|
|
- 【メンバー】
- 43 石川、小柴,44 中村一、佐藤あ、阿部佳,46 三木、平石,47沼田,48斎藤隆、斎藤恭、石井啓,49鈴木幾,53田中,55北島,57 高橋聡
- 【日程】
- 2021年10月16日(土)
- 【行程】
<ヤマレコ滝山城址~拝島大師>
拝島駅10:06 → 10:30睦橋 → 11:00東秋川橋 → 11:10小休止 → 11:55滝山公園案内板 → 12:08滝山城跡(中の丸)12:40
→ 古峯ヶ原遊園 → 滝川丘陵最高点 → 13:23尾根道端(記念写真)→ 13:30 滝山丘陵ハイキングコース入口 → 13:43 拝島橋
→ 14:00拝島大師 →14:23拝島公園 → 14:45ガスト16:00 → 16:15昭島駅
- 【まえがき】
令和2年(2020)初頭より世界中に蔓延した新型コロナ禍は、令和3年(2021)も依然、人々の行動を制限した。本会もこの間様々な行事、活動を自粛してきた。
そんな中、令和2年(2020)6月、文化庁は、年間登山客数世界一と言われる高尾山(2020/10/11山行記録はこちら)及び周辺史跡、文化財、桑都の伝統文化を構成要素として、「霊気満山 高尾山 ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」と冠し「日本遺産」に認定した。そこで、今回、活動を久方ぶりに再開するにあたり、戦国時代に思いを馳せて、この日本遺産構成要素である滝山城址を訪ねてみることになった。
- 【報告】
-
当日朝、いきなり、小田急線で人身事故による一部区間、運転見合せ!小田原から小田急線で集合場所の拝島に向かっていた筆者は、経路変更を余儀なくされながらも、何とか拝島駅10時“きっかり”に到着!(きっかり:[副詞]時間・数量などが正確で過不足のないさま)
実行委員長によるオリエンテーション後、記念写真!出発!
拝島駅から先ずは、都道7号(杉並あきる野線:通称「五日市街道」)の支線「睦橋通り」を真っすぐ西に歩き出しました。程なくして、「睦橋」(むつみばし:橋長415 m)で多摩川を渡ります。朝小雨がぱらつくなど、天気が危ぶまれていましたが、メンバーの日頃の行いにより、陽がさしてきました。
ちなみに都道7号は、この「睦橋通り」の他に「井ノ頭通り」の支線を持ち、総延長約60kmの都道最長の都道だそうです。
多摩川を渡り切ると「あきる野市」に入りました。「どこ?それ?」 平成7年(1995)に秋川市と五日市町が合併し、できたそうです。でも何故ひらがな? 秋川市「秋留」、五日市町「阿伎留」の双方の主張が嚙み合わず、ひらがなで決着したとのこと。あの「さいたま市」(浦和市・大宮市・与野市の合併時)もそうですが、お上にはいろいろと大人の事情があるそうです。
ここまでずっと、西進してきましたが、東京都道166号(瑞穂あきる野八王子線)との交差点で左折、南下します。すぐに「東秋川橋」に出ました。渡るのは「秋川」です。川面にアオサギ(青鷺)がいたので、カメラを構えたのですが、残念!撮り逃がしてしました。ということで、写真はないですが、「秋川」を渡って、「あきる野市」から「八王子市」入りです。
「東秋川橋」を渡るとすぐに車道から左に折れ、秋川の右岸堤防天端(てんば)を歩いていきます。この辺りは、まだ、秋川右岸ですが、じきに多摩川と合流し、そのまま多摩川右岸堤防の天端を下っていくことになります。天端の道は、のどかで、天気も暑くもなく寒くもなく、非常に心地良いです。
今どき、「コンバイン」を使わず、刈った稲を天日干ししているとは!この時代、まさか、鎌での手刈りではなく「バインダー」くらいは使うでしょうが、珍しいです!天日干しへの強い拘りか、稲藁が必要なのでしょうか?「バインダー」とは、結束機(binder)のことですが、結束する前に稲を刈り取る必要があるので、「稲刈り&結束機」(reaper-binder)というべき画期的な農業機械です。「コンバイン」とは、複合機(combine harvester)であって、一台の機械で、稲を刈り取って、更に機上で脱穀して、籾だけを収穫し、不要な藁は切り刻んでばら撒き処理し、しかも乗用といった、昭和の農業革命レベルの文明の利器です。
ひとしきり歩くと、一旦、天端を外れ、河裏(かわうら)に降りたところに何故かこの一角だけ稲刈りをしていないところがありました。ここで一休憩です。何故、ここだけ、稲刈りが未だなのかは、分かりませんでしたが。
また、多摩川の右岸堤防天端を歩いて行きます。よく、これだけのロケーションで、これだけの長さの道が、人工の手が加えられずに自然が残されたままとは感心!いいハイキングコースです!
「多摩川右岸/海から48km」の距離標!「右岸?左岸?」河岸の左右は、“上流から下流に向かって、右岸、左岸”です。河川の距離標は、河口もしくは合流点を起点として、河心線(河の中心線)に直角方向の左右岸の堤防法肩(のりかた)に設置されます。したがって、左岸、右岸とで、距離標の間隔は同じにはならず、しかも、堤防の道のりでもないです。
トウモロコシ畑!飼料用のようです。近くに牛舎は見当たりませんでしたが、自家製飼料としてトウモロコシ栽培している畜産家をテレビが紹介していました。実だけでなく、茎、葉も全て一緒に切り刻んで飼料にするとのことで、牧草より栄養価と嵩が稼げるとのことでした。牛にとっては、賛否両論あるようですが。
ここで、天端から右に折れて、トウモロコシ畑の間を抜けていきます。今まで、平坦な道を進んで来ましたが、これから本日初の登りに入って行きます。
「都立滝山公園」の看板を横目に70m登ります。険しさより、滑り易さが気になる道です。
この手の虫が苦手な方、ごめんなさい!後方にいらした女性陣が、足元に細い針金のようなものが、奇妙に動くのを見つけて、「何これ?!」。前を行く昆虫博士を呼び戻します!ハリガネムシ(針金虫)です。カマキリなど陸の昆虫の体内に寄生する線形虫で、寄生された宿主のカマキリの末路が凄いことで有名です。寄生したハリガネムシは、成虫になると、宿主のカマキリを“洗脳”して、水辺に誘導し、カマキリを水に飛び込ませ、水中に入ったところで急いでお尻から抜け出します。正常なカマキリが自ら水の中に入って行くことなどあり得ないのですが、脳をコントロールされたカマキリは、水の中で無残な姿に・・・。水中にいるハリガネムシが、どうやって陸上のカマキリ体内に寄生できるか?これも凄いです。ハリガネムシは、水中で産卵します。孵化した幼生は、水中にいるカゲロウやユスリカなどの幼虫に寄生し、殻を作って休眠します。やがて、カゲロウなどが羽化して、空中へ。それをカマキリが捕食することで、カマキリ体内へ。そして、成虫まで寄生させてもらって、また、水に戻してもらう・・・。
石川さんのかような解説をしながら、登っているところです。上にある橋は、中の丸から本丸へ通ずる引橋です。
-
滝山城跡、中の丸に到着です!それぞれ、ベンチや食事場所を確保し、昼食です。「ほら!ルポライターとして資料要るだろう!」って、先輩方に渡された公園のパンフレット曰く「滝山城は、戦国時代の大永元年(1521)に武蔵守護代の大石定重が築城し、後に大石氏の養子となった北条氏照が拡張、改造とされているが、近年の研究では、『北条氏照は、由井領の大石綱周の養子となり、浄福寺城(由井城)に居住、永禄10年(1567)滝山城を築城、移転したが、甲斐を重視し、八王子城を築城、天正15年(1587)に移った』」とのことです。
ここ中の丸にあった「国民宿舎滝山荘」(昭和34年(1959)開業、平成12年(2000)閉業)の一部です。閉業後、イベントなどでは、少し使われていたようですが・・・。国民宿舎とは、日本国民の健全なレクリエーション増進を目的として昭和31年(1956)に制度化された自然環境に優れた宿泊施設。現在も未だ全国に存在していますが、時代と共にだいぶ数を減らしたのではないでしょうか。
多摩川方面を臨みます。正面は、秋川と多摩川の合流点で、川中にある堰堤は「昭和用水堰(ようすいせき)」です。昭和用水は、かつては、九ヶ村用水(立川堀)と呼ばれ、江戸時代の延宝元年~8年(1673~1680)には完成していたらしく、取水口は多摩川側にありましたが、足らなくなったため、昭和8年(1933)、秋川、多摩川の両川から取水できるよう、現在の位置に取水口を移設、昭和30年(1955)改築、現在に至っています。
昼食を済ませ、多摩川眺望し、出発です。城といえば、本丸なんですが、史跡なんぞは目もくれず、滝山城址を後にします。
これが、山城の空堀です。日本遺産の認定理由に「遺構が数多く残されている」とされていましたが、確かに言われないと分からず、また、見ても面白くないのも事実ですが・・・。
滝山丘陵(加住丘陵)の尾根道を進みます。
辺りは、雑木林で人工林でないのが良いです。
と思っていると、やはりここにも人工林が! 但し、道中人工林は僅かで、大半は雑木林で、里山のいい雰囲気残しています。
ここが尾根道最終地点ということで、記念写真!ここから、尾根筋を外れて、道路(国道16号)へと下ります。
道路に出ると、これから後は、コンクリートの上を歩いていきます。今まで歩いてきた丘陵を見ながら、拝島橋(橋長527m)で、多摩川を渡って、「昭島市」入りです。
今回の最後のスポット「拝島大師」に到着!仏教?神教?寺院・・・「柏手は一回」と記されていましたので、仰せの通りにお参りしました。ご本尊は、比叡山延暦寺の中興の祖として知られる良源(慈恵大師(じえだいし)、元三大師(がんざんだいし)という平安時代の天台宗の僧とのことです。
昭島駅近くのファミレスで「反省会」、駅前記念写真をもって解散!お疲れさまでした!
- 追伸:
「反省会」の意味が分かりました!当日アクシデントにも見舞われず、全員無事に戻ってこられているので、基本的には「振り返って」反省するところなど全くありません。しかし、「後で」反省しなければならないことになるから「反省会」なんですね。この後、また、反省することになってしまいました・・・。
-
|
|