復が顕著になってきたように思えましたが、朝の体温は相変わらず37.5度。東京マラソンを見ながら過ごしました。朝の回診でとなりの大腸癌の方に昼から流動食の許可が出ました。とても羨ましく感じました。そして8時45分に再度計ってみると36.8℃、二日ぶりの平熱です。やりました。
今日は日曜だから来ないだろうとあきらめていた吉田医師が10時ころやって来ました。熱も下がりそこそこ快調であることを告げると、私にも夜から流動食の許可が。「先生、今日は休みで来ないのだろうと思っていましたよ。となりの方に食事許可が出て、とても羨ましかったのですよ」と言えば、「そんなことだろうと思って来たのですよ」との返事。心からうれしかったですね。
午後からは熱も出ず、ずっと元気。これなら来週の後半には退院できそうだなと計算できます。夕方には会社の同僚の家に状況説明の電話をし、久々の流動食を一口流し込み、夜はサッカー東アジア選手権対北朝鮮戦、篤姫などを見て9時半ころ就寝。 |
《2月18日(月)》 |
|
この日以降発熱はまったくありません。朝は流動食でしたが、昼から3分粥にステップアップ。おかずについていたじゃがいも、おいしかったなあ。そして17時ころ、ついに本物の排便がやってきました。入院の日の朝食が7日ぶりに日の目をみました。おなかすっきりだし熱はないし、食事はご馳走だし。夕食には煮魚(キャラメル2個分くらい)まで出ちゃって、大喜び。 |
《2月19日(火)》 |
|
ここからはもうラストスパート。この日の吉田医師の回診で2月21日退院が決まり、入院以来お世話になった静脈への点滴も夕方で終わり。身体に針が刺さっているのは、何となく不快であり、夕方、点滴が終わって、針を抜いてもらってすっきりです。 |
《2月20日(水)》 |
|
もう、何もすることがありません。翌日の退院に備えてシャワーを浴びたり、身辺整理をしたり。夕方、会社の同僚が来てくれました。今回、会社の方々には「3泊4日」だし、特に痛い手術でもないし、まったく楽勝なのだから、お見舞いは無用ですよと言っておきました。来てもらっては困るわけではないけれど、申し訳ないし、形式的なことは好きでないので、「謝辞」という言葉で説明しておきました。
だからこれまで家族以外の来客はゼロで、それはそれでゆっくりできて良かったのですが、2月18日出社の予定が数日間のびてしまって(電話で説明はしましたが)、ずいぶん悪かったのかとの誤解を生むことになってしまいました。3泊4日こそが間違いの元凶であり、予定通りの順調な回復であることを同僚に説明できました。彼は翌日(私が退院の日)会社で説明してくれたので、出社日に違和感はありませんでした。 |
《2月21日》 |
|
朝食を済ませて、本を読んだりして過ごしました。迎えの家内が10時すぎにやってきて、11時半ころ会計を済まして病院をあとにしました。これで今回の入院生活はすべて終わりとなりました。この日の夜は普通の硬い飯をお茶碗4分の1ほど。こっそり缶ビール1本。翌日は元気に出社しました。 |