◆新治市民の森ハイキング報告   

 高橋さんから11月のハイキングのご報告を頂きましたので掲載いたします。

   
【メンバー】

43小柴迪,44阿部佳,46三木洋、平石充,48斎藤隆、斎藤恭、石井啓,53田中亨,55北島博,57高橋聡
 
【日程】
2022年11月20日(日)
【工程】
距離:7.6 km 登り:168 m 下り:157 m

<20221120ヤマレコ新治市民の森>

十日市場駅10:00 - 10:20旧奥津邸10:26 - 10:46おんばく山10:58 - 11:13新治市民の森公園駐車場11:15 - 11:20丸山 - 11:26池ぶち広場11:57 - 12:12尾根道ルート分岐D-10 12:16 - 12:43池ぶちルート分岐A-1 - 12:55向山 - 13:02旭谷戸ルート分岐B-2- 13:24十日市場駅
 
【まえがき】

安政5年(1858) 安政五カ国条約で「神奈川」に開港を余儀なくされた幕府は、「神奈川宿」での攘夷騒動を懸念し、条約違反となるも対岸の小さな漁村「横浜村」に開港する。
明治になると「神奈川」一帯は、「神奈川県」となる。
世界情勢と時代の流れは恐ろしい。「横浜」は、開港以降、国際港湾都市として近代的な都市へと急速に発展し、明治22年(1889)市町村制施行時、東京、大阪、京都、名古屋、神戸とともに六大都市の仲間入りを果たす。
さらに明治34年(1901) ついに「神奈川県横浜市」は「神奈川」を吞込むに至る(現「横浜市神奈川区」)
港湾を起点に発展を遂げた「横浜市」は、やがて内陸まで市域を拡大していく。
そんな “乱開発の牙”から逃れた“奇跡の森”が、横浜市の北部「緑区」の一角にあった。
昔ながらの里山と谷戸(やと)をゆっくり歩きながら、失われつつある日本の原風景をじっくりと味わってみよう。
 
【報告】

 

JR「十日市場駅」集合!
「横浜線」は、明治41年(1908)横浜鉄道によって東神奈川駅 - 八王子駅間(42.5 km)が開業、一昔前(?)まで、旧型国電の走る単線でしたが、“いざなぎ景気”の昭和42年(1967)から順次複線化を進め、昭和54年(1979)に長津田まで複線になった際に成瀬駅とともに開業した新しい(?)駅です。

 

住宅街を進むと突然、車道が行き止り!
目の前が開けて、前方に森に覆われた小高い丘が見えました。眼下に広がる森が、「新治市民の森」のようです。

 

ここで、記念写真!

 

ここから、「新治市民の森」へと階段を下りて行きます。
後で判明したのですが、階段両脇の緑地、栗林は、旧奥津邸の敷地のようです。

 

旧奥津邸」です。
この辺りに昔から住んでいた方が、緑地と家屋敷を横浜市に寄贈されたことが公園となる発端のようです。
長屋門と土蔵と納屋、その奥に主屋が見えます。一般公開されているので、見学可能でしたが、いつもの通り(?
)、素通りです。

 

「長屋門」をご紹介!
長屋門があるってどのような名家でしょうか。単なる農家ではなさそうです。
長屋門は、本来、上級武士の屋敷の門で、家臣や下僕の居所としての長屋を備えた門とのこと。
ちなみに拙宅は、戸建ですが、門というものがありません(泣)

 

「にいはる交流センター管理事務所」から先ず、「旭谷戸」に向かいます。谷戸田の脇の道を登って行きます。
谷戸(やと)とは、丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形のことだそうですが、谷戸(やと)、谷(や)は関東の呼び名で、千葉では谷津(やつ)、東北では谷地(やち)・谷那(やな)、西日本では迫・佐古(さこ)、岐阜では洞(ほら)と呼ばれたりするそうです。
言われてみると「渋谷」の地形も谷底でしたね!千駄ヶ谷、雑司が谷、四ツ谷、祖師谷、幡ヶ谷、、、世田谷!思い付くだけで〇〇谷が身近にこんなにも!
恐れ入谷の鬼子母神!

 

谷戸は、周囲に斜面樹林が接する集水域であったため、用水路が発達していない古くから稲作が営まれていたようです。ですが、反面、尾根筋に挟まれた地形であるために日照時間が短く、また、水温が上がらないうちに谷戸田へ水が入ってしまうため、穀高が上がらず、谷戸田は衰退していったそうです。今残されている谷戸田は希少です。

 

谷戸田への水の引込口の水路の形です。斜面から集水された水を直接、谷戸田に入れると冷たいので、水路を引き回して水を温める工夫だそうです。なるほど。

 

「おんばく山」を目指して少し登ります。
舗装された尾根道に出て、少しうろうろすることになりました。結局「おんばく山」のピークは分かりませんでした。
「おんばく」の意味がやっと分かりました!山間の湿地などに自生する多年草「ギボウシ」のことのようで、この辺りにたくさん自生しているそうです。
ギボウシは、蕾が似ている擬宝珠(ぎぼうしゅ)の転訛だそうです。葉はオオバコに似ているらしいです。ということは、「おんばく」は、オオバコの転訛かも知れません。

 

「へぼそ」も意味も場所も分からないまま、また、森の中に戻りました。
森の中は、それなりの山道で、良い感じです。
「へぼそ」の意味もやっと分かりました。「カラスビシャク」のことだそうです。カラスビシャクは、花は小型の仏炎苞で、ひものようなものが上部に伸びた独特な形から、「烏の柄杓」と呼ばれているそうです。昔は漢方薬に使うためこの草の根茎を薬屋に売って小銭をためたというところから別名「ヘソクリ」とも言うらしいです。
「へぼそ」は、ヘソクリの転訛?!

 

「にいはま森工房」です。木細工を売っています。竹でつくった水鉄砲、紙鉄砲など“昭和の玩具”もありました。ちなみにここには、反対側から車で来られるようです。

 

「丸山」(標高67m)
今回、唯一のピークといえる場所です。記念写真!

 
「池ぶち広場」
奥の方まで続くかなり広い広場ですが、元は何だったのでしょうか、休耕地を広場として活用という感じです。テーブルと椅子がありましたので、ありがたく使わせて頂き、ここで、昼食です。

 

少し歩くと個人の畑にこんなものが!何かの農作業小屋でしょうか、手作り感一杯で良いですね、この感じ!

 

ということで、ここでも記念写真!

 

ここからが、本日最大の“山場”でした。池ぶちから「鎌立の奥」を経由して、「尾根道」へと標高40mから70mに標高差30mを一気に登ります。

 

「尾根道」に登り着きました!
ここからは、「尾根歩き」です。「稜線歩き」?・・・はて?「尾根」と「稜線」とは違うの?
辞書で調べてみました。

 尾根:谷と谷に挟まれた山地の一番高い部分の連なり
 稜線:山の峰と峰を結んで続く線

同義ともありましたが、〇〇尾根とは言いますが、〇〇稜線とは言わないですよね。
これ以上は、蘊蓄が長くなりそうなので、話を先に進めます。

 

「尾根歩き」の魅力は、“本来”「眺望」です。
森の中は、樹木の間で視界は遮られていましたが、森を抜けると視界が開け、「畑道」にでました。

 

この新治市民の森は、地域住民と市が協力して、「里山の原風景」を保全しているので、一帯には民有地の田畑が入り組んでいます。“良い感じの風景”なので、ここでも記念写真!

 

一旦、境界となる車道にでましたが、また「向山」へと森に入って行きました。
また完全な山道となって、今度は、「クマザサ」の“笹藪歩き”です。
「クマザサ」は「隈笹」です。笹の葉が大きいとか、熊が潜む笹薮を成すから「熊笹」じゃないです。笹の葉に白い“隈取り”があるから「隈笹」っていうんです。(釈迦に説法?)

 

そうこうしているうちに今度は“竹林”です。
「京都だ!」と皆さん、はしゃいでいます。確かに見事な竹林でした。

 

森の中をいろいろ巡って、3時間ほどかけて、ぐるりと一回りしてきました。
ふと畑の柿ノ木に目をやると烏が柿をついばんでいました。柿を全部収穫せずに野鳥の分として残してあげているのでしょう。微笑ましい光景です。

 

十日市場駅に戻って来ました。
で、“いつもの” この段階では、特に反省することなど何もないけど、「反省会」開宴!
近場ということあり、全員参加!「お疲れ様でした!乾杯~!」(@午後3時)

 

後で反省することとなる、これこそ「反省会」!(@午後8時)

 

さらに「反省会」の極み! (@午後10時)
 
  
 
     高橋聡 記  


報告書は以上です。

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