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日 程 |
平成25年4月13日(土)快晴 |
コース |
JR相模湖駅 = 石老山入口− 顕鏡寺 − 桜山コース − 石老山 − 篠原集落 − 石砂山 − 菅井集落 = やまなみ温泉 = JR藤野駅 |
同行者 |
阿部、佐藤、斎藤ご夫妻、和田(記) |
- さわやかな春空のもと、「春の花」と「芽吹き・新緑」と「さまざまな展望」と「春の女神・ギフチョウ」と「のどかな山里の春」と盛り沢山を楽しんだ。石砂山山頂以外は登山者が少なく里の春山を独占。案内に書いた「微妙な出会い」は、ギフチョウに遭遇でき、ヤマヒルには遭わなかった。
- 前夜の天気予報は3月並みの陽気とのこと。早朝は淡路島・震度6弱の緊急地震速報に慌て、いくらか着込んで家を出る。電車は登山者で一杯。相模湖駅前では地元、与瀬神社の春祭りの山車とお囃子がお出迎え。一方、駅前広場に登山者も町の人もいない。この時期は人気がないようだ。登山者は高尾と藤野、上野原方面に向かったのだろう。
- 三ヶ木(みかげ)行きのバスも、我々以外には登山者は2、3名しかおらず、静かなハイキングが始まった。バスを降り緩やかな里道を歩き始めると、菜の花と芽吹きの雑木林、ウグイスのさえずりが出迎えてくれて、我々は一気に春に包まれた。
- 全コースにわたりタチツボスミレ、ヤブレガサ、マムシグサが目についた。清楚でかわいい姿のヒトリシズカ、森の中に春色で目立つミツバツツジ、ヤマツツジなどが所々で花をつけていた。ミヤマカタバミ、ホウチャクソウ、シャガもあと1、2週間で花をつけそうだ。
- 石老山は杉とヒノキの山である。山名は顕鏡寺の山号に由来する。平安時代に創建された顕鏡寺は参道が石畳の道で、湿っぽい林床にシャガが広がっていた。「屏風岩」「仁王岩」等謂れのある奇岩が立ち現われ、昔人の想像力に感心する。
- 顕鏡寺には「蛇木杉」「大銀杏」の2本の大木がある。寺の先で本道を分け、1、2年前に造られた「桜山コース」に入った。年中緑濃いこの山で、このコースは光があふれ、木々の若葉が美しい落葉の森。期待のヤマザクラはすでに葉桜となり残念。しかし、津久井方面の眺めは素晴らしい。左手に南高尾山稜が広がり、右奥には津久井の城山がオムスビの形で鎮座、ふもとには家々や畑が新緑の林に囲まれている。里の春を俯瞰した。
- 澄んだ日差しと柔らかい新緑の道が旧来の道と合流し、まもなく融合平見晴台に出た。葉桜に囲まれた見晴台は相模湖と陣馬山、生藤山、笹尾根のビューポイントだ。ここでおいしいお菓子をいただき、再び歩き始める。
- 森の中を小型のアゲハ蝶が慌ただしく飛んでいる。アゲハだが飛び方に優雅さがない。色と模様からギフチョウだと決めた。間違いはない。石老山にもいるのだ、この山中で3、4回遭遇した。動きが早いので写真に収めるのは至難の業。道脇に地味な花をつけたクロモジの折れた小枝からは麗しい?香りが漂った。クロモジは楊枝の木だ。
- 2、3人以外に出会うことなく山頂に着く。予想に反し山頂も空いていた。拍子抜けだ。南と西の方角が開け、正面に丹沢・蛭ヶ岳と主脈の焼山の大きな尾根。右手に大きな三角山、大室山が独立峰のごとくそびえ、右肩に白富士が顔を出していた。眼下には雑木林の山・石砂山の双子山。蛭ヶ岳の左手、鬼ヶ岩の尾根上部に積雪期に白馬(代馬)の雪形をつくる草原を確認。お湯を沸かしコーヒーで昼食。
- 下山の定番コース・大明神展望台への下り道を分け、篠原集落へ。大明神展望台の眺望は想像を超えるものがあり、大気が澄んでいる冬がお勧め。我々は緩急を繰り返しながら篠原に下る。
チゴユリやシュンランを見つけ、春祭りの打ち上げ音や犬の鳴き声が聞こえてきたと思うと、突然、集落の一角に出た。そこで目にしたのは昔話に出てくる里の風景であった。モモ、シダレザクラ、時期遅れのウメが咲き、桃源郷のようだ。みんなでうっとり。
- 民家の表札には「○○屋」の表示。話を聞くと篠原の住民はみな佐藤姓であるため、屋号で呼び合っているとのこと。統一形式のしゃれた表札には「○○屋」「○○前」「○○下」等と書かれていた。本名の表記などない。初めて目にしたものだから、痛く感激。
- 石砂山は落葉広葉樹林の山である。登山口で一服しているとカメラマン数名が仰々しいカメラを提げやってきた。ギフチョウ狙いである。尋ねると「今年は孵化が早く、もう終わりのようだ」とのこと。石砂山で遭えないのは残念だが、石老山で出会えたからよしとする。
ギフチョウはかつて東丹沢のふもとにも生息していたが、1960年代から激減し、神奈川県内ではこの周辺のみに生息し、県の天然記念物とのこと。登り始めの植林帯を抜けると山頂までゆるやかに新緑の中を進む。右手の樹間に、遠く生藤山、笹尾根、三頭山、御前山らしきを展望。直下の急登を一所懸命登ると山頂。
山頂はツアー登山客で一杯。周辺を舞っていたギフチョウは、団体が去ると、スミレに止まった。シャツターチャンスだと、Sさんと私は「バシャ」「バシャ」とカメラを向けた。
山頂の正面に焼山と丹沢三峰。そして「ヤマヒルに注意」の立て看板。味のある小さな山頂だった。
- 菅井集落へはまじかに相模湖カントリークラブを見下ろす、本当に緩やかな下り道だった。支尾根の伏馬田城跡は省いた。城は戦国時代に北条方であった尾崎一族の砦跡。石碑があるのみ。北条が敗れたのち、尾崎氏は津久井に居を移し、子孫が「憲政の神様」尾崎行雄。
集落近くには、御岳参道で見たような、地名の昔名を表記した札が立てられていた。「経塚」や「北角」などはわかるが、「人潰れ」は由来がわからない。興味がある。築城の生贄の場所か、山崩れ場所か。
- 集落内はスイセンも、ハナモモも、シダレザクラも一緒に咲いている。春が一気にやってきた。今かと藤棚も大きなつぼみを山ほどつけていた。
- やまなみ温泉まで歩くつもりが、午後2本しかないバスが運よく来た。100円を支払いバスに乗った。温泉で筋肉をもみほぐし、全身に染み渡るビールで乾杯し、バスで藤野駅に出た。高尾方面の跨線橋を渡ると西方向の扇山に夕日が沈むところ。
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