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- 【メンバー】
- 44中村一夫、阿部佳代子、佐藤あけみ,46三木洋、平石充、石井啓太郎,48斎藤隆、斎藤恭子,53田中亨,55三橋幸子、北島博美、舩生克郎,57高橋聡,59大芝賢二
- 【日程】
- 2021年4月4日(日)
- 【行程】
- ヤマレコ義経伝説と滝のあるみち
越生駅10:20-(バス)-10:43黒山10:53-11:17天狗滝-11:20黒山三滝11:30-11:55小休止12:05-12:30大平山の役行者像13:15-13:38傘杉峠・顔振峠分岐-13:48歌碑-13:58顔振峠14:12-15:20吾野駅
「関東ふれあいの道 義経伝説と滝のあるみち」
雄滝・雌滝・天狗滝の黒山三滝は、すぐれた眺望をもつ大平山の東端にあり、古くから修験者の道場だったところである。顔振峠は奥州落ちする源義経が弁慶主徒ともどもあまりの絶景に顔を振り振り登ったといい伝えられている(飯能市観光情報より)
- 【まえがき】
修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする。2020年初頭からのコロナ禍により、2021年春になっても、多くの修験者は、家に籠って修行を行わざるを得なくなった。
そんな中、既に数多くの修行(?)を重ね、悟りを得た修験者集団一行は、満を持して、奥武蔵へ修行に出かけることになった。
- 【報告】
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一般修験者は、越生駅からバスで黒山に入り、黒山バス停からスタートしました。物好き修験者は、それだけでは飽き足らず、早朝より西吾野からスタートし、関八州見晴台を経て、黒山三滝で合流する算段です。
バス通り(埼玉県道61号越生長沢線)をそのまま進むと道はすぐ突き当り、右手に「黒山三滝入口」と大きな看板ゲートがあります。左手(奥武蔵グリーンライン方面)に少し行くと、「渋沢平九郎の自刃の地」があるそうです。平九郎に関しては、この後の顔振峠でまた登場します。
いざ黒山三滝に向かって歩き出すと、超望遠レンズを持った数名のカメラマンが沢に向けて何やら撮影中。修験者集団写真担当として思わず、カメラを向けます。「カワガラス」です(実は初めて見ました)。名前は、全身が濃い茶色だからということですが、カラスの仲間ではないです。喉から腹にかけて白くて細かいうろこ模様があるので、どうやら幼鳥のようです。
ミツバツツジ(三葉躑躅)の花がちょうど見頃でした。ミツバツツジは、その名の通り、枝先の三枚の葉が特徴なのですが、ソメイヨシノのように花が終わってから葉が出るので、今は未だ葉がありません。鮮やかな紫色のよく似た花をつける名前も似たような「ミヤマツツジ(深山躑躅)」(ムラサキヤシオツツジ(紫八汐躑躅))がありますが、こちらは枝先に5枚の葉をつけるので、葉をみれば、直ぐミツバツツジと見分けがつくそうです。しかし、花の咲く時期には両者とも葉がないのですが・・・。
ちなみに「ツツジ」と「サツキ」との違いですが、「花が葉より先か、花より葉が先か」「葉の産毛」とか蘊蓄ありますが、4月に咲くのがツツジ、5月に咲くのがサツキ(皐月、五月)というのがシンプルかつ素直です。
「何れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」美しさに優劣付け難し・・・。そんな思いを巡らしているうちに左手に黒山三滝の一つ、天狗滝(落差20 m)が現れました。奥の方に滝本体が見えましたが、深入りは止めてそのまま直進し、男滝・女滝を目指します。
ついに「黒山三滝」のメイン会場(?)に到着。一般修験者と物好き修験者とが合流したところで記念写真!
黒山三滝は、先の天狗滝とこの男滝(落差10 m)とその下段の女滝(落差5m)の3つで構成されています。歴史は古く、室町時代に修験道の拠点として開かれたそうです。この日も、滝行に向かう白装束の女子高生(?)に遭遇!
滝行は、滝に打たれることで、初めは冷たさや衝撃の苦しみを感じながらも、やがて苦しさは消え、水に打たれる感覚だけが残り、俗世の煩悩、邪念、雑念を払い無の境地に入るとのことです。白装束の彼女達の滝行の姿を感慨深く見送りながら、総勢14名になった「エセ修験者一行(失礼!)」は、大平山への登山道に入りました。
枯れた沢筋を登って行きますが、なかなかの急登です。ロープや両手を使う場面も。あっ、お尻を使う場面もあったかも知れません。
一部に結構急なところもありましたが、尾根筋に出たところで小休止。ここからは、割と歩きやすい尾根筋の道を進んでいきます。
年輩?間違えました!先輩の方々の健脚ぶりに敬服!
大平山の役行者像に到着です。像の前は、広場(?)になっています。周囲の眺望は、望めませんが、結構な広さがあり、昔はここで何らかの神事を行っていたのかも知れません。ここで昼食です。TNKさんの「給湯サービス」により、カップ麺やコーヒーが頂けました。
ここ大平山には、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)の石像があります。役行者、本名 役小角(えんのおづぬ)は、術が使えたらしいですが、なんと634年~701年実在の人物とのこと!役小角手前には、役小角が従えていた夫婦の前鬼(斧を持っている男鬼)と後鬼(水瓶を持っている女鬼)が鎮座しています。毎度驚かされるのは、ここにある数々の石像をどうやって運んできたのか?修験者が担いで来たのでしょうか?修験者の修行として・・・
役行者像をバックに記念写真!役行者が隠れてしまったと思いきや、一応S.TKSさんと並んで写っています(笑)。
大平山からは、緩やかな歩き易い山道を下って行きます。一時日差しも出てきたりしましたが、眺望は相変わらず望めません。
傘杉峠から来る道と顔振峠への道との合流点(分岐点)を通過、顔振峠を目指します。ここからは直ぐに舗装された車道:奥武蔵グリーンラインに出ました。道が舗装になった分、視界が開けて、曇り空ながら秩父の山々や木々の花々が堪能できました。
山吹色しているから、ヤマブキ・・・だと思います。山吹色は、絵具でもお馴染みのオレンジ色と黄色の中間色ですが、この花の色です。ちなみに「深い緑」は「深緑」と言いますが、「ヤマブな黄色」だから「ヤマブ黄色」というのではありません!
ミツバツツジとヤマツツジ・・・のはず!
アカバナミツマタ・・・のはず!
顔振峠(かあふりとうげ) 標高500mに着きました。平安時代、源義経が京落ちで奥州へ逃れる際、あまりの絶景に何度も振り返ったのが由来とされています。信憑性は定かではありませんが、この義経伝説をこの地のセールストークに使っています。ところが、2021年大河ドラマ「青天を衝け」で、観光の目玉方針変更(?)、渋沢平九郎(1847~1868)にスポット!顔振峠でたむろしていた私達に、峠の「平九郎茶屋」のおばさん(お婆さん?)が、とくとくと渋沢平九郎の話をしてくれました。おばさんは、顔振峠の案内の石碑を建てた加藤カツ子さんらしいです。飯能の戦にて破れた平九郎が、単身ここ顔振峠にたどり着き、立寄った峠の茶屋の女店主、加藤たきさんは、このカツ子さんの義祖母とのこと。たきさんは平九郎が旧幕府軍の隊士であると見抜き、秩父へ抜ける道を勧めたが、平九郎は望郷の念止みがたく、勧めるお茶も飲み残して黒山に下りて行き、官軍に遭遇、自刃を遂げることになる・・・。「惜しまるる時散りてこそ世の中は人も人なり花も花なれ」享年22。
平九郎茶屋は、見晴らしのいいところに建っています。さすがに明治初頭の建物ではないですが、年季が入っています。
おばさんの話を聞くだけ聞いてそのまま立ち去るのも何なので、平九郎茶屋で「秩父コーラ」「秩父サイダー」を頂きました。150円/本でした。
平九郎茶屋から車道を離れ、吾野駅に向かって山道を下ります。少し下るといきなりお堂のようなものが・・・。看板には、「摩利支天尊」と書いてあります。摩利支天は、古代インドの暁の女神由来らしく、陽炎を神格化したもので、陽炎は、自在の通力を有するので、武士に人気(?)があったようです。そんなことより、何故、このようなものが、こんなところに建っているのかという方が、摩訶不思議!
オオアラセイトウ(大紫羅欄花) 別名ムラサキハナナ(紫花菜)でしょうか?ハナダイコン(花大根)とは、本来違う種類らしいですが、これもハナダイコンと称することもあるそうです。
ハナモモ(花桃) 満開!吾野駅に向かって下っていくとまた車道:奥武蔵グリーンラインを横切ったところに綺麗に咲いていました。
いよいよ階段を上がりきったところが吾野駅です。結構急な階段です。これが今回の最後の登り!
吾野駅での集合写真!皆様、お疲れ様でした!
おまけ:駅前のお店で、慰労会を・・・。ところが、なかなかの店でした(泣)
- 【追伸】
ツツジの花言葉は、「節度」「慎み」とのこと。
ツツジの漢字「躑躅」は、中国語辞書で、徘徊、躊躇の意。
時節柄、このような時は、やはり「躑躅不前」(ためらう)が必要ということなんですね!
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