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日 程 |
平成29年8月2日(水)〜8月5日(土) |
コース |
東北北部・八幡平(1613m)(裏岩手連峰縦走ほか)
- 8月2日(水)
- (快晴)盛岡市内散策 =(バス)= 松川温泉
- 8月3日(木)(快晴のち曇)
- 松川温泉−大深山荘−嶮岨森−諸桧岳−畚岳−藤七温泉
- 8月4日(金)(快晴のち曇)
- 藤七温泉=(車)=八幡平−散策−大深温泉=(車)=後生掛温泉
- 8月5日(土)(快晴)
- 後生掛温泉−大沼自然研究路−温泉−後生掛自然研究−後生掛温泉=(バス)=八幡平=(バス)=松尾鉱山資料館=(バス)=盛岡駅
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同行者 |
中村(一)、中村(純)、中村(陽)、篠原、阿部、佐藤、石井(啓)、三木、平石、斎藤(恭)、北島、和田(記) |
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- 4日間とも夏らしい天気。見通しのきくなだらかな稜線歩き。夏花のほか沼や湿原も多く変化に富んだ山域。毎日、趣が異なる温泉に宿泊し、山小屋と異なる時間を過ごす。
50年前の記憶を辿るセンチメンタルジャーニーには、真実もあれば、不確かなこともあった。再訪の山は午後になると疲れを感じた山でした。初めてだと思いますが、距離30mで熊と遭遇しました。
- 企 画
- 森林限界を超えた稜線、それもなだらかな稜線歩きをしたい。温泉にも入りたい。山歩きと温泉の比重50%ずつが面白い。街から入山し最奥の温泉を目指し山行を締め括る。県境の山深い湯治場である後生掛(ごしょうがけ)温泉が相応しい。
- 話を進めると、43年卒〜46年卒にとって思い出深い夏合宿先が八幡平だった。集中地は後生掛の大沼だという。石油飯事件、大沼ボート事件など、センチメンタルな山旅となりそうだ。合宿のほか家族で縦走するなど、同行者の多くにとって「再訪の八幡平」。
- 日程とコース
- 梅雨明けが7月下旬、8月上旬には「青森ねぶた祭」、「盛岡さんさ踊り」、「秋田竿灯まつり」、「山形花笠まつり」、「仙台七夕まつり」と祭りが続く東北地方。5月上旬にポイントとなる温泉宿の予約がとれず、後生掛温泉には土日祝日しかバスはなく、変則的な日程となった。
- 八幡平は火山の痕跡が数多く残る山域で温泉が多く、それも個性に富む。日本有数の地熱発電所地帯でもある。1500〜1600m前後の山やピークがなだらかに連なり、岩手山(2038m)からの「裏岩手連峰縦走路」の北半分を縦走。標高は低いが縦走路は森林限界を超えた稜線歩きができる。
- 8月2日(水)
- (集 合)
- 10時に盛岡駅集合。東京から仙台までは曇り空、仙台以北は次第に明るくなり盛岡は快晴だった。一足先に盛岡を楽しんだ篠原さんとは駅で、仕事で遅くなる石井さんとは3日に藤七温泉で合流。
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(盛岡市内散策)
- 既に市内をリサーチ済みの篠原さん「一押しの場所」に向かった。西口の20階ビル最上階。絶好の山岳展望台。北西には大きな山塊・岩手山、東には姿かたちの美しい姫神山、南東の最奥に早池峰山を眺め、この日はこれで十分に満足。
- 駅から2km離れたバスセンターは13時30分発。センター周辺に荷物を預け、篠原さんのガイドで市内散策に出た。通りではすでに「さんさ踊り」見物の陣取りが始まっている。洋風石造りの盛岡銀行本店本館、南部家の居城・盛岡城跡公園、大石を割った「石割桜」などを巡る。
- 市内を流れる北上川はかつて鉱毒水で汚染されたが改善され、秋には河口から200kmを遡上するサケを見ることができる。
- バスセンター近くにある有名なソバ・わんこそば屋に入る。12時を過ぎ混雑で20分程待つ。出発時刻を伝え、すぐにできるメニューを頼んだがソバは出てこない。わんこそば優先もあったようだが、店員は反応が鈍く対応が遅い、私たちは時計を見ながら出来上がるのを待った。
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(バ ス)
- 松川温泉までバスで2時間。東北は広く奥が深いといわれるが車中で同感。バスは岩手山のすそ野を半周以上するが中々山に入らない。窓からの差し込む強い日差しで冷房は効かず熱中症になりそうだ。
山への入り口が八幡平リゾート地区で、人影のないホテルを順番に回っていく。
(松川温泉松楓荘)
- 松川温泉は終点。3軒ある温泉宿はそれぞれ400、500m離れ林の中に建つ。湯治場風情を残す松楓荘は登山者向けと考えた。終点手前の「松楓荘前」で下車し、5分ほどで谷沿いの宿に着く。古い山小屋風の小さな建物だが奥行きがある。フロント周辺は携帯電話が通じた。
- 客は少なくゆっくりと過ごす。温泉は白青色の硫黄泉で湯は柔らかい。内湯も露天風呂も気持ち良い。HP管理人鎌田さん推薦の松川温泉。食後のお酒メニューに例会で飲んでいる冷酒「あさ開」があった。岩手盛岡のお酒だった。
宴会で50年前の合宿時に起きた石油飯事件と後生掛の大沼でのボート事件の話が出た。しかし、皆の記憶はあいまいだ。
- 8月3日(木)20〜22℃
- (ブナの森)
- 早朝は霧に包まれ曇と予想したが次第に霧が晴れた。幾らか早い出発なので朝食は弁当を頼んだ。山小屋とは違うおいしいおにぎりとおかずを食べ、6時40分出発。
20分ほどで源太ケ岳登山口。霧に隠れていたがすぐ隣には地熱発電所があった。先頭は昨年同様に平石さんにお願いした。先頭にはストレスがかかり、最初に危険と遭遇する大変なポジション。後ろを確認しながら静かに歩む姿に感謝です。
登山道は水気たっぷりなブナ林。朝のうちは涼しく快適。ブナ林からダケカンバ林に変わり、わずかな針葉樹林を越えると森林限界となった。
(地図による違い)
- 休憩時に地図によってコースタイム(CT)が違うことが話題となった。私のは2017年版昭文社の登山地図、平石さんのは2013年版、中村さんのは2003年版、斎藤さんの30年前の日地地図。それぞれCTが違い、見通しが咬み合わない。
- その違いは標準コースタイムの対象年齢の高年齢化と登山道の悪路化によるもの。松川温泉から藤七温泉の稜線分岐まで、2017年版では7時間20分、日地地図では4時間40分。また、翌日の八幡平バス停から中継地大深温泉まで2時間と1時間10分。違いの大きさに驚く。古い登山地図は使わないに限る。
- 休憩の都度、いつものように阿部さん、佐藤さんをはじめ女性からチョコやキャンディをいただく。最近は自分では持参しないことにした。阿部さんから全員に自家製のシソジュース原液をいただく。冷水を入れて疲労回復に飲むとこれがおいしい。
(気温が上がる)
- 大深(おおぶか)山荘と源太ケ岳との分岐手前に、水場があった。冷たい湧水で気持ちよい。分岐では暑さで体がだるく気力減退。ここからは森林限界を越えたトラバース気味の山道が笹道や草原と樹林を抜ける。2度現れたギボウシ、モミジカラマツ等夏花が咲く草原では展望が開け、岩手山、裏岩手縦走路が見えた。なだらかな山々の奥に目指す畚岳(もっこだけ)が頭を出している。「え、えっ。あそこまで行くの?」。登り下りは少ないが距離はありそうだ。
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(大深山荘)
- 草原の水場で氷水のように冷たい水でのどを潤し体を冷やす。大深山荘(無人避難小屋)到着。すでに山慣れた中高年の女性数人がベンチで休憩中。予想せぬことで驚いた。藤七温泉から入山し三ツ石山に向かう地元の女性たち。縦走路では単独者や二人連れなど数パーティ出会った。
私たちは山荘のベランダで宿のおにぎり弁当を食べる。山荘の中は整理整頓され、トイレ2室も完備。
- 大深山荘は私にとって思い出深い小屋。30年以上の昔、真冬に6日間の予定で山スキーを使い、岩手山から八幡平、安比高原を縦走。途中この小屋(先代小屋)に泊まり室内にテントを張ったのだが寒くて眠れなかった場所。
(裏岩手連峰縦走路)
- 縦走路を歩き始めると曇が出てきた。夕方には雲空に変わる。縦走路には嶮岨森(けんそもり)、諸桧岳(もろびだけ)、畚岳(もっこだけ)が続く。いずれも漢字も読み方も珍しく、難しい。
- 左手には秋田駒ヶ岳と乳頭山。右手中腹に鏡沼が見える。左手眼下にも2つの沼。山道の脇には湿原や小さな沼が点在し、飽きさせない。クルマユリ、キスゲ、ヨツバヒヨドリ、エゾオヤマリンドウ、アザミ等を見かける。縦走路は笹や這松の間を縫い、風は弱いが爽快な稜線歩きだ。ホシガラスを見かける。
- なだらかな山やピークだが、登り下りは土砂が流され小石道で歩きにくい。特に北側の下り斜面には石が多い。疲れると口数も減る。温泉宿で時間を取りたいので15分の畚岳ピストンを中止し、直接藤七温泉に向かう。
(藤七温泉)
- 昔は稜線から温泉に向かう山道があったが、現在は標高差100m、20分を車道で下る。疲れた足にはアスファルトは堪える。車道から宿に点在する枡で囲まれた露天風呂が丸見え。
- 16時15分、宿の入口で今朝東京を立ち、計画を変更し、バスで八幡平に出て茶臼岳を往復してきた石井さんが私たちを出迎えた。
- 藤七(とうしち)は標高1400m、東北地方で一番高地にある一軒宿温泉。展望の露天風呂が有名。年季の入った本館は廊下の一部は傾いている。野趣あふれる露天風呂の他、内風呂、岩手山を望める宿泊客専用の露天風呂がある。
- 白青色の硫黄泉は松川温泉と同様だが、宿の上部に源泉があり、野原の真ん中で雑然としたところがよい。露天風呂をヨシズで囲んだ女子専用風呂もある。夜間には女子専用時間帯も設定。真っ暗闇、勇気ある若手女子2名が挑戦したようだ。
山歩き後の温泉宿は山小屋のようなストレスを感じないのがよいと感想があった。
- 宿の電話は衛星電話。新聞は秋田の「秋田民報」は当日版、岩手の「岩手日報」は1日遅れ。県境の岩手側にあるが秋田からの方が便利なようだ。
- 夕食、朝食共にバイキング形式。和食系中心に40種近い品数が並ぶ。熊肉の味噌煮やコーヒーもあり嬉しい。大満足な食事。夕食時に突然、篠原さんから暑中見舞いカードが配られた。花と高原をモチーフとした、はがきサイズの版画カード。版画の展覧会に出品した時の試し刷りとのことで色合い、紙質がそれぞれ異なり感激した。
- 石井さんは宿で勤め先の中堅2名とばったり会った。彼らはオートバイ・ツーリング中とのこと。山深い温泉宿で遭うことなど考えられない。お互いに驚いていた。
- 私は温泉に長く浸かった後、痛くて腰が伸びなくなる。膝関節と股関節の治療に加え、最近は腰痛も治療中だが、腰だけに影響が出たようだ。湿布を貼って痛みを押さえた。
- 8月4日(金)快晴 24〜25℃
- (朝の散策)
- 朝から強い日差し、1日が思いやられる。朝のひととき露天風呂に入る、散策に出るなど自由に過ごした。
近くに「蓬莱境遊歩道」があるので何人かで歩いてみた。和風ロックガーデンを思わせる。小さな橋を渡り、大岩の下をくぐり、一枚岩をロープでよじ登るなどアクロバットな場所もありワクワクした。蓬莱沼までは行かない。
(八幡平)
- 八幡平へ暑い中、車道を登り歩くのかと思っていたところ、三木さんが宿と交渉し、車で運んでもらうことになった。
- 8時20分、八幡平バス駐車場に到着。思わず深呼吸。展望ポイント。空は大きく自然林の山々が眼下に広がる。丸太づくりの展望台に上がった。昨日の裏岩手縦走路を初め、岩手山全容、秋田駒ヶ岳、森吉山が望める。鳥海山、月山は霞の中だった。
(八幡沼探勝路)
- ザックをまとめ置いて八幡平散策に向かう。次々と観光客が上がってくる。近くの見返り峠も展望ポイント。峠から先は登山者の世界。ニッコウキスゲが咲きワタスゲが風に揺れる草原を抜けると八幡沼湖岸に出る。源太森展望台に立つと八幡沼となだらかな八幡平を俯瞰できた。
(後生掛温泉へ)
- 八幡沼湖畔の陵雲荘経由でレストハウスに戻り、大きな建物に合わず貧弱な食堂で昼食を済ませる。12時、大深温泉(蒸の湯隣接)経由で後生掛温泉へ出発。CT2時間40分の下り道。
- まずはガマ沼、めがね沼を経由し八幡平山頂へ。丸太づくりの展望台からアオモリトドマツの樹海を見下ろせた。笹が刈り払われた山道を下るが距離の割に標高が下がらない。山頂から田代沼までCT通り30分で歩く。次の大深山荘までCTは50分。これなら楽に行けると考えた。しかし山道は土砂が流され石が転がる悪路となり、さらに刈り払われた笹が石を覆う。油断できない下り道であった。雲が空を覆い始める。
(大深温泉)
- 15時15分、大深温泉到着。CTを35分オーバー、休憩を除きで25分オーバー。目的地まであと40分だが疲れた。バス停を覗くと、後生掛温泉行きのバスが10分後にやってくる。異論なくバスに乗ることにしたが、注記を読むと1日に2便のみのバス便は土日祝のみ運行。そうだ、運行日に合わせ計画したことを思い出した。
- 気力を振り絞り、後生掛温泉への山道が通じる大深温泉敷地に入る。この温泉は清潔感が漂う湯治温泉。山道入口を探していると話好きな高齢者が声をかけてきた。やりとりの中で三木さんが車に乗せてもらいたいと打診したところ、OKとの返事。
その際、高齢者が説明した後生掛への山道入口が正しかったのか疑問をもっている。
(後生掛温泉)
- 車で10分足らず、15時40分到着。ありがたい。
この宿は旅館部と湯治部に運営が分かれており、私たちは湯治棟(村)に向かう。宿は標高1000mで火山地獄に囲まれた斜面地に建ち、湯治5棟は複雑に配置。周辺には地熱発電所が2箇所ある。
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- 食事付き湯治棟宿泊で予約。10日前後の自炊温泉療養が主で療養者向けの自炊棟は真ん中に廊下が走り、左右には壁のない開放的な座敷が並ぶ。プライバシーはない。建物全体が地熱に包まれ、1階の床は地熱効果のオンドルで暖かい。
- 浴衣、スリッパ、サンダル、洗濯粉、補助食材などは売店で購入あるいはレンタルできる。渡り廊下には持込み食材が入った段ボールが積まれ、「盗難多発注意」の貼紙。清潔に管理された調理場で各自が食事を作り、開放的な座敷で食事をしていた。
- 廊下ベンチには虚ろな目つきの老人が全く動かず座り込んでいる。温泉に浸かりすぎたのか、印象深い光景だ。
- 私たちは夏なので2階の壁付、鍵付の部屋を予約した。部屋の窓を開けると硫黄蒸気が入り込み、温泉気分が高まる。
- 大浴場は天井が高い大きな木造建物で、熱めの湯、気泡の風呂、泥の湯、打たせ湯、名物・箱蒸し風呂、サウナ風呂。そして小さな露天風呂がある。まさに古くからの温泉浴場である。蛇口の水が氷水のように冷たく、火照った体にちょうどよい。
- 食事は旅館棟の湯治者向け食堂でとる。食事内容は昨日と打って変わり、野菜中心でたんぱく質は鶏肉の1cm角のひと欠けらのみ。寂しいし力が出ない。冷酒「あさ開」を頼むと、「「朝開き」は岩手のお酒。ここは秋田の酒しかない」との返事。県境を越えるとはこういうことなんだ。
- 食後、大部屋で歓談。田代沼からの下山道で思いのほか苦労したこと、大深温泉から車に乗れて助かったことなどいつもの酒の席となった。女性退室後、ジジィ放談となり22時30分管理人から注意を受け床に就く。
- 8月5日(土)快晴
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- 今日も朝から快晴。帰路のバスが11時20分発。朝一番で50年前の夏合宿の集中地、大沼に空身で散歩。
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(50年前の石油飯事件と大沼ボート事件)
- 半世紀前の合宿の話は、縦走中、話題となった。あるパーティは乳頭温泉から大白森経由で大深山荘へ、あるパーティは滝ノ上温泉から三ツ石山へ、あるパーティは岩手山越えで、裏岩手連峰縦走路に入った。
関係者が多いし、その時代の話は興味深い。しかし、一昔どころか5昔の記憶は曖昧模糊とし、当事者でも全く覚えていないこともあった。語り継ぐ事件が2件。ひとつは三ツ石山荘(避難小屋)での石油飯事件、もうひとつは大沼のボート事件。当事者には忘れられない事件だ。しかし記憶は頼りなく確信を持てないことが多そうだ。
(大沼自然研究路)
- 8時出発。車道を20分ほど歩くと、「大沼自然研究路」入口に着いた。ビジターセンターもある。湖畔を見下ろす林を抜けると、「後生掛(大沼)キャンプ場」に出た。50年前はこの辺りでキャンプしたようだが、整備され昔の面影はない。
- 湖畔には水生植物が茂り、湖面のさざ波は美しい。かつてここにボート乗り場があったのだろうか。そのようには思えない。「中村さん、大沼ではなくて、別の沼だったのではないですか。別の合宿だったのではないですか」、「そうかなあ・・・」と中村さん。50年前の記憶は・・・。
(熊と遭遇)
- 沼には「クマ出没、注意」の立て看板。空身なのでみんな熊鈴は持っていない。私は最後尾で写真を撮りながら歩いていたが偶々鈴を持っていた。熊鈴を取り出し先頭に渡すため、鳴らしながら先頭に向かったのだが、途中で美しい岸辺を見つけ写真を撮り始め、先頭集団にたどり着かない。
- そのような時、前方から北島さんが小声で、しかしかなり興奮して「クマ、クマ、クマ。皆逃げて、逃げて」と叫びながら、1本道の木道をほかの女性とともに戻ってきた。熊に出合ったらしい。そうなら、背中を向けて逃げるのは危険。大声を出したり、パニックになるのはさらに危険。
しかし、状況が判然としない。男性はどうしたのか。熊が追いかけてきているのか、1本道の木道では先頭の様子はわからない。
- 女性たちから少し遅れて男性たちが戻ってきた。全員がそろったので、木道を100mほど引き返し、熊が追ってきていないのを確認したのち、先頭を歩き、唯一熊を目撃した中村さんから遭遇の様子を聞いた。
- 中村さんが先頭で岸辺の木道を進んだ。8時45分頃、小橋の近くで前方の見通しの悪い場所を右に折れた。すると30mほど前方の木道の上に、成獣クラスの熊が四つ足姿でこちらを向いており両前足を上げ、中村さんを見た。お互いに目と目が合った。「危ない」。
- 中村さんは突然、想像しない光景に慌てた。しかし、その場は静かに立ち去ることが大切と思い、心を落ち着かせた。まだ角を曲がっていない後続者に対して小声で「熊がいる。戻って」と伝えた。音を立てずゆっくりと2、3歩後ずさりし、熊が視界から外れたところで、背を向けて戻ってきたという。出会いがしらの遭遇でなくてよかった、と皆で言い合った。中村さんの冷静な対処に感謝です。
- 一昨年の出羽三山の「六十里越街道」ミニ散策でもヤブに隠れた熊らしき動物と遭遇した。その時もバス待ち時間を使った散歩で熊鈴は持っていなかった。(同報告書に記載)。
(八幡平ビジターセンターへ報告)
- 八幡平ビジターセンターへ早速報告に行く。途中の山道に熊が漏らしたフンが残っていた。センター前に小さな子供連れの家族連れがいたので、熊出没を伝えた。ところが親は「この地方では熊はよく出る」といい、驚きもしないし怖がりもしない。
- ちょうど開館したセンターに入り、若い職員に遭遇場所、熊の様子などを報告。
彼も驚かなった。「そうですか。この辺りには今年独り立ちした熊がいます。橋のあたりですか。そこはその熊の食事場で、人間が来るとヤブに逃げ込み、去ると出てきて食事をする習性がある。」と説明。日常の事らしいし、館内にはその熊を撮影したと思われる写真が数多く掲示されていた。熊への認識に温度差を感じた。
センターで八幡平の自然を解説したビデオを2本見て退館する。
(50年前の真実)
- 外に出ると、真っ黒に日焼けした体格の良い高齢者がいた。センターの自然観察案内人のようで、80才の話好きな彼の話を聞くことになった。全国にある三国山、三国峠など「三境の山」を登っているという。そんな山との関わりもあるのか、と思った。
- 彼から、頼りない50年前の記憶に関する重大な話を聞いた。
現在、大沼は国立公園として大切に維持管理されているが、その昔は地元の養魚場でしかなく、コイなどを養殖しボート遊びもできたという。中村さんの記憶に誤りはなかったのである。中村さんはにっこりである。
(後生掛自然研究路)
- 陽は高く上がり暑い、10時に温泉に戻った。11時20分のバスに合わせ、宿前に11時集合、一時解散。有志は宿隣接の「後生掛自然研究路」(一周40分)に散歩。入口には「クマ出没のため、夕方〇時(失念)から朝8時まで立入り禁止」の案内。ここでも熊は日常なのだ。
- 研究路は「噴気」、「噴湯」、「噴泥」、「泥火山」(噴泥が三角錐の火山のようになったもの)など火山現象を見ることができる。特に泥火山は日本一の規模という。
「後生掛」の由来となる「オナメ・モトメ」の話をはじめ、興味わく解説板がある。最奥にある大湯沼はすべての火山現象がみられ、色彩が美しい地獄沼。火山地獄のテーマパークのようだ。散歩から戻り温泉で汗を流し冷水で体を冷やし、バス停に向かう。
- この八幡平山域には頂に祠、神社、仏像など宗教色のあるものがなかった。火山の山なのであるのが当然だが不思議だ。また、アブ対策を持参したが4日ともアブとは遭遇せず。
(盛岡へ)
- 秋田の田沢湖駅発、玉川温泉経由、八幡平山頂行きバスに乗る。客は少ない。山頂で1時間待ち、「松尾鉱山資料館」行きバスに乗り継ぐ。山頂までは秋田県の羽後交通バス、山頂からは岩手県の県北バスの営業エリア。乗り継ぎに連動はない。
- レストハウスで昼食をとり、バス40分の「資料館」へ行き、ここで再びバスを乗り換える。かつては盛岡と松川温泉、藤七温泉、八幡平間は直通バスが運行されていたが、盛岡と「資料館」間を一本化したようだ。
- 松尾周辺は、明治、大正、昭和と硫黄を産出し、昭和40年代に閉山した岩手山裾野の鉱山町。昭和30年頃は15,000人の近代都市設備が完備した「雲上の楽園」といわれた。現在も、住宅、小型スーパー、小学校、総合病院などがある。閉山後も鉱毒水問題を抱えている。
- 15時5分、盛岡駅に到着。湿気はないが暑い。16時16発の新幹線まで、駅ビル1階のソバ屋で打ち上げ。ベテランの店員はてきぱきと動きは対応が早く、気持ちよく打上げができた。
怪我や事故もなく、元気に下山できて感謝。盛岡から、平泉方面、そのほかに旅に出る者を見送り、残りは東京への新幹線のホームに向かった。
写真はこちらです。
1.斎藤さん撮影
2.中村さん、和田さん、北島さん撮影 3.石井さん撮影
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以上 |
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