◆「北八ヶ岳池巡り」報告 

 
<日 程>

 平成30年10月7日(日)〜 8日(月・祝)


<コース>

 10月7日(曇・ガス):JR中央本線「茅野」駅 =(バス0:50)= 北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅 =(0:07)= 頂上駅 − 七ッ池 − 北横岳 − 亀甲池 − 双子池 − 双子池ヒュッテ(泊) (予定通り)

 10月8日(ガスのち晴れ):双子池ヒュッテ − 雨池 − 麦草峠 − 白駒池 − 麦草峠 =バス(1:10)=「茅野」駅 (予定通り) 


<同行者>
 鈴木、石川、中村(一)、中村(純)、中村(陽)、水堀、阿部、佐藤、三木、平石、斎藤(恭)、田中、吉川、生田、和田(代記)
 


(概要)

■この山行は中村さんの企画で、山中で起きた心配事の調整は中村さんに負うところが大きい。気苦労が多かったと思います、ありがとうございます。
北八ヶ岳、紅葉の池めぐりは懐かしい山域であると同時に、負担の軽い行程ですべての池を巡れる計画、15名の大所帯となる。
北八ヶ岳の池は個性があるが陽光乏しく、良さを十分に発揮できなかった。しかし素晴らしい紅葉とシラビソの森であることに違いない。一方、悪路があったこともあり、予定時間をかなり越え行動し疲労した。

■この山行は多くの同行者には懐かしの北八ヶ岳再訪。霧で神秘的な池、陽光スポットライトを浴び美しさを増した紅葉、朝日とともに輝き始めた湖面、皆が様々に感動した秋の山歩きであった。欲を言えば贅沢だが、小屋の外でのんびりと秋風に吹かれるひと時や池の彩りを見下ろしビールで乾杯といきたかった。

■7日は、曇空とガス、10℃。坪庭から北横岳にかけて観光客の多さに驚く。家族連れも多く幼児のはにかむ笑顔に和んだ。悪路を乗り越えて暮れ行く双子池で安堵したこと、満員の山小屋と満天の星空が印象的だった。

■8日は、帰りのバスに間に合わせることが目標となった1日。ガスのち晴れ、10℃。朝の双子池の美しさは際立つ。黄葉の林道歩き、苦労し越えた倒木、笹の彷徨、苔むす森、観光地・白駒池、15分一本勝負の昼食等など多彩だ。思いのほかハードな山行を無事に終え、茅野駅前で打ち上げ解散とした。


(天候)

■心配した台風25号の直接影響はなく、通過後の南風で東京は32℃の夏日。山中は両日とも10℃、ガスが取れず涼しい山歩き、稜線では寒かった。8日昼前から晴天となり一気に心が弾んだ。


(出発時のハプニング)

■スーパーあずさ1号に乗り込むと、S氏から中村さんの携帯に「あずさ1号に乗り遅れた。20分後の臨時特急に乗る」と連絡。夏日予報で衣服選択に悩み、家を出るのが遅れたらしい。臨時特急では予定のバスには間に合わない。次のバスで追いつけものでもない。健脚3名を茅野駅に残し、S氏の到着を待ってタクシーで北八ヶ岳(旧ピラタス)ロープウェイ山麓駅に向かってもらう。


(出発)

■バスは高度を上げるが曇空の紅葉は色づきがよくない。バスが山麓駅に到着するのと同時に4名のタクシーもやってきた。これで一安心、お疲れ様。ロープウェイは標高差460mを7分で上がる。頂上駅はガスで風があり寒い。幸いにも雨は降りそうで降らなかった。11時出発。坪庭や北横岳から次々と観光客が下りてくる。登りの15名は彼らには迷惑だったに違いない。


(北横岳ヒュッテと七ッ池)

■12時10分、北横岳ヒュッテに到着。ヒュッテ前はハイカーたちで賑わっていた。子供、幼児連れも多い。なかには小1、2年生を頭に幼児ら4人を連れた親もいた。幼児たちは文句のひとつも言わずついてゆく。声を掛けると嬉しそうにニタッと笑う。その笑顔が堪らない。片道2分の七ッ池(山道沿いの池は2つ、3つ)をピストンするが、残念なことにガスに覆われ寒々とした光景だった。光が当たればその個性が分かったのに残念。


(北横岳)

■短い急坂を登り切ると北横岳(南峰2472m)に到着、13時5分。頂は北風が吹いていた。私は手袋を忘れ指先が白く手はかじかむ。360度のパノラマ展望のはずだが、垂れ込める雲で東方向の奥秩父方面を除いて眺めは悪い。風が強いので早々に立ち去り、北峰を経由し、13時20分、亀甲池に向け標高差400mの下りに入った。


(悪路を下る)

■気楽に下り始めたが下り道は急なうえ、大石が積み重なり木の根が絡む段差のある山道、しかも雨にぬれ滑るので始末が悪い。大岳経由の双子池コースは「難路」とされているが、この道は「悪路」である。足を滑らさないように、石に躓き転倒しないように、ポールを操り一歩一歩足を出す。長い下りなので気持ちが切れたら下れなくなる。

■斎藤さんによると1年の合宿で双子池からこのルートを登ったときも大変苦労したという。悪路は時の経過とともに劣化するが、当時も今も同じだろうか。かなり下ると樹々の間から亀甲池が見えた。標高差は70、80mと思われたが、そこからさらに1時間かかった。長く長く感じられた下り道です。


(えっ、今から山に入るの?)

■15時過ぎ、亀甲池手前で小学生の男の子を連れた家族がやってきた。双子池からという。服装と装備は観光客のようだ。「どちらまで行くのですか」。「ロープウェイまで」。耳を疑う、これからでは無謀だ。17時前には山中は真っ暗になる、急坂を登るにはかなりの体力がいる。懐中電灯や地図は持っていないと思われた。

■車は大河原峠(ならばなぜロープウェイを目指すのか不可解)に置いてあるというので、亀甲池から天祥寺原経由で大河原峠まで1時間15分だ。地図を見せ説明し峠に向け出発させた。早足に歩き始めた彼らを見送ったが大丈夫だろうか。彼らについて様々な憶測が話題となる。


(亀甲池)

■CT1時間のところ2時間、亀甲池に15時20分到着。ここまでくれば一安心。小さな池だが周りを山で囲まれ光と影が瞬時に入れ替わる。シャッターチャンスをとらえるのは難しい。この時期は枯れることが多いようだが長雨と台風で水量は申し分ない。
双子池ヒュッテから16時までの到着を言われていたが携帯は繋がらない。疲れた体を休めることなく10分後に出発した。


(双子池)

■双子池は亀甲池から40分の距離だ。なだらかな登りと下りで双子池に出る。しかし、山道は滑る大石と倒木の道で歩きづらい。下の方に池面を見つけた時は嬉しかった。夕暮れ時の静かな雌池。岸辺に張られたテントでは夕食の準備や日暮れのひと時を過ごすキャンパーがいる。深い山から山里に下り終えた気分だ。


(双子池ヒュッテ)

■16時35分、ヒュッテに到着。CT40分のところ1時間5分。小屋は眼下に雄池を望む小高い丘にある。池は紅葉の真っ最中。夕暮れだが寒くない。満員御礼で、全員大部屋に案内される。すでに足の踏み場なく布団が敷かれていた。懐中電灯と水を枕元に残し、荷物は2階の荷物部屋まで運ぶよう指示される。


(山で出会った高齢登山者と幼児たち)

■ヒュッテ入口で高齢者グループに再会した。リーダーの高齢者の男性とはあずさ号車中、隣席で山のお話を伺った方。40才代後半に山歩きグループを作り一時は40名程いたが、現在は20名で活動。体に痛いところがない81才。毎月1回中央線沿線を中心に山歩き、年に何回かの1泊2日の山旅。この夏は仙丈ガ岳に行ってきたという。毎年12月は忘年山行で温泉付き山行。会の山行は300回を越えたと誇らしげに話をされた。

今回は蓼科山登山口の竜源橋から大河原峠方面に入り天祥寺原から双子池を目指した。16時にヒュッテ到着とお聞きした。何才までも山に入れる幸せ、怪我のないように。

■夕食は2回制の2回目、18時30分から。それまで食堂奥の小部屋で寛ぐ。小部屋にはすでに女幼児2人連れの家族が夕食中。家族とはあずさ号で、バスの中で一緒だった。頂上駅から雨池経由でやって来たという。3才の子は父親に担がれ6才は歩いた。翌日私達が歩いたコースだが、幼児にとって身の丈以上の笹原歩きと倒木越えとハードだったに違いない。迷うことなく歩き通せたのは両親を信頼しきってのこと。

「すごいね、頑張ったね」と声を掛けると、二人ともはにかみながら笑顔で応えてくれた。ジィジィ達はこの笑顔に弱い。素晴らしい山女になれよ、とは私の身勝手。ご褒美につまみ小袋と濡れ南京豆を渡したが適切だったろうか。


(夕食)

■ショートタイム宴会は、三木さんが背負って持ってきた日本酒1リットル、各種つまみ、阿部さんからの濡れ南京豆。勢いよく乾杯したが写真をみると皆の疲労感は隠せない。

■夕食は私達だけのテーブル。天ぷらのほか、お代わり自由の具沢山な豚汁。メインコースから外れた小さな山小屋だが中々なものでした。
床につくと隣からは「酒飲み過ぎた、気持ち悪い」の寝言?。


(8日の朝)

■この日、朝食は2回目の6時30分からで「豆腐の肉そぼろ掛け」が出るなど夕食と同様においしい。外は暖かく風はない。雄池の池面は鏡のように静まりかえり、池面に映る逆さ姿の紅葉は別格だ。ベストな撮影状態でカメラマンが岸辺に集まった。


(出発)

■8日は麦草峠12時50分発のバスに間に合うか、いかに間に合わせるか、が最大の関心事。乗り遅れると次は15時40分。昨日の行動実績から、8時出発予定を7時30分に変更。さらに皆の協力で7時15分に出発できた。


(深い森)

■陽が差した紅葉の林道を歩く。私の登山地図(2011年製)に記載された雨池への従来ルートは現在、通行不可。東方面に新たに切り開かれたルートをたどる。やや厳しい山道だ。林道から霧が漂う山に入る。シラビソと笹の山道は緩急を繰り返し、大きな倒木が前途を塞ぐ。記録的強風だった台風24号によるもの。まだ迂回道も不確かだ。皆それぞれ最適と思われる方向に足を向け悪戦苦闘し難所を乗り越えた。足元は大石と段差のある道が続き相変わらず歩きにくい。


(雨池)

■森を抜けると雨池だ。9時。大きな池は開放的で、まるで北欧の湖のようだ。池の周りは明るい。池は豊かに水をたたえている。晴れそうだったが霧が漂い始めた。天気が良ければゆっくりしたい場所だ。落葉樹が少なく紅葉には少し物足りないが、陽がさせば素晴らしい眺めとなるだろう。ハイカーがやってきた。東岸から麦草峠に向かう。しばらく続く木道は高速道路を走る快適さで距離を稼げて楽しい。


(麦草峠)

■苔むす森が現れると麦草峠は近い。10時55分、麦草峠に到着。CT2時間50分のところ3時間40分。晴れ間が広がり峠の向こうには茶臼山。休むことなく白駒池に向かった。緩やかな登りが続き岩場の日本庭園を過ぎ、白駒池駐車場入口で観光客がドッと増えた。
私達が場違いのようだ。


(白駒池)

■40年前50年前の白駒池の雰囲気、静けさはない。正確には自然に変化はないが環境が変わったのだ。白駒池周辺の苔むし森が縦走路のものよりも乾いて見えたのは気のせいか、それとも自然に変化があったのか。

■11時35分、白駒池の展望東屋に到着。バス時刻を考え安全をみて、11時50分に峠へ出発とした。その間に昼食だ、あわただしい。双子池ヒュッテの「肉入り笹巻きおむすび」をいただいた。今までの山小屋弁当の中で一番おいしい。

■よくポスターとなる紅葉の岸辺が見える。何枚か写真を撮った。昨年12月31日に火災で焼失した「白駒荘」の宿泊棟を見に行く。9か月で建替えられ10月から営業再開。小屋の前は多くの観光客が行き交っていた。


(田中さんは八ヶ岳縦走へ)

■田中さんとはここで別れた。彼はここから八ヶ岳縦走をめざす。体力と気力に感心する。今晩は根石山荘に泊り、明日は赤岳を登り真教寺尾根を下り清里に出る計画。無事を祈る。(9日15時に清里に到着と、メールが入った)


(麦草峠へ戻る)

■S氏は体力に限界、バスは座れなくともよいので峠に戻らず白駒池バス停でバスを待つという。私達も同様だが確実に座りたいので峠を目指した。時間のかかる山道を避け白駒池バス停から「メルヘン街道」という国道で峠に戻る。徒歩20分、12時25分峠着。

■荷物を待機中のバスに運び込み席を確保してから、ヒュッテ前でアイスクリームやヒュッテのコーヒーでわずかな時間を過ごす。中村さんたちはすべての仕事をやり終え、おいしそうにタバコをふかしていた。

■座席が7割方埋まったバスは12時50分、出発。一度白駒池に行き、再び峠に戻り、茅野駅へ向かう。白駒池バス停にS氏はいるだろうか。酒を求めレストハウスにいるのではないか。S氏はバス停で10数名の列の先頭に立っていた。よかった。立ち席客は峠で増発のバスに乗換えた。結局、全員座れるようだ。


(打上げ)

■14時、茅野駅到着。茅野駅周辺の飲食店は14時から17時まで休憩時間。飲み屋を探し回りバスターミナル隣のビル2階のレストランに入る。小一時間の打上げとなった。ほとんどは15時20分頃の特急指定で東京方面に向かった。紅葉シーズンで指定席は満席、自由席も座れない状況、指定席を確保しておいてよかった。


(北八ヶ岳雑感)

■7年前の5月に常盤さんの企画で、日陰に凍った雪が残る黒百合ヒュッテから白駒池まで歩いた。帰宅後、思い出して本箱から山口輝久氏の「北八ッ彷徨」を取り出し再読した。興味がでて続編である「八ヶ岳挽歌−続・随筆八ヶ岳」を購入した。

■彼が八ヶ岳・北八ヶ岳で活動した戦前から昭和20年代30年代にかけて、北八ケ岳は各所に林道が伸び、観光道路が造られ始め、ロープウェイも計画された。当時北八ッはアプローチルートがない秘境。彼は友人らと、米と味噌とテントを担ぎ小諸近くの望月集落などから谷や沢を遡行し藪を掻き分け、雨池、白駒池、にゅう、トキンの岩を目指した。

■観光開発や森林開発を批難することはなかったが、開発が進む40年頃にかつての北八ヶは失われたと書いている。その時期は私達が八ヶ岳をはじめ山歩きをする以前のことだ。私達も卒業後に訪れて北八ッは変わったと口にしたと思う。

■森林伐採で開発され真っ先に昔の面影を失った「しらびそ小屋」周辺。同氏は60年頃に訪れ、30年40年かけて森林が再生した小屋周辺を、昔の北八ヶ岳の雰囲気を色濃く残す場所と振り返った。

■大きな時間軸で自然を見てゆくことの大切さを思い知った。

■彼がいう昔の面影とはもちろん、ロープウェイも、自動車道も、林道も、山道も、標識もなく、旺盛な好奇心と強靭な体と優れた登山技術を兼ね備えた者だけがたどり着ける原生のままの森と山であることは言うまでもない。



写真はこちらです。
1.斎藤さん撮影
2.和田さん撮影
3.田中さん撮影
  以上