◆八ヶ岳登山、41年のタイムスリップ   

 常盤さんから自主ワンのご報告を頂きましたので紹介いたします。

 
初日をのぞいて雨ばっかりだった今年の夏の山行、何ヶ月も前から準備・調整したのに、まったく悔しいったらありゃあしません。乾いた岩が恋しいです。そこで今回、石井さんと相原さんのご都合を伺い、9月10日〜11日にどこかへ行きましょうということになりました。どこにしましょうかという問い合わせに、石井さんから「できれば八ヶ岳・赤岳あたり・・・」という奥ゆかしいご希望を頂戴しました。それではそれでは。



第一部(昭和45年・大阪万博開催の年、高校2年)

 小学生の時、父親に連れられて大山、中学生の時、遠足で高尾山、友人2〜3人と大山、これが登山経験のすべてでした。昨年の夏、自由研究で箱根をテーマとすることになり、友人4人と箱根外輪山の登山をしました。道了尊から明神ヶ岳、そこから金時山を目指しましたが、同行した足の不自由な友人が途中でギブアップ。踏みあとをたどって仙石原に下山しました。この箱根を計画した遠藤君が中心になって、翌年から山登りを本気で始めようということになりました。

 今年は待ちに待った大阪万博の年です。「人類の進歩と調和」、良いではありませんか。昭和15年に東京で開催予定だった「紀元二千六百年記念万国博覧会」が延期になって30年、西ドイツを抜いてGNP世界第2位になったニッポンの晴れ姿をぜひ拝みたいものです。しかしとてつもない混雑で、お目当ての「月の石」を見るのに何時間も並ばなくてはならないそうです。しかも入場料は800円と高額。来年の大学受験を控えた僕たちに、そんな時間も金もない。というわけで、万博に行くことはきっぱり見送りにしました。

 さて、登山はとにかく経験を積まなければなりません。手始めに6月に丹沢三ッ峰の縦走をしました。そして夏休み、南八ヶ岳縦走へと順調にステップアップしました。なおリーダーの遠藤君は、中学の成績はいつも1番か2番(僕の順番は?)、高校でも順調らしいです(僕は不順?)。将来は、きっとT大からきっと東北あたりの薬科大学の教授にでもなるのではないかなあ。そのころ僕はセールスマンだろうなあ。というわけで、僕は彼の立ててくれた計画に従っただけです。

 1ヶ月前の早朝、電車に乗って指定券の申し込みに行きました。茅ヶ崎にはみどりの窓口はなく、いちばん近くが大船駅なのです。小さな紙に第一希望とか第二希望などを書きます。行きは八王子から茅野までの特急あずさ、帰りは小淵沢から八王子までの急行アルプス、国立一本・滑り止めなし、さっぱりしたものです。苦労した甲斐があって、指定券を無事に入手、乗車券は学割で2割引です。

 朝6時半ころの相模線に乗車、田舎駅の橋本で横浜線に乗り換えて八王子まで3駅です。この橋本駅です。京王帝都電鉄が調布から多摩ニュータウンに向かう路線を建設中ですが、これがいずれ橋本へと延びるらしいです。そうなると相模線の田舎駅というイメージは払拭されるかもしれませんね。さらにさらに夢物語ですが、もしも第2東海道新幹線が作られるなら、東京〜名古屋が直線で結ばれるはずで、定規で結ぶとこのあたりに中間駅が作られることになります。ただし、自民党幹事長の角さんが総理大臣にでもなれば、という夢物語です。佐藤総理早くやめないかなあ。

 新宿8時発の「あずさ2号」南小谷行きに乗車です。自慢ではありませんが、特急に乗るのは生まれて2度目です。10時過ぎに茅野に到着し、ここからタクシーで美濃戸口の先の川原まで運んでもらいました。横山厚夫さんの名著「登山読本」で一生懸命勉強しましたが、登山ではおおいにタクシー利用をすべきなのだそうです。

 帽子はチロリアンハット、シャツは長袖カッターシャツ、ズボンはウールの学生ズボン、このズボンの上に白いストッキング(ずり落ちないようにパンツのゴムひも)、靴はもちろんキャラバンシューズです。ただし僕のシューズは山晴社の純正品ではなく、アキレスの模造品です。これは近所の藤巻靴店で購入。チロリアンハットには帽子に鳥の羽根をつけるか、バッチをつけるのが正調らしいです。これからいろいろな山へ行くたびにバッチを買い、帽子にぐるりと回るくらいつけたら、ベテランらしくてかっこ良いなあと思いました。なお、リュックサックは藤沢駅南口名店ビルのスポーツ店で、小型のキスリング状のものを2000円で購入しました。そうそう忘れていました。写真係は僕です。オリンパスペンD、F1.9ズイコーレンズ、500分の1秒の高速シャッターを備えたプロも使うという名機です。ハーフサイズなので経済的であることも自慢。

 美濃戸口から美濃戸へ、柳川北沢経由で赤岳鉱泉を目指しましたが、増水時の巻き道に入ってしまい、とても苦しい思いをしました。この道は日地の地図に点線で描かれていますが、どこで迷いこんでしまったのでしょうか。今回は米を3合ほど持参しました。米持参だと宿泊料割引という制度を利用したのです。「一人一食につき2合ですから、ほんとは4合でなければダメなのよ」と言われましたが、そんなに食べるはずもなくおおいに当惑しました。山小屋は米の徴収でサヤ取りをしている模様でしたが、今回だけは持参した3合で勘弁してくれました。僕たちが、紅顔の高校生だからかも知れません。

 鉱泉で入浴、カレーライスの夕食、おかずに持参したあけぼの鮭缶が役に立ちました。骨の部分が柔らかくていちばんおいしいです。翌日は朝食が4時ころで、4時半には出発できました。中山乗越あたりで明るくなります。

 乗越から行者小屋、阿弥陀岳を目指します。最初は沢沿い、しばらくで阿弥陀岳の山腹を横切ります。日が昇ってきて、あと1〜2分で日なたになってしまいそうだなあ、早く歩かないと暑くて大変そうだなあと焦りました。阿弥陀岳と中岳の鞍部から遠くに富士山が望めました。僕たち神奈川県人にとって富士山は静岡県の山ですから、まさか長野県からその姿を拝めるなんて望外であり、大感激でした。

 阿弥陀岳の急坂を空身で往復し、中岳を越えて赤岳を目指します。「竜頭峰の基部から信州側をトラバースする」、アルパインガイドで勉強していたはずですが、どれが竜なのか、信州側がどうなのか、佐久側がなんなのか、さっぱりわかりません。危険とか恐怖などは感じるひまもなく、夢中で赤岳頂上に登りつきました。

 赤岳は南峰(三角点あり)、北峰(頂上小屋あり)に分かれていて、一投足であると書いてありました。一投足ってどれほどなのかと疑問に思っていましたが、50メートルくらい、1〜2分であることで納得しました。眼下には赤岳石室が見えていました。

 横岳は登山道が錯綜しているので、行き詰まったら必ず戻ること。ガイドブックに記載があり、ずいぶん緊張しました。とにかく次々に現れるクサリやはしごをこなしているうちに通過してしまいました。硫黄岳石室を過ぎ、硫黄岳に登り返して見る、北側の爆裂火口の壮絶な光景には、たしかにどぎもを抜かれました。

 夏沢峠までの岩ごろの道、下りで20分くらい、「こんな岩ゴロの急斜面を登れるはずないなあ」と思いました。峠には2軒の山小屋があり、登山道は小屋と小屋の間にあります。「八ヶ岳は山小屋の数が過剰であり、小屋ヶ岳と呼ばれている」と揶揄されていましたが、なるほどこういうことなのかと納得。初心者ですからなんでもお勉強です。

 夏沢峠が午後2時ころ。この日はずっと晴天でしたが、午後になってガスが湧いてきました。峠から15分ほど下ったオーレン小屋に予約をとってありました。アメリカのテレビドラマ、ローハイドの主題歌に「ローレン、ローレン、ローレン、ローハーイ」という一節があります。「オーレン、オーレン、オーレン」なんて、ずいぶん節操のないネーミングですよね。

 オーレン小屋の夕食もカレーライス。夕方から夜半にかけて雷雨でした。これはいわゆる熱雷(昼間の高温で雷雲が発生する)ではなく、界雷と呼ばれる前線通過による雷雨だろうと思われます。前線の通過で上空に寒気が流入したらしく、翌朝は前日とうって変わった濃霧と強風でした。予定では、この日はオーレン小屋から箕冠山に登り、根石岳、天狗岳、中山峠、しらびそ小屋、稲子湯というものでした。

 しかし箕冠山から根石岳に向かおうとしたとたん、強風で身体が飛ばされそうになりました。ガスがビュンビュン飛んできて、視界も50メートルくらいです。予定の北方向に20メートルくらい進んで回れ右、ほうほうのていで樹林の方に逃げました。この箕冠山〜根石岳の鞍部は強風で有名な場所だそうで、もう100メートルか200メートルも進めば心境が変わっていたかもしれません。しかし、そこは初心者、しかも机上プランで頭でっかちな耳年増。すぐに遭難という言葉が頭をかすめ、ここはいさぎよく退くことのみ正しい選択です。

 「とりあえず樹林の中で様子を見る」ではなく、恐怖でドンドンと夏沢峠へと下ってしまいます。予定をあっさりと変更し、夏沢峠から30分ほどで本沢温泉、ここから車道を延々と2時間くらい歩いて松原湖でした。単調な林道歩きではありますが、八ヶ岳の山麓を踏みしめる喜びを感じました。予定を早めて下山したので時間があまり、松原湖でボート遊びなどしました。ボートを漕いだのは、今回が生まれて初めてです。

 松原湖から松原湖駅入り口までバスに乗り、小海線松原湖駅へ。帰りの小海線は混んでいて座われませんでした。小淵沢から急行アルプスに乗って帰ったのですが、夜の八王子で下車したとたんの熱風と湿気にはびっくりさせられました。僕は海辺で育ったので、この3日間に味わった涼しく乾燥した空気は、本当に新鮮で快適でした。

 秋からはそろそろ大学受験の準備が始まります。来年は勝負の夏なので登山どころではなさそうです。しかも今の成績では浪人必至だし、2〜3年は無理かもしれません。でも、いずれいつの日か、槍ヶ岳の頂上を踏んでみたいと夢見ています。もしも念願のW大学に入学できたら、野暮ったい名前のサークルにでも入りたいな。さあ、そろそろ気持ちを切り替えて、オリジナルで数学やる時間だ。



第二部(平成23年・東日本大震災発生の年、定年2年前)

 石井さんは学者、相原さんは音楽家であります。その2人といつのまにか定年間際になってしまったセールスマン私、今回は3名でした。石井さんは昭和37年に赤岳に登って以来、およそ50年ぶりだそうです。相原さんは登山歴1年少々で、八ヶ岳はもちろん初めて。ただしこの2人で8月に奥穂高岳に登っています。お二人とも、体力的にも技術的にも問題なく、私の好きなように計画を立てさせていただきました。

 計画の基本線はたいてい早朝発、山小屋一泊です。30年前、40年前は夜行があたりまえでした。現在、さわやか信州号という夜行バスがありますが、あの夜行列車の不快な思い出もあり、これまで一度も利用したことありません。例外は富山行きの夜行バス。3列シートでトイレ付き、これは数回使っています。またマイカーで、サービスエリア・テント泊をおよそ20年間続けました。昨年マイカーを手放したため、もうこういった子供のようなプランは卒業です。夕方の特急で現地に行き、駅前のホテルに泊まる。こんな贅沢が許されるのでしょうか?そう、マイカーさえやめればこんな夢のようなお大尽山登りが可能なのですね。

 というわけで、毎回お世話になる「えきねっと・トクだ値」、週末のあずさは35%割引です。9月10日、いつものように新宿7時のスーパーあずさ1号に乗り込みます。トクだ値仲間で8号車は満杯、割引制度はずいぶん浸透してきている様子で、今後切符が買いにくくなるかも知れません。石井さんと相原さんは私の3列前に座っていましたが、下車寸前までまったく気づきませんでした。

 茅野到着が9時08分、タクシー乗車が9時12分ころ、登山口の桜平に10時到着です。茅野から八ヶ岳への登山口は、美濃戸口の一人勝ち状態が長く続いてきました。しかしこの桜平が知られるようになってから人の流れはずいぶん変わってきていると思われます。バスの終点、美濃戸口の標高が1500メートル、マイカーなら1700メートルの美濃戸まで入れます(タクシーは乗り入れてくれません)。それに対して桜平はなんと1900メートルです。夏沢峠が2430メートルなので、標高差はたった500メートル少々、2時間かからずに稜線に立てるのです。

 10時15分に歩き始め、夏沢鉱泉オーレン小屋で休憩しながら、夏沢峠には12時08分到着です。このオーレン小屋って変な名前ですが、漢字で書くと「黄蓮」であり、キンポウゲ科の植物らしいです。小屋の周りに自生しているようです。オーレン小屋で休んだばかりなので夏沢峠での休憩はパスし、硫黄岳へと急斜面を登ります。ここを登ると41年前の登山で下ったときの記憶がよみがえります。「こんな岩ゴロの急斜面を登れるはずないなあ」たしかにそのように考えました。しかし、実際はそんなことありません、ゆっくりと登れば50分ほどで頂上です。

 今回、前週末に台風12号が通過し、火曜から週末まで晴れとの予報でしたが、水曜に熱帯低気圧が急に台風14号に変身しました。木曜の予報では土・日は雨模様でしたが、台風が西へ西へと進んでくれたおかげで、まずまずの天候となりました。太平洋高気圧君有難う、決まり手は「張り出し」ですね。硫黄岳頂上から八ヶ岳は見通すことができましたが、南北アルプスはガスと雲で判別できませんでした。

 硫黄岳山荘のある大ダルミまで15分、ここから横岳への登りです。左の斜面にはコマクサの群落がありますが、人工的に栽培されたものであり、ご丁寧にネットで保護してあるので有難味はありません。最初のこんもりしたピークが台座ノ頭、しばらく平坦な道を進み、クサリ、はしごを2〜3回で横岳奥の院です。横岳は東西の横方向から見ると単なるこんもりした山ですが、硫黄岳方面からだとこの奥の院は尖った顕著なピークです。

 横岳で小休止し、三叉峰(杣添尾根が東に分かれる)、石尊峰、鉾岳、日ノ岳(ほとんど信州側を巻くのではっきりわからない)を過ぎると、前方に煙突のような二十三夜峰と赤岳天望荘が見えてきます。ガスがかかったり晴れたり、なかなかの景色です。地蔵の頭から地蔵尾根を覗き、赤岳天望荘前で一息入れます。あとは赤岳への最後の急登を残すだけです。火山性の滑りにくい岩尾根、クサリにすがりながら身体を引き上げます。ヘトヘトになって赤岳頂上山荘に到着。受付の前に持参したビールで乾杯です。

 今回は天候もまずまずで、登山客は少なくありません。小屋の夕食は2回戦となる模様です。私たちは自炊。2階の自炊スペースで、タラコ、ハム、キュウリ、トマト、サトウのごはん、ふりかけ、インスタントみそ汁といったメニューです。2食つき8500円、素泊まり5300円、ビールも2本ずつ持参したので(200円のビールがここでは500円)、都合3800円の節約です。石井さんは自分の荷物プラス共同食料(缶ビール2本と、凍ったペットボトル500cc、おかず少々)の1.5キロで、この日はだいぶこたえた模様です。食後にいただいたコーヒーがおいしかったです。7時ころ就寝、スペースは十分でした。

 9月11日は3時半に起床です。晴れていますが風があります。朝食は今朝もサトウのごはん、みそ汁、ふりかけと昨日の残り物。日の出が5時20分ころなので、出発もそのころ、時間は十分あります。ゆっくりお茶を飲んだりします。5時10分ころ、出発の準備を整えて外に出ます。小屋食の人たちは、ちょうど食事時間と重なっていますが、北峰・南峰はご来光待ちの人であふれています。そして予定通り5時23分ころ、雲海の上にオレンジ色の巨大な珠が姿を現しました。

 さあ、権現岳に向かいます。赤岳からキレット小屋までおよそ450メートルの下降です。クサリあり、はしごあり、ガレ場ありです。下りが嫌いの人には相当つらいところでしょう。登ってくる人も多くいるので、落石に注意して慎重に下ります。下りはおよそ1時間でした。

 キレット小屋からも険しい道が続きます。権現岳の周辺には「ツルネ」とか「ギボシ」とか変わった名前のピークがあります。今回は25000図、エアリアマップ、HPなどで調べておきました。ツルネはキレット小屋から登り返した最初のピークでした。「鶴嶺」という意味なのでしょうか。さらに権現岳直前に旭岳があるのですが、これは信州側を巻きます。そして有名な61段の源治バシゴを登り切ると、権現岳頂上の一角です。

 ここは三叉路になっており、右に進めば権現小屋青年小屋、編笠山方向。左に進むと三ツ頭です。左へと進みます。相原さんから「ミツアタマに行っちゃいますけど、こちらで良いのですか?」という質問。良いんだけど「ミツガシラ」と読みます。分岐から100メートルくらい、2〜3分で権現岳に到着しました。風が強く、危なっかしい場所なので、写真を撮ったら退散です。先ほどの分岐まで戻って、さらに1分で権現小屋。

 権現小屋前で休憩し、つぎはギボシ。これは擬宝珠(ギボシとかギボウシュと読む)のことだそうで、橋の欄干などに取り付けられた葱坊主のような装飾のことだそうです。この山の形状からこう呼ばれているとのこと。なお権現岳は、東峰と西峰(ギボシ)の双耳峰という見方もあり、また三ツ頭も含めたファミリーという見方もあるそうです。

 ギボシの中腹まで数分登って、しばらくはトラバースです。クサリ場が続きます。きわどい場所はありませんが、つまずいたりしてはいけません。しばらくは慎重に、やがて危険地帯は終了し、樹林帯に入れば青年小屋に到着。徒歩5分のところに「乙女の水」という水場があります。おいしい水がジャアジャア出ています。

 青年小屋の「遠い飲み屋」ちょうちんのすぐ脇のベンチで湯を沸かし、カップ麺で昼食です。が、風が強くてなかなか湯が沸きません。たった1リットルくらいなのに15分たっても沸騰しません。70℃くらいかな、まあ良いや、お湯を注ぎます。1分くらい、もう良いや、食べちゃいましょう。モソモソしているけれど、カップヌードルはおいしいですね。石油タンパクと言われていた四角い肉が、焼き豚もどきになってしまったことは残念だけれど。

 青年小屋の玄関前にドコモのアンテナがあるのですが、どういう訳かつながりません。もちろん私のauはただの箱。下山のタクシーを予約したかったのですが、しかたなく先に進みます。小屋から巨岩をぬって歩き、しゃくなげを左右に見ながら標高をあげます。最後なので疲労もたまり、けっこうきつい、ハァハァ。10時36分に今回最後のピーク、編笠山に到着です。この日は北アルプスの槍穂方面や木曽御嶽山、中央アルプスは良く見えていましたが、そう言えば目の前の南アルプスはほとんど雲の中でした。

 編笠山で相原さんの携帯がつながり、タクシーの予約。12時半観音平グリーンロッジでお願いします。コースタイムは2時間半だけれど、2時間もあれば多分大丈夫でしょう。10時40分に下山開始です。

 会社に入って5〜6年だから、今から30年くらい前、会社の友人とこのコースを歩いたことがあります。行者小屋に泊まって、赤岳〜権現岳〜編笠山まで順調に来ましたが、編笠山頂上標識の前の道をなにげなく下ってしまいました。頂上から小淵沢方面と富士見方面に下る2本の道があるのですが、その時は小淵沢のみと思いこんでいました。10分くらい(100メートルほど)下ったところで間違いに気づきました。地図で確認すると、富士見方面に向かっているが、まあ大きな間違いではなさそうなので、そのまま下りました。八ヶ岳鉢巻き道路に出たらバスか何かに乗ればいいじゃない。いやはや、とんでもなかったです。バスなんてあるはずないのです。公衆電話がないのでタクシーも呼べません。午後の照り返しの下、つまらない車道をヒタヒタヒタヒタ1時間くらい歩きました。そしてようやくヒッチハイクに成功し、1000円くらい包んで駅まで送ってもらいました。

 編笠山頂上直下は岩がゴロゴロしていて、ちょっと危険な場所が続きます。30人くらいの高年団体とぶつかりましたが、有難いリーダーの配慮で優先的にすれ違いをさせてもらいました。はじめは1分に10メートル下降というペースでしたが、傾斜がだんだんと穏やかになるとかえってスピードが出ます。1分15メートルが普通になり、20メートル下れる場所もありました。

 途中、編笠山山頂を通らない巻き道との合流点で10分ほど休憩。だんだんと歩きやすくなってゆく道をひたすら下ります。12時ころには明らかに観音平近くまで達しました。そして樹間から駐車している多くの車が見えました。12時13分、観音平到着です。お疲れ様、無事終了、でも何か変です。グリーンロッジが見当たりません。タクシー予約がグリーンロッジですから、早く行かねば。駐車場の奥のほうなのか、手前のほうなのか。看板によると私たちは観音平にいる、そしてすぐそこにグリーンロッジがあるはず、でも何もないのです。困りました。あ、そうだ、2005年にここに来たとき、グリーンロッジは営業していなかった。もしかしたら取り壊されたのでは?

 なんとか無事にタクシーに乗車できました。運転手に聞いてみたところ、確かに昨年取り壊したとのことでした。道の駅にある「延命の湯」で汗を流し、もう一度タクシーで小淵沢駅へ。大好きな丸政の駅弁とビールを抱え、14時過ぎの各駅停車で帰りました。
 
 交通機関の発達や金銭的な余裕ができたことなどが理由なのか、最近の八ヶ岳はあまり元気がありません。表銀座コースとか、穂高岳方面のほうが人気が高いかも知れません。八ヶ岳はスケールが小さいと言われることもあるようです。でもさすがは腐っても名山です(腐ってないが)。天候に恵まれれば必ず満足させてくれます。恵まれなくともそれなりです。今回、ほぼ当初の予定通りに行程をこなすことができましたが、また近いうちに訪れても良いなと思いました。見直したぞ、やっちゃん。

写真はこちらです。


常盤