◆梅雨明けの日の駒ヶ岳 報告
日程:平成22年7月17日(土)〜18日(日) |
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登山を始めてかれこれ40年が過ぎました。この間、山から長い時間遠ざかっていたことはなく、41回目の夏山シーズン開幕です。思い出に残る、楽しい山行ができるでしょうか。
さて夏山三連発の一発目、八ヶ岳・赤岳・真教寺尾根は悪天候に悩まされました。なんとか全員赤岳頂上にたどり着きましたが、翌日の横岳・硫黄岳への縦走はカットとなりました。二発目の今回、梅雨明けが秒読み段階です。7月12日の週間天気予報によると、東京地方は7月16日(金)まではダメだが、17日(土)は曇り時々晴れ、18日(日)晴れ時々曇りとなっており、明らかに梅雨明けのサジェスチョンです。
実際、九州・西日本などではたいそうな被害の出るほどの豪雨でしたが、東京地方は雨も少なく、7月中旬あたりからはほとんど傘要らずの毎日でした。7月15日(木)湿気はあるがおおむね晴れ、7月16日(金)さわやかな晴れ、そして山行当日の7月17日(土)は朝から太陽が照りつける、典型的な梅雨明け模様の朝を迎えました。
小淵沢集合です。新宿朝7時発の、スーパーあずさ1号が便利です。しかしがんばって普通列車で行くことも可能です。あずさなら家を6時出発(5550円)、普通列車なら家を5時出発(2940円)。ふうむ1時間で2610円のお得か、当然のごとく後者を選びます。
あずさ組は8時54分に到着、普通列車組は9時02分に到着で全員集合。頼んでおいた「丸政」駅弁をもらい、タクシーで駒ヶ岳神社にGO!。今回のメンバー、最年長の石井さん、三木さん、平石さん、星川さん、和田(則)さん(テクニカルリーダー)、浜田さん(サブリーダー)、常盤(タイムキーパー)、以上7名が昭和20年代生まれ。参加できなかった中村(一)さんの次女、中村(明)さん、お友達の松久さん、諏訪さん、竹内さん、こちらは昭和50年代の生まれで、いわば異ジェネレーション混合隊です。
駒ヶ岳神社に到着したのが9時45分、出発は9時55分、予約したタクシーの出発遅延で予定より15分遅れての出発です。尾白川の吊橋を渡って、いきなりの急登、でもふかふかの土の道で大きな負担なくはかどります。45分歩いて最初の休憩(1000メートル)、つづいて60分歩いて2度目の休憩(1410メートル)、直後に粥持石への分岐(廃道)をすぎ、八丁登りの急坂をあえぎ登って70分後に3度目の休憩(1780メートル)。
先頭はサブリーの浜田さん。調子に乗りやがって、なかなか休んでくれません。「50分歩いたら休んでね」という約束でスタートしますが、自分がどんどん飛ばして、50分で休むものだから、ジリジリ遅れだしたおじさんグループが休憩場所にたどり着くのは、歩き始めてから60分以上たってからです。やはり猪学校の伝統を受け継いで、「前へ」一本やりなのでしょうか。
14時前に刃渡りです。ポツポツきていた雨が本降りの様相です。雨具着用。しかし着たきりすずめの三木先輩は、頑として着てくれません。頭にタオルを巻くのが雨対策。ダメだってば、まあ気温も高いし良しとしましょう。星川先輩も同様でした。
刃渡り前後から岩場の連続となり、雨具を着用すると歩きにくいことはなはだしくなります。股が開きません。直後に現われる刀利天狗の急登は汗まみれとなりました。黒戸山の山腹を巻いて、五合目小屋跡に15時25分着、天候も回復したのでここで雨具を脱ぎます。
残すは最後の一本です。2〜3分下って屏風小屋跡(木材が散乱しているだけ)から息絶え絶えの階段、はしごの連続です。行程ははかどるのですが、はしごが終わったあと、脚にひどく負担がかかったのがわかります。一山越えて、ほぼ垂直のはしご。「中村(一)さん、お見えになっていたらどうだったかねぇ」なんて、星川・三木の両先輩。人ごとのように言うご自分もへとへとです。「垂直はしごが終わったらまもなく七丈小屋」、こんな記憶があったのですが、「まもなく」が今回は10数分かかり、嘘つきであるとの非難をあびました。
七丈小屋到着は16時35分、出発前のシミュレーションより30分ほどのオーバーでした。予定通りの範囲内と言えましょう。着いたらビール、これが貴賎を問わず、日本人の常識です。ここはかつて徳仁皇太子殿下がお泊りになった小屋です。殿下も「ビール!ビール!」だったのでしょうか。ところがここは管理人一人がすべてを仕切っている小屋で、管理人ひとりのボッカに頼っています。当日の宿泊客は50〜60人、テント泊の客を含めると多分100人を超えています。平均500CC(500グラム)のビールを飲むとして×100人=50キロ。これがこれから毎日続くのですから、お客の需要を満たすことはできません。11人グループだから5本しか売れませんとのこと。しかたなくひとり200CCくらいずつ分け合って飲むことになりました。浜田さん、竹内君持参の日本酒、星川さんのウィスキーが活躍することになりました。
この竹内君、中村(一)先輩の次女・中村(明)さんの友人である諏訪さんの友人だそうで、山登りはまったくの初心者。しかし登り下りともまったく音を上げず(膝が痛くなったらしいが)、差し入れを持参したり、さらに寡黙であるなど、おいしい新人です。諏訪さんも寡黙さは負けず、ほとんど疲れを知らず、登りについては文句のつけようがありません。困難に遭遇してもへらへらしているところが良い。
対して中村(明)さん、お父上に似た明るいキャラクター。出発前に左のおでこをぶつけて、10円玉大のたんこぶ、そのあと右おでこを2ヶ所虫に刺されてぷっくり。元気に歩いてくれました。また松久君、数回の登山歴で上級者の風格です。枝豆の差し入れの気遣いのほか、後片付けや会計係りを率先してやってくれました。
小屋の前で駅弁の夕食、小宴会、あとはすることがありません。7時ころには就寝となりました。なお夕方から天候回復の兆しが見え、鳳凰三山や富士山が姿を現しだしました。小屋の中は暑くて寝苦しいほどでしたが、ひとりたたみ一畳ほどのスペースでまあゆったりです。この日のほかの有名小屋の状況はどうだったのでしょうか。
2時前に起きました。まずはトイレ、外に出ます。やった!快晴です。満天の星、天の川がのたうっています。登山を始めて41回めの梅雨明けの日、ついに初めての遭遇でした。おにぎりとヨーグルト、缶コーヒーという朝食を済ませ、3時前には出発準備完了。シュラフ持参のため、第二小屋にいる和田(則)先輩以外は、もう全員うずうずしています。和田(則)先輩との約束時刻は3時50分第一小屋前集合、4時出発というものでしたが、前日時間のかかった三木、平石、星川先輩と常盤が3時30分に先行出発することにしました。第二小屋で和田(則)先輩と顔を合わせましたが、明るくなるまでもう少し待つとのことで、後発隊は4時出発。
30分ほどはヘッドランプを使用して歩きます。小屋から先も急坂が続き、15分歩いては1分の呼吸休憩、これを3回繰り返し、1時間で八合目御来迎場到着。しばらくすると東の雲間から太陽が顔を見せます、ご来光。
ここから先は道が険しくなります。スラブの花崗岩に人工的に足場が削ってあり、鎖に頼って身体を引き上げる場所があったり、絶壁に飛び出した岩をやはり鎖に頼って巻いたりもします。「これで雨でも降っていたら絶対登れないな」と平石先輩。いえいえ先輩、ご自身も数年前、いっしょに雨の中を登ったではありませんか。
まずは逆光で真っ黒な八ヶ岳、鳳凰三山、富士山、遠くには北アルプスが見えます。白馬三山・五竜岳・鹿島槍ヶ岳・爺ヶ岳・針ノ木岳・剱岳・立山・黒部五郎岳・槍ヶ岳・穂高岳・乗鞍岳、すべてを認識できました。頂上が近づくと加賀白山、御嶽山、中央アルプス、もうまわり中丸見え状態。
頂上直前の石碑を過ぎ、白ザレを登りきれば、6時ちょうど、2967メートル甲斐駒ヶ岳の絶頂です。隠れていた南アルプスの山々、尖っているのが北岳、うしろに間ノ岳、赤石岳、兜の形の塩見岳、お隣には仙丈ケ岳。ここ10年で4回目の甲斐駒ですが、初めて景色を拝むことができました。
後発隊の動向が気になります。この時点では間違いなく4時(30分遅れ)に出発したかはわかりません。その可能性は大であり、10分か20分あとには到着するだろうと想像できます。6時15分、見えました、見えました。少し下で休んでいます。声の届く距離です。「早くしろー、バスに間に合わないぞー」とタイムキーパーの私。なにしろ北沢峠からのバスは、9時45分のつぎが13時15分なのです。9時45分に乗り遅れると、3時間以上待たされます。北沢峠では入浴もできません。なんとか、なんとかお願いしまーす。声が届いたのか、やっと動き出してくれた後発隊も6時25分に頂上到着です。
ここから先は時間との勝負(勝手に勝負するなとの声も少なからずあったが)。下りが苦手な諏訪さん、足が長い分、腰が不安定です。お父さん譲りの中村(明)さん、小股で歩きますが、恐怖感が先にたち、尻が下がります。ただし先日の雪の谷川岳の下りでの経験から多くを学んだらしく、今回はブレーキになることはありませんでした。このふたりと若手男性ふたり、そして「前へ」の浜田さん、私が先発隊として下ります。
摩利支天方向に下り、甲斐駒の腹部をトラバース、六方石の巨岩あたりはけっこう険しい岩場が続きます。足元に気を使いながら先に進みます。ひぃひぃと登り返すと駒津峰、7時28分。これならバスの時刻に余裕ありです。うしろの方々はどうか、気になります。じりじりしていると、10分遅れで7時38分着、大丈夫でしょう。後発隊が到着とともに先発隊が出発です。「みなさん、7時45分には出発してくださいね、8時半ころ、2500メートルの場所で待っています」。
ドカドカとくだり、そのあと最後の登り双児山にかかります。たった50メートルほどの登りなのにとても苦しい。「諏訪さん、アドレナリン出せー」、ひぃはぁ双児山に着いたぁ、でもここはパス、あと15分ほど下ります。高度計2500メートル地点で最終休憩、8時28分です。残りの高度差500メートルなら40〜50分くらい、こちらは楽勝だな。後発隊のがんばり次第。できれば8時35分に着いて欲しい、8時40分〜50分なら大丈夫、それを過ぎると厳しいなあ。人の足音が気になります。35分は過ぎました。うううむ、とうなっていると、来ました来ました。8時38分です。ああ良かった。到着直後、平石先輩から、「常盤は浜田と変わらないなあ」とのお小言。双児山で休憩していると思ったのでしょうね。
先発隊出発、「みなさん、8時45分には出発してくださいね」、前と同じセリフです。1時間で標高差500メートルの下りというと、ちょっと厳しく感じられる方もいらっしゃると思いますが、岩ゴロの道も下るにしたがって歩きやすくなります。最後の300メートルくらいは、1分間で15〜20メートルくらい下れるようになります。もう安心と確信でした。
結局先発隊は北沢峠9時18分着、後発隊も驚異の9時22分着でした。高度計の誤差が30メートルくらいあったようで(2500メートルと思っていた地点が2470メートルくらいであったらしい)、またおよそ2000メートルと記憶していた北沢峠の標高が、2030メートルであったため、さいごの1本は標高差440メートルくらいであった模様です。だいたい計算どおり、少し余裕でした。
北沢峠からバスで広河原、ここからタクシーのキャッチセールスにあって、乗客9人定員のジャンボタクシーに11人乗車。芦安で入浴、12時に予約したタクシーで12時半過ぎに甲府着。豚カツ屋で反省会後、午後の電車で帰京となりました。
なんと言っても梅雨明けのアルプス、初めて遭遇する幸運に恵まれました。さて11名の参加者で、ここまで一人だけ登場していません。最長老の石井さんです。なぜ登場しないかというと、まったくの優等生で、いつもニコニコ、疲れ知らずだからです。新人だったら相当使えるのになあ、しみじみと思うのでした。
アルプス三大急登という言葉があります。苦しい思いをさせてくれる登山道のことです。しかし「三大」といっても、はっきりこれと決まったわけではありません。いくつかの候補があります。
- 剱岳・早月尾根
- 鹿島槍・赤岩尾根
- 烏帽子岳・ブナ立尾根
- 燕岳・合戦尾根
- 笠ヶ岳・笠新道
- 甲斐駒ケ岳・黒戸尾根
日本三大名瀑のその一が熊野・那智の滝、その二が日光・華厳の滝(一と二はどちらとも言えない)であり、その三が久慈・袋田の滝となっているそうです。それにしても一、二と三の落差はあまりにも大きいですね。
アルプス三大急登ですが、一と二は早月尾根と黒戸尾根で絶対決まりです(と断定したい)。赤岩尾根はたしかにきついけれど、あまりにもマイナーすぎる気がします。ブナ立尾根、かつて夜行で信濃大町に着き、葛温泉から林道を3時間歩いて取り付いたころは相当きつかったらしいです。しかし今では高瀬ダム上までタクシーが入るため、標高差も500メートルほど稼いでくれて、すっかりただの登山道に成り下がりました。合戦尾根が三大急登とは少々解せません。地元の中学生達が課外授業で登ったりするそうですが、それは初心者にはつらいでしょうね。笠新道は急登界の新参者で、たしかにきついけれど歴史の重みがありません。
そんな黒戸尾根です。初めて登った昭和47年の大学一年のときは、たいそうなバテで、記憶がなくなるほどでした。決して近づかないように心に誓ったものですが、それから30年が過ぎて、8年前に軽装で登って、以来大ファンになりました。そのあと2回登って、今回がこの8年で4回目となります。
甲斐駒ケ岳を目指す登山者の多くが、北沢峠からの往復と聞いています。しかし今回、黒戸尾根のにぎわいには戸惑うばかりです。時代はまた動いているような気もします。私たちは還暦前後が7名、登山初心者が2名、初心者に近い女性2名という編成で、きちんと計画を遂行することができました。大丈夫、これまで社会から虐げられてきたマゾの諸君、前途は今、君(私)たちの前に洋々と広がっています。「マゾの時代」にいよいよ本格突入です。今こそ仮面をかなぐり捨てようではありませんか。
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