◆御岳山(登山班)山行報告   

 高橋さんから12月のハイキングの報告を頂きましたので掲載いたします。

   

【メンバー】
44 中村一,46 三木、平石,48 斎藤隆、石井啓,53 田中,55 舩生克、北島,57 高橋聡
【日程】
2021年12月12日(日)
【行程】

<ヤマレコ 御岳山>

古里駅08:48 → 9:04御岳山登山口 → 10:19丹三郎尾根道 → 10:42中ノ棒山→11:00 11:12大塚山→ 11:34御岳ビジターセンター11:44 → 12:04御岳山12:42 → 13:26東雲山荘 → 13:32日の出山13:45 → 14:12竜のヒゲ→ 14:24高峰→ 14:35築瀬尾根分岐(休憩)14:45 → 15:17舗装林道 → 15:58軍畑駅16:11 → 16:47拝島
 
【まえがき】

令和3年も残り残すところ僅かになってきた。年の瀬と言えば、年末ジャンボ宝くじと有馬記念であろう。昭和52年(1977)第22回有馬記念を制したテンポイントのトウショウボーイとデッドヒートを繰り広げた名勝負は、競馬史に残る。テンポイントは、栗毛の馬体に白線の額で「流星の貴公子」と称された名馬であった。
競走馬は、決められた斤量(騎手と鞍の総重量)を背負って走る。基本の斤量は、馬齢及び性別(牡・騙馬/牡)で決まるが、レースによっては、獲得賞金や勝利度数などによって斤量のハンディキャップがある。
有馬記念を制したテンポイントは、同年、京都記念(春)59kg、鳴尾記念61kg、京都大賞典63kgの斤量を背負いながらも圧勝した。翌年1月の日本経済新春杯でついに斤量66.5kgを背負うことになる。悲劇は起こった。第4コーナーに差し掛かったところで骨折、悲運にも命を落とす。平均馬体重480kgの競走馬でさえ、背負う斤量の数kgが命取りになる。人の体重は、たかだか数十kgである。背負うザックの重量が、山登りを如何に苛酷なものとするかは、想像に難くない。
 
【報告】

 

青梅線古里駅に集合。いつもの記念写真です!ちなみに古里駅は、「東京都最北の駅」だそうです。

 

数分歩くと、多摩川を渡ります。奥多摩と言われるだけあって、川幅も狭く深い渓谷となっています。青梅線は、そんな多摩川の左岸だけを走っており、決して多摩川を渡りません。青梅線は、戦前に氷川駅(現奥多摩駅)まで全通しています。川に鉄橋を架けるよりは、狭いながらも山を切り欠く方を選んだのでしょうか。

 

丹三郎集落を過ぎると御岳山登山口が現れました。いよいよ登りです。

 

丹三郎山から大塚山に続く尾根道に上がりました。大塚山へこの尾根道をひたすら歩いて行きます。戦後の植林ブームで植えられた人工林が視界を遮ります。

 

大塚山手前で一休憩です。大塚山に近づくに連れて、尾根道右側に自然林が増えて、視界が開けてきましたが、その頃、筆者は汗だくになって黙々と登っていました。ハンディタオルを使っていたため、途中で、落としてしまったことに気がついた時は、時既に遅し、後方に落ちていたとの情報にも取りに引き返す余力もなく、ここでの休憩まで、ついて行くのがやっとです。

 

大塚山への山頂と巻き道との分岐ですが・・・、山頂を目指します・・・。

 

大塚山920.3m到着です!写真を撮っただけ・・・。塚とは、その周囲の地面より、小高い盛り上がった場所を指し、「築(つく)」からきたらしく、本来、何かが集積、堆積した盛り上がりや、人工的に盛ったものを云うらしいです。ということは、大塚山は、誰かが盛ったのでしょうか?

 

御岳山ビジターセンターに到着。センターの場所は、昭和61年(1986)本校に統合され廃校となった青梅市立第六小学校御岳分校(旧御嶽學校)の跡地だそうです。旧御嶽學校は、なんと明治10年(1877)開校、その跡地である旨と創立100周年記念の2つの碑が建っています。

 

天然記念物「御岳の神代ケヤキ」です。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に植えたと云われています。御岳山武蔵御嶽神社へ続くこの一帯は、鳥居前町(門前町の神社版)となっていて、御師(おし)が営む宿坊が沢山あります。筆者の微かな記憶によれば、小学校5年の夏、ここ御岳山にそろばん塾の合宿で来たことがあります。昭和45年(1970)のことですが、山手線に国電初の冷房車が登場した時代です。今でも夏の御岳山の宿坊では、いろいろな合宿が行われているようです。
 
階段が続きます。やっと社が見えました!ここまで結構な段数を登ってきています。が、なんとこれは山門!階段の一段一段を恨めしく思いながら、一歩一歩・・・。

 

すると、階段の中に鬼が潜んでいるではありませんか!鬼が蹴上の小窓から出て来ようとしています。普通に階段を登っている素人は絶対に気づきません。事実、下り時に注意して降りてきましたが、見つからなかったです。違う2体の鬼を新たに発見しましたが。

 

武蔵御嶽神社の社殿がやっと見えました。ケーブル班の方々と合流しました。階階段は、数えていませんが、330段あるそうです。御嶽神社は、修験道の蔵王権現を祀っており、その本尊は金峯山寺本堂(蔵王堂)にあるらしいです。ですので、御嶽といえば、奈良県吉野の金峯山を指すらしいです。武蔵の御岳(みたけ)、木曽の御岳(おんたけ)は、有名ですが、TNK先輩のお膝元の旧東京府荏原郡嶺村にも池上線の御嶽山(おんたけさん)駅があります。御嶽神社もあります。江戸には、昔から、富士山あり、箱根山あり、御嶽山あり、何でもあり、さすがですね。

 

登山班、ケーブル班揃って、畠山重忠の像を背に集合写真!ここ武蔵御嶽神社に平安・鎌倉時代の武将、畠山重忠の国宝大鎧が奉納されているらしいです。

 

当初の予定では、御岳山から大楢峠を経由して、奥多摩駅に下山する予定でしたが、登山道が“想定以上に”通行止めとなっていたため、日の出山を経由して軍畑駅への下山ルートに変更しました。

 

日の出山山頂です。天候にも恵まれ、良い景色です。

 

筆者は山には詳しくないので山の同定はプロにお任せします。御岳山・大塚山を右端に写していますので、大岳山と鷹ノ巣山、雲取山・・・

 

梅野木峠・三室山への尾根を下って行きます。高峰付近では一旦、尾根筋から少し右に外れ、ピークを巻いて行きましたが、築瀬尾根を下るため、分岐直前で尾根に戻りました。その築瀬尾根分岐を少し下ったところで一休憩。ここまでも、なかなか高度を下げずに来ましたが、築瀬尾根に入ってからも、なかなか高度が下がって行きません。高圧鉄塔をくぐってから、やっと本格的に下りに入り、どうにか林道に出られました。結構、長い道のりでした。

 

多摩川を渡る橋の袂に冬桜が咲いていました!このような時期に咲く桜ってあるんですね。



林道に出てからも結構な距離を歩き続け、ゴールの軍畑駅の「入口」に到着! と思いきや、なんと、ここから「最後の試練」が待っていました!「入口」から駅まで、距離220m、登り36m!

 

やっと軍畑駅に到着です。GPS記録によれば、距離14.4 km、登り1,057 m 下り1,104 m!

 

この電車に乗らないと!ということで必死に歩かされてきました。TNK先輩の故意だったのか錯誤だったのかは分かりませんが、電車の時刻を5分、鯖を読まれていました。まあ、お陰で間に合いましたが・・・。

 

拝島で反省会。これが、NMT先輩ご推奨の「拝島ハイボール」!

 

味は2種類、ポスターに「白と黒、あなたは、どっち派?」とあります。味の方は、是非、拝島でお試し下さい!

 

お疲れ様でした!

反省:

筆者は、前泊で箱根オプショナル山行、さらに後泊で新橋オフィス出勤の小道具(革靴、スラックス、ワイシャツ、パソコン)を背負っての参加。背中の僅かの斤量が命取りになることを学習しました!

 
 
     高橋聡 記  


 報告書は以上です。

 残りの写真はこちらからご覧いただけます。
  その1)舩生さん撮影
  その2)高橋さん撮影