◆夏の山行サブプランの報告


2008年 野歩の会 夏の山行サブプラン 剱岳・早月尾根(7月25日〜27日)

 剱岳・早月尾根、なんと刺激的なコースでしょうか。登山口の馬場島の標高が750メートル、頂上が2998メートル、途中少々のアップダウンがあるため、標高差は2300メートルになります。甲斐駒・黒戸尾根と並ぶ日本2大マゾ尾根と言っても良いでしょう。今回は、平石充、三木洋両先輩と3人で登ることになりました。予想通りきつい登り下りで、十分な満足を与えてくれました。

 まずはアプローチです。公共交通機関では、電車・バスなどで富山へ行き、富山地鉄で上市、さらにタクシーで馬場島という順序です。マイカー利用だと乗り換えもなく、かかる時間も費用も少なくて済みます。
 7月25日、東京都板橋区の駅前に18時20分集合。環七通り、目白通り経由で19時に関越自動車道に入り、長野ICが21時すぎ、ここからオリンピック道路経由で22時に白馬村に到着です。2週間後の夏の山行でも利用する旅館なので、値切って素泊まり4000円としてもらいました。23時就寝です。

 7月26日、5時起床、5時半出発。白馬から姫川に沿った国道を1時間ほどで糸魚川。ここから北陸自動車道に乗り、途中のSAで朝食、立山ICから上市経由で馬場島に8時20分到着です。道路はどこもすいていて快適でした。
 馬場島を8時38分出発、ひたすら登り続けます。もう早朝ではないので気温が高く、樹木に覆われた尾根は非常に蒸し暑かったです。汗が吹き出て、そこに羽虫が襲ってきます。二酸化炭素に反応するのだそうですね。
 2回ほど休憩をはさみ、標高1600メートルあたりからは、ようやく風が吹き抜けてくれるようになり、少しは楽になりました。早月小屋に到着したのが13時47分、5時間におよぶ悪戦苦闘でした。
 この小屋の番人は、伝説の立山ガイド・佐伯伝蔵の息子さんです。小屋の設備が良いわけではないけれど、雰囲気のとても良い小屋です。リピーターが多いらしく、ここ数年で登山者が倍増しているとのことでした。
 この小屋は稜線上に位置しているため、水は天水に頼っており、飲料水はペットボトルを購入することになります。したがって食事は粗末で、事前の調べではカレーライスのみとなっていました。しかし実際は、ハンバーグカレー、昆布巻き、煮豆、オクラとシラスのあえ物と、十分満足のできるものでした。
 この日の宿泊客は50名、収容人員一杯でした。私たちが指定されたのは小さな6畳間。最初はここに6名だったのですが、あとから4名追加となったため10名。寝返りをうつのは困難だけれど、まずまず我慢のできる狭さでした。夕食後、18時ころにはうとうとと眠りに落ちました。

 7月27日、この日は剱岳までの残り800メートルを登り、一気に2300メートル下り、東京まで弾丸運転をして、さらに打ち上げを行おうという、超スーパーハード日程です。
 3時ピッタリ起床。朝食代わりの弁当を食べます。そして3時半、予定通り出発することができました。この朝の出発は私たちが一番、ヘッドライト頼りのスタートでした。あたりはガスが立ち込めていましたが、4時をすぎると明かりはいらなくなりました。
 日が昇り、標高が高くなるにしたがって周辺の景色も拡がります。立山連峰と、遠くに薬師岳が良く見えました。頂上の手前は岩稜となっており、エボシ岩、シシ頭、カニのハサミと続きます。でも実際は、はっきりとこれだとは特定することはできませんでした。
 カニのハサミ(と思われる)直下の鎖場を通過すると、尾根の反対側に別山尾根を見通すことのできる場所があります。あちらは賑やかで、何十人もの登山客を確認できました。こちらは私たち3人だけです。頂上手前でその別山尾根の登山道と合流し、6時45分に剱岳頂上に到着、残念ながらこの時間は頂上付近ガスに蔽われてしまいました。
 帰りのことを考えると、頂上でまったりするわけにはいきません。記念撮影を済ませて、7時に下山開始です。早月尾根上部は険しく、神経を使います。もちろん膝や腿にも負担がかかります。早月小屋に戻ってきたのが9時16分、荷物を作り直して出発したのが9時45分、予定の9時をだいぶオーバーしてしまいました。
 休憩と休憩のあいだの1回の下りで600メートルくらいは下れる(1分で10メートル)算段でしたが、それはまったく無理。400メートルがやっとでした。3人とも汗みどろになり一生懸命なのですが、いかんせん足が出ません。
 12時ころぱらぱらと降りだした雨が、馬場島直前でやや強くなりました。13時30分、本降りになる直前に駐車場に帰り着き、とりあえず入浴ということにしました。当初の計画では、12時に馬場島に到着、渋滞を避けるためにそのまま出発というものでした。しかしもう渋滞が避けられる時間ではないため、汗と汚れを流して渋滞に相対そうということです。
 風呂からあがると、外は沛然たる豪雨。この時間は日本中大荒れで、敦賀市ではテントが吹き飛ばされて死者が出た惨事が起こっています。しばらく様子を見て14時30分、小降りになった雨の中を出発です。北陸自動車道、上信越道はまずまず順調でしたが、関越自動車道がすべて渋滞との情報。藤岡ICで高速を下りて、国道17号経由で都内へと向かいます。埼玉県を南下すること2時間、派手な稲光と透明な景色を楽しみながらのドライブでした。板橋到着が20時50分、予定通り打ち上げを行って、22時半にお開きとなりました。

(写真はこちらです。)