◆2013年 野歩の会 夏の山行報告(その1・夜行組編)   

  常盤(豊)さんから夏の山行(白山)の御報告を頂きましたので掲載いたします。

 
日程 8月23日(金)〜26日
参加 鈴木(義)、阿部、佐藤、篠原、三木、平石、沼田、田尻、斉藤(隆)、斉藤(恭)、和田、大芝、玉木、常盤(記)



 今年の夏の山行ですが、少々趣向を変えて、加賀の白山と決定しました。世間では加賀と言いますが、実は稜線が越前との国境であり、飛騨にも展開する巨大な山塊であります。しかし、登山者のほとんどが、金沢〜市ノ瀬(白山温泉)〜別当出合経由で、頂上直下の室堂へと向います。

 日本でいちばん偉いのは富士山、それでは二番目は?であります。答えは少々難しい。司馬遼太郎ファンでないと回答不能でしょう。それは、「日本で」であるのに、日本でない、中国の旅順にあるちいさな丘です。そう203高地。ご存知、坂の上の雲、おわかりでしょうか?日露戦争終結後、乃木希典大将は激戦地であった203高地に対して、爾霊山という字をあてて、漢詩を作っています。爾靈山嶮豈攀難, 男子功名期克艱。 銕血覆山山形改, 萬人齊仰爾靈山。(乃木大将は旅順攻撃でふたりの子息をなくしています)

 話が横へとそれてしまいました。二霊山です。いちばんが富士山、二番が203高地(爾霊山)なのです。そして、ようやくたどり着きました、三霊山であります。それが、富士山、立山、白山なのです。すべて宗教にからむ山ですよね。ううむ、今回、勉強不足で、あの「講」とは何なのか?よくわかりません。次回までにきっと調べておきます。まあ、Wikiのコピペ、お馬鹿な大学生レベルではありますが。

 いきなり実施10日くらい前に話は飛びます。中村先輩から、アキレス腱を切断して入院、奥様ともども参加見送りの連絡。2日前、田中後輩から、夏風邪をこじらせて参加見送りの連絡。同日、生田後輩も会社の激務により参加見送り。夜行バスに乗るべく、渋谷に向っていた電車の中、キムコ後輩より、「ほんとに雨天決行なのですか?」電話。数日前から、夏の終わりを告げる集中豪雨が続き、翌日も大雨の予報でした。久しぶりに血が騒ぐ。(これより博多弁で)「何じゃとう?雨がどうしたバイ。これしきの雨がなんぼのもんジャイ。雨天決行、血行、結構バイ。」(大阪、佐賀などが混じっているかもしれません)。

 金沢へ行くバスが渋谷から出発するのです。井の頭線の入っているビル、渋谷マークシティ5階から出発するのです。春日三球・照代の漫才がスッと出てきますよね。地下鉄の電車はとこから入れたの?、それを考えると眠れないらしい。マークシティには、どうもバスが入る巨大なエレベーターがあるらしい。

 岡本太郎の巨大な絵の前、斉藤先輩、和田先輩、常盤が集まり、近くの居酒屋で軽くやります。金曜の夜でどこも大混雑。適当に安っぽい居酒屋を選んだのですが、となりの席の客がうるさくてかないません。そこへ、待ってましたイクタちゃん登場。山行は断念するが、せめて見送りだそうです。イクタ!大声返しで、となりの客をやっつけてやれ!ブルンブルンとイクタちゃんのエンジンがかかりました。こっちも大声は負けません。しかし我々、大声ステレオ攻撃で、ヘトヘトになってしまいました。

 キムコさん、遅れて登場。リュックサック、Tシャツなど、山の格好はしているのですが、なんとも煮え切らない様子。バス乗り場近くまで来ていながら、行くべきか行かざるべきか、まだ揺れています。ここから先は家庭の事情なので、詳しくは書けません。たとえば、家に焼きもち焼きの情夫がいて、家を出るときに、「山に行くなんてうそだろう。男がいるんだろう。帰ってきたら殺してやるからな」と脅された、とでも想像してください(本人の名誉のため、事実とはちょっと違います)。そして斉藤先輩の助言もあり、きっぱり断念。バス停に直接向った大芝後輩と合流し、いざ、金沢へ向ってバスは出発しました。しまった、うっかりしていました。バスが大型エレベーターで地上に下りたかどうか、確認するのを忘れていました。

 朝6時前、金沢駅東口到着。前夜、金沢のAPAホテルに泊まった、三木、平石、沼田、田尻先輩たちと合流です。APAホテルって良いゾウ、豪華だゾウ。そっそ、そうですか。東横インより豪華ですか?そういえば玉木後輩はどこにいるのかしら?携帯、携帯っと。えっと、電話帳…。げげっ、番号登録してないじゃん。ちょっと困りましたね。

 金沢APA組はそのままマイカーで、夜行バス組は6時45分発、別当出合行きのバスに乗ります。雨は降っていないが、雲がモクモクしています。っま、大丈夫っしょ。これから回復。ところが発車直前、運転手から無常の通告が。「バスは白峰温泉(市ノ瀬の10キロくらい手前)までは行くが、そこから先は通行できなくなっている。通行できるようになるのが何時になるか不明」。しかたない、とにかくそこまで行きましょう。バスは快調に飛ばして、白峰温泉8時10分ころ着。

 「多分、午前中は無理ですよ。ただしもしも通行できるようになったらすぐに発車しますので、ここ(バスの発着所)にいて下さい。決して温泉街のほうに行ってはいけません」。乗客たちは、その指示に従って、待合所、バスの中などでおとなしくしています。しかし我々、老い先それほど長いわけではありません。そんな悠長なことは決して受け入れられません。しかもそれぞれリーダー経験者ばかり。この困難にどのように対処すべきか、意見が飛び交います。

 8時40分ころ、ついに結論がでました。およそ1時間後の9時42分、このバス停発、金沢方面(鶴来)行きバスがある。それまでにバスが通行できるようであれば、市ノ瀬〜別当出合へと向う。解除されなかったら、そのバスで金沢に向う。要するに名誉の撤退。しかし、市ノ瀬永井旅館には、5名の方々が待機しています。別当出合にも行けないし、下山することもできません。そこで我々が下した結論は、「泣いて馬謖を切る」でした。多数の利益(金沢で昼宴会を催す)のため、前線(市ノ瀬)に残った兵を見捨てたのでした。南極越冬隊員、タロ・ジロみたいです。

 お昼過ぎに金沢に戻ってきました。三木先輩が前夜みつくろってくれていたらしいのですが、駅から数分に立地する、「高崎屋」という見るからに高級そうな料亭になだれ込みました。なお、この時点では、APAホテル組4人と夜行バス組4人です。山小屋宿泊費が浮いたわけで、少々高くついてもかまいません。でも、注文するのは、枝豆、冷奴、冷やしトマトが基本。そして、日本海産の刺身盛り合わせ、さらには岩牡蠣、ひとり一人前ずつ!!(あとで聞きました、この岩牡蠣一人前、2500円だって)。多分、あとほかにも頼んだと思いますが、思い出せなくて…。

 これからの予定を決めます。このまま、夕方の電車で帰る人、私を含めて3名。あとは全員金沢に泊まります。翌日(8月25日)の行動は、各自で。さらに、白川郷でもう一泊する何名か。3時ころ、見捨ててしまった、市ノ瀬温泉組が、通行解除となって、金沢に下ってきました、高崎屋へ。先輩、お待ち申し上げておりました。我々3人(田尻先輩と大芝後輩と私)は、まもなく失礼致します。大芝後輩、こっそりここまでの代金を調べます。なんと9万円くらい。私たち、ひとり9000円(だったと思うが、はっきり覚えがありません)を支払い、金沢駅に向ったのでした。合流した5名の飲食を含めると、支払いは合計13〜14万円でしょうか。お店にとっては、ヒマなお昼過ぎ、降ってきたような上顧客だったと思われます。


 なお、気になっていた玉木後輩ですが、通行止めの時間、バスが止まっていた場所のほんの1キロくらい先に居たそうです。マイカーが通行を制限されていた先頭付近。まるで「君の名は」みたい。お互い数奇な運命に翻弄されました。我々が撤退したことを知らず、通行止めが解除になった11時過ぎにシャトルバスで別当出合に行き、ふつうに白山登山を完遂したそうです。来年の夏は、白山リベンジで決定らしい。ドラフト拒否で一年待った菅野投手みたい。来年は活躍できると良いですね。さて、私の報告は以上です。夜の金沢、文化の街金沢、そして、白川郷となります。

(続きの行動などにつきましては、和田さんの記録その2・金沢編、斎藤さんの記録その3・前泊組編もあわせてご覧ください。)

  以 上