◆2010年野歩の会 夏の山行報告(B班)
日程
2010年8月6日〜8月9日
目的地
立山・剱岳・大日岳方面
参加者
リーダー:常盤
サブリーダー:浜田 田中
隊員:石井 三木 平石 古園 松久 中村(明) 阿部(博) |
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8月7日(土)
午前6時、前夜泊と夜行バス利用の計17名が富山駅前に集合しました。6時28分発の富山地方電鉄に乗車し、立山・美女平でそれぞれケーブルカー・高原バスと乗り継いで順調に8時55分室堂到着。
軽い食事、給水、記念撮影を済ませて、9時38分に勇躍出発と相成りました。コンクリートで固められた傾斜のゆるい道、しだいに傾斜を強め、50分ほどで10時29分に一ノ越に到着。ここで鈴木さんは腰の調子悪く、下山をお申し出なされました。
下山する鈴木さんを残して、16名は雄山へと向かいます。ところがここは地元の小学生で大渋滞。水平距離500メートル、標高差300メートル、つまりtan0.6、すなわち30°もの急斜面、子供は悪戦苦闘でなかなか進んでくれません。こちらも苦しいけれど、なかなかストレスの溜まる時間でした。
一ノ越から1時間10分、11時56分に雄山に登りつきました。頂上付近は人また人で混雑しており、神社参拝は無理。さて出発と腰を上げたら、帰ったはずの鈴木さんがやってきました。腰のサポーターを締めなおしたら、なんとか歩けるようになったとのことでした。
こうして再度17名になった私たちは、立山の最高峰、大汝山へと向かい、富士の折立を過ぎて、真砂岳方面へと進みました。何人かは疲れが出てきた様子で、A班は大走りコースから雷鳥平へ下山することになりました。まもなくお別れ、別山との分岐点で休憩していると、富山のホテルで過ごしていたはずの篠原さんが追いついてきました。これで予定の18名が全員そろった格好です(茂福さんは、このあとロッジ立山連峰にて合流)。
私はB班だったので、このあとのA班の様子はわかりません。14時45分、いくぶん重くなった腰を上げ、別山方面へ。別山頂上へは若輩5名が向かい、ロートル5名は巻き道を選択。15時すぎに再び合流して、剱御前小舎に15時19分着。剱沢方面へと下り、途中で持参のビールを冷やすなどして16時35分に無事剣山荘にたどりつきました。
8月8日(日)
2時過ぎに起床、前夜頼んでおいた弁当で朝食。予定通り3時半、剱岳に向かって出発です。空はうす曇り、新月で真っ暗でした。一服剱に3時55分着、4時出発。前剱へのガレ場を登るあたりでヘッドランプ不要の明るさになりました。大岩の左を通過し、前剱の頂上に達した5時前、ちょうど後立山連峰の向こうから、日の出というタイミングの良さ、思わず見とれてしまいました。
前剱5時05分発、前剱の門5時23分、平蔵のコルに6時到着。一休みして、カニノタテバイをよじ登り、早月尾根との合流点を過ぎれば、6時30分剱岳2999メートルの絶頂です。完全な青空ではなかったけれど、見えるべき山はすべて見えました。さすがは剱岳、大満足の登頂です。
さて、まだ先は長い。6時50分に下山開始、カニノヨコバイではちょっと手間取りましたが無事通過。前剱、一服剱を越えて、目の下に剣山荘が見えてきました。とそのとき、20代後半から40代くらいの熟練ランナーが私たちを次々に抜いてゆきます。速いのなんのって、こちらが1分で50メートルなら、敵は1分で200メートルくらい。あれよあれよといううちに剣山荘へと飛び込んで行きます。
私たちが剣山荘で、この日2食目のまずい弁当(早朝と同じもの)を食べている間、彼らはうまそうにカレーを食べています。足首が細くて、なんともかっこ良い。少し話を聞きました。「早月尾根ですか?」「そうです」「早月小屋からですか?」「いいえ、△□○から」「へええ、馬場島からか」と思ったのですが、あとで調べて大間違いを知りました。その日の午前0時、早月川河口、つまり日本海から駆けてきたのだそうです。
これまたあとでわかったこと。「トランスジャパンアルプスレース」という、2年に一度開催、日本海から南北・中央アルプスを6日で踏破してゴールは太平洋という、とてつもないエリート大会なのでした。かっこいいおばはん(写真集のどこかにある)は間瀬ちがやさんという「トレイルラン界の妖精」だそうで、それはちょっと誉めすぎではありますが、えらい集団なのでした。この日はスゴ乗越または薬師峠あたりでビバークしたようで、翌日は上高地というぶっ飛んだ日程です。
さて気を取り直し、別山乗越までヒーハー登り返しです。時間は10時55分、明日出勤の阿部君はここでお別れ。雷鳥坂を下っていきます。残り9名はカップヌードルで腹ごしらえをして、大日岳へと向かいます。
新室堂乗越まで1時間少々の下り、奥大日岳への2時間の登り、岩々で歩きにくい道が続きます。そうか、A班は午前中にここを通ったのか。だんだんと午後のガスが沸いてきます。七福園を過ぎ、まもなく大日小屋。ああ、声が聞こえてきました。あれはABさんの声に違いない、ワハハハ、すぐにわかります。疲れた顔はダメ、しゃきっとしなくては。石井さんは汗で濡れた髪の毛をきれいに撫で付けます。
いよいよ小屋前の広場へと入っていくと、“その”阿部さんが、5・6・7・8・9人と元気なお声で私たちの人数を数えています。別山乗越で小屋に連絡したのですが、9人全員か、1〜2名は減員の可能性があるとしておいたのです。古園さんが疲れ気味で、新室堂乗越から下山しようかと迷っていたのですが、「よし俺がついて行ってやる、温泉にでも泊まろうや」という平石さんの有難いお申し出に、かえってしゃっきりなって歩き通してしまったのでした。
大日小屋は昔ながらの小屋で、完全にキャパシティオーバー。しかたないけれど、ひとりのスペースが枕の幅というものでした。恐ろしかったのはトイレの少なさ。「大」が2つしかないのです。宿泊客は50〜60人くらい。明日の朝はどうなってしまうのでしょう。
8月9日(月)
A班到着時に小和田さんの下した判断、「5時出発とする。そのため朝食と昼食は弁当、すでに発注済み」。聞かされたときは、2日連続で朝昼ともまずい弁当かと少々がっかりしたのですが・・・。弁当の注文は我がグループだけ、つまり朝4時ころから動き回っているのは我々だけ。5時半朝食の他の宿泊客とはおよそ1時間の時差が生じました。そのような具合で、朝の出発準備はたいへんスムーズにいきました。
大日小屋から大日平を経て称名の滝、これが当初の計画でした。標高差およそ1450メートルもの下りです。もともと下りが苦手な場合、かなりつらい行程が予想されました。さらに7月上旬に登山道の一部が崩壊し、一時通行禁止の措置がとられました。復旧工事が完了し、通行禁止は解除されましたが、小屋の主人は「できれば行って欲しくない」との説明(小屋の若手従業員は、問題ないとの意見)でした。
A班は奥大日岳方面へ戻ることになり、B班は予定通り称名の滝へと下ることとしました。ここから先もB班の動向です。奥大日方面へ戻るA班と同時に5時出発。とりあえず大日岳を往復してから下山です。しばらくは岩のゴロゴロした歩きにくい道。うしろから20人ちかい団体がやってきます。追いつかれないし、離れないようなので、スピードは同じくらい。崩壊箇所で先行されたら、相当の待ち時間を強いられそうです。うしろを気にしながらの行程となりました。
しだいに傾斜がゆるくなり、大日平山荘8時半到着。大日平は眺めも良いし、木道で歩きやすいし、夢の別天地のような場所でした。ゆっくり休んで、うしろの団体が到着と共にこちらは出発。大日平が終わって、牛ノ首という狭い場所を過ぎると、問題の崩壊地です。垂らしてあるロープを頼りに、後ろ向きで下ります。20メートルほど×4本、正直「ああ面白かった」でしたが、雨が降っていた場合とか、苦手な方にとっては、かなり苦労するだろうと思われる箇所でした。
すたすた下って10時半過ぎ、称名の滝見物は時間的に難しそうな気配。山道が終わって、車道に出たところから左に500メートルくらい(7〜8分)のところに称名の滝、反対の右方向500メートルくらい(7〜8分)のところにバス停。バスは11時半発。もしも10時50分までに車道に出たら、滝見物に行きましょう。
半分諦めかけていましたが、10時46分、いきなり眼下に車道が見え、48分に降り立ちました。荷物を下ろし、カメラと財布だけ持ってダッシュで称名へ。おお、これはすごい!見事な4段の滝でした。熊野・那智の滝、日光・華厳の滝、久慈・袋田の滝が日本三名瀑ですって?いやいや絶対に那智、華厳、称名(順不同)です。
バスで立山(駅)へ。ここから送迎バスでグランドサンピア立山という、もと厚生年金の巨大宿泊施設に行き、数日ぶりの入浴。帰りも送迎バスで立山へ。ここでA班の皆様と合流し、富山駅前での反省会を終えて帰路に着きました。なおA班は室堂まで戻ったため、時間がギリギリで入浴の時間がとれず、富山駅前で銭湯での入浴となりました。この日の行程はA班のほうが相当厳しかった模様です。富山から東京までは北越急行の特急はくたか、越後湯沢から上越新幹線に乗り換えて、わずか3時間です。驚きの早さです。平石先輩ご推奨の「せきの屋」のマス寿司、これが我が家の夕食でした。家で待つ老妻と半分ずつ。マスが酸っぱくなく、たいそう美味でした。
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