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■燕岳−常念岳は槍穂高の展望を楽しむ縦走路である。ところが、連日の猛暑が息切れし、気温は低い小雨・霧の山行となった。振り返れば、稜線は登り下りの少ない縦走路、足元の高山植物に目をやりながらの山歩き、ゆとりのあるコース取り、充実していた山小屋と、それなりに楽しめた山歩きであった。いつか青空のもと、槍穂展望を満喫したいとの思いも残った。
■8月20日(土)6時すぎに、登山口中房温泉登山口に集合。最寄駅の大糸線穂高駅前のビジネスホテルから始発バスで中房にやってきた方々。あるいは有明荘、中房温泉から出てきた面々。願いはかなえられず小雨の中、10名が集まった。
私は中房温泉に前泊したが、中房は屋内外に多くの温泉風呂があり、満足度が高い「温泉テーマパーク」である。
■6時30分に、雨具を着込み、登山計画書を登山ポストに投函し、登山者で混雑する登山口を後にした。この山行は概ね40分に一本ペースで歩いた。第一ベンチ、第二ベンチ、第三ベンチ、富士見ベンチの各ベンチで休み、まずは合戦小屋をめざす。この合戦尾根は北アルプス三大急登のひとつで、整備されており登りやすい。ブナの広葉樹林から針葉樹林へ、ガスが絡み雨音だけが響く樹林帯をひたすら登る。林床はすべて背丈ほどあるクマザサに覆われ、アキノキリンソウ、ウサギキク、ヤマハハコなど花をわずかに認めるにとどまった。
■10時30分に、登山者で一杯の合戦小屋に到着。小屋のとなりに設けられた小屋掛けスペースで雨宿りし、昼食をとった。店頭に並べられていた名物のスイカに誰も関心を示さない。合戦小屋のうえは森林限界となり、ナナカマド、ハイマツ帯である。色づき始めたナナカマドの実は一気に秋の訪れを感じさせた。いやに高山植物が多いお花畑に出たと思ったら、そこは燕山荘の真下であった。お花畑を見て、北アルプスにやってきたことを実感する。
■13時30分に、燕山荘に到着。小雨とガスで寒々とした小屋の外は人影はなく、急いで小屋に入る。混雑していたが、従業員はサービス精神に溢れ、丁寧で、テキパキと対応する様子は心地よかった。食事も想像以上によく、全体として過去最高レベルの山小屋だと思う。小一時間休み、希望者は燕岳をピストンした。しぼみかけたコマクサが咲き溢れる砂礫帯を歩き、奇岩をぬって白いガスに浮かぶ山頂に目指した。
■小屋は収容人員が800名で、とにかく大きい。廊下は行けども行けども、尽きない長さだ。夕食前に食堂やカイコ部屋で、差し入れのワインで体を温めた。食後に3代目赤沼氏による講演とホルン演奏があり、登山者が食堂に入りきれないほどの大盛況であった。ポイントをついた簡潔な説明に熱心に耳を傾けた。宿泊時期が例年と比べ1週間遅れたため、ゆとりのあるスペースを確保し、ミズノと共同開発した寝袋風掛け布団にくるまり寝た。私は20歳代から版画家畦地梅太郎のフアンで、その大型版画が食堂に何枚も飾られており、感激した。
■酒の話題のひとつが、B班はどこにいるのか、どこに行ったのか、だった。B班の最終案内は「槍が岳から穂高岳へ」の縦走計画であった。その後遅れて東京を出発する田中さんから「穂高岳山荘で追いつき一緒になる」とのメールを受け取った。足の速い田中さんがその日のうちに追いつくのは槍が岳山荘である。穂高岳山荘は槍が岳山荘の間違いだろう。あるいは田中さんは2日目に上高地から穂高岳山荘に直登し先行隊と合流するのか。
そうした中に、B班から携帯電話があり、B班が「穂高岳から槍が岳へ」の縦走に変更したこと、今穂高岳山荘にいること、明日の行動先は未定であることを知った。謎が解けてホッとした。と同時に計画変更は事前に連絡がほしかった。
私は、B班は明日、涸沢、横尾へと下り、蝶が岳を登り返し山頂で一泊。最終日は大滝山をピストンし、大糸線側の三股登山口に下山するびっくりさせるコースを選択すると読んだ。ところが、実際のコースはB班の報告のとおりであった。他人の選択を想定するのは難しい。
■8月21日(日)、小雨とガスだった。多くの登山者は天候をみて、下山し始めた。この日はアップダウンが少なく、全般にコマクサが多い稜線漫歩で、2、3のグループと出会っただけの人恋しい1日であった。周りは何も見えない。山道が稜線の右側についていると、コマクサの多い砂礫帯となり、風があり寒い。左側についていると風はなく、草の多いお花畑が多い。風のない場所を選んで休憩をとった。お花畑にはサラシナショウマ、オオバタケブキ、トリカブト、イブキトラノオ、トウヤクリンドウなどが咲いていた。クマザサが稜線間際まで浸食していた。
■大天井岳の手前にある切通岩は長さ数メートルだがいやらしい下りのトラバース。鎖が取り付けてあり慎重に通過する。大天井(おてんしょう)岳真下にある大天(だいてん)荘に着くと、休憩小屋は登山者で一杯。なかなか中に入れない、スペースも確保できない。燕山荘宿泊が団体割引で一人当たり1000円近く安く済んだ分で、宿泊者用食堂でスープ、コーヒー、そば等を注文し昼食をとった。登山者は我々以外におらず、温かいものを胃に入れ、都合1時間30分ほどゆったりした。希望者のみ徒歩6、7分の大天井岳へピストンした。
■私は朝、半袖のポロシャツに直接雨具、そしてアクリルの手袋をつけ行動したが、右側からの風が肌寒く、指先が凍えた。そのため切通岩の鎖をうまく操作できなかった。大天荘で長袖を重ね着したところ、全身があたたかくなり指先も支障なくなった。体を温かくしておくことの大切さを再認識した。
■常念小屋までは巻き道気味であるが、ガスのため先が見通せず、何度も似たような地形を通り、その都度現在地を騙された。単純な水平道で長く感じられたとき、岩道のうえにハイマツの松ボックリを食い散らした跡が何百メートルと続く場面に出合った。食したのはだれだ。リスか、いやオコジョだろう、それにしても大胆だ、大食漢だ、猿か、熊か。熊はいやだなあ、の感想。食の主は翌朝判明した。
■15時50分に、常念小屋に到着。他の登山者も前後して入ってきた。小屋は連日の悪天でキャンセルが続き嘆いていた。夕食の前後、談話室で持ち寄りの酒や生ビール、差し入れのワインで乾杯。この小屋も寝袋風の掛け布団。広めの場所でゆったり眠れた。
■このコースはほとんどが中高年登山者だ。その7、8割は女性であった。多くはツアー客あるいは山岳(縦走)ガイドつきグループ。彼らはコースタイムを1.5倍見込み歩いていた。22日朝、山岳(縦走)ガイドはグループにむかって、「長雨で一ノ沢コースは増水の可能性があるので、できるだけ早く下山します」と職責の安全率を見込みアナウンスした。我がグループでも増水を心配する声が出た。私の経験にもとづくと、2日間本格的な雨は降っていない、昨夜も雨音はしなかった、これから土砂降りとなる予報もないことから、支障ないと判断し、予定通り早朝常念岳ピストンしてからの下山とした。
■8月22日(月)、夜中雨音はなく霧が晴れているのを期待したが、期待は外れた。5時に全員で朝食をとり、希望者は常念岳ピストンに出かけた。外は気温が高く風はなくガスっていたが雨ではなかった。岩がゴロゴロと積み重なった登山道を登り、山頂に立つ。が、何も見えない。一瞬ガスが飛び、雲間から日差しが見えたが、すぐに隠れてしまった。
■8時45分に、雨具をまとわず常念小屋を出発。小屋の入口にキジバトが一羽。なぜここにいるのだろうか。常念乗越を下り始めると、何羽ものホシガラスが木の枝を渡り、岩上で松ボックリをつっついていた。昨日の正体は貪欲なホシガラスだった。熊でなくてよかった。
一ノ沢コースは歩きやすい北アルプスの入門コースである。急な山道を下り、沢の水場を過ぎ、高度感のある高巻き道を通過する。周りは一面お花畑である。沢筋は花の種類が多い。リンドウ、ソバナ、ハンゴンソウ、ノリウツギなど。傾斜が緩んでから登山口までが長かった。生きているダケカンバの丸い幹に、針葉樹の実が着床し、20センチ程の苗を出していたのが印象的であった。
■13時15分に、一ノ沢登山口に到着。雨はほとんど上がっていた。もうすぐ登山口に到着するに違いないとの思いで、最後の一本をとらず、1時間45分も歩き続けてしまった。皆さんお疲れさま。予約済みのタクシー2台に分乗し一路、穂高駅郊外にある宿泊先の「しゃくなげ荘」へ向かう。私は温泉で汗を流しその足で帰京した。
写真はこちらです。(その1)(その2)(その3)
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記 和田(則) |
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