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- 【メンバー】
- 43小柴,44水堀勤、水堀雅,46三木洋、平石充,48石井啓,53田中亨,57高橋聡
- 【日程】
- 2022年1月23日(日)
- 【行程】
- 距離:12km 登り:269m 下り:216m
<ヤマレコ横浜市最高峰大丸山 鎌倉駅~港南台>
鎌倉駅10:00 → 10:17鶴岡八幡宮 → 10:35頼朝の墓下 → 10:51鎌倉宮 → 11:00永福寺跡 → 11:10天園ハイキングコース獅子舞谷口
→ 11:30獅子岩 → 11:40天園 → 11:44横浜市最高地点11:55 → 12:21市境広場 → 12:50 大丸山13:30 →14:14いっしんどう広場14:21→15:05港南台駅
- 【まえがき】
「鎌倉殿の13人」、令和4年(2022)のNHK大河ドラマのタイトルである。
NHK大河ドラマとは、昭和38年(1963)から放送されている大型歴史ドラマシリーズで、本年、第61作を迎えるが、ここでも小さな歴史が動く。
60年の大河ドラマ史上ついに初めてタイトルにアラビア数字(算用数字)が使われたのである。日本は、元来、縦書き、数字は漢数字の文化であり、現在「会計」「登記」「戸籍」等関連法規、及び年賀状の宛名書きなどに微かに残すものの絶滅が危惧されている。
「いざ鎌倉」!本年初の活動にあたり、「野歩殿の8人」は、鎌倉に馳せ参じることと相成ったのである。
注)「いざ鎌倉」・・・「大事が起こった!いよいよ行動を起こす時、全力を尽くして働くべき時」
- 【報告】
「鎌倉駅」に集合!JR横須賀線と江ノ島電鉄(通称「江ノ電」)との駅ですが、明治22年(1889)、大船から帝国海軍横須賀鎮守府(通称「横鎮」)へと横須賀線の開通時に誕生した歴史のある駅です。一方の「江ノ電」も小さな地方路線ですが、明治35年(1902)に藤沢 - 片瀬(現江ノ島)間開業、明治43年(1910)には、鎌倉(旧小町電停)まで全線開通しており、こちらも100年以上の歴史があります。先ずは「野歩殿の6人」で出発!
先ずは、本日の安全を祈願するため、「鶴岡八幡宮」に向かいます。「小町通り」を進みますが、その一本東の通りの「若宮大路(わかみやおおじ)」は、由比ガ浜から「一の鳥居」「二の鳥居」「三の鳥居」をくぐって鶴岡八幡宮に通じる表参道です。その表参道には、「段葛(だんかずら)」という、一段高く土盛された歩道があるのですが、現在は、二の鳥居から三の鳥居までの間しか残っていません。一の鳥居と二の鳥居の間の段葛は、横須賀線を通すために撤去したというところから、当時の大日本帝国の軍の力を垣間見ることが出来ます。
「鶴岡八幡宮」です。八幡宮は、「八幡神」を祭神とする神社で、その総本社は、宇佐神宮でした!筆者は、全国の「八幡さま」の祭神は、「八幡太郎義家(源義家)」、そして、ここ鎌倉が総本社だとずっと思っていました。ですが、さすが鎌倉です!日本三大八幡宮といえば、古くは、旧社格の“官幣大社”である「大分宇佐神宮、京都石清水八幡宮、福岡筥崎宮(はこざきぐう)」だったようですが、格下の“国幣中社”であった「鶴岡八幡宮」が筥崎宮に取って代り、近年では日本三大八幡宮といえば「宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮」だそうです!鎌倉源氏の氏社ですので、当然のことかも知れません。
「源頼朝の墓」の前です。“いいくに作ろう鎌倉幕府”、建久3年(1192)、源頼朝は、征夷大将軍となり幕府を開きますが、建久10年(1199) 享年52歳で亡くなったとされています。但し、鎌倉幕府の公式記録「吾妻鏡」には、頼朝の死亡に関する記録が抜けているため、頼朝の死は謎に包まれているらしいです。
「鎌倉宮」です。名前からして鎌倉幕府ゆかりの由緒ある神社かと思いきや、どうやらアンチ鎌倉のようです。
江戸幕府から天皇へ政権復帰を果たした明治新政府は、その記念に鎌倉幕府から天皇へ政権復古した「建武の新政」に功を奏した後醍醐天皇皇子の護良親王(もりながしんのう)を主祭神として、明治2年(1869)に建てた“新しい”神社でした。しかも寄りによって、鶴岡八幡宮の“国幣中社”より格上の“官幣中社”で格付けするとは!
「史跡永福寺跡」を巻いて行きます。鎌倉時代、永福寺という源頼朝が建立した歴史のある寺院があって、この辺り約88,000㎡が史跡に指定されています。いろいろ歴史的価値のある“遺構”が発掘されているらしいですが、見た目、何もないところで、素人にはこの歴史的価値が分かりませんでした。
ところで、広さの表現として「東京ドーム〇個分」とかよく言いますが、東京ドームの面積は、46,755㎡ですので、ここ「永福寺跡」は、「約東京ドーム2個分」の広さと言っておきます。
「天園ハイキングコース獅子舞谷口」からやっと未舗装道に入りました。天園ハイキングコースとしては、瑞泉寺からの尾根道がメジャーなようですが、台風被害で現在も通行止めなので、今回は、この谷筋を登っていきます。
「獅子岩」と看板に書かれた奇妙な岩に出ました。看板通り、素直にライオンだと思って、角度を変えたりして眺めましたが、筆者には今一ライオンの姿には見えず・・・。後でわかったのですが、「獅子舞」でした!やけに胴長だったのも納得!そう言われてみると獅子舞に見えてきます(笑)。
瑞泉寺から来る尾根道に出て、更に「大平山(おおひらやま)」から来る尾根との交点「天園(てんえん)」に着きました。MZH先輩夫妻と合流して「野歩殿の8人」になりました。天園は、別名「六国峠」とも言われ、ここから「武蔵、相模、上総、下総、伊豆、駿河」が望めたからだそうです。天園の名前は、日本海海戦でロシアバルチック艦隊を撃破し、東洋のネルソンと称された東郷平八郎が「天国の園に遊ぶよう」と形容したからだそうで、彼がこの地に建てた別荘「日源荘」の石碑が、今も残っているとのことです。
天園の案内板の直ぐ上に登って「横浜市内最高地点 “海面からの高度” 159.4m」と書かれた看板のところで小休憩です。ここに昔「天園峠の茶屋」があったらしいです。昭和40年(1965)開業のようですが、後に横浜市の管理道路上を不法占拠が発覚、横浜市の10年以上に渡る勧告の末、平成28年(2016)にやっと閉店したそうです。
ちなみに「大平山」から来る尾根に鎌倉市と横浜市の市境が通っているのですが、市境と尾根道は多少ずれていて、「大平山」山頂は鎌倉市にあるために、この辺りが、“横浜市最高地点”となって、 “横浜市最高峰”は、これから行く「大丸山(おおまるやま)」となるようです。なんとも微妙な話ですね。
「市境広場」です。「天園」からの市境の尾根道を進んできたわけですが、鎌倉市とは、ここでお別れします。ここから先は、純然たる横浜市内を進んでいきます。
尾根道から、大丸山の山頂への分岐に「京浜急行電鉄 地域開発本部」の看板が掲げられています。気になって調べてみましたら、さすが京急、関東初の電鉄会社です。京急は大丸山一帯の広大な土地を所有していました。横浜市は、京急の所有する76.5haを「緑地地保全基本契約」締結しています。その契約内容が凄いです!大丸山付近29.3ha以外の大半を横浜市が時間をかけて購入するとあります。正確な売買実績は不詳ですが、市議会議事で見つけた限り、横浜市は、基本契約締結後の2年間で計33.2haを35億円で購入!なんと㎡単価10,000円越!近年も毎年、数haずつ数億円で購入しています。㎡単価は8,000円代と少しずつ下がっていましたが、横浜とはいえ山林なのに高過ぎです!しかも、理由が「『大丸山近郊緑地特別保全地区』の土地所有者から、都市緑地法第17条に基づく買入れの申し出があったため」とあり、同法17条は「行為の制限により土地の利用に著しい支障を来す場合に買い入れる」という条項ですが、京急にとって山野の利用価値なんかあるのでしょうか?横浜市は金持ちだから?市民オンブズマンに訊いてみたいです。
参考:横浜市における緑地保全制度の概要
分岐から少し登ると大丸山の山頂156.8mに到着です。海側の眺望が開けています。東京湾の向こう側に幽かに房総半島が見えました。「山座同定」に長けた諸先輩方は、遠くの幽かな山容から房総半島の「鋸山」を同定されていました。山座同定に関しては、また機を見てお話します。
山頂では、「地域の子供会」かどのような団体かは分かりませんが、大人がリーダとなり小学生くらいの子供たち20人くらいが野外ゲームをやっていて、子供たちの土煙を避けながらの食事です。そういえば、子供の野外活動といえば「ボーイスカウト」ですが、これも凄い歴史があるんですね!明治40年(1907)イギリスで発祥、翌年には日本にも伝わり、大正11年(1922)「少年団日本連盟」創立、ボーイスカウト国際事務局正式加盟から、今年で100年だそうです。現在、世界5,700万人、日本2000団9万人が活動しているとのことです。
根岸線「港南台」駅に無事下山。根岸線は、旧横浜(現桜木町)から昭和39年(1964)桜木町-磯子間に開業した路線で、その後、昭和45年(1970)「洋光台」、昭和48(1973) 「港南台」-「本郷台」と似たような駅を並べて大船まで延伸しました。時は日本の高度成長期、ここでもニュータウン開発が始まりました。洋光台は、「海から昇る朝日」のイメージコピーで、宅地分譲抽選の倍率は、5000倍であったとか。後に町名にしちゃいます。港南台もニュータウンのコピーをそのまま町名にして、本郷台は、旧鎌倉郡本郷村の地名からですが、洋光台、港南台に真似て「台」を付けたようです。ブルジョアは、平地より高台を好むので、当時の流行りだったようです。
反省会は、港南台駅のサイゼリヤで、“慎ましく”執り行いました。
追伸) 時節柄、解散直帰の予定が、ついつい大船駅で途中下車の「“野暮殿”の3人」(泣)。
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