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その前に。4月21日にスーちゃんが死んでしまいました。寝耳に水とはこのことです。そしてあの3月に録音された肉声、この世の終わりみたいな気分です。昭和52年6月、会社の帰りに「銀座メイツ」でキャンディーズのライブを見ました。ほんの数メートルのところで3人が歌っていました。ネクタイ姿はわれわれだけ。大のりで、いすの上にあがり、頭の上に腕を伸ばして手拍子していた私。
それからわずか1ヵ月後、7月17日の突然の解散宣言でした。相当なショックを受けましたが、宣言後にはチケットが手に入りにくくなるのは当然で、行っといて本当に良かったと思ったものでした。
昭和53年4月4日の解散コンサートの日。たしか土曜日であったはずです。当時土曜の休みは月に一度であり、テレビを見ることもかなわず、30年以上断片的にしか映像を見ていません。この日、うちのおかんは、同居している下宿のおねえさん(私の一学年下)に連れられて、後楽園球場にいたとのことで、なんともうらやましい限りです。
風雪のビバークで有名な松濤明氏の日記、メキシコオリンピックを前に自ら命を絶った円谷幸吉氏の遺書と同様、今回のスーちゃんの遺声は後世に語り継がれるものとなるものと思われます。
鹿児島の南にふたつの島があります。ひとつは鉄砲伝来とロケットの発射基地があることで有名な種子島。もうひとつが丸っこくて地味な感じの屋久島、かつてはこうでありました、と記憶しています。しかしこの屋久島、百名山ブームが広まるにつれ、宮之浦岳という九州一高い山があることと、縄文杉というとてつもないスターが存在することで人気がうなぎのぼりとなり、さらには1993年に世界自然遺産に指定されたことによって、圧倒的な存在感を有する大観光地へと出世しました。山登りにそれほど積極的でない我が家のおかんですが、今回はその彼女から「屋久島に行きたい」との提案でした。
まずはガイドブックやインターネットなどで下調べ。屋久島に行って絶対にはずせないのが縄文杉であるようです。できれば登りたいが、普通は体力的に難しいとされるのが宮之浦岳。そのほかにも何ヶ所か見所があるが、とても一日や二日では回りきれないという記述が目立ちました。またそのアクセスは、東京からなら羽田〜鹿児島が飛行機で2時間。プロペラ機に乗り換えて40分、または空港から市内までバスで行き、高速船で2時間という概念を知ることとなりました。島内の移動にはレンタカーが便利であり、運転免許必須ということも知りました。
東京〜鹿児島の飛行機運賃は、通常40000円くらいかかりますが、スーパー先得などを使えば12000円くらいで済みます。これを利用しない手はありません。鹿児島市内にも見所がたくさんあるため、私たちは午前中に鹿児島着、市内を散策後に高速船2時間で屋久島という選択をしました。もちろん予約は1ヶ月以上前に済ませました。なお今回、入社以来初めて、旅行のために有給休暇を一日取得しました。
4月15日午前5時40分家を出発、羽田には7時前に到着。飛行機は8時05分発ですが、素人は1時間前には空港に着いていなくてはね。切符の処理とか荷物検査とか、あがってしまって顔がこわばりました。飛行機は10時に鹿児島に無事到着。高速バスで鹿児島中央駅前まで1時間。鹿児島市内には鹿児島駅と鹿児島中央駅があります。前者は鹿児島城(鶴丸城)の近くで、多分上級武士が住んでいた地区にある駅と思われます。後者はついこのあいだまで西鹿児島という名前で、ブルートレインの終点でした。商業の中心地で、たいそう賑わいのある街ではありますが、直近は郊外のショッピングセンターに押され気味だそうです。
鹿児島中央駅から、徒歩ほんの数分で加冶屋町。西郷隆盛と大山巌の生家跡がここにあります。ほんの70メートルくらいの近さです。大久保利通の生家は少し離れていますが、それでも徒歩数分だそうです。西郷さんは絶大な人気を誇り、大久保卿はおおいに嫌われているそうです。街中を散策し、鹿児島港まで歩きます。鹿児島から屋久島までの船はトッピーという飛び魚を模したジェットフォイールです。時速70キロの速さで、乗りごこちも良好でした。14時55分宮之浦港着。
まずはレンタカーです。今回は3人なので軽自動車で十分です。3日間6000円という格安料金。私とおかん、それに次女の3名です。この次女は先日嫁に行き、入籍も済ませたというのに、仕事のだんなを残して実家の両親と旅行、ちょっと変ですよねぇ。長女は腹ボテなのでもちろん不参加です。
この日は午後から雨模様となり、レンタカーを借りたころは豪雨になりました。車で30分ほどで本日宿泊する安房(あんぼう)地区にある民宿に到着しました。おかんはお風呂、私と次女はスーパーにお買い物。そのころから雨脚がさらに強まり、ついには落雷です。至近距離に落ちたようでものすごい音、そのまま停電となりました。街中の信号が消えていました。おかんは風呂場で立ち往生したらしいです。
私たちは、翌朝車で淀川(よどごう)という登山口まで行き、そこから宮之浦岳を往復する予定でした。往復10時間くらい。その翌日帰京ですから縄文杉には行かないつもりでした。しかしこの大雨で急遽予定を変更し、荒川登山口から縄文杉往復としました。淀川から時計周りに宮之浦岳まで5時間、そのまま縄文杉まで3時間、荒川登山口まで4時間という強行日程に魅力を感じたのですが、屋久島でそのようなきつい計画はあり得ないみたいです。
民宿の夕食、おいしかったです。メインのお魚が飛び魚で、姿揚げと刺身になって出てきました。そのほか、食べたことのない変な貝とかゴーヤとか。うう苦しい。なお登山客は朝が早いため、朝食はお弁当という希望が多いようです。どの宿泊施設でもお弁当の注文を受け付けてくれ、専門の業者が明け方配って歩きます。お弁当屋が何軒もあり、それぞれはやっている様子でした。私たちは朝食と昼食の2食分を注文しました。明け方の4時までには玄関に用意してあるとのこと。
朝は3時50分起床、弁当の朝食(握りたてで温かく、とてもおいしかった)後4時15分出発。バス乗り場の屋久杉自然館まで10分です。4時半のバスに乗るべく4時25分に着いたのですが、バスがなかなかやってこなくて、出発は5時ころでした。縄文杉の荒川登山口まで、自家用車は乗り入れが規制されており、バス利用が強いられます。これは良しとしましょう。
バスの中でガイドのおっさんがいろいろと説明。ごみはすべて持ち帰り、キャンディーの袋なども気をつけて。トイレは必ず指定のトイレで、立ちしょんはダメ。たばこは風向きを考えて。うっるせいなあ、その程度は常識だろ!業者なんだから上から目線はやめろよな、密かにそんな気分です。
荒川登山口で一服して出発です。ずうっとトロッコの軌道を歩きます。大雨のため、枕木と枕木の間が冠水しています。枕木の間隔が短く、歩きにくくて困ります。途中、手すりのない鉄橋を渡ったりします(ここでは縦に板が渡してある)。1時間少々でトイレ。ちょっと休憩。一服していると、さっきのうるさいガイドが近寄ってきます。「あなた、タバコの灰を落としていたでしょ。まったく非常識なんだから」「ああ、失礼しました。以後気をつけますから許してください(あんたは業者でしょ。そんなに気になるんだったら掃除しながら歩けば良いでしょ)」。
トロッコの軌道上を歩く
枕木の間隔が狭い
うへっとびびるおかん(赤)
ゴウゴウと流れる
長い軌道歩きが終わり、大株歩道入り口というところから普通の登山道です。ここにもトイレがあり、人が大勢並んでいます。手洗いの水は飲まないほうが良いですよ。若いガイドが教えてくれます。ああ、なんて感じの良い人なんだろうか。ガイドといってもずいぶん違うんだなあ。
薄日がさしてきた
ヤク鹿
いよいよあと2時間ほどで縄文杉にご対面です。雨も上がりました。でもなんだか変。まわりの人たちのテンションがだんだん上がっていくのがわかります。多くの方々がガイド付き登山なのですが、富士講みたいな雰囲気です。「やさしさ、ほっこり、癒し」すべてがこういった言葉で表されているみたい。有難い縄文杉様へのご対面が近づくにしたがって、顔が上気してきてるぞ。「癒し・癒し・癒し・・・」お念仏が聞こえてくるみたいです。
ウイルソン株、替え刃のような名前の切り株に感動し、大王杉だの夫婦杉だのに相槌を打っています。高尾山の蛸杉だって立派だぞ。この夫婦杉で一休みしていたら、若い善女が私たち夫婦の記念写真を撮ってくれました、むりやり。もう善に満ち溢れて、良い人ばっかりでした。そして最後の巨大階段を登りきると、ついに縄文杉様がお姿を現しました。柵があるので近寄れませんが、へええ、おっきな木だな。周りは賞賛の嵐、なんだこの温度差は。ここは信濃町か?
ウィルソン株(1)
ウィルソン株(2)
なんとか杉(忘れた)
これが縄文杉様だ
というわけで、無事参拝を済ませた私たちは、来た道を戻ります。ガイドの説明を聞きながらゆっくり登ってきた人たちとのすれ違い、歩きにくい根っこの道でだんだんと飽きてきます。おかんと次女がどんどん遅れだします。しかたなく待っているとプンプン怒っています。
すぐ後ろに鹿が
なんとか杉2(忘れた)
これもなんとか杉
あと1時間というところに小杉谷事業所と小杉谷小学校あとに出会います。昭和45年8月に廃校になったそうで、そのときって大阪万博があり、私が高校2年で初めて八ヶ岳に登ったときです。けっこう感動的。
小杉谷小学校の運動会
小杉谷事業所の説明
太鼓岩(白谷雲水峡)からの風景
宮之浦岳が見えた
この日は3時のバスに乗車し、レンタカーで千尋(せんぴろ)の滝などを見物し、宿に戻りました。翌日も早起きし、白谷雲水(しらたにうんすい)峡を散策、午後の船で鹿児島へと戻りました。鹿児島空港のレストランで食事をしたのですが、どこでも「黒豚」であり、地域振興がんばっているなあとあらためて思い知らされたのでした。
さて宮之浦岳、今回は惜しいところでゲットしそこないましたが、この先再び訪れる機会があるのでしょうか。でもねえ、こういった雰囲気の場所って正直ちょっと苦手です。多分、最初で最後になるような気がしています。縄文杉、そりゃあ大きな木だったけれどねえ・・・。
霧の森
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常盤(S51) |
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