◆「美ヶ原高原スノーシューハイキング」報告   

  和田(則)さんから2月の行事のご報告を頂きましたので紹介いたします。

 
  • 日 時:平成28年2月11日(木・祝)〜12日(金)
  • コース:長野県・美ヶ原高原
    • 1日目(晴・暖)美しの塔〜王ヶ頭(2034m)(往復) 美ヶ原高原ホテル山本小屋(泊)
    • 2日目(晴・暖)牛伏山(1990m)〜鹿伏山(1976m)〜H山本小屋(1940m)
  • 同行者:中村ご夫婦、石川、阿部、佐藤、茂福、北島、和田(代記)

<コースマップ>




<記録>

  • 中村さんが企画したスノーシューハイキング第2弾。いくつかの候補の中から選定されました。昨年は霧ヶ峰、今年は隣の美ヶ原。私はすぐに同行を決定。
  • 1日日は、この時期、快晴無風で暖かい稀日、雪原歩きとパノラマ展望にルンルン気分の1日でした。
    2日目は、近くの丘めぐり。晴れてはいるがブリザードを伴う非常に強い風で、全員が不安を感じた標高2000mのスノーハイキングでした。下諏訪の散策も小さな思い出です。
 
 
 
 
【2月11日】
  • 美ヶ原の1月、2月の気温は、平均して朝は−11℃〜13℃、昼は−6℃〜8℃で推移し寒さを心配した。11日は移動性高気圧により暖かいとの予報に、肩の力が緩みました。
 
 (高原に入る)
  • 列車から雪の山々や里を眺め、10時すぎに下諏訪駅に全員集合。駅前は薄手の手袋では寒い。10時30分に山本小屋の送迎用貸切りマイクロバスで高原に向かいます。
  • 下諏訪はかつて中山道と甲州街道が合流する門前宿場町として栄えました。バスは昔の面影を残す街道筋から、諏訪大社の御柱祭り「木落とし坂」前を通ります。ビーナスラインは冬季閉鎖のため、新和田峠のトンネルを通過し、峠の先の和田宿から山に入りました。
  • 上越の雪山と異なり、陽光に輝く明るい山々。白樺が標高1500m以上に植生する珍しい白樺林を抜け、先日の雨氷で大量に枝を落した落葉樹林帯を潜ると、展望が開けます。1時間強で山本小屋に到着。駐車場は車で一杯でした。
 
 (H山本小屋)
  • 光溢れ、風はなく暖かい。気温は−4℃。小屋前の雪原にはスノーモービルの丸い轍跡。ホテル山本小屋に入ります。ロビーのストーブ横の黒ネコが招き猫のように正座しています。私たちを出迎えるなんていいですね。昼食は食堂で、蕎麦、丼ぶり、カレーなどを腹に入れます。カレーは流し込むので、飲み物みたいなものだという猛者もいました。
 
 (美ヶ原の開拓者)
  • 美ヶ原は江戸時代からの放牧地。昭和になって山本俊一氏が山本小屋を開き、登山道を整備し、美ケ原の名を世間に広めました。戦後のハイキングブームで濃霧による遭難が多発した際には、高原中央部に霧鐘の避難塔「美しの塔」の設置を推進され、それら尽力により今日の美ヶ原があるようです。
 
 (さっそく雪原へ)
  • スノーシュー(レンタル)の穿き方を教えてもらい、13時過ぎに出発。
    裏手に上がると一面の雪原。光が溢れています。サングラスやゴーグルは必携。丘の上に電波塔が立ち並ぶ王ケ頭(おうがとう)までは直線距離2300m、目と鼻の先です。例年は雪で隠れる牧場の柵が今年は積雪不足で露わになり、どこでも自由に歩けるのに、ついつい柵沿いを歩きます。
  • 魅了ポイントが多く、あっちに寄ったりこっちを眺めたりと中々先へ進みません。暑くなり衣服を1枚脱ぎ、2枚脱ぎ。サングラスだから記念写真で目をつぶっても大丈夫と、ワイワイガヤガヤ。散策気分を楽しみます。
 
 (大展望)
  • 光輝く雪原。空には雲一つなく山岳展望が広がります。美ヶ原からは日本百名山のうち40座以上を望めます。
    富士山、八ヶ岳連峰、金峰山、浅間山、白い台地の苗場山(と思う)、湯の丸、四阿山から志賀高原、頸城(くびき)三山と雨飾山、北アルプス連峰、白山(と思う)、乗鞍岳、煙を引く御嶽山、中央アルプス、南アルプスの山々。
  • 間近には霧ヶ峰高原、コロボックルヒュッテの林を見つけました。北アルプスは目前に広がるので雪の山襞一つひとつまで確認できます。見飽きることのない展望に大満足、やってきた甲斐があります。
 
 (王ケ頭)
  • 王ケ頭の先900m先にある王ケ鼻(おうがはな)に立てば、松本盆地を挟み聳え立つ槍穂高連峰を望める(平成20年5月末の美ヶ原山行の写真写真その1) (写真その2)のですが、余裕を持って美ヶ原を歩くには時間が足りません。ここで引き返します。お汁粉タイムも中止です。
  • 代わって王ケ頭ホテルの喫茶室でコーヒータイム。部屋の一角には幾重にも霜が凍りついた窓ガラスの「霜の華」。偏光板を通しで観ると、素晴らしい結晶模様が浮かび上がります。
  • 帰り道は台地全体を俯瞰でき、ルートも既知ですし、下り道なので足早です。ところが、Aさんはスノーシューの靴締めベルトが切れてしまい、シューを背負い、ツボ足で歩く羽目になりました。(後でベルトを調べると切れてはいませんでした)陽が傾くとのっぺりした雪面が立体的に輝きます。
 
 (H山本小屋で)
  • 16時30分に小屋着。皆は展望温泉風呂に入り、湯船から夕暮れの八ヶ岳を眺めたようです。石川さんと私は雪の高原に出て暮れゆく様子をカメラに収めました。
  • 18時30分から夕食。思いもよらないご馳走、ホテル仕様の食事にびっくりです。「2月11日ご夕食献立 1.グラスワイン(〇〇産) から始まり・・ 11.果物(〇〇産)」と書かれた本格的な献立表が置かれています。信州黄金軍鶏を使った鍋料理、信州サーモン、そして美ヶ原高原ワイン、それぞれ謂れのある品々をいただきました。
  • 食後は、「美ケ原の四季スライド上映会」と「星空観望」です。三代目オーナーは洒脱な話し口で飽きさせず、美ヶ原の様々な顔を知りました。終了後には風のある気温−6℃の寒さの中、私たちだけで星空観望。
    その後部屋で飲み会です。暖房完備の部屋で、テレビから流れるイクメン議員の不倫問題、新たな金融不安などを話題に大人の会話です。
 
 
 
 
【2月12日】
 
 
 (日の出)
  • 日の出は6時半頃。皆で20分前から日の出を待ちました。高気圧が東海上に去り南風が吹き込む高めの気温です。−5、6℃。しかし、ブリサードが吹き荒れ、強風に晒されると寒さが堪えます。寒さでカメラの電池消耗が激しいです。
 
 (牛伏山へ)
  • 朝食後、テルモスにお湯を貰い、寒さに備え、8時40分に出発。外は明け方の強風が嘘のように無風です。行動時間を考え、当初の茶臼山往復を、牛伏山から物見石山(1985m)を往復(お汁粉タイムも)に変更しました。
  • 朝は姿を現していた八ヶ岳も雲に覆われ、その雲が美ヶ原に向かって来ていました。雲の動きから目を離せません。牛伏山は直線距離で750m、標高差40mほど小さな丘で、ポカポカ、のんびりした山頂が見えます。のちに体験する厳しい環境とは思いもしません。
 
 (強風に遭遇)
  • 高原の奥に北アルプスが静かに横たわっています。緩い登りにかかると前触れなく強い風がブリザードを伴い襲ってきました。私の上着はジャケットでしたが、ズボンはオーバーズボン代わりの雨具を履かなかったため、冷たく感じます。しかし気温はさほど低くないので寒くはありません。山頂は雪が飛ばされ、強風で体が振られます。
  • ある方から、「寒いので一人で小屋に戻る」との申し出がありました。私は、今は視界がよいがガスるかもしれない、距離は短く道は明瞭でも、突然寒さで動けなくなるかもしれないと思い、この時に単独行動はありえないので一緒に歩くよう伝えました。ツェルト、コンロ、テルモス、非常用食料、予備の防寒具があり、動けなくなった場合の安全は確保できています。後で聞いたところ、寒さよりも足並みを乱すことを心配しての申し出でした。そんなこと気にすることはありません。
 
 (皆の動揺)
  • 山頂は立っていられないほどの非常に強い風。風が吹き荒れています。風速15〜20mはありました。風に翻弄されます。山々を眺める余裕はありません。強風と風音で会話が聞き取れません。ネックウォーマーに被われていない顔は痛いです。
  • 地図を取り出せば瞬時に飛ばされてしまう激しさです。ザックを開き衣服を着込むことは難しいです。数年前のGW中、白馬岳で医師ら数人が低体温症で死亡する遭難事故がありました。強風と寒さで防寒衣を取り出せなかったのでしょう。
    冬の悪条件では、荷物の出し入れ、スノーシュ−・アイゼンの締め直しなどはできないと考え、出発時に念入りに確認することが大切と、久しぶりに再認識しました。
  • 遠く北アルプスの峰々に雲がかかり始めました。あまりに急な、かつ激しい環境変化、かつて経験したことのない悪条件に、皆が動揺しているのがわかりました。
 
 (牛伏山から鹿伏山へ)
  • 中村さんから小屋に戻る提案がありました。私は、強風だが日差しはあるし、ひどく寒くもない、地形に危険な場所はない、時間も十分にある。厳しい環境の中で安全に冬の山歩きができる、ひとつの経験だと考え、物見石山往復を中止し鹿伏山を経由し小屋に戻ることにしました。
    鹿伏山は牛伏山から見通しが効き、距離にして900m先にある丘です。
 
 (危険な状況)
  • なだらかな牛伏山の下りで皆がバラバラになってしまいました。私の指示が不明確だったことと強風とブリザードで足並みが揃わなくなったのです。
    それに加え、持ち物を風に飛ばされた方がおり、丘の下へ拾いに行くことになりました。
    悪い気象条件ですが支障ないと思った状況が大きく転回しました。
  • 急いで列を組み直し、先行隊は鹿伏山に向かい、私は探しに行った方と一緒に先行隊を追いかけることにしました。
  • 強い風による不安に加え、一時的とはいえバラバラとなり、皆はとてもハラハラしたことでしょう。
 
 (H山本小屋へ)
  • 鹿伏山山頂で合流ですが風は一向に弱くならないので、休憩を取らずに800m離れたH山本小屋に戻ることにしました。
  • 向かう南方面には、すでに美ヶ原の縁まで雲が迫り上がっています。雲やガスが雪原を漂い始めたら、気温が下がり、より強い風が吹きます。また方向がわかりづらくなります。その場合は持参の1/25000地形図の張合わせ図(美ヶ原は地形図2枚にわたる)と磁石を頼りの雪原歩きとなることも覚悟しました。
 
 (目印のない雪原)
  • 平らに見える雪原もわずかに左方向に傾斜しているため、小屋の位置と私たちの歩行感覚にはずれが生じます。思い切って右手方向に進路を取りました。目印のない雪原はどこまでも広がる砂漠のようです。風は弱まりましたが、足元にはブリザードが渦巻きます。
 
 (H山本小屋に到着)
  • 雪原の向こうに小屋の屋根が見えると皆ホッとしました。私の自然環境に関する一番の心配事、雲は幸いにも台地へ上がりません。この日、山で見かけたのは遠くを歩く2人連れのみでした。
  • 10時20分に小屋着。気温は4℃です。1時間40分の短いスノーハイキングでしたが、とても長く感じられました。全員が悪条件の中で不安になり心配したと思います。
 
 (下諏訪の町)
  • 風呂に入り休憩をとると昼食。お汁粉の出番はありませんでした。次回へ持越しです。13時30分にマイクロバスで下界に向かいます。駅ではなく屋号が立ち並ぶ古い町並みで降ろしてもらい、街中散策です。
  • まずは諏訪大社(秋宮)参拝。平日で参拝客が少なく客探しのボランティア観光ガイドおじさんにつかまりました。大社の由来、御柱祭り、木落とし、里曳き、諏訪湖の御神渡りなどについて、簡潔で適切な説明を受け、とても得した気分になりました。
    日本古来の出雲大社の大国主神の次男と嫁さんを祀った日本最古の神社のひとつ。出雲大社と同様に縁結びの神様で、しめ縄も同じ結び方をしているとのことです。
  • 大社隣りにある塩羊羹で有名な「新鶴本店」で土産を買い、駅までぶらぶら歩き。いくつか公共の湯があるようですがパスします。15時前後だったため、飲み屋も食堂も閉まっており、駅前の喫茶店で軽く打上げです。駅の土産店で買った日本酒「真澄」を持ち込み、列車の時刻までビール、真澄、コーヒーで山行を振り返りました。
  • 各々16時10分の登り列車、16時20分の下り列車で帰路に就きます。盛り沢山で楽しく、最後は緊張した2日間でした。同行の皆さんには不必要に緊張と心配をかけました。
    最後に、詩人尾崎喜八氏が美ヶ原を謳った「美ヶ原溶岩台地」の一節「登りついて不意にひらけた眼前の風景にしばらくは世界の天井が抜けたかと思う」。今度はそんな山歩きをしましょう。



写真はこちらです。
1.石川さん撮影(一部北島さん撮影)
2.和田さん撮影

   以上