◆夏合宿 A班の山行報告    

  和田(則)さんから夏の山行の報告を頂きましたので掲載いたします。

 
  • 私にとって中央アルプスは初めての山域だった。北や南のアルプスと比べ山が浅く、ロープウェイも通じているので、「そのうちの山」となっていた。最近、南部の越百(こすも)小屋がマスコミに取り上げられ、気になり始めていたため、常盤さん苦労の企画に感謝。
    6月に新しい会社に再就職し今年は参加は無理と思っていたが、金曜日の夜行バスで土日をフルに使い、参加できて喜んでいる。
  • A班の山行は、快晴下、木曽駒ヶ岳の古典的なコースをたどり、メインコースから外れ客の少ない昔風の山小屋でのんびりと一泊、翌日は360°遮るもののない展望を満喫し、雲上散歩。駒ヶ岳に着くと人・人・人にびっくり、ロープウェイの混雑は危うく逃れ、短い日程ながら満足度の高い山歩きとなった。
  • 3日(金)の伊那の宿は、夜は開け放った窓から涼しい風が流れ込み快適に眠れた。4日(土)、宿で朝食をとり、タクシーに分乗し桂木場(かつらこば)に向かう。登山口は標高1280m。大きなザックの若者らに集合写真を撮ってもらい、出発。本日の目的地・西駒山荘(標高2685m)まで5時間の登り。北アルプス並みの登高差がある。山道には標高100m毎に表示板が立っていて心強く重宝した。
    稜線の「胸突ノ頭」まで樹林帯を登る。中間地点「馬返し」まではカラマツの植林にゆったりと切られたジグザグ道を歩く。その昔、荷馬を引いた往来の面影を残す山道である。2か所ある湧水の水飲み場でのどを潤し快適な山歩きだった。
  • 「馬返し」から先は自然林の山道。右の樹間から重なり合った槍ヶ岳と穂高岳が望めた。大樽避難小屋に着くころは日差しが一層強くなり気温も上がり、体はだるい。覗いた小屋は整理整頓され気持ち良いもの。山道にはゴゼンタチバナの花が目立ち、「胸突八丁」になる。特別厳しいという急登ではないがつらい1時間40分、モクモク歩く。常盤さんと同様に元気な奥さんには60歳代グループの先を歩いてもらった。
  • フーフー言いながら、「胸突ノ頭」に到着。ここまでくれば、あとは稜線の巻道のみ。しかも、道の両側にはクルマユリ、ハクサンフウロ、ウサギギク等のお花畑、甘い花の香りが漂う小道が待っていたものの、近くみえても長いのが山道の常。
  • 西駒山荘前でAさんが立って手を振っていた。お元気な様子。山荘でAさん、Bさん、Cさんと合流する予定。Aさんは、千畳敷から稜線上の乗越浄土に上がり、「巻き道コース」で山荘を目指そうとしたが、コースの入口が不明瞭だったため、中岳、駒ヶ岳と2つの山を越える「稜線コース」で先ほど到着とのこと。再会を喜ぶ。
    Bさんから携帯電話が入った。Aさんと同じく乗越浄土に上がり西駒山荘を目指したが、「7合目」の標識を見て、道の間違いに気づいたという。「7合目」は沢コースと尾根コースの2か所にあり、電話を受けた当方はいくらか混乱した。歩いた道を戻っていただくことにした。
    中々到着しないCさんとは携帯で連絡が取れた。乗越浄土から「巻き道コース」の入口を探すため、宝剣小屋近くまで行き、「巻き道コース」に入ったと連絡。17時に山荘に到着。高速バスとロープウェイの渋滞に遭遇したとのこと。
    3者三様、これが常盤さんの報告にあった「小さな事故」の顛末。私も思い込みで歩きだしてしまったことや方向感覚がずれた体験を持っている。交通機関の混乱による影響を受けることがあった。お互いに気をつけましょう。
  • 西駒山荘は、大正2年の学校登山中の暴風雨で児童ら11名が死亡する遭難事故を機に、地元の寄付により避難小屋として建設された。この遭難は新田次郎の「聖職の碑」の題材となる。小屋はその後増築されたが建設当時の石室は今も宿泊用として使用。来年建替え。古典的コース上にある山荘もロープウェイができて登山者の流れが変わり、外れの山小屋となってしまった。おかげで空いており、ゆったりとできた。
    そのような山荘は環境配慮に力を入れおり、名物のカレーを食べた後は、全員がキッチンペーパー1枚でカレー皿をきれいにふき取る勤めがあった。トイレはビニール袋の底に紙おむつをとりつけた用品を1枚100円で購入。都度使用し、一切トイレに落とし込まないその徹底ぶりに驚く。また、周辺はコマクサの宿というにふさわしいほど、群馬白根から移植した深紅のコマクサが繁殖していた。
  • 5日(日)は、4時に目が覚め外に出ると、夜明け前のドラマが始まろうとしていた。山荘隣の小山、将棋ノ頭からは、正面に浅間山。浅間山から右周りに、蓼科山、北八、南八ヶ岳、奥秩父の山々、鋸岳を控えた甲斐駒ケ岳から南アルプスの南部の山々。左回りに、美ヶ原、中央アルプスの北方の山・経ヶ岳、鉢盛山、後立山、立山剣らしき山、槍穂高、笠が岳、乗鞍岳が広がる。日の出は八ヶ岳からだった。
  • 山荘の主人に集合写真を撮っていただき、出発。出発してすぐに、コースから外れた将棋頭山(将棋ノ頭とは別の山)に寄った。朝の澄んだ空に広がる展望。雲一つない快晴に大満足。稜線に戻り、進むとすぐに、巨石に刻まれた当時の11名の遭難記念碑とレプリカ石碑が御嶽山を望める場所に建てられていた。
    稜線歩きは、南アルプス全山の大パノラマを左手に見ながら歩く。「馬の背」にかかると、御嶽山と乗鞍岳を右手に従えながらの登り。遠い山々に雲が上がってきたころ、駒ヶ岳の肩に到着。ここまで2、3パーティとすれ違っただけのお山独占状況。肩では、遠くに広がる雲の上に飛び出した。空に抜けてしまった感覚を持った。
    200、300mの先には観光客が列をなす宝剣山荘から駒ヶ岳への山小道が目に飛び込んだ。これは大変な賑わいだ、混雑だ。富士山と同じだ。のんびりしていられない。
  • 木曽駒ヶ岳山頂で石井さんが我々に手を振っていた。今朝、東京を立ち登ってきた。山頂でメンバー全員と合流。ガスがかかってきた山頂を後に千畳敷へ下ることにした。千畳敷へは下る人と登る人が交錯し渋滞となっていた。その先のロープウェイが思いやられた。

写真はこちらです。
  以 上