◆平成25年夏の山行(南アルプス)報告   

  常盤(豊)さんから夏の山行(前半)の御報告を頂きましたので掲載いたします。

 
日程:平成25年7月25日〜29日

メンバー:三木、平石、石井、沼田、松田、和田、田中、常盤(記)



<7月25日>

 沼田さんのマイカーに、三木さん・平石さんが同乗し、長野県飯田市の民宿に夕方到着、前夜祭を行いました。

 他の5名は、新宿18時発の高速バスで飯田に22時過ぎに到着。タクシーで民宿に向かいました。民宿「若松」、素泊まり3150円。



<7月26日>

 4時起床、4時半に予約したジャンボタクシーで易老渡に向かいます。沼田さんは直前に膝を痛めたとのことで、今回は登山はパス。ひとりで木曽方面にドライブです。

 6時前に秋葉街道の「梨元ていしゃば」という場所に着きます。かつて、遠山森林鉄道の起点だったところです。遠山川上流から木材を運搬し、ここでトラックに積み替え、飯田線・平岡から列車で運び出していたそうです。かつてと言っても、昭和30年台がもっとも盛んで、40年末まで運行していたと言うことでびっくりです。私が大学に入学したころであり、当時から本当の鉄ちゃんであれば、きっと乗りに行っていたはず。40過ぎてからの「にわか鉄」にとって、過去を取り戻すことはできません。

 ここで通行止め箇所の鍵を受け取ります。易老渡・便ヶ島方面への道は、土砂崩れで1年以上通行止めでした。補修は今年のシーズン前にようやく完了したのですが、法面にあらたな亀裂が見つかりました。マイカーは、係員が誘導する朝8時半まで通行できません。ところがタクシーは特別な指導を受けているので、その前に通行可能なのだそうです。少しは地元にお金を落としなさい、ということでしょう。それはそれで結構なことですが、知らずにマイカーで進入し、施錠地点で規制を知り、さらにはタクシーが優遇されているのを見れば怒りたくもなるでしょう。実際、そのような方を見て、タクシーの中から「イェーイ!」とやってしまった自分が恥ずかしい。

 易老渡に7時前に到着し、標高差1500メートルの登高の始まりです。50分ほどで300メートルくらい登れます。なかなか登りやすい道でしたが、易老岳が近づくと険しい部分が多くなります。易老岳に13時前着、13時過ぎに出発。しばらくは穏やかな登り下りが続き、イザルガ岳への200メートルのきつい登りを終えれば、この日の行程はほぼ終了です。静高(しずこう)平の水場で給水する予定でしたが、渇水で一滴もなく、そのまま光岳小屋に直行しました。小屋に着いて30分ほどで雷雨となりました。濡れないで良かったです。小屋は自炊。多くの方が「尾西のアルファ米」を夕食にしていました。結構おいしいです。ぬるいビール(350cc)が600円、おおいに不満の残る価格設定です。前夜の睡眠不足と疲労で、7時ころに眠ってしまいました。

 さて、今回の装備です。易老渡付近はヤマビルが生息しているとのことで、ヤマビル忌避剤です。私と和田先輩は「ヤマビルファイター」、松田先輩は「ヒル下がりのジョニー」という、どちらもすごいネーミング。ヤマビルなどいないほうが良いに決まっていますが、途中1匹しか目にしなかったので、少々拍子抜けでした。また、山小屋の寝具にダニがいたら嫌なので、田中君にダニアースを持ってきてもらいましたが、眠くてそんなことをやっている暇がありませんでした。さらに虫刺されに、強力ステロイドの「フルメタ軟膏」、スズメバチに刺された場合に「エピペン」、万一の心筋梗塞に備えて「ニトログリセリン」まで、ほとんど田中君が用意してきました。コッヘルとコンロ、今はクッカーとストーブと言います。これの一体型になったジェットボイルという高価な商品があります。あっという間にお湯が沸きます。石井さんと田中君がジェットボイル、私が中国製のまがいもの、和田さんが普通のセットを持参。確かに、あっという間にお湯が沸いて、回りに吹きこぼれて困りました。



<7月27日>

 4時前に起床、食事を済ませて5時過ぎに出発です。光岳まで20分、さらに光岩まで10分くらい。どちらも予想通りフムフムという感じ。小屋に戻り荷物を背負って出発です。前日パスしたイザルガ岳に登り、易老岳へ登り返します。このあたりから少し雨模様となり、雨具を着用。しかし次の希望峰のあたりで天候回復、雨具はしまいます。茶臼岳を過ぎ、きつい登りを経て上河内岳(稜線からはずれている)を往復し、長い下り坂をこなせば聖平小屋です。しかし小屋まであと10分、建物が見えている場所で再び雨。どしゃ降りになればずぶ濡れ必至なので、再び雨具着用。まあ、たいしたこともなく聖平小屋に着きました。

 この聖平小屋、10年ほど前に泊まったことがあります。はっきり覚えているのは夕食の貧困さです。「ただのカレー」、おかわりなし。食堂にビール持ち込み不可。最低ランクの小屋でした。しかし経営者(管理人?)が変わり、上等ランクの小屋になっています。そこそこおかずのある夕食、ビールはキンキンに冷えていて500円(光小屋とは大違い)、説教じみた説明はなし。これでトイレが近かったら満点なのですが。MK先輩は、玄関の近くで済ませたそうです。なお、宵の口はしばらく雨が残っていましたが、東京では隅田川の花火大会が中止になるなど、大騒ぎだったようです。もちろん、下山してから知ったことです。



<7月28日>

 3時半に起きて、4時過ぎに出発です。この日は聖岳に登って、便ヶ島まで標高差2000メートルを下り、13時予約のタクシーに乗り、風呂に入って、飯田17時04分発のバスに乗らねばなりません。特に和田先輩は、翌日は普通の勤務です。聖平小屋から30分ほどの薊畑(あざみばた)で荷物を置いて、聖岳を往復します。いくら空身でもそりゃあきついです。7時過ぎに聖岳到着。天候はまずまずでしたが、お隣の赤石岳は、頂上付近が雲に覆われていました。中央アルプス、木曽御岳山、恵那山は確認できましたが、北アルプスはまるで見えませんでした。中央アルプスと言えば、韓国人の20名のパーティがこの日に入山し、空木岳を経て、木曽殿山荘に泊まっています。翌日、檜尾岳付近で3人、宝剣岳で1人が亡くなったということです。

 とにかく長い下りです。聖岳3015メートルから、便ヶ島970メートルまで、まったく嫌になります。薊畑で荷物を担いだときは、ちょっと悲壮な決意でした。この下山道、上部は穏やかな尾根ですが、中盤から非常に険しい道になります。各所に転落防止用のネットが張ってありますが、過去の事故が想像できます。最後に、落葉松の植林になると、とたんに整備された仕事道になりました。西沢渡で沢を渡り、遠山森林鉄道の軌道跡の緩やかな登山道40分(土砂崩れで、危険な場所が何ヶ所かあり)で、下方に便ヶ島の聖光小屋が見えてきました。タクシーさんごめんなさい、30分ほど待たせてしまいました。ただ、聖岳頂上付近で電波がつながり、「予約した私たちです。順調に下っています。万一遅れても、必ず行きます」との連絡ができていたので、30分遅れはまあ勘弁してくださいね。

 あまり時間がありません。とりあえずの打ち上げは、タクシーの中。聖光小屋で買ったビールと、ほんの少しの乾き物で乾杯。タクシーは1時間以上かかって遠山郷の和田という町に入りました。私と田中君はここで下車します。以前からの習慣で、下山したら下の町で一泊なのです。和田の中心部にある、大島屋旅館という、地域ナンバーワン旅館に泊まりました。3階建てで、まわりを睥睨するようなりっぱな旅館です(料金は2食付で7500円)。旅館の前でタクシーを下りましたが、先輩方は予定通り、「かぐらの湯」で一浴し、ふたたびタクシーに乗って、飯田に16時過ぎに到着したそうです。

 私たち2人は、旅館で入浴後、町中にある「星野屋」という山肉専門店に行ってみました。今回の山行の目的のひとつが、「遠山郷で獣肉を食べる」でありました。本当は熊肉を食べてみたかったのですが、予算の関係で鹿肉にしました。くせのない、普通の肉でした。相手をしてくれた女将さんは、私より4才おねえさんで、となりの上村出身だそうですが、色白でたいそうな別嬪さんでした。中学生のとき、村から歩いて聖岳登山の経験があるそうです。計算すると昭和39年、東京オリンピックが開催された年に当たります。東京が、戦後最大の水不足だった時です。車を使わず、軌道上をすべて歩いたそうです。便ヶ島までの30キロを一日歩いたのでしょう。さらに聖平まで一日、頂上往復して便ヶ島まで一日、そして軌道を一日かけて帰ったのでしょう。



<7月29日>

 またまた早起きです。6時前にタクシーが来ます。4時半に起きて風呂に入り、身支度をして5時半朝食です。5時55分にタクシーに乗り、飯田線平岡駅に向います。小雨模様です。6時22分飯田線下り列車に乗車。この飯田線に乗るのも今回の目的のひとつです。当然いちばん前のかぶりつき席です。天竜川の谷あいから、伊那谷の広い平野に出ます。飯田の中心部に近づくと、線路は左に90度曲がり、さらに右に90度曲がります。町の中心部を避けるように大回りです。どうしてなのでしょうか。鉄道が嫌われていた名残りではないか、田中君の推測です。飯田でバス中用のビールとつまみを買い込み、高速道路4時間で新宿です。ここで別れましたが、田中君はそのまま出社だそうです。やはり、えらくなるヤツは、心がけが違います。このころ檜尾岳では悪天候で悲劇が、和田先輩は筋肉痛での出社で悲劇が起こっていたそうです。毎日毎日早起きしました。良くもまあ、夕方まで歩いたもので、自分をほめてやりたい気分の山行でした。

  以 上