◆明神ヶ岳山行報告   

 高橋さんから12月のトレッキングの報告を頂きましたので掲載いたします。

   

【メンバー】
53 田中,55 舩生克,57 高橋聡
【日程】
2021年12月12日(日)
【行程】

<ヤマレコ明神ヶ岳>

金時登山口08:52 → 09:22矢倉沢峠 → 10:06苅川峠 → 10:29火打石岳10:45 → 12:15明神祠12:18 → 12:23明神ヶ岳12:57 → 13:10摂政宮殿下大雄山行啓御通路記念碑13:12 → 13:34宮城野分岐 → 14:41宮城野営業所前 → 14:45宮城野橋バス停 → 15:20箱根湯元 → 16:10ゴール小田原駅前夢庵
 
【まえがき】

「端役者の俺ではあるが 早稲田に学んで 波風受けて 行くぞ男のこの花道を 人生劇場 いざ序幕」
早稲田大学第二校歌と称される古賀政男作曲「人生劇場」の一節である。古賀政男は、言わずと知れた昭和の数多くの流行歌をヒットさせた作曲家である。そんな彼の作曲した中に「うちの女房にゃ髭がある」という歌がある。恐妻家のサラリーマンと女房との掛け合いが、面白おかしくも、亭主族の哀愁を誘う。
「明神」とは、祭神の神徳をたたえ、崇敬の意を表し、神名につける尊称、「大明神」とは、明神をさらに尊んだ尊称、「嚊大明神(かかあだいみょうじん)」とは、亭主を尻に敷く強い女房、…と国語辞典に説明されている。
女房に頭の上がらない亭主族一行は、この「明神」の矛盾(?)に挑むべき、「明神ヶ岳」に向かうことになった。
 
【報告】

 

金時山登山口バス停に集合、バス停から5分程度で金時山登山道入口に到着、山道に入ります。

 

金時山登山口から矢倉沢峠へと登ってきました。いずこの登山道もそうですが、先ず、峠に登りきるまで結構な登りが続きます。筆者は、峠とは、一番高い所を云うものだとずっと思っていました。昔から「峠を越す」と言うくらいですから。ですが、この会に入って初めて縦走を経験した時、まさか尾根道の一番低い所だったとは!物事は、立ち位置、見る位置で違ってきます。筆者は、以後、かような「認知バイアス」を避け、物事をすべて科学的、統計的、物理数学的に判断する工学の道を進みました。

 

箱根のカルデラ(caldera)は、古代二度の火口陥没を起こしているので、外輪山が二重になっています。その外側の古期外輪山の尾根道を歩いて行きます。振り返ると「金時山」です。金時山左側の稜線の“一番低い所”は乙女峠でしょうか、富士山の頭が覗いています。(小っちゃッ!)
金時山は、標高1,212mでドーム状の姿をしています。ゆえに金時山は、火口丘であって、外輪山の一峰ではない説もあります。もっとも、筆者は、同期の地歴学者「I教授」を知る限り、地形学の諸説の信憑性は如何程かと思っています(笑)。
金時山は、ご存じ、「足柄山の金太郎」が、「鉞担いで、熊に跨り、お馬の稽古」をしたところです。金太郎は、坂田金時という平安中期に実在した人物で、静岡県と神奈川県とで“それぞれの諸説”を展開しています。ちなみに金太郎の舞台「足柄山」ですが、金時山を含む足柄山地の「山域の呼称」で、足柄山という峰はないです。

 

眼下に「仙石原」が広がっています。「仙石原の名の由来は、源頼朝が『この地を拓けば千石ほどの米が獲れよう』と言ったことにあります」(県商工観光課リフレット引用)

 

苅川峠へと尾根道を進みますが、両サイドを笹藪で景色が遮られていました。これが世に云う「箱根竹」のようです。箱根竹とは、図鑑によると「イネ科メダケ属の一種で、火山性の土壌に生育し、箱根地方の山に多い」とありました。

 

「ヒメノキシノブ」(姫軒忍)ですよね、「ノキシノブ」の先端が丸く小さいやつなので。彼らは、低い場所だと陽が当たらないので、できるだけ陽を浴びようと、少しでも高い樹木の樹皮に「着生」しています。「着生」と「寄生」は大きく違います。着生は、場所だけを借りて、それ以外は、自活して生きています。世の亭主族も、少しでも「陽の当たる場所」に着生できると良いかも知れません。

 

ハイキングコースとしては、「火打石岳」は北側にトラバースするようです。火打石岳ピークへの道に気がつかず、どうやら、ガイド通りのコースをそのまま進んでしまったようです。ここで、我々も、少しでも高い居場所を求めて着生せんとピークを目指すことにします。“道”を外し、“邪道”を登り始めました。

 

火打石岳(988m)登頂!ちゃんとした道がない訳です。山頂には、腰を下ろす場所も景色もなく・・・。大昔は、ここで、燧石(ひうちいし flint)が採れたらしいです。燧石の含有物、物性、生成過程を説明したいのですが、読者層を鑑み、ここでは割愛します(笑)。

 

火打石岳を下っていくと、前方に目指す「明神ヶ岳」が見えました!こののびやかな山容こそが、箱根古外輪山の名峰の姿です!

 

火打石岳から踏跡を頼りにどうにか“コース”に戻りました。ここに火打石岳の名前の由来は書いてありますが、明神ヶ岳側から火打石岳への登り口も見当たりません。とりあえず、我々は“社会復帰”しました。

 

明神ヶ岳を見ながら緩やかな尾根道を進みます。
「青天白日」雲一つない快晴下、明神ヶ岳をバックに「女神」降臨!

 

富士山と金時山をバックに記念写真(証拠写真?)!・・・FNU先輩の横の女性は誰?
「青天白日の下に晒す」写真を載せてしまいましたが、果たしてFNU先輩は「青天白日の身」となるのでしょうか?もちろん筆者は、「青天白日」です!

 

明神ヶ岳山頂だとこちら西側の眺望は良くないとの情報を得たので、頂上手前で山岳写真タイム!先輩お二人から山岳同定の手解きを受けましたので、このあと、今日の最高の天候と眺望を少し自慢させて戴きます!

 

富士山が金時山を越えて大きくなりました!この富士山の裾野の右肩に少し見えている部分を拡大して、左から右方向へとパン(pan)していきますのでご注目!(注:pan フレーミングを水平方向に移動させる撮影技法の一つ)

 

白根二山(間ノ岳3,190m~北岳3,200m)~仙丈ヶ岳(3,033m)

 

鳳凰三山(薬師岳2,780m~観音ヶ岳2,841~地蔵ヶ岳2,764m)~甲斐駒ヶ岳(2,967m)
VGA(640x480)画像だと見づらいかも知れませんが、地蔵ヶ岳の山頂にオベリスク(obelisk)が写っています。

 

八ヶ岳(赤岳2,899m~横岳2,829 m)

 

これが、明神ヶ岳の「明神様」かも!との噂の祠。コースから北面に数m外れた場所にあります。事前下調べをしていたので、場所分かりましたが、素人は素通りしてしまいます。祠は苔むして年代を感じますが、昭和13年4月と彫られているので、“割と最近”です。残念ながら、明神様の御名前は分かりませんでした!
お賽銭として現行コインが幾らか供えられていました。よく見ると通称「ギザ十」昭和29年の10円玉が!現行10円硬貨は、昭和26年に登場以来、今日までデザインは変わらっていませんが、昭和33年までの7年間、硬貨の外周に刻み目(ローレット加工)が施されていました。「ギザ十」とは、その時代の外周にギザギザのある10円玉の“業界用語”です。もちろん、お賽銭にはいっさい手を付けていません!

 

明神ヶ岳(1,169m)山頂到着!山頂は広いです。北側はカヤトに覆われて360度は見渡せませんが、南側(外輪山内側)は開けています。箱根山のジオラマ(diorama)、大涌谷から吹き上がる噴煙を見ると、自然の驚異と大地の息吹を感じられずにいられません。

 

最乗寺への分岐を過ぎた辺りに「摂政宮殿下大雄山行啓御通路記念碑」があります。ここもコースを南側に数m外れないと素通りしてしまいます。
「昭和天皇」が即位前の「摂政宮殿下」時代に「宮城野〜明神ヶ岳〜大雄山(三里)」に御玉歩をお運びになられる記念に建てられたものです。大正11年4月22日と刻まれています。その時代にこのような碑をどうやって建てのだろうと施工法を考えるとつくづく感心します。
殿下御一行を契機としたのか、「大雄山最乗寺境内交通名所御図絵」(昭和5年鳥瞰図絵師吉田初三郎作) には、「最乗寺~明神ヶ岳~宮城野」を結ぶロープウェイの絵が描かれているとのことです。事実、「最乗寺~明神ヶ岳」間には、昭和の高度成長期に実際、建設が始まり、完成には至らなかったですが、当時の資材運搬リフトの鉄塔7基が、いまでも山中に残されているようです。

 

摂政宮殿下がお登りになって来られた道を逆走してきました。このまま、この尾根から降りずに「明星ヶ岳」に行っても帰られるという悪魔の囁きもありましたが、素直に予定通り、この分岐で宮城野に下りました。

 

宮城野に下山しました。宮城野橋バス停から振り返ってみた「明神ヶ岳」です。結局、「明神様」の真相は分からず仕舞いでしたが、バスに乗って、箱根湯元で乗換えて、いざ小田原へ。

 

小田原で、「鬼の居ぬ間に“喉”の洗濯!」。美味いものでも喰ってパアッ!とやとうと思ったのですが、「○○大明神」の逆鱗に触れるといけないので、酒類税込99円!のファミレスで・・・乾杯~!

【あとがき】

唐代韓愈の《与崔群書》に「青天白日 奴隷亦其ノ清明ヲ知ル」とある。「独身者」が貴族なら、双対する「妻帯者」は奴隷なのだろうか?!

 
 
     高橋聡 記  


 報告書は以上です。

 残りの写真はこちらからご覧いただけます。
  その1)舩生さん撮影
  その2)高橋さん撮影