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- 2019年4月7日(日)実施
石川、中村、佐藤、阿部、清水、三木、平石、斎藤(隆)斎藤(恭)、鈴木(幾)、田中、北島、小針、石井、常盤、15名もの多くの方が、満開の桜のもと、群馬県・太田市の金山城址散策を致しました。
各自の都合に合わせて、東武伊勢崎線・太田駅に8時半集合、ご自宅を5時過ぎに出発しなければ集合時刻に間に合わない方もいて、ちょっと無理を申しました。
群馬県の形、ご存知でしょうか?かの有名な上毛カルタによれば、「つ・つる舞う形の群馬県」なのでありまして、領土が南東の方角にヒョロヒョロと、細長く伸びています。それがつるの首から頭のように見えるのです。その先っちょのほうに舘林があり、付け根に太田があります。
さらに「お・太田金山子育て呑龍」があります。太田駅から徒歩30分ほどの場所に、大光院という浄土宗の寺院があります。新田氏の末裔であると称する徳川家康公が、自分の祖先を祀るために、呑龍和尚を招いて創建したとのことです。呑龍様は慈悲深い方で、かわいそうな境遇の子供を引き取って育てた。そこで子育て呑龍なんですって。
家康公が、源氏の流れを汲むと称していることは承知していましたが、新田源氏なのですね。もともとは清和天皇、そこから何代か経て源(八幡太郎)義家、その三男と言われる源義国。義国の次男たる義康が足利氏を継いで、長男の義重は足利家を出て新田氏になった。この新田義重は平安末期から鎌倉初期の人であり、源頼朝と同時期の武将です。平家を倒す際にちょっと日和ったため、鎌倉幕府ではあまり偉くなれなかった模様。
源頼朝から三代続いたあと、北条氏に権力が渡り、それを滅亡に導くのが後醍醐天皇である。当初は足利高氏(尊氏)、新田義貞、楠正成らが従ったが、尊氏が寝返った(北朝)という図式みたいです。このあたりは、単純化された小学生レベルの理解ですが。そういうわけで、足利と太田の両市、東武電車で10分くらいの至近距離だけれど、尊氏と義貞の関係からすると、きっと仲悪いと思います。どうでしょうか。
今回出かけた金山城、太田市としては新田義貞が作ったとしたいでしょう。しかし残念ながら、どうもそういった証拠は出てこていない模様です。室町時代中期に、新田一族の岩松家純によって築城されたとのことですが、義貞でなくては商売になりませんね。新田氏は岩松だけでなく、世良田、堀口、里見などなど細かく分かれ、その世良田一族に得川と名乗る氏がいて、これこそが徳川家の先祖だとか。こちらは、まあそうであったらすごいです。
太田駅から、タクシー3台とマイカー1台で、金山城址まで10分ほどです。普通に歩けば1時間半ほどでしょうが、つらい山登りは避けたいものです。城址の駐車場に展望台があり、関東平野一望。この日は残念ながら黄砂・花粉などが邪魔します。
いちばん高い所に新田神社があり、新田義貞ゆかりである説明文が掲げてあります。義貞築城と言えないところが残念です。そしてその近くに立派な銅像が、背広を着用されています。誰あろう、中島知久平・中島飛行機創業者様でありました。
大人数ですから、素早い動きができません。気づけばもう10時に近い。早く下山せねばなりません。なにしろ呑龍様、上毛カルタにも登場する、群馬でも名だたる名刹です。お昼近くになったら、人であふれてしまいます。ちょっと急いで10時半に到着。良かった、まだすいていました。乳飲み子を抱えた若いご夫婦と、おじいさま・おばあさまがお参りしたりしていました。呑龍様のご利益はいかに。が私たち、またまた先を急がねばなりません。
日本三大焼きそばです。富士宮・横手と並ぶ、有名焼きそば、太田の焼きそばを制覇せねばなりません。事前の調査では、小さなお店ばかりで、10人以上が予約して…、は不可能でした。そうであれば、開店の11時ころに合わせて入店するしかありません。水路沿いの桜満開の遊歩道が続いています。整備されていて、とても良い雰囲気です。
そして、太田焼きそば、ナンバー2「もみの木」というお店に突入。12人でギシギシの小部屋に入れました。そこに14人。隆先輩は外の椅子席にいて、配膳などの面倒を見てくれました。ビールは7本しかありません。いや無いのではなくて、それ以上出してくれないのでしょう。ダラダラ飲まれたら困る。
焼きそば大皿5枚(だったか?)、鶏から揚げ何皿か、ビール7本、ノンアルコール数本。まあ、美味しいです。麺はもっちり系、つまり柔らかく太い。具はキャベツが大皿にほんの数片、豚肉がほんのかすかに、真っ赤な紅ショウガ。ちなみに我が家の場合、マルちゃんの麺一袋に、キャベツたっぷり2〜3枚、豆のついた65円の高級もやし1袋、豚の細切れ150円分くらい、場合によっては冷凍エビまで入れて、さらに紅ショウガも岩下の高級品使用、それを3等分くらいにして食べます。ひとり分100円くらいかかっています。この有名店では、麺のほかは、キャベツ1円くらい、豚肉2円くらい、紅ショウガ3円くらいでしょうか。でも、ちゃんと美味しかったので、それで結構です。
このようなB級だかC級だかのグルメ、原価50円くらいの焼きそばが500円くらいで飛ぶように売れるのですから、お互いにハッピーですね。最後にお会計。全部で一万円少々でした。隆先輩の仕切りで、男1000円、女200円だとか、とても有意義な反省会でした。
太田駅に戻ったのが12時20分ころ。ここでお別れです。車で、両毛線で、東武特急で、私は先輩のお誘いで、舘林・久喜で乗り換えて、赤羽居酒屋ゾーンへと向かいました。ここも狭い場所、店と道路の間のスペース。1時間くらいいたのでしょうか。大変居心地の良い店でしたが、本年最後の花粉猛爆で、収拾着かない状態で帰宅となりました。
というわけで、以上が群馬・太田・金山城址散策のレポートです。最後になりますが、焼きそば「もみの木」で食べた鶏から揚げも、太田のソウルフードと言えそうです。鶏は、モモ肉よりムネ肉の方が安い。国産よりブラジル産の方が断然安い。スバルの聖地で、かの国の方々が多く働いていらっしゃいます。ジューシーでリーズナブルな鶏肉、これはこれで結構なことと、十分納得したのでした。
写真はこちらです。
1.田中さん撮影
2.斎藤さん・石井さん撮影
3.北島さん撮影
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以上
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