◆「熊野古道・小辺路
         前半(果無峠〜三浦峠)」報告
 

 
<日 程>
 平成29年10月6日(金)から10月9日(月・祝)

<場 所>
 熊野古道 小辺路のうち、果無峠越、三浦峠越

<コース>
 10月6日(金)雨
新宮駅 = 熊野本宮大社 = 湯の峰温泉(泊)
 10月7日(土)曇り・霧
湯の峰温泉 = 熊野本宮大社 − 三軒茶屋跡 − 八木尾 −果無峠 − 果無集落 − 十津川温泉(泊)
 10月8日(日)曇りのち晴れ
十津川温泉 = 西中 − 三浦峠 (6名)− 五百瀬(泊)
 10月9日(月)晴れ
五百瀬 = 長距離路線バス = 大和八木駅(=京都駅)

<同行者>
 中村(一)、中村(純)、中村(陽)、篠原、水堀、阿部、佐藤、沼田、北島、和田(代記)
 
 
 
     
 




(企 画)
  • 中村(一)さんの企画で、昨年11月の「中辺路(なかへち)(雲取越)」に次ぐ熊野古道 第2弾。小辺路(こへち)は真言密教の総本山「高野山」と「熊野本宮」という二大聖地を結ぶ参詣道。熊野本宮から高野山に向かうときは「高野道」と呼ばれる。古来より生活の道だったが、江戸時代初期から巡礼道として歩かれた。
  • 小辺路はほとんど山の中で、茶屋・旅籠跡や石仏があり昨年同様に古道の雰囲気を残しているという。雲取越と同じく、熊野古道歩きでは上級者向きコース。4日かけて標高1000m級の3つの大きな峠を歩く。私達は通しで歩くのは難しいので、交通費が嵩むが今秋と来春の2回にわけ、熊野本宮から高野山に向かって歩く(高野道)計画とした。
  • 今回は熊野本宮から2つの峠を越え、来春に繋ぐ。来春、桜の頃に高野山へ向かい、高野山から吉野へ、そして吉野の山桜を観桜する予定。皆さんのご同行をお待ちしています。


(報告概要)
  • 天気は雨には降られなかったものの、湿気の多い曇り空で3日目にやっと青空を見た。果無(はてなし)集落から続く急な石畳道の下り以外は歩きやすい道だったが、峠が大きく、体調不良などもあり、想像以上に歩き甲斐のある熊野古道歩きとなった。
  • 昨年の「中辺路(大雲取越)」に思いのほか時間がかかった反省から、時期を1か月早め、日暮れに備える。出発時刻を早め行動時間に余裕を持つ。無暗に休まない(のんびりしない、コーヒータイムをとらない)など、工夫し心して臨んだ。
  • 出発直前に、篠原さんから、「日が短い時期で、行程が比較的長く、若くないこと」からバス活用の提案があった。現地で要否を判断することにし出発。
  • 6日は、集合地・湯の峰温泉まで。温泉場情緒を楽しんだ。
  • 7日は、山が大きく、見所で時間をとり、体調を崩したなどで、果無峠まで予想以上に時間がかかる。下りの最後の最後は、濡れた石畳の長い急坂で、心身ともに疲れた。下山が夕暮れとなる。しかし怪我もなく下山できて嬉しい。熊野古道歩きの難しいところだ。山中では欧米系の夫婦と日本人グループ1組に出会っただけの人恋しい山道。満室の宿の居心地はいまひとつだった。
  • 8日は、4名が古道歩きを取りやめ、バス等を使い直接宿泊先に向かう。6名は2時間30分?かかる7.5kmの車道歩きを車で移動し、三浦峠を越える。晴れたこともあり、昨年の小雲取越と同様、快適な1日。山中では欧米系の2組と、三浦峠下山中に五百瀬のバス停からバラバラと登ってきた単独者数人と出会った。最後は家族的な民宿で心身ともに寛ぎ、十津川の話などを聞き、緊張やモヤモヤから解放され、充実した古道歩きで終えた。
  • 9日は、半日がかりの長い路線バスの旅で近鉄八木駅に出た。

(反 省)
  • 昨年の反省を踏まえ臨んだのだが、事前に得られたコースタイムは「小辺路」のもの、「高野道」のは得られず、事前に正確な行程を把握できなかった。天候がすっきりせず、峠が思いのほか大きかったことに、個人的な事情(体調不良など)も加わり、7日の下山が遅くなったこと、遅くなったことで余裕がなくなったこと、それらによって、8日は4名が古道歩きを中止し、残念なことになった。
    小辺路歩きは高野山から歩く方が楽に思える。

(検 証)
  • 下山後、果無峠や三浦峠をほかの山と比較するため候補を探すと、北アルプスの「折立から太郎平まで」(片道の実歩距離6km、標高差900m)が適切。古道は安全で歩きやすかったが、折立コースを1日で登り下るのと同じ、あるいはそれ以上の行程。疲れるのはあたり前、厳しいと感じたのも当然だとわかった。
    それにしても昔の人はすごかったのだが、当時、山中には茶屋や旅籠があったのです。

    7日:果無峠越。距離14.6km、標高差1000mを登り下る(小辺路のCT6:00)、
    8日:三浦峠越。距離19.5km、標高差930mmを登り下る(同CT6:45)。
      (8日は車道歩きを車に変更したので、実歩距離12km、標高差850m)

    昨年の雲取越
     大雲取越:距離15km、標高差700m、CT5:20
     小雲取越:距離13km、標高差400m、CT4:25

(良かったこと)
  • 目の前で起きた困り事に対し、リーダーをはじめみんなが柔軟に判断し対処したこと、みんなの協力があったこと、先輩方の手慣れた交渉があったことなど。それに8日の農家民宿の選択は最善でした。
     
 



以下、行動記録です。


10月6日(金) 雨 

 (天気の心配)
  • 天気予報で6日の雨は覚悟。7日の予報は「曇のち晴れ」が「曇」に、そして「雨」に。名古屋から単線ディーゼルの紀伊本線特急で新宮まで3時間30分。指定席を予約したが、昨年同様に自由席に座れた。どんよりした空は尾鷲あたりから雨となる。

 (新宮駅から熊野本宮)
  • 新宮駅前で高速バスを使いやってきた沼田さんとタイミングよく会えた。予定より1本早いバスで熊野本宮大社前に向かう。新宮駅から近鉄大和八木駅まで路線距離167km、所要時間6時間30分、停留所167箇所という日本一長い距離を走る路線バスに乗る。
  • バスは雨の中、熊野川に沿って川上へ走る。1時間20分ほどで熊野本宮大社前、下車し別のバス便に乗換え。そのとき私はバスの中に傘を忘れた。雨が降る前に「川の熊野古道」を小舟で下った中村(陽)さんとバス停で合流。後は宿で地元の篠原さんを待つばかり。

 (湯の峰温泉)
  • 雨で閑散とした熊野本宮周辺であったが湯の峰温泉に向かうバスは満員。数人が立つ状態。周りは欧米人が多い外国人ばかり、日本人は私達のみのようでした。

 (つぼ湯)
  • 15時40分、温泉着。中村さんと私は、昨年入浴し損ねた世界遺産・蘇生の湯「つぼ湯」に入る。チケットを求め宿で1時間30分後の順番を待つ。一つ前の順番で入浴した女性陣から携帯連絡があり、つぼ湯に向かい湯屋の扉に手を掛けた。
    すると入口脇の順番待合所にいた東洋人が慌てて待ち札「7」を差し出してきた。私が「6」札を示したら納得した。つぼ湯に入浴する手順が難しく、受付窓口は英語がわからず、外国の方が不安になるのは当然です。
  • 女性陣は、1坪程大のつぼ湯を覆う板塀下の穴に10cmのカニが出たという。出っ歯なカメではないかと思ったが、中村さんは退出時に温泉タオルを紛失。巨大カニに持って行かれたと噂した。「つぼ湯入浴証明証」はもらう。

 (シャイな欧米人)
  • つぼ湯の後は公共の湯「薬師の湯」に、そして民宿の経営元の旅館の素晴らしい温泉湯に向かう。前後して吃音気味にボソボソと小さな声で話す中年の欧米人4人が入ってきた。並んで洗い場に座る、その後ろ姿は迫力がある。英語ではない、どこの国の人たちだろうか。

 (民宿あづまや荘)
  • 昨年と同じ民宿に泊まる。旅館の温泉風呂を利用できるのがありがたい。食事も品数が多くおいしい。夕食時に彼らがいたので驚いた。男4人、女3人のフランス人グループで日本語を少し話せるイタリア人がコーディネートしていた。


10月7日(土) 曇り  20、21℃。夕方16℃
  • 温泉からバスで熊野本宮に出て、ひと山を越え、短い車道歩きののち、小辺路に入る。緩急のある登り一方で果無峠へ、峠からやや急な下り一方で、熊野古道では有名な果無集落を抜け、宿泊先・十津川温泉へ向かう。
  • 時間と体力温存のため「熊野本宮からのひと山越え」をバスで通過する代替案があったが、古道が色濃く残る本宮周辺を省きたくない。早いバス便を見つけ出し、朝食を6時15分に早めてもらった。温泉粥をはじめとする暖かな朝食は嬉しい。

 (ひと山越え)
  • 7時3分のバスで本宮へ。熊野本宮周辺はまだ人影がない。7時30分出発、本殿を参拝し左脇から中辺路に入る。シダが生い茂る石畳の道を進み、ひと山を越え、関所跡がある三軒茶屋跡に出た。ここで中辺路と別れ小辺路となる。石標には「右、かうやみち(高野山)、左、きみい寺」。右へ行く。九鬼平岩集落に出て熊野川脇を歩き果無峠の入口、八木尾集落に向かう。

 (西国三十三観音石仏)
  • 八木尾から果無集落まで「西国三十三番観音石仏」が並ぶ。集落で一番の観音石仏を探していると、篠原さんから「関西にはこのようなものは至るところにあり珍しくない。熱心に見ていると時間がなくなるよ」とアドバイス。もっともだが、二度と来ることはない、見たいものは見たいとも思った。
  • 10時10分、八木尾出発。果無峠まで落葉、常緑の広葉樹の下、急登が続く。先頭を行く中村さんは力が入っている。阿部さんは道行く人々の安全を見守る観音石仏にお祈りしながら登って行く。上空には厚い雲、そのうち霧となった。

 (体調不良)
  • 同行者の一人が体調に異変。急に登るペースが落ちた。エネルギーの不完全燃焼かと、即効チャージゼリーやアミノバイタルを飲んでもらった。しかし、一向に良くならない。
    辛そうにしながらも、一度腰を下ろすと歩けなくなるといい、「60歩歩き、立ったまま腰を折り10秒休む」ペースで、覚束ない足取りでゆっくりゆっくりと登る。
  • みんなと一緒に歩くのは無理と判断。また、このペースでは下山は夜となる。ずっと先を行く中村さんらに携帯電話で、グループを2つに分けることを提案した。古道はポイント毎に携帯が通じる。
    後続隊は当人と私の他に、もう一人つけてもらい、他7名は先行下山する。今後連絡が取れないことも考え、みんなを安心させるため「後続隊は1,2名用ツエルトと簡易コンロを持っていること」を伝えた。万一の場合は、ひとりが付き添いツエルトを被る。もう一人が伝令に走ることにした。

 (果無峠)
  • とてもゆっくりではあるが何とか果無峠にたどり着く。霧に被われ何も見えないが石仏があり風情のある峠だ。果無山脈縦走路が交差している。紀伊山地には同じような山がいくつも連なり果てがない山並みで山岳同定が難しいとのこと。
    峠で一休みすると、当人は突然元気を取り戻し、下り始めた、いや小走りで下り始めた。驚いた。
  • 次の休憩先、観音堂跡で先行隊に追いつく。みんなも驚いた。私が携帯電話でツエルトの話を伝えたので、マイナスイメージを与えていた。中村さんは好ましくない事態を思い描いていたようだ。そこに当人が小走りで下ってきたから、それはびっくり。
  • 突然の体調不良の原因はわからないが、ある薬を常用しこの日も飲んでいたという。体を思いっきり使う登り一方で、薬が何等かの悪さをし体調を崩した、とみんなで推測した。
    私達の年齢になると、医者に「山歩きと常用薬の作用」について確認しておくことが大切だ。

 (果無集落)
  • 16時20分、果無集落(にほんの里100選)に到着。よく写真にある心地よい天空の里で素晴らしいところだった。あとは50分(登りCT)の急な下りだけ、すでに一日が終わった気分になっていた。

 (石畳の急な下り道)
  • ところがその先は、薄暗く急な濡れた石畳、下り道だ。長い歳月で磨き上がった石畳。石畳に足を置くと簡単に滑る。この怖さ大変さは昨年の古道歩きで経験済み。長い下りは神経を切らさないように皆で声を掛け合い、慎重に下った。

 (宿に迎えを頼む)
  • 17時40分、果無峠登山口に降り立ったときは心身ともに疲れた。
    登山口から街に出る道がはっきりとわからない、携帯で宿に連絡をとり車で迎えに来てもらった。夕食準備で忙しい時、宿の方からは「本宮との道は子供でも1日で行って帰って来られる。こんなに時間がかかっては、明日の三浦峠が思いやられる、明日は比較にならないぐらい大変な道」と言われてしまった。

 (民宿やまとや)
  • 18時、「全国初の源泉かけ流し宣言」をした十津川温泉、民宿「やまとや」に到着。汗を掻いていたので入浴後、少し遅い夕食を希望したが、「夕食は18時30分からです。変更はしません」ときつい口調の関西弁(河内弁のようだ)。満員で泊まる別館は家屋と家屋の間50cmの露地を3回折れた先だった。
  • 先輩2人には普段は談話室として使われている部屋に入っていただいた。温泉風呂に入るにも、50m離れた数軒先の食堂(日中はドライブイン)に行くにも、サンダルを履きたいが人数分はない。従業員に尋ねると、「人数分はないので山靴を履いてください」とつれない。
  • とても気持ち良い温泉に入り食堂に向かったのが、宿の段取りが悪く風呂に入れずに食堂に向かった女性もいた。すべてが慌ただしくバタバタ。双方ともにカリカリ。家族のほかはお手伝いだが手が足りないようで、差配する女主人だけが忙しい。事前に依頼済みのベジタリアン向けの食事は用意されていなかった。

 (明日のスケジュール変更)
  • この日の山歩きの様子を見て、翌日の予定を変更。より早く出発し、かつ三浦峠登山口まで徒歩ではなく、路線バスでもなく、車で向かうことにした。登り気味の7.5km、2時間30分?の車道歩きをカットできる。
  • 宿に車の手配を頼むと車代は3万円という。中村さん、篠原さんが、高すぎるので直接タクシー会社との交渉を求め条件について女主人とやりとりを重ねた。
  • そのようなやり取りを見ていた、体調を崩したり、足に大きなマメを作ったり、体力に不安を抱えた4名から、「明日は古道を歩かず直接宿泊先に向かいたい」と申し出があった。とても残念なことだが、各人の判断であるし、直接宿泊先に向かうことができるので、引き止めはできない。
  • 車の手配条件が変わり、6名で6000円となる。部屋で飲む冷酒3本と焼酎を頼んだところ、希望する焼酎はなく半分飲んである焼酎があった。篠原さんが「冷酒3本買うから、その焼酎はおまけにつけて」。「いいですよ」との返事。関西人同士の掛け合いだった。真似はできない。


10月8日(日) 曇りのち晴れ 21、22℃
  • 6時30分の食堂には、すでに山姿の10名ほどのパーティ2組が食事中。十津川から熊野本宮を目指すようだ。7時30分、私達6名は4人に見送られ、車で三浦峠登山口に向かった。サルが車道を横切る。

 (三浦峠へ)
  • 7時55分、三浦峠登山口を出発。最初から急な登りが続く。先頭の中村さんは昨日以上に力が入り、遅れないようについて行く。
  • 曇り空だが予報は晴れ。最初の1本をとった観音堂で陽が出てきた。この古道歩きで初めての陽の光である。光を浴びると全身に力がみなぎる。杉やアカマツや広葉樹林の中を登る。昨日と同様に峠までは登り一方。キノコがあり、イノシシが地面を掘り返した跡もあった。
  • 「出店跡」と呼ばれる場所には石垣が残る。山の中にかつて茶屋、旅籠や水田があったのが不思議でならない。旅人や巡礼者が多かったとしても水や米の確保など大変だったと思う。反対側から日本人と西洋人の父親と息子の3人組がやってきた。

 (三浦峠)
  • 杉林の前方が明るくなると三浦峠。11時55分着。順調なペース。峠は林道が走り、風が抜け、光が溢れる。気持ち良い。偶然見つけたのだがトイレ裏に展望ポイントがあった。眼下にはこれから向かう五百瀬(いもぜ)集落。遠くには来春歩く伯母子岳(おばこだけ)と長く伸びる尾根が見えた。

 (トレッキングポールを紛失)
  • 12時30分、峠を出発。私はトレッキングポールを手にしていないことに気づいた。峠へ引き返しポールを立てた木の周りを探したが見当たらない。東屋で休んでいた欧米系の若者が一緒に探してくれたが見つからず諦めた。サルに持っていかれたか、紛失場所の記憶違いか。

 (吉村屋跡)
  • 傘といい、ポールも気がかりだったが、ストレスなく下れる山道は気持ちが良い。前方に異様な形の大木、数本が目に入る。まっすぐに伸びる杉林の中に、タコの足のようにいくつもの幹を広げた巨木は異物である。「吉村家跡」と呼ばれる茶屋・旅籠跡で巨木は樹齢500年の杉の防風林とのこと。ひととき、異次元の世界に迷い込んだようだった。

 (農家民宿 山本)
  • 山を下り終え吊り橋を渡り、宿の車にピックアップしてもらった。徒歩30分を短縮。14時45分、山間部にある農家民宿「山本」に到着。
    先に到着した4人が出迎えてくれた。のんびりとしたバス旅に寛いだようだ。私達も一人用の家庭風呂に順番に入り、宿が用意したTシャツ・短パン等に着替えビールで乾杯、古道歩きの疲れをとった。縁側などで時の流れに身を委ねた。
  • 民宿は北野タケシ似のご主人と明るい奥様の二人で営んでいる。外国人の宿泊が多く外国語の日常会話シートを持っていた。庭で話を聞いていると門の外をタヌキが歩いてゆく。後を追うと、毛並よくふっくらした容姿でゆっくりと車道をくだり、一度振り返ったあとヤブに入った。アナグマだそうだ。
  • 周囲にはクマ、シカ、カモシカ、イノシシ、サル、ウサギ、アナグマ、アライグマ、ハクビシン等がいるとのこと。そういえば、山中では2、3株のリンドウ、里近くで2、3輪の野菊をみただけで、なぜか草花はなかった。
    先代が植林した山には手が付けられず、アカマツ林もマツクイムシで枯れ始め、マツタケが採れなくなったという。

 (豪雨被害)
  • 多雨地帯で6年前の大豪雨では何か所も山が崩れた。子供の安全のためやむを得ず山を下りた家族があったそうだ。古から熊野川中州にあった熊野本宮大社が明治22年の大洪水で流され、現在の高台に再建されたときも、十津川村から多くの人々が北海道を初め各地に移住した。北海道で彼らが移り住んだ村が新十津川町となった。
  • 先の大豪雨で周辺の川底が5、6mも上がり、危険なため浚渫したそうだ。宿の先が浚渫土砂の仮置き場となり、きれいに保全されていた。
  • 十津川村は北方領土を除き日本で一番大きな村だ。東京23区ほどの広さだが過疎が進み現在、小学校2校、中学校1校のみ。スクールバスがピックアップして回り、通学に1時間もかかる児童もいるとのこと。
  • 夕食は柿の料理やアマゴ料理など普段宿で出ることのないもので、主人との会話で食も進み、楽しい時間となった。
    最近では珍しい杉板天井や3基も並ぶ神棚に感心し床に就いた。


10月9日(月・祝) 晴れ
  • まだ暗いうちから、庭で飼っているニワトリの、夜明けを告げる鳴き声が響いた。しかし苦しそうな鳴き声である。台所からはまな板を叩く、菜切り包丁のカタ、カタという支度音が聞こえる。床の中で懐かしい生活音を楽しんだ。
  • 晴れのはずが外は霧雨。朝食に出た生卵は飼っている烏骨鶏(うこっけい)だという。夜明け前の苦しそう鳴き声は特異なニワトリの鳴き声だった。おいしい食事をいただき、最後にお代わり自由のドリップコーヒーが出てきて満足。
  • 宿の「思い出ノート」に中村さんが来春の再訪を書いた、宿を予約した。前日の宿泊者は山で出会った日本人とスイス人親子だった。

 (3時間30分の路線バスの旅)
  • 下界へ向かう最寄りのバス停まで送ってもらった。車道の脇にシカがいる。川津バス停8時51分発、大和八木駅行きのバスに乗る。日本一長い路線バスの一部、3時間30分の旅に就いた。
  • 途中で20分休憩。日本一長い生活用吊り橋を見に行く。熊野川支流はクネクネと曲がり延々と川幅が広く、どちらが川上で、どちらが川下かわからない。バスの中から先の大洪水の爪痕や現在もなお続く復旧現場が見えた。限りなく続く自然との付き合いだ。
  • 街に下ると、関東では目にしない、立派な瓦民家が幾つも立ち並ぶ風景に感心した。篠原さんから大阪の高尾山的山々である、金剛山、葛城山、二上山、生駒山を教えてもらう。終点近鉄線大和八木駅に12時25分に到着。駅前のレストランで昼食をとり、解散。
  • そのまま旅に出る方が2名、私達が近鉄特急で京都に出るまでの間に自宅に着いた篠原さん。車窓から大和郡山城や遠い丘の上に聳える伏見城を眺め、京都駅に着くとあまりの人の多さに驚いた。

 (忘れ物)
  • 私の忘れ物は、傘はバス会社に問合せし、戻ってきた。トレッキングポールは十津川警察署に紛失届を提出したが見つからないだろう。私が山中で忘れ物のポールを見つけたとしても、わかりやすい場所に立てかけておくだけで、持って下山はしないし、まして警察に届けることもしないから。最近、続けざまに物品事故に遭い出費がかさむ。
 
   
以上
  
   
※写真を写真集に掲載していますのであわせてお楽しみください。