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- 【メンバー】
46三木洋、平石充,48斎藤隆、斎藤恭,51常盤豊,53田中亨,55舩生克、北島博、中嶋広,57金古久,高橋聡-
- 【日程】
- 2022年10月16日(日)
- 【工程】
- 距離:10.0 km 登り:392m 下り:718m
<20221016ヤマレコ黒川鶏冠山>
柳沢峠駐車場10:04 - 10:45六本木峠10:51 - 11:25横手山峠11:35 – 12:11黒川鶏冠山三角点12:31 - 12:34黒川鶏冠山見晴台12:42
- 12:58鶏冠神社13:20 - 13:29黒川鶏冠山の袂 - 13:50横手山峠14:03 - 14:49鶏冠山登山口- 14:52落合駐車スペース
- 【まえがき】
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」
(はやきこと風の如く、しずかなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し)
戦国の大名、甲斐の武田信玄は、『孫子の兵法・軍争篇』の一節を旗指物に記した。
信玄公の強大な力を支えていたのは、その財政基盤である。
領内から産出される「金」から「甲州金」を作り、甲斐は繁栄した。
甲斐金山の代表格に「黒川金山」がある。
戦国時代から早500年、信玄公に思いを馳せ、「黒川金山」を抱える「黒川山」(鶏冠山)に向かうことになった。
- 【報告】
「柳沢峠」(標高1473m) スタートです。
塩山駅から柳沢峠~落合に行くバスがシーズン中の休日のみ、かつ朝・夕一本ずつしかないため、乗り遅れリスク回避を鑑み、当初のバス利用を石和温泉のレンタカー利用に変更。
ですが、柳沢峠から登って落合に下るコースには変更しませんでしたので、車2台を下山口の落合に置いて来ました。
ということで、運転手3名の遅れての出発です!
柳沢峠駐車場から国道の対面から登って行きます。先行8名を“猛追”します(笑)
「ナラ坂」(1525m)
道標と「ブナの道」案内図がありました。おッ、東京都のマーク!
道標にも案内板にも「東京都水道局」と書かれています。なんと、ここは東京都の持ち物だったとは!
承応3年(1654)玉川上水を完成させた江戸は、水源を確保すべく、明治26年(1893)東京府は、神奈川県三多摩郡(西多摩、南多摩、北多摩)を編入、さらに多摩川源流域の山梨県に触手を伸ばします。
明治34年(1901) 山梨県北都留郡丹波山村、小菅村の8,140haを、明治45年(1912) 山梨県東山梨郡萩原山(現甲州市の「この辺り一帯」) 5,610haを“譲り受けた”そうです。
「大東京」恐るべし!
参考:「東京都水道局 水源林に行ってみよう」:「柳沢峠ゾーン」
「梅の木尾根」(1616m)
「左:ブナ坂、右:六本木峠」の道標です。六本木峠へと進みます。
道は、近年歩いた山道では、最も「良い道」だと思います。勾配も緩やかで段差も全くなく、非常に歩き易いです!
「六本木峠」(1620m)
「六本木」といえば、東京の外国人が多い有名な繁華街です。旧日本軍の軍事施設の町であったため、太平洋戦争の空襲で壊滅、終戦後GHQに接収されました。なので、進駐軍向けの飲食店や“クラブ”(ナイトクラブ、サパークラブ、ゴーゴークラブ)が多く進出、“アメリカ人”と“アメリカかぶれの若者”の街になって行きます。
ここの「六本木峠」にも、元「六本木族」(?)が集まっていました (笑)!
先行隊と合流です!
総勢11名で「松尾根」の巻道を進みます。山腹を“上手”に巻いていて、平らな良い道です。
途中一か所だけ、倒木を跨ぐところがありましたが・・・
「新横手山峠」付近「落合~泉水谷」林道出合(1555m)
尾根道の峠から峠だと、普通“登って下る”はずですが、ピークはきれいに巻いてくれているので楽ちんです!
「横手山峠」(1558m)
「黒川金山」への道は右ですが、「金」には目もくれず、スルーします(泣)
「横手山峠」(1558m)
「鶏冠山」への道のところで、一休みです。さすが、東京都水道局、120年間管理しているだけのことはあります。道も道標もきちんと管理されていました。
「鶏冠山の三角点」(1710m)付近(直下)の分岐です。先ずは、三角点へ。
「鶏冠山の三角点」(標高1710.09m)
基準点コード:TR35338564701。ご興味ある方は、「国土地理院基準点成果閲覧サービス」で・・・。
「鶏冠山の三角点」(1710m)での記念写真!
ピークが狭く、どこにカメラを設置しようかと迷っていたところ、さすがTNK先輩!おもむろにゴム紐を木に巻き付けました。そして、そこにカメラを挟みました。とにかく適当に一同の写真が撮れさえすれば、後は、昨今のデジタル技術で画角、露出調整・・・。時代は進化しました。
「鶏冠山(黒川山)」見晴台(1716m)
ここが、鶏冠山山頂のようです。鶏冠山の最高点ですので。
たしかに展望は良いのですが、如何せん、狭いです!あまりに狭く身動きが取れません。
「鶏冠山(黒川山)」見晴台(1716m)
土の中からゴツゴツと盛り上がったような岩。この「景観」がまさに「鶏冠」と謂われる所以でしょう。
ちなみに鶏の「鶏冠(とさか)」は、日本では食卓に並びませんが、海外ではヒアルロン酸が豊富な食材となっています。筆者も中国で食したことがありますが、特に味はなかったです。
一旦「鶏冠山三角点の直下」に戻って、もう一つのピーク「鶏冠山神社」に向かいます。
緩やかな尾根を東に少し進むと急に岩場が登場!「鶏冠」部分です。
ここから、結構険しい、狭い岩の間を進みました。
「鶏冠神社」(1700m)
「鶏冠」の先端部に祠がありました。「鶏冠神社」の奥宮です。麓の集落に里宮(前宮)があるそうです。
黒川金山の守護神とのことで、随身像に永禄2年(1559年)、御正体に天正5年(1577年)の銘があることから、金山の最盛期に建立、奉納されているようです。
かような歴史のある社にカメラを向けて、恐る恐る写真を撮ってみました。
なッ、なんと社の背後に“御神体”が写っているではありませんか!(笑)
「鶏冠神社」(1700m)の建っている所です。
いつも感心するのは、何でこのような場所に祠があるのかです。信仰の力ってすごいです。
それと、ここ景観神社の前に“山梨百名山標柱設置ボランティア”による「鶏冠山(黒川山)」の標柱が建てられているので、一部の地図によっては、ここが「鶏冠山」と誤解されているようですが、国土地理院によれば、「鶏冠山の見晴台」が正しい(?)「鶏冠山(黒川山)」となっているようです。
「横手山峠」(1558m)に戻ってきました。
ここから、来た道ではなく、落合へ下ります。
横手山峠~落合への道と鶏冠山から直接下って来る道との合流点(1503m)です。
当初は、鶏冠神社から鶏冠山の三角点に戻る途中の1585m付近から分岐して、ここへ下って来る予定のようでしたが、諸状況を鑑み、横手山峠経由で下って来ました。
「鶏冠山登山口」(1148m)落合到着です。
車の置いてあるところはここからすぐ。一同、車で石和温泉駅へ。
“本来なら”、この後、最も重要な“反省会”なのですが、残念!
石和温泉駅周辺で、時間帯もあり、皆で手分けしてさんざん付近の店を探しましたが、反省会できることが全くなく、やむなく解散。(遅くなっても構わない、いつもの面々を残して・・・)
ということで、今回の報告は、あくまで山行の感想で締めます。
今回歩いた道は、本当に歩き易い良い道でした。それは、この道が「登山道」ではなく、500年前の金山時代からの「生活道」なのでしょうか、はたまた東京都水道局が支配している120年に及ぶ「管理道」なのでしょうか。
「鶏冠神社」への行き帰りの「鶏冠」の部分が、今回一番の難所と思われしき所でしたが、それはそれで「鶏冠山」の「鶏冠」にも触れることが出来て良かったです。
お疲れ様でした!
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