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日 程: |
平成27年2月21日(土)快晴、22日(日)ガス |
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コース: |
21日:茅野駅 =バス= 車山高原(スキー場)− リフト −車山山頂 − コロボックルヒュッテ(泊)
22日:コロボックルヒュッテ − 沢渡 −車山湿原 − コロボックルヒュッテ = タクシー =上諏訪駅
※冬期はヒュッテのある車山肩へのバス便はない。除雪されていれば上諏訪から車で入れる。 |
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同行者: |
中村、篠原、阿部、佐藤、三木、斎藤ご夫婦、吉川、北島、生田、高水、中村(陽)、和田(則)(代記) |
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- この企画は中村さんが「思い出の山旅」第2弾(第1弾は昨夏の夏油温泉)として計画されました。野歩の会の第1回秋合宿は霧ヶ峰のコロボックルヒュッテに宿泊したそうで、50年前の思い出に浸かりたいと、ヒュッテ(定員12名)を貸切ったものです。また、一昨年3月に中村さんの私的企画で行った奥日光スノーシュー・トレッキングが素晴らしく、もう一つのスノーシューゲレンデ、霧ヶ峰で楽しもうというものです。そのような事情から中村さんの同期や例会の面々に声がかかりました。
(後日泊まったのはコロボックルヒュッテではなくホープロッジと判明)
この報告は3月例会で、中村さんから和田に代筆を依頼されたものです。
- この山行は真冬の霧ヶ峰の寒さと強風が気がかりでした。また今冬から冬期営業を始めたヒュッテの体制に不安がありました。しかし、初日の大快晴と大展望、そして暖かくアットホームな雰囲気のヒュッテ、穏やかな2日目とガイドのサポートで雪山を楽しめました。2日目が晴れていれば、さらに楽しさ十二分だったと思います。
この企画には、新たな試みが2つありました。ひとつはスノーシュー・トレッキング。今まで我々の会にはなかった冬の山の楽しみ方で、これからが楽しみです。
2つ目は、地元ガイドにサポートを依頼する山歩きです。中村さんらはすでに真夏の八甲田でガイドを頼み藪漕ぎトレイルをしています。ガイドのサポートはチャレンジする山歩き、活動範囲を広げる山歩きでは安全確保等の面から、選択肢のひとつとなります。
- 和田は膝と尻の痛みから治療に専念の1年間で、まだ完治していません。しかし、「コロボックルヒュッテ」と「スノーシュー・トレッキング」と聞いて、気持ちを奮い立たせ参加。ヒュッテのオーナー手塚宗求(むねやす)氏(3年前に他界)が昭和55年前後に出版した随筆「邂逅の山」「遠い人遥かな山」で同氏のファンになりました。また、若い頃は、冬山へはワカンか山スキーで入りましたが、スノーシューは経験がなく、一度履いてみたかったからです。
痛んだ体に悪影響の可能性がありましたが、行きたいという気持ちが勝ったのです。
- 21日は快晴。新宿発の列車からは、雪をかぶった山々が神々しく見えます。10時過ぎに茅野駅に到着し10時25分発のバスに関西から来られる篠原さんを除く12名は、全員座れました。ところがほかの客が乗りきれず、団体様ご一行は増発の貸切バスに乗り換えとなりました。蓼科山の大きさに驚き、白樺湖畔を過ぎると車山スキー場に着きます。
- 車山スキー場は小さなスキー場ですが、周辺の宿泊エリアには欧米的な雰囲気が漂い、明るいゲレンデは若者、家族連れが多く開放的です。山頂へ向かうリフトの乗継点でレストランに入り昼食。入口で30分以上待たされ、美味しい食事とワインとなりました。
- リフトを山頂駅で降りるとそこは、展望が360°広がる別世界。感嘆の声が漏れます。八ヶ岳連峰、浅間山から四阿(あづまや)山へ連なる山々。はるか北には頸城(くびき)三山。白屏風の北アルプス。乗鞍岳、御嶽山、中央アルプス。そして南アルプス、はるか遠くに控えめに富士山という贅沢なパノラマでした。
- 快晴でしたが気温は低く、風も強い。手袋を外すと右指1本がロウのように白くなりました。さっそく山頂駅脇にある避難専用施設に入り、冬山の身支度をしてから山頂に向かいます。
- 気象レーダー観測所施設と神社鳥居が建つ山頂は広々とし、我々以外には人影はありません、独り占めです。眼下にはモミの林の間にコロボックルヒュッテが見えました。目と鼻の先です。踏み跡を拾い歩きます。ガスや吹雪いていたら、ヒュッテから迎えに来ていただくか、1/25000地図と磁石、あるいはGPSとにらめっこのコースとなりそうです。
- 身支度の際、簡易アイゼンを付けない指示をしたのですが、距離にして20m程度の急な下りに出くわし、そこはシリセードで下りました。ときどき膝下まで雪を踏み抜きながら14時30分頃にヒュッテに到着です。
喫茶室棟の12名全員が座れるスペースに、まきストーブでお湯を沸かし宴会です。素晴らしい風景と快適な雪山歩きでおいしいお酒が飲めます。でも篠原さんが夕方到着するまで落ち着けません。携帯電話で連絡を取り女性陣は出迎えに行き、男性陣はストーブを囲みグラスを傾けました。
- 篠原さんは16時40分頃に到着。スキー場を発つときは、遅い時刻に単独で山頂に向かう高齢者ということで、スキーパトロール隊から注意やアドバイスを受けたそうで、ヒュッテに到着したら、パトロール隊に無事到着の報告も指示されたとのこと。登山者の安全を思う、しっかりしたスキー場です。
- ヒュッテは2代目手塚さんが継いでいます。この冬初めて、冬期営業を始めました。クリスマスも正月も客はなかったようです(ヒュッテHPによる)。気温が低く(2月平均の最高気温は−1℃、最低気温は−12℃、9時の気温は−6℃、積雪1〜2m)、風が強い場所にあるので、小屋は寒くないか、水は出るのか、酒はあるのか心配事は多々ありました。が、ランプを活かした照明や、まきストーブで暖かく落ち着いた山小屋で、水やお湯もありました。ただ、ご主人一人では大人数向けの賄は無理で、夕食・朝食・弁当は仕出しでした。上諏訪から車で運んでいるようです。仕方ないことですし、おいしくいただきました。
予約のビールやワインを飲みながら創立50周年の記念イベントの話が盛り上がり、酔いが回り話が迷走しましたが、最後は収斂し幕引きです。その夜は暖かい部屋でぐっすり。
- 22日。期待のスノーシュー・トレッキングの日です。カーテンを開けると天気予報通りのガス、風も吹いています。朝食後、荷物をまとめて出発準備。行動予定は4、5時間のスノートレッキングでスキー場へ下り、夕方のバスに乗り込む計画です。道具はレンタル、ガイドもお願いしてあります。ガイドは一人のはずが女性1名を含む4名体制でした。全員が地元のプロスキー関係者という万全の体制です。冬期営業の今後の展開を考えての支援体制づくりだったのでしょう。
- ご主人の手塚さんから、コースと注意事項の説明がありました。
コースはヒュッテから沢渡に下り、八島湿原を散策したのち蝶々深山経由で車山乗越からスキー場に下るプランです。余裕があれば、蝶々深山の外側にあるゼブラ山経由も選択肢とのこと。
気温が高く雪崩注意報が出ていること、霧ヶ峰も雪崩が起きること、スノーシューでも、衣服の中に雪が入ると凍傷となり遭難につながる、スパッツをつけること。
半数が初めてなのでスノーシューの履き方を教わり、9時過ぎに出発。外気は1、2℃。
- ヒュッテを出るとすぐに強い南風、南風と言っても気温が低いので、地吹雪が顔にあたりとても痛い。稜線を外れ丘を下ると風は収まりました。気持ちにゆとりが出てきます。御射(みさ)山スキー場跡地から、八島湿原の雪原を望めます。
私は足の痛みが心配で、踏み固められたトレースを歩ける、最後尾につきました。雪歩きが不安定な方は後尾を歩くと楽でした。
- 我々のペースをみて、手塚さんからショートカット(沢渡から車山湿原、車山乗越)の提案がありました。異論はありません。展望の利く雪原から林の中へ、トレースをつけながらゆっくりと登ったり下ったりして行きます。風音もなく静かです。ウサギの足跡がありました。晴れていれば、体も心も弾む雪山トレッキングです。
林の中で小休止。中村さん持参のあんことモチでお汁粉タイムとします。コンロ3台でお湯を沸かし、暖かいお汁粉をごちそうになりました。
- 我々は余裕をもった行程を考えていたので、さらに予定を変更しスキー場へ下山せず、ヒュッテに一度戻り、タクシーを呼び上諏訪へ下ることにしました。
林を抜けると標高差30m程度の急斜面が現れました。手塚さんから、雪崩の危険があるため、10m程度間隔をあけ登るように指示がありました。雪崩の発生場所なのでしょう。
レンタルには登行用リフティング機能がなく、先頭は先頭なりに、後続は後続なりに不安定な雪に苦労しました。急登を登りきるとヒュッテの裏手に出ました。
手塚さんのスノーシュー下り歩行のアドバイス、コースの取り方、雪崩への注意、休憩場所の選定など適切な判断で、楽しく安全なスノーシューとなりました。
- 12時に到着し、食堂でおにぎり弁当に珈琲と紅茶で昼食です。程よい疲れが満足感となり、程よい時刻に予約のタクシーが近くまでやってきました。手塚さんにお礼を言い、タクシーに分乗し上諏訪駅へ向かいます。駅で東京に直帰する面々と別れ、上諏訪の日帰り温泉に向かいました。
- 日帰り温泉は片倉館千人風呂です。群馬の富岡製糸場を経営し、保存に努めた片倉工業が、昭和初期に女工、地元住民のために設けた立派な温泉施設で近代化産業遺産。室内装飾や深さ1mはある湯船は立寄る価値があります。帰りの列車時刻の関係で打ち上げは30分で終え、東京や名古屋に向かう列車に乗り込みました。
写真はこちらです。
1.斎藤さん撮影
2.和田さん撮影
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以上 |
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