◆2010年野歩の会 夏の山行報告(A班)


 日程
  2010年8月6日〜8月9日

 目的地
  立山・大日岳方面

 参加者
  リーダー:和田(則)
  隊員:和田(篤) 鈴木 篠原 中村(一) 
      阿部(佳) 佐藤 茂福 斉藤 
 



8月7日(土)

 雄山の渋滞で思いのほか時間がかかった。疲れも出始めた。宿泊地雷鳥沢に15時30分から16時ごろには到着したい。そのため予定の別山乗越(剱御前小舎)経由の雷鳥坂コースを省略し、立山三山を下り終えた先から大走りコースで直接雷鳥平へ下山することした。メンバーはすごい速さで追いついた朝寝坊の篠原さんを加え8名。アラカンの私を除き、全員が60才代。14時下山開始。

 大走りコースは一般コースだが、想定していなかったので、情報は登山地図の「整備不備」の記載のみ。ザレの下りがあり歩きにくい箇所があった。マイナーなコースのため、登山者が少ない、意外に高山植物が多い。途中小雪渓と接する箇所もあり、眼下に宿泊地を見ながらの、予想外に楽しい下り道であった。

 宿泊地の「ロッジ立山連峰」には、16時20分ごろ到着。ロッジのテラスでは、午後室堂に入山しロッジに直行した茂福さんが待っていた。さっそく、ビールで乾杯。目の前に広がる立山三山を眺め、いい加減の展望温泉風呂に入り、汗を流した。



8月8日(日)

 天気は下り気味の予報。スキーヤーズベッドで快適睡眠。5時起床、6時食堂で朝食、6時50分に出発。鈴木さんは腰が昨日来、芳しくなく、大日岳を辞退され下山することにした。

 大日三山の縦走は、稜線漫歩だ。展望山行。お花見山行。写真山行。昼食山行だ。ブラブラ山歩きそのものだ。そのようなゆったり計画である。雷鳥沢キャンプ場は、中国語の親子の会話も響き、国際化されてゆく日本の国立公園。

 チングルマ、ハクサンイチゲのお花畑斜面を上り詰めると、新室堂乗越。剱岳の頂上がガスに隠れたところだった。ここからずっと、左手には室堂の高原、弥陀ヶ原高原、それら箱庭景観を眼下にした縦走。風を感じながら気持ちよい。

 奥大日岳までは縦走路は、稜線どおしではなく、山腹につけられていた。コバイケイソウ、ハクサンフウロ、カライトソウ、クルマユリ等、高山植物の写真を撮りながら歩いた。剱岳山頂はつねにガスの中。カガミ谷乗越では、剱岳を描いている方がおり、緑の山腹に橙のシャツが映えた。風流で粋だ。

 奥大日岳では日差しがあった。足元危うい幼い兄弟が登ってきたので、年を尋ねると「小3と4才」という。意外感はあったが奥大日岳までは幼児も家族と登れるのだ。A班のうち2、3名は標高2605mの奥大日岳の近くに位置する、奥大日岳「最高点2611m」ピークへと足を伸ばした。

 奥大日岳から大日岳の間は、登山者は少なくかった。注意を要する箇所が3箇所。事前情報のとおり、鎖場とはしごの場所である。縦走路は稜線上につけられ、笹の中にウサギギク、トリカブト、ツリガネニンジン、シモツケソウなどが顔を出していた。

 手ごろな昼食場所が見当たらず、下り登山道の途中で大休止とした。小屋の弁当はご飯が少なかったがおいしかった。日本茶、紅茶、コーヒーで昼食とした。

 「七福園」と呼ばれる大きな岩と松の日本庭園を最後の休憩とし、徒歩40分の大日小屋を目指す。周囲はガスの中。決死の覚悟に反し20分で小屋に到着してしまった。13時45分。コースタイムの起算点の取り方の違うようだ。

 B班と連絡がとれないまま、宿泊の手続きをし、計画通り朝弁当、昼弁当を予約し、B班を待つ。弁当の良し悪しは開いてみないとわからない。二日連続朝昼の弁当はしかたない。常盤さんすいません。往復30分の大日岳をピストンした。頂上はガスでなにも見えず。

 B班とは縦走中に携帯電話やメールをやりとりしたが、思うように電波が届かず最終的な正確な情報は把握できず。ガスに覆われた小屋の前でビールを片手に、B班は何時に到着するか、何人やってくるのか、を話題にした。ガスの高みから人声が聞こえ始めた。17時50分に予定の9名がガスの中から姿を現した。バンザイ。14時間30分近い長時間行動にさすが疲労は隠せないが、笑顔がこぼれた。お疲れさま。
 小屋の3人の幼い孫たちが仕事の手伝い。かわいいビール売りの声が響いた。

 A班の翌日の行動については、予定の「称名口への下り」は標高差1450m、コースタイム4時間30分。うち急な下りが3時間。A班には私をはじめ膝を痛めている者、下りが苦手な者がいる。予定を変更して室堂に引き返すのは、急な下りの負担はなくなるが奥大日岳の登り返しが思いのほか厳しそうだ。また、コースタイムが5時間で幾らか増える。

 そのため、当初は予定どおり称名口を考えたが、やはり急な下り3時間は長い。そのうえ、大日小屋には「崩壊地は仮復旧状態にすぎず、大惨事を招かぬよう自己責任で行動するよう」注意書が掲載されていた。朝弁当が腹に残っているうちに奥大日岳を越えてしまえば、行程上問題はないので、室堂経由の下山に決定し、B班に伝え、了解を得た。



8月9日(月)

 天気は下り予報。今にも雨が降りそうな厚い曇り空。A班B班全員で剱岳をバックに集合写真を撮り、出発。昨日のコースを逆に歩く。先の予測がつくため、気持ちは楽であった。天気が好転し、日差しが出て、薬師岳に朝日が当たった。槍ヶ岳、笠ヶ岳が浮かび上がったころには、この逆コースも捨てたものでもないと思われた。

 奥大日岳で富山湾と富山の街を遠望し、剱岳山頂がガスの中からその姿を現し始めたら、気分は最高になった。山に行く楽しみのひとつに写真撮影がある私は、ウキウキし、高山植物や剱岳や縦走者の姿に夢中。日差しは強いが気温は17、18度。稜線漫歩の自由時間。

 雷鳥沢キャンプ場からロッジへの最後のひと登りは、メンバーに無理を言った。ロッジに10時55分到着。各自アイスクリームやコーラで体を冷やした。斎藤さんから我々に先行し、室堂ターミナルでバスの予約をとる旨申し出があり、甘えることにした。その後も、バス予約の変更、ケーブル入場変更と、機転を利かし、A班は、ギリギリのところで立山駅でB班に合流でき、富山駅前の反省会に同席できた。

 A班は、室堂経由の場合は時間的に風呂は無理と考えていたので、入山前に調べておいた富山駅前の銭湯で汗を流してから、反省会に加わった。
「メンバーとコースと天気に恵まれ」と、まるで草刈の優勝の弁のようだが、予定外の大走りの下り、1つの山を前と後ろから2度楽しんだ大日三山、展望温泉風呂と、充実した山行であったと思う。

 3日間とも想定どおりの行動時間であった。ゆっくり歩いたから楽しめたことも多かった。そのひとつに「山ガール」がある。おじさんのいやらしい目つきを思い浮かべてしまうのは人生経験が豊富過ぎるというものだ。
今春から本屋の店頭に山ガールの雑誌が目立つようになっていた。この山行で山ガールを実感した。今年は山ガール元年となりそうだ。

 山行中、気になった山ガール三者三様。同行者ではない。
ひとりは、カガミ谷乗越で反対側からやってきた、麦藁帽子にモスグリーンの大型ザックを背負った真っ黒日焼けの、元来の山女。ノスタルジックな色合いが印象深い。二人目は称名口から大型ザックを背負い6時間かけて登っていた山女。山ガールファッションは金がかかるので、雑貨店の古着の薄着を羽織って来たという。情報を沢山頂いた。山慣れた印象。三人目は帰りの室堂乗越ですれ違った雑誌から出てきたようなハッとする山ガールふたり連れ。尻部分に星条旗をあしらった膝上ショ−トパンツにデイパック。さっそうと、爽快に歩いて行ってしまった。ついつい女性に目が向いてしまったが、山はますます面白くなりそうだ。

                      


小和田