上田昭夫氏と私

   
Tokkeyさんから貴重なお話を頂きましたのでご紹介いたします。 
 

 1984年11月23日晴れ、私は6万人の大観衆のひとりでした。試合は午後2時にキックオフ、試合は早稲田が優勢のうちに進行していました。それは午後3時30分ころのこと、後半31分だそうです。早稲田11対慶応6、あと10分ほどでノーサイド。トライならもちろんですが、PGひとつでも取れればだめ押しという局面でした。

 慶応の右サイド、ハーフウェイライン付近で慶応がイーブンボールを獲得。SH生田から出たボールを右WTB若林が受け、早稲田のタックルをかわしてするすると走り出しました。私は座席から腰を浮かせ、生唾を飲み込みながら展開を注視しました。いや私だけでなく、国立競技場の観衆全員が、またテレビ観戦の日本中のラグビーファン誰もが。

 この雑文を書きながらもあの場面がよみがえってきます。空気を吸い込んで、その空気が肺の中で霧消してしまうような感覚です。若林は、早稲田の3人ものタックルをかわして右すみからインゴールへ、さらに粘って2〜3歩ゴールに近づいて右中間にトライ。この時点ではまだ早稲田の1点リード。しかも右利きの選手には難しい右中間からのキック。ここでSO浅田は慎重にゴールを決め、慶応が12対11という逆転劇を演じたのでした。

 慶応の監督はこの年に就任した、弱冠32歳の上田昭夫。慶応幼稚舎からラグビーをはじめ、大学でもSHで活躍しました。卒業後は東京海上に就職したのですが、ラグビーをするためにトヨタに転じ、日本一、日本代表としても活躍しました。その後1984年に慶応の監督に就任するや、低迷する慶応ラグビーを就任1年で復活させました。上記はその時の早慶対抗戦の模様です。そしてその後、フジテレビで人気キャスターとなり、ふたたび乞われて1994年に慶応ラグビー監督に就任し、この時もその才能を如何なく発揮しました。

 上田氏の住まいは目白だそうで、我々の葉隠は徒歩圏。決してきれいな店ではないのですが、その上田氏が週3回くらいは食事にお見えになるとのことでした。「もし来店されたらぜひ教えて下さいね」とお店の人に頼んでおいたのですが、ついにその時がやってきました。3月7日午後8時すぎのことでした。

 単なるお客として来店された上田氏、そして上田氏が来店するなどあたりまえの常連客への配慮もあって遠慮がちにではありますが、とにかくそばに寄って、少々お話をさせていただいて、さらに写真までご一緒させていただきました。小柄であることはわかっていましたが、実際はさらにひとまわり小柄でした。しかし目力鋭く、ぜい肉はなく、あのSH上田、上田監督、上田キャスターそのものでした。気さくで気取らず、身体中からなにかオーラのようなものが発信されていました。私はただただ興奮して、どうしてか熱いものがこみ上げてくることを抑えることができませんでした。



左から、田中、常盤、上田氏、北島、星川

常盤 豊(S51卒)