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- 【メンバー】
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- 43石川卓
44阿部佳、佐藤あ、水堀勤、水堀雅
45清水敏
46三木洋
48齋藤隆、齋藤恭、石井啓
49鈴木幾
55北島博、三橋幸
57高橋聡
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- 【日程】
- 2023年4月16日(日)
- 【工程】
- 距離:5.0 km 登り:167 m下り:533 m
<20230416ヤマレコ湯河原城山>
湯河原駅10:30 -(タクシー)- 10:50城山入口11:00 – 11:28城山山頂11:43 – 11:55城山公園ピクニックグラウンド 13:10 - 13:59 城山学園跡地 - 14:23城願寺14:36 – 14:45湯河原駅 – 14:48餃子の一番亭
- 【まえがき】
城は、かつては重要な戦闘拠点であった。
戦国の世には、防御に適した山城が主流であったが、やがて政治的拠点として、平地に臨む丘陵に築いた平山城や平地に築いた平城が主流となり、山城は次第に姿を消していく。
かような山城に他ならぬ思いを馳せる一行は、中世に土肥實平(どひ さねひら)が築城したとされる「土肥城址」を訪ねた。
- 【報告】
湯河原駅に集合した一行は、タクシーに分乗し、「城山入口」に到着!
箱根登山バスと伊豆箱根バスのバス停が並んであります。
ですが、「運行を終了させて頂きました」の貼り紙が・・・。
COVID-19前までは、湯河原駅から箱根町へと箱根登山バスと伊豆箱根バスのバスが走っていたそうです。
先ずは身支度を整えます。
今回は、「ランチタイムを楽しむ」がテーマ。ということは水がたくさん要ります。ですが、指揮命令系統がしっかりしているTNKリーダが不在でしたので、誰々水何cc持参という割振りがなされていません!各々ボランティアが適当に水を多めに持参してきたので、多過ぎる水はここで処分しちゃいました。
道路からすぐ脇の山道に入って行きます。木漏れ日(注釈:木立ちから漏れる日差しのこと)の中を14名の隊列が進みます。
しばらくはそれほど急な山道ではありませんでしたが、やがて山道はつづら折り(注釈:九十九折、幾重にも曲がりくねって続く坂道のこと)になり、高度を稼いで行きます。
中3物理の復習(復讐)です。エネルギー[J(ジュール)]=力[N(ニュートン)]×距離[m]
つまり、距離が2倍になれば力は1/2でも同じ位置エネルギー[J]が得られます。
同じ位置エネルギーを稼ぐのに坂道を最短直線距離(最大傾斜角方向)で登った場合と進行方向に対して敢えて斜めに蛇行して登った場合とを比べると後者のつづら折りの方が楽に登れます。
ここが、物理学と人間工学との違いでしょうか・・・。
ヤマツツジ・・・だと思います。
ツツジかサツキか、似ているので良く聞かれる話ですが、それぞれ何十、何百種類あるらしいので一言では区別できないそうです。ですが、4月開花がツツジ(躑躅)、5月開花がサツキ(皐月)。これが最も確実な区別方法のようです。
そうこうしているうちに城山山頂に到着!
天気も最高!美男・美女集団!こういう時に「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」と言うのかも知れません(笑)
山頂の奥の方に「硯石」の看板がありました。誰にも気が付かれないようなところで、事実、今回、誰も気づいていないと思います。
看板記:「源頼朝が力試しに石を力一杯踵でけったところその石に踵の跡が付きその跡が硯石に似ていることから硯石と言われています
1930年頃まで夏の日照り続きの時お年寄りがその硯石を水で洗い雨乞をしていたとも言い伝えられています」
写真左の石は何かの台みたいで窪みもないし・・・、どうやら看板の右下の草むらに見えているのが硯石だったみたいです。
山頂の中心には、立派な「土肥城趾 男爵小早川四郎題」石碑が建っています。
意外な史実が発覚・・・!
ここには、平安末期の土肥氏の城はなく、戦国時代の小田原北条氏の出城(城柵・狼煙台)であったという説が有力のようで、戦前の英雄伝説創造運動の一環で、土肥実平ゆかりの小早川四郎に揮毫をお願いし、この石碑を昭和11年(1936)に建てたそうです。
歴史とはロマンであり、仮に史実と異なる創作伝承であったにせよ、地元の伝承は、学術的発掘調査を行ってまで明らかにしてはならないのかも知れません。
タラの芽(楤芽)です。
山頂から下山開始早々、直ぐにでも手が届くような場所にありました。もう少しのところで取って帰るところでしたが・・・。タラの芽の天ぷらは美味いですよね!
「城山公園ピクニックグラウンド」
山頂から10分程下ったところに南側に開けた広場がありました。
今回のテーマ「ランチタイムを楽しむ」開始です。
ここで、いつも湯沸かしを担って頂いているTNKリーダの代わりに筆者が大量に湯を沸かせる秘密兵器を持参!
ストーブは「Coleman peak1 model 400A」、ポットは鍋底に「熱交換フィン」のついた中華製2Lクッカー!
TNKリーダご愛用の「JETBOIL」の湯が速く沸くのは「熱交換フィン」が肝で、似たような物を買ってみました。確かに速いです。実測で2Lの水は3分で沸かせます!
英語のストーブ(stove)とは暖房・調理用の熱源のこと。日本語のストーブは、一般的には暖房用を指し、調理用はコンロ(焜炉)と言いますが、キャンプ、登山などのアウトドア界では調理用コンロもストーブと言います。ちなみにコンロは一般にカタカナが使われますが、純粋な日本語です。
真鶴半島が見えます!相模湾・相模灘の青い海を青い空、絶景です!
その絶景を背景に記念写真!
良いお天気の中、ゆったりくつろいで、1時間以上ここにいました。
さて、下山開始です。ここからは、車道歩きです。
児童養護施設 城山学園の跡地。
昭和26年(1951) 戦後の混乱の中で青少年が非行化しているのを見るに忍びなく、心ある人が土地、建物、資金を提供し設立。平成24年(2012)に施設老朽化のため、新築移転したとのこと。
そういった精神を見習いたいものです。
ISW先輩曰く、桐の花だそうです。山肌に咲いていました。
車道をぶらぶらと海に向かって下りて行きます。だいぶ下界に下りて来ました。
城願寺到着!
城願寺は、相模土肥郷の豪族土肥次郎實平ゆかりの寺で、土肥一族の墓所があります。
土肥實平は、平安末期から鎌倉時代の相模土肥郷の豪族、桓武平氏良文流中村宗平の次男、小早川氏の祖。
令和4年(2022)NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、阿南健治が、源頼朝の挙兵のために、人が良く誠実な和を重んじる土肥實平役を演じていました。
城願寺の柏槙(びゃくしん):
土肥実平の手植えの木と云われ、樹齢900年、国指定天然記念物にも指定されています。
源頼朝や土肥實平らの平家討伐の出陣を見守り、治承4年(1180)石橋山合戦に敗れ山中に逃れた頼朝主従七騎が無事に房総半島へ逃れるのを見守り、さらに今、我々一行の山行の無事を見守っています。
城願寺の七騎堂:
地元郷土史研究団体「土肥会」が石橋山合戦で追ってから守り通した頼朝主従七騎の像を刻み、昭和49年(1974)建立したお堂です。そういった意味ではものすごく新しいです!
「これって何と書いてあるのかしら?」「きっと後で○○君が調べてくれるわよ!」
さすがに読めませんでしたが、調べがつきました!
山号(さんごう)とは、寺院の名称寺号(じごう)の前に冠する称号で、所在地の山名の場合、地名と関係ない名前、山号がない場合もあるそうですが、門に掛けられている寺院名を記した額は、寺号であっても「山号額」と呼ぶそうです。
ここ城願寺は、萬年の世までも家運が栄えるように「萬年山」と号するそうです。
湯河原駅前到着です!
駅前がなんと土肥氏館跡です!土肥氏館跡の石碑と土肥實平公と夫人像があります。
碑文に「乾坤一擲(けんこんいってき)」と刻まれていました。
實平公の夫人の“心賢賢しき(さかさかしき)は、武人の妻の鏡”として讃えられるそうです。
内助の功・・・知らない世界です(笑)。
さて、メインイベント(?)の反省会ですが、餃子の一番亭で乾杯!
お疲れ様でした!(写真撮影失念!)
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