◆多峯主山(トウノスヤマ)ハイキング 登山班報告
 
 

 高橋さんから11月のハイキングの報告を頂きましたので掲載いたします。

   

【メンバー】
46三木、平石、48斎藤隆、石井、53田中、55舩生克、舩生み、57高橋聡
【日程】
2020年12月6日(日)
【行程】

東吾野駅9:10-9:25引返し地点(道間違い)9:30-10:18天覚山(445.5m)10:34-11:03東峠(車道)-11:30小休11:40-11:56釜戸山分岐-12:15久須美坂-12:22久須美山(260m)-12:28電話休み-12:33-12:42永田山(久須美ケルン)(277.5m)-13:09バス道多峯主山入口13:33-14:21多峯主山14:58-15:28天覧山15:34-16:16飯能駅鳥良
 
【まえがき】
そもそも「アルプス」と言えば、ヨーロッパに大きく跨るある有名な山脈。ちなみに「アルプス」は英語: Alps、独語: Alpen。では、「日本アルプス」はとういと、何と最初の命名者は、イギリス人William Gowland(1842 -1922)で、それを広めたのもイギリス人Walter Weston(1861–1940)とのこと。なるほど、それで一般的日本人は「アルペン」より「アルプス」の方が馴染んでいるようだ。飛騨、木曽、赤石の山脈が「北、中央、南アルプス」の称の市民権を得たのは、横文字好きな日本人特性から想像に難くない。さらに調子にのった(?)日本の自治体が、こともあろうか、「南アルプス市」を名乗る!都会人には興味ないことだが、静岡県と接する山梨県側自治体での出来事。「南アルプス市」は、平成15年(2003)山梨県中巨摩郡4町2村合併で登場!この頃、周辺の山梨県郡部は、相次いで合併・編入によって纏まっていくが、中巨摩郡 増穂町・鰍沢町は、南アルプス市にどうしても入りたいとじっと機を待つ。が、待つこと7年、ついに観念し、2010年に合併することに。驚きは、ここで何と新町名に「富士川町」を名乗った!「富士川町」は、もともと静岡県庵原郡にあり、町制100年以上の歴史をもっていたが、2008年「富士市」(筆者在住)が、“編入してあげた”。静岡県から「富士川町」が無くなったなら、山梨県はその町名をちゃっかり頂こう…と。法的には問題ないらしいが、道義上はどうか。しかし、「アルプス」も「富士」もそれだけ偉大なブランドであるという証であろう。
閑話休題、そんな「アルプス」であるが、気が付けば、日本中、いろんなアルプスがあるようで。そこで、登場するのが知る人ぞ知る「飯能アルプス」。飯能アルプスは、一般的に伊豆ヶ岳(850.9m)から天覧山(197m)への稜線の山々を指すらしい。で、この「飯能アルプスを縦走する!」という壮大な企画が、今回の山行です。
 
【報告】

 

飯能アルプスは伊豆ヶ岳からかと改めて地図を見て驚き!そんなところからはとてもじゃないので、今回は、東吾野駅に集合、天覚山(445.5m)から縦走します。8:54東吾野駅着の電車でメンバー到着です。筆者は、秩父に前泊していたので一足先に東吾野駅で待っていました。秩父の宿主曰く、「今朝は氷点下だよ」と言っていた通り、駅前のベンチは真っ白に霜が降りていました。しかしながら、既に天気は晴れ、出発する頃には、全く寒くないです。9:10いざ出発!

 

線路を跨いで、舗装道路を進むとすぐに沢筋の林道に入りました。9:21天覚山山頂への「沢筋コース」と「尾根道コース」の分岐に出ました。天気が良いとはいえ、12月ですので、「暖かい尾根道を行こう!」ということで、尾根道を選択。そこから、その尾根道を進んで行きましたが、どうやら、違う沢筋を進んできたようです。9:25突然、道がなくなりました。ここまでの道は、行き止まりになるなんて想像できないような普通の道でしたのに…。

 

さて引き返すか?このまま突き進むか?ここで、いろんな意見が飛び交います。それぞれ、その発言には、その人格が表れ、面白いです。凄い急登でしたが、少し踏み跡があったのと先にはすぐ尾根とみられる明かりが垣間見えたので、「ここから尾根に上がろう!」ということになり、登り始めました。ところが、「やはりダメだ!引き返す!」との先陣をきったHIS先輩の判断!数m登っただけですが、降りるが大変。「戻る方が危ないぞ!」との声も。やたらな道を登ると引き返すのも楽ではありません。思わぬハプニングです。もっと手前に尾根に上がる道があったはずで、「〇〇がしゃべり過ぎるから見落としたんだ!」と責任転嫁の結論に至り、9:34もと来た道を引き返しました。

 

引き返し地点から少し戻ると、9:37本来登るべき道の分岐が!ちょっと、分かりにくい道標です。

 

気を取り直して、尾根に向かって前進します。9:39「天覚山1.3km(40分)東吾野駅1.0km(20分)」の道標。ちょっとしたロスがあり、ここまで、30分以上かかっている計算。そのまま尾根に向かって道を登っていきます。まあ、林の中の緩やかな山道って感じでしょうか…。

 

9:51が、だんだん坂が急になってきました。尾根に出る直前でしたが、道が急になり、一部ロープがあります。

 

9:54やっと尾根に出ました!少し、開けた部分は、後にも先にもここだけでした。ここ以外は、この後、ずっと杉・檜林の中を歩くことに…。山歩きの最大の楽しみといったら、景色です…。このような人工林に遮られて良いのかと…考。

 

飯能の名産といったら、杉・檜の「西川材」。ここ西川地区(飯能市、越生町、毛呂山町、日高市)は、古くから林業が盛んであったとのこと。入間川・高麗川・越辺川から荒川水運で江戸に運べたからであり、そもそも大正4年(1915)に武蔵野鉄道(現西武池袋線)が池袋-飯能間(44.2km)を開業させたのもこの材木運搬が主目的のようです。「西川林業」抄録、昭和29年(1954)森林面積:21000町歩(20826 ha)・蓄積:691万石(125万m3)、昭和54年(1979)森林面積:20637 ha・蓄積:390万m3。それから40年たった現在の状況は不詳ですが、日本の林業は重大な局面を迎えていることがここでも伺えます。

ちなみに日本の森林面積は、国土の68.5%(天然林50%、人工林40%、竹林他10%)。森林破壊が叫ばれている地域もあり世界平均は31%。問題は、昭和41年(1966) 森林面積:2517万ha・蓄積:1887万m3、平成29年(2017) 森林面積:2504万ha・蓄積:5241 m3。即ち、ここ50年間で森林面積変わらず、森林蓄積2.8倍(人工林6倍)。にも拘わらず、自国森林伐採率0.5%…という現状。そんな社会問題を考えながら、人工林の中を登っていきました。

 

10:15広場のような開けたところに到着。一瞬、山頂に着いたぞ!と思ったのですが、違いました。広場に一段高いところがあります。何やらありそうです。

 

碑には、「両峯神社跡」平成12年と書いてありました。跡というくらいで、確かに社はありません。「両峯神社」…?秩父三峰神社、秩父両神神社といかにも関係がありそうな名前です。それなりに調べてみました。社が取り壊されたからこの碑が建った、即ち平成12年まではここに現存していたと短絡的に解釈している素人が多く、跡地の地形をもっと観察して欲しいです。理系の洞察力ではそんな近代の話ではない気がします。埼玉県神社庁の阿須赤城神社の説明文抄録「天正4年(1576)上州赤城大明神を阿須山麓字深井に鎮座、大正3年(1914)字山王塚の秋葉神社、同境内社の両峰神社を合祀」!この山王塚の両峰神社とはここかも。所説ありそうですが、一説まで。神社跡の右側にまだ上に登る道が続いていました。そこを登っていくと…。

 

10:18天覚山 (445.5m)登頂!ここまでの登り道は、樹林に日光は遮られてはいましたが、天気も良く、暑かったです。山頂には、裸になっている人がいました。もちろん我々のグループではないですが…。天覚山の山頂は、南側が開けていて、天気も良いので、眺望は最高です!奥多摩や丹沢等の山々の名前を諸先輩方に教えて頂きました!

 

これが「大岳山」(1266.5m)。個性的な山容を備えた奥多摩の名峰とのこと。なるほど。さて、いつもの記念写真!

 

「天覚山」:字義からして結構良い名前です。早速調査してみました。一説ですが、ここにその昔、天覚寺という寺があり、明治9年(1876)廃仏毀釈によって消滅したとのこと。神社仏閣にもいろんな歴史がありますね。明治新政府によって、日本が新しい時代に入ったのは事実ですが、古き良きものもたくさん失われたのも事実のようです。噂では、薩摩では、全ての寺院が抹消されたとのことで、現在の鹿児島県には、国宝や重要文化財の仏像は1点もないらしいです。あの米軍でさえ、京都の空襲は…。温故知新!

 

10:34天覚山下山開始!天覚山からの下りですが、相変わらず、眺望が全くない樹林の中を黙々と下っていきました。10:53途中、結構、急なところもありました。こんな感じです!

 

10:56天覚山0.7km多峯主山5.0kmの道標に来ました。地形的に見ると、尾根はこのまま真っすぐ直進していましたが、この先、尾根を車道が切通しているので、登山道はここで右に折れて、東峠(車道)に向かいます。

 

11:02車道に出ました。車道は、ほんの少しだけ歩いただけで、直ぐ登山道の入口がありました。

 

11:03車道脇あった東峠の道標から多峯主山登山道に入って行きます。また、似たような景色の人工林の間を進みます。

 

11:12尾根道は、こんな感じです。人工林に遮られ、展望、眺望はないです。ちなみに「眺望」と「展望」、旺文社国語辞典抄録、眺望:景色を広くながめ見渡すこと。展望:(1)広々と遠くまで見渡すこと。(2)広く、社会のできごとや将来性などを見渡すこと。眺望と展望(2)の意味の違いは判りますが、眺望と展望(1)との差異はこの説明では分かりにくいです。ですが、「展望台」はありますが、「眺望台」は聞かないところがミソ。

 

登ったと思ったら、また下る。下ったと思ったら、また登る。とにかく、アップ&ダウンが延々と続きます。

実は、この縦走路は、「トレイルランニング」のメッカだそうで、このアップ&ダウンを結構な数の人が“好き好んで”走っていました。世の中には、階段を走って何度も往復するのが好きな人種がいるようですが、そういう輩には、楽しいかも知れません…。一般人は嫌になります。

 

11:30ちょっと一休止。アップ&ダウンの繰返しが、ボディーブローのように効いてきました。

 

11:56釜戸山分岐通過!釜戸山(293.3m)ですが、一部道標に「竈門山」とも記されていました。が、どちらが正しいのでしょうか?「カマド」の地名は、「カマ」とは鎌のような、えぐられて深く入り込んだ「ド」(所の意のトの連濁)崖地の地形からだそうですが、漢字表記の違いは分かりませんでした。ここで「竈門」にピン!と来た人は、現代人です!何のことだか分からない人は、流行遅れの「モボ・モガ」かも!「竈門炭治郎」:2020年最大のブームを巻き起こした作品「鬼滅の刃」の主人公の名です。ちなみに辞書曰く、「釜」と「竈」は新旧字体、異体字でもなく、「釜」は飯炊き器具、「竈」は煮炊き設備で意味、発音も違う字とのこと。

 

12:15久須美坂到着! ここが、久須美坂かという声に対し、MKI先輩「おう!ここに書いてある!」「俺の指も取ってくれ!」と得意げ。

 

ここが、ピクニック班と合流予定場所。ピクニック班との連絡で、ピクニック班は、予定より早く既にここを通過。対し、我々登山が遅れている!との話で、「急ごう!」…と最初にでた結論。ところが、ここからが一波乱。ピクニック班と携帯はつながるもピクニック班当人たちが自分たちの現在地が分からない。当然、こちらもピクニック班の居場所は特定できず。よって、ピクニック班は、これ以上、本文に登場しません。

 

12:22久須美山(260m)通過!小さな道標と祠があります。

 

12:42永田山(277.5m)通過!永田山と記された道標がありました。地図には久須美ケルンとも記されていました。結構な数の石が積んであります。

 

12:56左手には民家が見えてきました。これから、しばらく、民家の脇を通って、一旦車道(バス道)に出ました。

 

13:08車道を横切り、少し車道を歩き、多峯主山入口に向かいます。

 

13:09~13:33多峯主山登り口で、しばらく休憩です。

 

近くのコンビニへの所用もあって長めの休憩になりました。小刻みなアップ&ダウンの繰返しで、結構疲れています。

 

13:35多峯主山登山道です。気を入れ直して、歩きだしました。多峯主山登口からは、人工林ではなく、雑木林の中を足元の落ち葉を踏みしめながら歩きました。“やっと”秋らしい山歩きです。

 

13:57多峯主山と思われる山が正面に見えてきました。多峯主山には、一気に登るものだと思っていたら、目の前の山の手前に“奈落”があるではないですか!奈落は、仏教用語で地獄の意。劇場用語では、舞台下や花道床下。正しい(?)山岳用語かは、分かりませんが、先輩方は、そう呼んでいました。

 

14:00奈落の底です(笑)

 

14:17山頂が近いということで、カメラマンが先回りしてカメラを構えることを試みます。しかしながら、何度も裏切られて、なかなか山頂には着かない!そのたびに“この期に及んで”走って登るのは、結構きつかったです。

 

14:19今度こそ山頂に着く瞬間という一枚です。少し遅い紅葉と展望も開けて良い感じに撮れました。

 

14:21~14:58多峯主山山頂でしばしリラックスタイム。お決まりの記念写真!さて、某法学部卒先輩の紹介では、「多峯主山」は「トオノスヤマ」とおっしゃっていました。いつもであれば正しそうですが、これを「トオノスヤマ」と読むのは、本当?理工学部卒エンジニアとしてエビデンスを探す必要があります。ネットで分からず、同期の国語国文学科卒に聴くわけにもいかず…。結構、難しかったですが、ついに解が判明しました!そう簡単には教えるのは勿体ないので、本件は、後述することにします!

 

TNK先輩がコーヒーを振舞ってくれました。ROYCE'(ロイズ)のチョコレートもあります。「天気にも」「展望にも」そして「メンバーにも」恵まれ、楽しいひと時です。

 

 
写真が多すぎ!との声が聞こえてきそうですが、もう2枚をご覧ください。2枚は、同じ方角です。スカイツリーが見える/見えないで皆さん必死にスカイツリーを探しだしました。そう簡単には見つからない/見えないのですが、これが、証拠写真です。

 

14:58多峯主山下山開始、最後の一山、天覧山に向かいます。多峯主山~天覚山は、ハイキングコースとして十分に整備されています。

 

15:24天覧山山頂までもう少しです。ドウダンツツジが紅葉で綺麗でした。FNU先輩だったかな?「ドウダン?」疑問か講釈か聞き取れませんでしたが、何やら会話が聞こえました。ここでたった今、意外な驚き!「どうだん」と本稿のローマ字日本語入力をしたら「満天星」と勝手に変換されるではないですか!で、調べました。ドウダンツツジの漢字:灯台躑躅、満天星。結び灯台の脚部のような枝ぶりから「灯台」つつじ。満天星は、中国語名表記。ワープロによって漢字が書けなくなる弊害もありますが、新たな漢字の勉強にもなります。

 

15:28天覧山(197m)登頂!山頂の看板には、195mとなっていますが。ちょっとした展望台が作られており、飯能の町が見渡せます。陽もだいぶ傾いてきたので、記念写真を撮るとすぐ下山開始しました。何故、「天覧山」かは、日本人なら、簡単に想像できますね。

 

15:34天覧山下山開始。15:38道の左側は、大きな岩肌となっていて、その岩肌の至るところに石像がありました。たくさんあるなあ…と思いながら、カメラに収めていると説明文と配置図がありました。

 

天覧山は、古くは、山麓の能仁寺の愛宕権現から愛宕山と呼ばれていた。江戸時代に「十六羅漢像」抄録:徳川5代将軍綱吉が重病になり、生母桂昌院が黒田直邦に相談、能仁寺和尚の祈祷で平癒。お礼に十六羅漢の石仏を奉納。以後、羅漢山と呼ばれる。さらに明治16年(1883)明治天皇が山麓の演習を天覧し、今日に至る。そんな歴史を見ているうちにひとり隊に離されていった…。

 

15:40十六羅漢像の直ぐ先に分岐があった。地形的には右に下っているのでとにかく隊を追うことに。するとかなり広い広場に出た。トイレもある。紅葉も綺麗!が、肝心の我が隊はいない!広場の左側には道があったが完全に道に迷ったようだ。こういう場合は、下手に進まず、戻るのが鉄則!と広場から先ほどの分岐に登りだしたところでトレラン風の若者発見!結果、事なきを得た。

 

14:49無事、全員、飯能中央公園脇着。そこに鉄腕アトム像があることは分かっていた。なので、また隊列を乱しての撮影。当然、何故、ここ飯能の天覧山下に「鉄腕アトム」がいるのか?となる。画期的な事実があるかと思いきや、どうやら、1983年飯能青年会議所が10周年記念事業で建てたということだけ。但し、除幕式に手塚治虫が出席、足元のプレートは、手塚治虫のお金で後から付けたということが凄い。

16:16鳥良商店飯 能北口店到着!時節柄、ここから先の公式記録はありません。
 
【あとがき】「多峯主山」は「トオノスヤマ」?
ついに解を自力で発見!基本に立ち返り、先ずは漢和辞典で読みを調べました。「多:タ、おお(い)」、「峯:ホウ、フ、みね」「主:シュ、ス、おも、ぬし、あるじ、つかさど(る)」これ以外の読みは辞書にありません。もしかして、外来語(中国語)かも?中国語「多:duō」、拼音pīnyīn(音表文字)を敢えてカタカナ表記をすると「トゥオ」?おッ、近いぞ!「峯: fēng」「主: zhǔ」も無理やりカタカナで「フォン」「ヂュウ」。そうか、中国南方人は、hの発音が出来ない人が多いので、「主」を「ヅ」ともいう。おッ、これも近い!が、「峯」がどうしても解決できず行き詰まりました。
解は、至極簡単でした。ごく単純に辞書に載っている通り「多峯主」を「たふのす」と振り仮名を振ってみる!なるほど、歴史的仮名遣いであったか!「たふ」は、“読み”として「とー」。ちなみに「の」は「山手」を「やまのて」と読むと同じ理屈。現代仮名遣いで書き直すとすれば、「たふ」だから「とう」でしょうか。「とほ」であれば、「とお」です。
「現代仮名遣い」昭和61年(1986)内閣告示の前文第8項に「歴史的仮名遣いは、尊重されるべき。歴史的仮名遣いを知ることは有用」とありました。現代中国語(標準語)を学ぶ上でも歴史的仮名遣いは重要であることに実は気が付きました。現代仮名遣い「とう」という漢字の歴史的仮名遣い「とう」「たう」「たふ」(例:豆、当、答)、中国語が分かってくるとほぼ間違えずに歴史的仮名遣いの振り仮名がふれるようになります。

この続きは、またの機会に取っておきます。お疲れ様でした!
 
 
    報告書は以上です。
 
 
     
  
【編集後記】
飯能アルプス登山班報告を最後まで、お読みいただきありがとうございます。
今回の山行は、天覚山~多峯主山~天覧山の「三山」で、主役は、真ん中にある「多峯主山」のはずです。
しかしながら、実際の山行では、多峯山までの道のりが長く、後半の多峯主山~天覧山はあっという間でした。
山行記もそれにつられてしまい、三山紀行のバランスが崩れて、前半で文字を使い過ぎ、後半を書くスペースが足らなくなってしまいました。
本文で書き切れなかった本来のハイライト「多峯主山~天覧山」に関する情報をこの場をお借りしてお知らせしておきます。
  1. 多峯主山への登山道に沿って左側に「西武鉄道」「開発工事中」の看板が掲げられた「立入禁止フェンス」がずっと続いていたのを覚えていらっしゃるでしょうか?
    かつての西武鉄道による大規模開発の名残りでした。
    「天覧山・多峯主山の開発計画」
    http://tenranzan.net/kaihatsuk.htm
     
  2. 「天覧」の波及効果絶大。天覧山観光として、戦前、池袋線には「天覧山駅」がありました。
    「天覧山駅」
    http://blog.livedoor.jp/kiseki612-hanno/archives/42220602.html
毎回、このような有意義な山行を企画して頂いた、野歩の会OBG会山行企画委員、実行委員の方々及び道中、若輩者にお付き合い頂いた諸先輩方には、この場を借りて心より御礼申し上げます。
【筆者略歴】
高橋聡:昭和34年東京都世田谷区生まれ 同57年早稲田大学理工学部卒 静岡県富士市在住 先端技術エンジニア
早大在学中、野歩の会同人誌「のみち」にて初めて文壇に登場。科学者の鋭い目と豊かな感性をもつ作品は多くの人に感銘を与えた。
 
 

 
 登山班のすべての写真はこちらです。
  その1)舩生さん撮影
  その2)高橋さん撮影