◆第91回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会観戦記    

  常盤さんから、箱根駅伝の予選会の観戦記を頂きましたので紹介いたします。

 

 我が国のスポーツ史、とくにオリンピック出場選手のなかで、ナンバーワンは誰でありましょうか。もちろんいろいろな観点があり、間違いなくこの人と断定することはできません。しかし、あえて独断で申し上げるなら、それは陸上三段跳びの織田幹雄選手であろうかと思います。

 広島県出身、広島第一中学から、早稲田高等学院、早稲田大学へと進学しました。昭和3年のアムステルダム・オリンピック大会において、陸上競技三段跳びで、我が国のみならず、アジア初の金メダリストに輝きました。

 卒業後は、朝日新聞社に入社し、また戦後はJOC委員として活躍、東京オリンピック開催に向けて大変な活躍をされました。その後、昭和40年に早稲田大学の教授に就任されました。私が入学した昭和47年には授業を受け持っており、織田教授の授業を受講することができた(この当時、織田幹雄選手の偉業は認識していました)のに、受けなかったことは、今となっては痛恨の極みであります。

 1998年、藤沢・鵠沼にて亡くなられたそうですが、ついこの間のことです。このことは、今回この拙文を書くにあたって知ったことで、これまた残念なことであります。

 解体中の国立競技場に、国旗を掲揚するポールが立っていましたが、その高さは15メートル21センチ。アムステルダム大会において、織田選手が優勝したときの記録と同じだそうで、同選手の偉大さ、後世に残したものの大きさがしのばれます。

 この、織田選手についで偉大な選手、数えればきりがありませんが、体操の小野喬選手、柔道の山下泰裕選手、女子マラソンの高橋尚子選手、水泳の北島康介選手、ハンマー投げの室伏広治選手など、思い出すだけで胸が詰まります。これ以外にも、もちろんまだまだたくさんの名選手が、感動を与えてくれました。

 さて、金メダルは取れなかったが、永遠に記憶に残る選手を3人あげるとしたら、誰になるでしょうか。これも簡単に結論が出るわけではありません。しかしあえて独断で答えを出します。水泳の古橋広之進選手、マラソンの瀬古利彦選手、フィギュアの浅田真央選手、いかがでしょうか。

 我が国は、1948年のロンドンオリンピックに敗戦国として出場を認められませんでしたが、もしも古橋選手が出場していたら、400メートル、800メートル、1500メートルの自由型で3個の金メダルを獲得していたことは確実です。

 1980年のモスクワオリンピック、瀬古選手が出場していたら、マラソンでの優勝は確実であり、戦前の孫基禎選手についで2人目となるところでした。早稲田の出身者なら、あのストイックな表情で走る瀬古選手のこと、忘れたくとも忘れられません。

 また浅田真央選手が、もう87日前に生まれていたら、トリノオリンピックに出場し、まず間違いなく金メダルを獲得していたはずです。ただし、ダークホースだった荒川静香選手が、金メダルを獲得したことは、素直に喜ばしいことでありました。

 正月2日・3日の箱根駅伝、我が国における、最大のスポーツイベントに成長した感があります。戦前から昭和40年ころまでの六大学野球、とくに早慶戦、昭和50年代から平成初頭あたりまでの大学ラグビー、とくに早明戦、そしてここ十数年の箱根駅伝。考えてみると、私たちがいかに大学スポーツを愛しているかということですね。

 箱根駅伝、中継の難しさもあり、かつてテレビ東京が録画中心の放送をしていたのですが、昭和62年から日本テレビに放映権が移り、生中継での大々的な番組に成長させました。もう最近は、自分の出身大学がどうであるかは問題ではなく(多少は問題ですが)、人生・生き様を映しているような感さえあります。

 第一の焦点は、優勝校はどこであるか。第二は、繰り上げなく襷がつながるか、そして第三はシード権を取れるかであります。また、脱水症状や疲労骨折などのアクシデントで途中棄権、これも悲劇の注目ポイントとなります。

 その年の正月に10位以内のシードを取れていれば、翌年無条件で出場できます。そうでなければ、秋に行われる予選会で勝たねばなりません。良く知られていますね。今年は、10月18 日、陸上自衛隊立川駐屯地、立川市街、国営昭和記念公園で、予選会が開催されました。

 数年前に一度行き、そこそこおもしろかったが途中で帰りました。有名な選手を間近に見ることができて楽しかったが、事前の下調べが不足しており、なんとなく飽きてしまったのです。

 今回は、会社の同僚3名と行くことになりました。そのうちのひとりは、高校時代陸上部に所属していたため、ある程度専門的な知識がある、神奈川県JIN大学出身。彼の母校は、かつて本大会で連覇したことのある名門で、今年の予選会でも上位通過を目指します。

 もうひとり、弊社にめずらしいノックアウト大学出身。駅伝にめっぽう詳しく、20年くらい前のオーダー、だれが大ブレーキになったかも記憶しています。もちろん、そのKO大学も予選会に参加していますが、通過は無理。

 青梅線、立川のとなり、西立川駅に9時集合です。昭和記念公園は駅前ですから、スタートの9時35分には余裕で間に合うと思っていました。しかし公園の入場チケットを購入する列が長く伸び、購入に10分以上かかりました。また入場口からスタート地点まで1キロほどあり、人の流れが遅いこともあって、スタートの9時35分には間に合いませんでした。

 コースは、広大な飛行場を2周して市街地に出、そのあと昭和記念公園に入ってゴールです。20キロのコース、一斉にスタートし、各大学の出場者10名の合計タイムで競います。私たちは、スタート地点から、直線距離で500メートル、コースでは5キロくらいの場所でレース序盤を観戦しました。遠くのほうで歓声が聞こえ、選手の頭がちょこっと見えたりします。そして、スタートから15分ほどして、目の前を選手が駆け抜けていきました。人垣ができており、前に5〜6人いるので、背の低い私は、ピョンピョン飛び跳ねます。どうも城西大学の村山紘太選手がトップで、山梨学院大学のオムワンバ選手の前を走っているようです。

 選手が市街地に出ると、スタート地点にいた観客を含めて、ほぼ全員が移動します。選手は1時間でゴールインだし、すでに20分ほどが経過しています。どこで見ても良いのですが、多くの人たちがゴールを目指します。あっという間に我々観客が団子状態になり、集団のスピードが時速1キロくらいになります。

 コースガイドマップを見ながら、と言うより、集団と同方向に行くだけですが、ゴール近くに移動です。およそ17キロくらいの地点で選手を待ち、通り過ぎたらショートカットコースを通ってゴールに行こうと決めました。

 観客集団が左右に分かれる地点、ここがそのポイントみたいだぞ、登山経験豊富な私が、分岐点を嗅ぎ分けました。先日の北岳で道間違えをしてしまいましたが、「二度と間違いは繰り返しません」です。同行者に、「おお、多分ここだぜ」と先輩風を吹かせます。「そうっすね、17キロくらいですよね」そんな会話です。

 すると、すぐ脇にいた小柄のおっさん、ちょっと小太りが、「そうそう、ここらが17キロだよ」と割り込んできます。え?誰この人、見たことあるなぁ。2秒後、くらいかな、ありゃ、セッ、セコじゃないの!そうです、早稲田大学、SB食品、そして今はDeNAの監督であらせられる、ニッポンの至宝、瀬古利彦氏、その人でした。

<写真:瀬古利彦氏と一緒に>


 実はついさっきまで、「指導者としての瀬古はちょっと具合が悪いよな」とか、「長嶋といっしょで、自分ができてしまうから、他人を教えるのは上手じゃないんだよな」なんて批判めいたことを言っていたのです。しかし、もうその当人に会ったとたん、そんなものは吹っ飛びます。いきなり尊敬を込めて「瀬古さん」です。

 私はあがってしまって、うまくしゃべれません。かろうじて、早稲田出身であること、瀬古がWのマークで駆け抜けた福岡国際マラソン(昭和53年)を見て感激したこと、SB食品本社のある「ときわ台」のとなりに住んでいること(関係ないね)などを話しました。早稲田なら関係ないじゃないと言われましたよ。シード校だから、出てませんからね。息子さんが東海大学の長距離選手で、マネージャーなので、東海の応援に来たのだそうです。

 KO出身の同僚は、得意の記憶を駆使して、早稲田監督時代の瀬古のオーダーなどを質問します。櫛部(現城西大学監督)、花田(現上武大学監督)、武井(現早実コーチ)、渡辺(現早大監督)など、四半世紀前の箱根駅伝の質問攻めです。

 瀬古監督、気さくに答えてくれるんです。「ああ、あん時ね、なべちゃん(渡辺選手)が調子よくてさ、貯金を作ろうと思ったんだよ」「花田の仕上がりが良くってさ」こんな調子。選手が通過するまでの10分ほど、「世界の瀬古」を独り占め状態でした。

 どこかの大学関係者が通りかかりました。「あ、瀬古さん、なんでこんなところにいるのですか?すぐ席を設けますから」「いや、今回は息子の応援だし、関係ないよ」おう、俺らの味方だぜ。特別扱いはいらないんだよ、俺らの瀬古さんなんだよ。

 村山が一番、20秒遅れてオムワンバ、さらに40秒で3位集団。もうこうなると村山がんばれ!城西がんばれ!一色です。で、こんどはゴール地点に移動です。瀬古のうしろを歩いていきましたが、じきにはぐれました。まあ、これ以上独占するわけにもいかないし、ホンワカ上気した感じです。

 これまで会った有名人って、だれだっけ。高田馬場のちゃんこやで、もと横綱の琴桜(当時佐渡ヶ嶽親方)に肩を触られたことがある。浅草の吾妻橋で、自転車をヒコヒコこいできた高見盛とすれ違ったことがある。うーん、こんなもんかなあ。

 レース結果発表の広場。テレビなどで放映されるとおり、白い掲示板が取り出され、一枚一枚カバーをはずす仕組み。となりに巨大なディスプレイがありますが、やはり超アナログの掲示板でなくてはなりません。司会の学生が、結果を発表します。それでは第一位…20秒…神奈川大学10時間7分11秒…60秒…第二位…20秒、こんな感じで、みのもんたばりの、ためにためた発表でした。どの大学が呼ばれても歓声と拍手が沸き、すがすがしい気分にさせられました。

 とにかく枠が10なので、どこかが入ればどこかが落ちます。まず喜ばしいのが、10番目に滑り込んだ創価大学。なんと言っても初出場です。今晩は、先生からの差し入れで、飲んだり、騒いだり、おがんだり、大変なことになるでしょう。そして、同行のJIN大学出身がいたことだし、神奈川大学の一位通過。下馬評では通過困難と思われていた中央大学の、86回連続出場。個人一位、村山選手擁する城西大学。瀬古マネージャーの東海大学。残念だった11位東京農大、12位法政、来年は絶対がんばれよ。

 こうして人ごみをかき分け、西立川まで20分。立川駅前の居酒屋「玉河」で、反省会となったのでした。おもしろいですよ、予選会。夕方、日本テレビがダイジェスト中継するものとばかり思っていたのですが、違っていました。知らないほうがおバカなのでしょうが、なんと地上波で生中継していたのです。ああしまった、来年はワンセグ必携であります。

   以上