◆「熊野古道を歩く(大雲取越・小雲取越)」報告 

  和田(則)さんから11月の行事のご報告を頂きましたので紹介いたします。

 
日 程  平成28年11月10日(木)から11月13日(日) 
場 所  熊野古道(中辺路コースのうち、雲取越 部分) 
コース  
11月10日(木)曇り
名古屋駅=列車=紀伊勝浦駅=バス=参道「大門坂」−熊野那智大社−那智の滝−民宿「美滝山荘」(泊)
 
11月11日(金)快晴
山荘−那智大社−大雲取越−小口「小口自然の家」(泊)
 
11月12日(土)快晴
自然の家−小雲取越−請川=バス=大斎原(おおゆめはら)−熊野本宮大社=バス=湯の峰温泉・民宿「あずまや荘」(泊)
 
11月13日(日)快晴
あずまや荘=バス=新宮市内−熊野速玉大社(新宮大社)−新宮駅=列車=名古屋駅 
 
同行者 鈴木、中村(一)、水堀、阿部、佐藤、三木、沼田、北島、中村(陽)、
茂福(打上げ参加)、和田(代記) 




(企 画)
野歩の会創成期の春合宿で訪れた熊野古道を再訪する中村さんの企画。50年ほど前は十津川から高野山を歩いたようです。熊野古道は何本かルートがあるが、日程の関係で、その昔は難路といわれた「中辺路の雲取越」古道を2日間で歩く。

(報告概要)
  • 世界遺産の熊野古道まで、関東圏からは遠かった。2度と訪れることはないと思うほどの遠さである。
  • 11日は那智大社から大雲取を越え、一度山里に下る。翌日は小雲取を越え、本宮大社に至る1泊2日の古道歩きでした。
  • 雲取越は標高400〜800mの山々が連なり、アップダウンの多い古道。ヒノキ・杉の古木、や植林の下に石畳の道が続く。数多くの茶屋跡、石仏や歌碑が続く、歴史と信仰の道でした。
  • 古道には概ね1〜2時間毎に東屋があり、コース上は道標、トイレが完備、携帯電話も通話可能、一方、周辺に集落はなく、エスケープルートもない。
  • このコースには欧米人が多かった。世界遺産であること、インターネット環境、地元自治体の海外広報活動による。
  • 熊野那智大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社の熊野三山はどれも素晴らしかった。
  • 打上げの湯の峰温泉は、関東では知られてないが、日本最古の温泉で素晴らしい。
  • 打上げには名古屋から茂福さんが来られ、ほろ苦い古道歩き、快適な古道歩き、熊野三山に温泉とおいしい食事、話題が尽きず、「文化と歴史と山歩き」の充実した4日間でした。

(わからないことばかり)
中村さんから熊野古道へ行こうと誘われ、熊野古道の響きだけで賛同。でも熊野古道とは何か。何が素晴らしいのか。なぜ世界遺産なのか。わからないことばかり。


(熊野三山)
  • このエリアは、山深く湿潤で、昔から神秘的、神霊が鎮まる霊地と考えられ、僧侶や修験道の行者の修行の場だった。三社に関連性はなかったが、その後関係づけられた。

(熊野詣)
  • 三山を巡拝する「熊野詣」は、熊野詣をすれば現世は安穏、来世は極楽往生が保証されると信じられた。
    平安時代の法皇・皇族・貴族に始まり、熊野詣は中世・近世には武家・庶民にも広がり、「蟻の熊野詣」と言われるほどのブーム。京から往復1か月の旅。

(熊野詣道)
  • 熊野古道は、この三山へ通じる参詣道、標高は高いところでも800m前後。
    平安の昔から、「紀伊路」、「伊勢路」、「中辺路(なかへち)」、「大辺路」、「小辺路」の5ルート。熊野の神仏に導く「信仰の道」、「厳しい修行の道」。
  • 昔の公式メインルートは、大阪から半島の西部を南下する「紀伊路」で、田辺から山の中に進む「中辺路」ルート。目的地「本宮大社」に詣り、船で熊野川を下り、新宮にある「速玉大社(新宮)」を参詣し、さらに「那智大社」を目指した。
    那智大社から本宮大社へ続く「雲取越」は、江戸時代にさかんに歩かれ、茶屋も整備された。
  • 熊野古道・熊野三山は、スペインのキリスト教巡礼の道と同様に、「世界遺産」(H16)。
  • 私達が歩いた「大雲取越・小雲取越」は、往年の面影をよく残し、コースが整備された「中辺路」の一部で、「那智大社」と「本宮大社」を結ぶ延べ30kmの山岳コース。標高差が800mある中辺路の最大の難所。

   
    (以上「熊野古道をあるく」(大人の遠足Book)を参考)





11月10日(木) 曇り

  • 東京から熊野三山までの想像を超える遠さに驚いた。また、JR東海の東海道新幹線には、大きな割引制度はなく、格安チケットも格安ではない。東京から名古屋まで1時間40分、名古屋から紀伊勝浦駅まで、特急で約4時間。各駅停車で6時間越え。鉄路は単線で動力はディーゼル。ノロノロ走行で車内販売はない。車中で名古屋駅で購入した駅弁を食べた。

    車両は4両編成で3両が指定席車、自由席車は1両のみ。自由席で座れないと4時間立ち続けるので、皆に指定席の購入を依頼した。ところが、往復とも指定席は7、8割だが、自由席はガラガラ。不慣れな地方での予測は難しい。男性陣は指定席から自由席に移り、4時間を過ごす。

    10時に名古屋駅を出発。四日市駅、松坂駅をはじめ、駅周辺は建物が少なく寂れた感じ。尾鷲で海岸沿いのほか、概ね低山の山間部を走った。古くからの集落の、立派な瓦屋根の民家が立ち並ぶ風景は美しい。東日本では少ない風景です。

(紀伊勝浦)
  • 14時前に終点、紀伊勝浦駅に到着。長距離バスを乗り継いできた沼田さんが待っていました。駅前は人通りなく、シャッター商店街。佐藤さんは特急列車に乗り込む際、転びオデコに軽いけがを負った。キズパワーハッド・バンドエイドを買いに駅前を走り回る。翌日も石畳の道で2回転び、厄日が続いた。スローモーション的転び方で大事には至らず。私も石畳で滑り転んだ。

(補陀洛山寺)
  • 那智駅経由の那智大社行きバスに乗り込む。那智駅前には世界遺産、「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」がある。初めて聞いた「補陀洛渡海」。僧侶が民の安寧を願い、南海の先にある観音浄土を目指し小舟で死の船出。平安時代から江戸時代にかけ、20回も行われ、渡海上人の墓がある。

(大門坂)
  • 那智大社の麓で下車し、参道の熊野古道「大門坂」を歩いた。全長600m、標高差100mの石畳の急坂。両側には杉・ヒノキの巨木古木の並木道。昨年7月の羽黒山の石畳の参道道と同じだか、那智の参道は荒々しい。しっとりと汗を掻き、那智大社の土産物街に到着。宿泊先「美滝山荘」にザックを預け、空身で大社と那智の滝巡りへ向かう。

(那智大社と那智の滝)
  • 那智大社は神仏習合色を色濃く残し、朱色塗りの鮮やかな社殿の隣には、4世紀にインド渡来人が創建した「那智山青岸渡寺」。年月を経た木地そのままに佇む。廃仏毀釈で寺院すべてを破壊した羽黒山とは違う。
    那智の滝は水量があり、落差が大きく、美しい形の滝。日本人、中国人の観光客でにぎわう。

(国際色豊かな民宿)
  • 宿に戻り風呂で汗を流し、食堂に入ると、私達のほかは欧米人。ベルギーからの若者4人組と単独の若い女性。国際色豊かである。宿の主人は拙い英語で頑張るが、トイレにはパソコンで自動翻訳された、意味不明の英文。




11月11日(金) 快晴・暖かい(15℃)
 大雲取越(大社〜小口(こぐち)、15km)CT:5H20M。実働9H。

(出発)
  • 明け方まで降り続いた雨も上がり、朝日を浴びたしっとりとした秋の朝。暖かい。少し遅い7時からの朝食。宿の重い昼食弁当を受け取り、主人から「弁当は米粒1つ残しておくように」と古道歩きの心得をもらう。8時に出発。
    ガイド本によるCT(コースタイム)をみると、真剣に歩くと早く着く、ゆっくりと行くことにした。これがあとで災いとなる。

(重々しい古道)
  • 青岸渡寺脇から熊野古道に入る。古道には500m毎にno1から小口のno28までの道標が設置され、110番、119番への電話可の表記。
  • 雨でぬれた石畳の坂道はよく滑る。年季が入っているので猶更。木漏れ日はあるが、杉・ヒノキに囲まれ薄暗い坂道は重々しい雰囲気に包まれている。30分登り、開けた「那智高原公園」に出たときは、ほっとした。
    「今日の行程のうち、どの程度歩いたのですか」と聞かれた。持参した国土地理院HPからの張り合わせ地形図を広げると、行程の長さ83cmのうちまだ4cm。皆からため息が出た。

(滑る古道)
  • 再び、石畳の坂道に入る。石畳は道の形状や敷設時期により、敷き方や組み方が異なる。最近の砕石路もあった。苔むした石畳や、歳月ですり減った石も多く、気を使いながら登り下りした。古道の右下10〜20mには並行した舗装林道(一般車通行禁止)が走る。樹林の間から隣の山並みが見え、清々しい山歩きである。

(ダルの妖怪)
  • 10時55分、舟見茶屋跡に到着。大雲取越では唯一の見晴らし。熊野灘やクジラ漁・イルカ漁で有名な大地漁港が見えた。舟見峠から「亡者の出会い」といわれる先は急な下り(反対からは登り)で、「ダルの妖怪」にとりつかれるといわれる。ダルとはヒダル(ひもじい)からきた悪霊の一種。とりつかれると急に疲れて動けなくなる。博学者・南方熊楠もここで動けなくなった。ダルにつれたら、ご飯一粒でも口に入れるとよいという。この辺りは道中の真ん中で、登山的には「シャリバテ」を起こす難所。私たちはとりつかれずに済んだ。

(人恋しい古道)
  • 一度、林道に出てすぐに山道に入り、小沢沿いの古道を歩く。沢沿いは潤いがあってよい。サワガニやヒキガエル、アズマリンドウやヨメナに出会う。向こうから中年の日本人夫婦がやってきた。続いて、欧米人の中年夫婦。颯爽と歩いて行く。このあと、スペイン人のカップルと出会っただけで、人恋しい古道。

(地蔵茶屋跡で昼食)
  • 予想外の林道歩き。「地蔵茶屋跡」に到着(12時45分着)。長く感じ、疲労を覚えた。トイレと休憩所(林業会社の提供小屋)がある。コーヒーを沸かし、昼食。休憩所の中は木の香りが心地よい。弁当は量が多く、半分も食べられない。
  • 外でコーヒーを飲んでいると、那智大社方面から欧米系のカップルがやってきた。スペインからやってきたという。スペイン語を話せるお嬢さんの出番。これから小口集落まで行くという。コーヒーを勧めたが、先を急ぐとのこと。この熊野古道コースを歩く欧米人は、もともとアウトドア派、あるいは巡礼の道派なので、体に余分な脂肪はなく、太い腿と長い脚で軽快に歩くのが印象的だった。

(鈴木さん先行)
  • 鈴木さんは膝に痛みがあり、皆に迷惑をかけられないと、一人で早めに出発。地蔵から先も滑る石畳の道。石畳の脇には転倒を避けるための土道ができており、それを利用した。さらに大雲取越の最高地点「越前峠」までは石畳の小さな登り下りが続く。越前峠に14時30分着。鈴木さんに追いつけず鈴木さんが道を間違えていないか心配した。この時点で小口到着が遅くなると予想。

(長い下り道)
  • 越前峠から小口まで「胴切り坂」と言われる標高差800m、石畳の下り坂。江戸時代には10数軒の旅籠があり、大正時代まで宿があった「楠の久保茶屋跡」から、鈴木さんに三木さん、沼田さんが同行し先行下山。
    熊野三山の神々が談笑したといわれる「円座石(わろうたいし)」あたりから薄暗くなった。日の入りが17時前後、それまでに下山できるか。

(小口に到着)
  • 17時5分に、小口集落の一角に到着。空には十二夜の月。下山口のすぐ下に車道が見えた。しかし、古道の道標は左の民家の方角を指していた。民家を抜けて橋に出たころは、人の顔を判別しにくい程度の闇。

(トラブルが発生していた)
  • ここでトラブルを認識する出来事。橋の上で後方からくるワンボックスカーから声をかけられた。車に乗る鈴木さんと沼田さんで、「三木さんと一緒ではないのですか」と。「三木さんは鈴木さんと一緒ではないですか」。すぐには事情を呑み込めなかったが、次のような事態になっていた。
  • 鈴木さん、三木さん、沼田さんは下山口で古道の標識に気づかず、車道に降りて本隊を待った。本隊が下山ないので心配し、三木さんが空身で迎えに山に入った。(すれ違いで、その頃、本隊はすでに下山し集落の民家の間を歩いていた。)そこへ宿に着かない10名を心配した、宿の車がやってきて、2名をピックアップ、橋で私たちに出会ったという経緯。
  • 女性を宿に向かわせ、男性3名が橋で三木さんが下って来るのを待つ。懐中電灯持たずだから心配し下山口に向かう。
    そこへいつものようにフラフラと三木さんがやってきた。安堵の気持ちに包まれた。三木さんは夕暮れ迫る中、一刻も早く本隊を探すべく、全力で山を駆け上ったが、闇夜が近づき、慌てて下山してきたとのこと。三木さん、ありがとう、お疲れ様。

(反省)
  • 宿「小口自然の家」の管理人から強く注意を受けた。15時までに到着しない場合は電話連絡を入れること。
    電話連絡の必要は認識していたが、タイミングを逸し、関係者に心配と迷惑をおかけした。
  • 予定時間よりもひどく遅れた原因は、ひとつには予想以上に登り下りが多かったこと、2つ目は石畳がよく滑るため慎重に足を進めたこと、3つ目が最大の理由であるが、コースタイムが容易だったため、のんびりと休み過ぎたことにある。

(欧米人ばかり)
  • 「小口自然の家」は、かつて廃校となった中学校校舎を改造し宿泊施設としたもの。
    広々として湯量たっぷりの風呂に入り、食堂に入ると、前夜と同様に、私たち以外は、外国人、それも欧米人が4グループ。4人家族連れ、カップル、母親と娘、男性3人組。
    スペインカップルはいなかった。他の宿なのだろう。
    管理人に尋ねると、宿泊者のうち70%は外国人で、米国人、カナダ人、オーストラリア人、スペイン人等、欧米人とのこと。管理人は英語で対応ができた。
  • ここは日本。しかも長い歴史を持つ熊野古道。日本人はどこへ。もっとも平易な熊野古道では日本人が沢山歩いている。雲取越は難路のため少ないようです。欧米人にとっては、日本の信仰と歴史の道、トレッキング道。彼らはスポーツ用タイツで休みことなく歩きます。




11月12日(土) 快晴(15℃)
 小雲取越(小口〜請川、13km)CT:4H25M。実働5H。

(出発)
  • 7時朝食、8時朝霧の中、出発。道標はno30から始まる。
    鈴木さんは、膝への影響と皆への迷惑を心配し古道歩きを中止し、バスで本宮大社経由、湯の峰温泉に向かうことになった。管理人から小雲取越も大雲取越と同様とのアドバイスを受けた。

(快適な小道)
  • しかし、小雲取越は、標高差400m前後、起伏は少なく展望もある。石畳が少ない落葉広葉樹林の快適なトレッキング道でした。
    小和瀬渡し場跡の橋を渡り、杉・ヒノキに囲まれた石畳の急坂を登りきると、明るく日差しが一杯の落葉樹の道。シダの道でもあった。霧が谷を埋め、朝日を浴びた小さな山々を眺めるのは気分爽快。今日も半袖で十分な陽気。紅葉はまだまだ先。
  • 大きな敷地跡が残る桜茶屋跡の手前には見晴らしの利く東屋があり、一休み。昨日苦労した大雲取越の山々を見渡す。「賽の河原地蔵」には小石が積み上げられ、道中で亡くられた巡礼者を供養する地蔵、そして子供の霊を慰める地蔵。その先で林道が横切り、トイレタイム。

(見晴台・百閧ョら)
  • 雑木林を登り続けると、突然、見晴台に出た。コースの中間地点、「百閧ョら」。小雲取越で最大の展望台。誰もいません。小さな展望場所を占領し、昼食とコーヒーとします。
    宿の弁当はやはり重たく、コンビニのお握り2つ分を固く握ったお握りが3つ。海苔をしっかりと巻きおいしいですが、1つで腹一杯。
  • 目の前は、小さな山々が幾重にも連なる、「果無(はてなし)山脈」の山々。集落は見当たらず、唯一、本宮大社周辺の熊野川と思われる大きな河原が光り輝いていました。

(出会いの古道)
  • 次から次に人がやってきました。まず、請川方面から地元の中年夫婦。話をすると、今朝バスの中で、本宮大社に向かう鈴木さんと話をしたとのこと。世の中は狭い。

    次に欧米系の母親と娘がやってきた。「ナイフを持っているか」と尋ねられ、水堀さんが貸すと、果物の皮をむき始めた。「彼(水堀)は公園監視官か」と尋ねてくる。「ノー」と返した。やり取りは水堀さんの英会話。

    昨日のスペイン人のカップルが小口方面からやってきた。何やら話しかけてきた。お嬢さんの出番。小雲取越の目的地、請川(うけがわ)と熊野本宮大社の位置関係、距離、道順が分からないという。
    ガイド本を読んだ限りでは、私もわからず、1/25000の地形図を購入した。貼り付け地形図で説明すると納得し、足取り軽く出発していった。

    聴覚障害者4人組がやってきて、見晴らしの先端で昼食。先端の先は絶壁なので心配します。

    小口方面からアジア系米国人の娘さんが一人でやってきた。行動力がある。広島の三次に親戚がいるという。日系かもしれません。すべて水堀さんの英会話です。

    またまた欧米系の中年夫婦がやってきました。まだまだやってきます。そろそろ、出発し場所を明け渡しましょう。

(緩やかな下り道)
  • 「百閧ョら」から請川までは標高差400m、雑木林とシダの林を緩やかに下る。木漏れ日は気持ちよい。今日は昨日の失敗を避けようと無意識に足早に。しかしストレスや負担は感じません。

(請川に到着)
  • シダが生い茂る松畑茶屋跡を過ぎ、しばらくすると、前方の林の間から、大きな河原が見えた。熊野川。地図を見ると、川幅が500mはある。民家の庭先を抜け12時55分に請川の「下地橋」バス停に到着。本宮大社までは距離3km、徒歩45分だが、15分後に来る本宮行きのバスに乗車。
  • バスは、横道にそれ、川場温泉、渡瀬温泉、宿泊先の「湯の峰温泉」を経由して、本宮大社に向かう。湯の峰温泉バス停では反対方向からのバスを降りる鈴木さんを発見。若い女性が鈴木さんの腕に手をかけてましたが、見間違いとのことでした。

(本宮大社)
  • 私たちは本宮手前の「大斎原(おおゆめはら)」で下車。大斎原は、古来より明治22年の熊野川大洪水まで、神が降臨した本宮大社があった熊野川の中洲。洪水でほとんどの建物が流され、その後近くの山の中腹に再建されたのが、現在の本宮大社。跡地には16年前に高さ34m、日本一高い鳥居を建設。田んぼに立つ姿は壮観。
  • 本宮大社は熊野三山の本宮の位置づけで、全国3800余の熊野神社の中心的本宮で、平安の昔からここを目指した熊野古道。檜皮葺き屋根、木地のままの社殿は、厳かで美しい。3社のうち、ここのみ社殿の撮影は禁止。
  • 本宮大社に縁のある動物は、三本足の「八咫烏(やたがらす)」。神武天皇を大和に案内した神の使い。日本サッカー協会のマスコットでもあります。

(湯の峰温泉)
  • バスで再び、請川を経由し宿泊地・湯の峰温泉に向かう。温泉に15時35分到着。茂福(46年卒)さんが名古屋から車で、駆けつけているはずです。
  • とても小さな温泉場で中央の小川からは硫黄の匂いが漂っています。「民宿あずまや荘」で鈴木さんと茂福さんがお待ち、宿は貸し切り。茂福さんとの再会を喜び、温泉へ。宿の風呂もよいのですが、「あずまや荘」は江戸操業の老舗「旅館あずまや」の経営。旅館の温泉を利用可ときき。入浴する。広々とし、木の香りも快い。
    続いて世界遺産の公衆浴場「つぼ湯」(一度に2名入浴可)へ行くと1時間30分待ち、諦めた。

(打上げ)
  • 宿で宴会が始まる。鈴木さん、私と同様に膝の痛みを抱えた沼田さんも、無事に完歩。茂福さんも膝痛ときき、酒盛りは盛り上がりました。豪華な夕食後、再び宴会。隣の部屋からは12時頃まで、〇〇さんの声が響いた。
  • この熊野古道は、大雲取越が28000歩、小雲取越が26000歩、合わせて30kmを54000歩で歩いた。よく歩いたと感心。




11月13日(日)

(散策)
  • 朝、6時過ぎに「つぼ湯」に行ったが、すでに1時間30分待ち、再び諦めた。同行の若手2人は昨夜、運よく入浴できたという、羨ましい。
    好奇心旺盛な水堀さんは、二度と来ることはないだろうと、早朝、バスで大地漁港へ散策に出かけ、新宮の町で合流することになった。
  • 8時50分発、新宮駅行きバス時刻まで、温泉場を散策。
    湯の峰温泉は、本宮大社へ向かう前の身を清める「湯ごり場」であった。旅館2軒、民宿10軒程度の小さい温泉場だが、紀元23年発見の「日本最古の温泉」で温泉場風情ある。ある調査で「関西人気温泉」のno1に選ばれた。関東では知られていないが、欧米人には知られているようで、欧米人が多かった
    茂福さんの車に沼田さんが同乗し、全員の荷物を載せ、新宮まで運んでくれることになった。

(新宮へ)
  • バスは新宮駅に向け、熊野川沿いを約40km南下。投網漁や熊野川の途中から新宮までの川下りがあった。中村さん曰く、企画でただ一つの心残りは川下りとのこと。

(速玉大社)
  • 新宮市内で、茂福さん、沼田さんと合流し、駅から20分ほどにある熊野速玉大社(新宮大社)に向かった。神が降臨した山の上に社があったが、のちに、平地に移したことから新宮と呼ばれる。

    新宮大社は那智大社と同様に、朱色塗りの社殿で、眩いばかり。七五三参りの家族連。市内は暑いくらいの陽気。日曜日で休みが多いアーケード商店街を抜け駅へ向かう。新宮城跡の石垣が大きくそびえていた。

(帰路に就く)
  • 新宮駅前には商店はなく、1軒の食事処に入る。地元の名物、めばり寿司とコンニャクらしき蕎麦で打ち上げ。列車の時間調整でコンビニのカフェエリアに入ると、カフェはサンルーム状態。退散し、車の茂福さんを見送り、12時50分発の特急列車に乗り込む。




写真はこちらです。
1.和田さん撮影
2.北島さん撮影


   以上