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- 【メンバー】
- 44中村一、中村陽、佐藤あ、阿部佳,45清水敏,46三木洋,48斎藤隆、斎藤恭、石井啓,49鈴木幾,53田中亨,55船生克,中島広、北島博、三橋幸,57高橋聡,59大芝賢、大芝妻
- 【日程】
- 2022年4月10日(日)
- 【行程】
- 距離:10.4km 登り:190m 下り:209m
<20220410ヤマレコ花桃街道>
花輪駅10:00 → 10:13中野駅→ 10:52折返地点→ 11:20小休11:30→ 12:00メイン会場12:14 → 13:38黒保根運動公園駐車場14:10
→ 14:13水沼駅
- 【まえがき】
栄枯盛衰、草木は茂り盛んな時もあれば、枯れ萎むこともある。人の世も然りである。
かつての日本は富国強兵、明治39年(1906) 「鉄道国有法」を定め、民間鉄道の国有化を図った。しかし、やがて時代はモータリゼーション、鉄道が国家のお荷物となっていく。昭和55年(1980)「国鉄再建法」により特定地方交通線(赤字ローカル線)の大胆な切捨てが始まる。ついに昭和62年(1987)「国鉄改革法」により国有鉄道は全て民間鉄道となり、80年間に及んだ日本の鉄道国有化の国策は幕を閉じた。
コロナ禍第6波で年初から控えていた公式イベントを久方ぶりに再開するにあたり、冬の間寒さをじっと耐え忍びながらも春になると一斉に花を咲かせる草木の息吹と、かような国策の一端に触れてみることになった。
- 【報告】
「わたらせ渓谷鐵道」花輪駅集合!
明治末期、足尾銅山の鉱石搬出を担うため設立、開業した「足尾鉄道」は、後に国有化され、「国鉄足尾線」となりますが、やがて足尾銅山の衰退と歩調を合わせるように衰退を続け、ついに国鉄からの切捨てが決定し、平成元年(1989)第三セクターの「わたらせ渓谷鐵道」として辛うじて今日に至っています。
かつて古河は、この鉄路を通じて足尾銅山から巨万の富を得て、財閥を築くまでに至りました。私たち花見客の足代が、少しでもこの鉄路存続の足しになることを願い、列車を降りました。
今回は久方ぶりであったこととコースの魅力からか、総勢18名の参加です!ここ花輪(旧勢多郡東村大字花輪)はかつての足尾銅山への街道「銅街道(あかがね)」の宿場町として栄えたそうです。写真の行燈が花輪宿の雰囲気を醸し出しています。ところで、花輪駅のホームに「兎」と「亀」の石像があり、何だろうと思いながらも写真に収めるのを失念してしまいましたが、ここ花輪が童謡「兎と亀」の石原和三郎の出身地だそうです。自己の能力を思い上り、油断していれば、歩みが遅くとも一歩一歩着実に進む者に負けます。先人の教訓に学ぶこと多いです。
石原和三郎の生家跡を過ぎたところで、「花桃街道」案内看板の矢印とは違う方向へ、踏切を渡り、銅街道を足尾方面に進みます。先ずは、旧勢多郡東村大字小夜戸(さやど)の北側の「花」を見てからです。いきなりハイライトを見せてしまってはメンバーのためにならず、最後までウォーキングを楽しめるようにとTNKリーダの思いやりです。
“わ鐵”の中野駅の横を通ります。撮り鉄がいました。なるほど、いい写真が撮れそうです。そう簡単には列車は来ないと思って通り過ぎましたが、その数分後に列車が来ました!惜しかったです!
渡良瀬川を渡ります。昔は吊橋だったみたいです。吊橋の“主塔”が残っていました。渡ったのは隣に架け直された桁橋です。橋の袂には「東橋/あづまばし」と書いてありました。現代仮名遣いでないところも歴史です。
ここまでの道で、桜や枝垂れ花桃の見事な咲きっぷりに既に皆さん満足気です。桜も花桃も枯れ枝に花を咲かせるので一際美しさを感じます。ちなみに石原和三郎は、「兎と亀」以外にも「花咲爺」も作詞しています。正直爺さんは枯れ枝に花を咲かせて褒美が貰えますが、意地悪爺さんは咎めを受けます。誠実であることの大切さ学び直します。
この辺りで引返して今回のメインである「小夜戸大畑花桃街道」(旧東村大字小夜戸字大畑)に向かう予定でしたので、一旦ここで記念写真!
通りがかりの地元のおじさん曰く、「もう少し先に行って山側の道を回って行きな!」とのこと。で、予定変更、言われるままにさらに先に進みました。
なるほど、良い景色のところに出ました!
遠くの山々が見えましたので、早速、「山座同定」(不老山ハイキング報告2022/3/20参照)します。ここで、前回登場の新兵器「AR山ナビ」起動します。あの国定忠治の「赤城山」です!赤城山も山体の名称ですので、赤城山という単独峰はありません。右から黒檜山(くろびさん、1,828
m)、駒ヶ岳(1,685 m)、地蔵岳(1,674 m)、長七郎山(1,579 m)と各峰の名称も即判明!文明の利器はすごいです。
今回は、18名と大勢でしたので、3班に班分けして班長を決めて歩き始めたはずですが・・・。おしゃべりに興じる人、ひたすら歩く人、花の写真撮影に夢中になる人、それぞれ思い思いに歩いていきました(笑)
花桃は言葉通り、桃の木の一種のようですが、花を観賞するための品種で、結実しても食用には適さないとのことです。桜も同じですね。さくらんぼのなる桜は観賞用の桜とは全く別物。“天は二物を与えず”、そういうことです。
地元のおじさんのお薦めのコースを一回りして、銅街道に戻って来ました。一休憩です。ご親切に地元の方が長椅子を持って来てくれました。ありがとうございます!
「男ごころに 男が惚れて 意気がとけ合う 赤城山・・・赤城の山も今宵限りか!」渡世人には椅子は要らねえ!?
一休憩終えて、大畑地区に向かいます。途中に「ほたるの里」と記された石碑がありました。「水芭蕉」が咲いています。水芭蕉の白い花びらと思っていた部分は、実は葉っぱで、中央の円柱状の部分に小さく密集してあるのが花だということを初めて知りました。
「夏が来れば思い出す 遥かな尾瀬 ・・・ 水芭蕉の花が咲いている・・・」ご存じ「夏の思い出」は有名な歌です。この時期に花が咲いていたので不思議に思いましたが、水芭蕉は、もともと春先に咲くものでした。尾瀬の春先が少し遅く5月末頃であるだけで、天文学上の“夏の尾瀬”には水芭蕉は咲いていません!暦の上での季節や俳句の季語など“文学上の季節”に惑わされてはいけなかったのです。
花桃の色ですが、木全体が桃色か白色の一色かと思えば、枝ごとや花ごと、さらに花びらことに色が違っているものがありました。花の紅白が入り混じって咲くことを源氏、平氏の旗の色にたとえ「源平咲き」と呼び、人気があるようです。
ちなみに生物学上では、このような同一の個体内に異なる遺伝情報を持つ細胞が混じっている状態をギリシャ神話の頭がライオン、胴がヤギ、尾がヘビの怪物にちなんで「キメラ (chimera)」というそうです。
大畑花桃街道のメイン会場(?)に着きました。出店とトイレがありました。ここに幹と花を見る限り、「桜」の一種だと思うのですが、見たことのないほどの赤色の桜!花びらも「八重桜」「牡丹桜」びっしり!花木専門家のKYŌ先輩に聞けなかったのでこれ以上は分かりません。桜は、種類がいろいろ有り過ぎます。(不老山ハイキング報告2022/3/20参照)。
「弘前のしだれ桜」!見事でした。桜の右手に立派な家がありましたが、その家主が元大型バスの運転手で、弘前に行ったとき、「弘前公園の枝垂れ桜」の苗木を持ってきて植えたそうです。群馬の地で、地元のパンフレットに載るほどに成長しました、大したもんです。
そろそろ「花桃街道」も終盤に差し掛かって来ました。「みどり市」(旧東村小夜戸)は一旦ここまでで、この先は、「桐生市」(旧黒保根村(くろほね))に入ります。
桐生市の地図を見て驚きです。「桐生市」の中央を縦断する形で「みどり市」があり、桐生市は東部と西部の2つに完全に分断されています。ここに意外な事実がありました。平成の大合併の時、桐生市と周辺3町3村で協議を進めますが、「桐生競艇場」の存続問題で桐生市が撤退表明したため合併協議は破綻!元々競艇主催に加わっていなかった勢多郡黒保根村と新里村の2村は桐生市に編入を果たしたため、桐生市西部の飛び地が誕生してしまい、存続派の新田郡笠懸町(かさかけまち)、山田郡大間々町、勢多郡東村は、「みどり市」となって、桐生競艇の全日程の主催するに至っています。ギャンブルは意外なところに意外な展開があるというところが面白いです。
桐生市黒保根に入ってから、結構な距離があって(約4km?)、ひたすら歩くだけの道が長かったです。
「黒保根大橋」で渡良瀬川を渡るとゴールの水沼駅はすぐそこです。“わ鐵”と渡良瀬川との間に広がる「黒保根運動公園」も桜が満開です。コロナ禍の影響で花桃街道では食事禁止だったので、この公園の駐車場で遅い昼食です。
水沼駅です。意表をついて駅のホームに「水沼駅温泉センター」なる温泉施設がありました。乗る予定の上り列車が結局40分遅れだったので、YŌK嬢曰く「それなら温泉入れる時間あったのに・・・」
列車を待っていると下り対向列車が入って来ました。撮り鉄に交じって跨線橋からパチリ!
対向列車は「トロッコわっしー号」です。窓ガラスのないオープンタイプのトロッコ車両と窓ガラス付きの普通車両の2両編成です。他にも“わ鐵”には、ディーゼル機関車がトロッコ車両2両、普通車両2両の4両の客車を引っ張る「トロッコわたらせ渓谷号」があります。トロッコ車両は、“吹き込む風を全身で受けながら、渡良瀬川渓谷の自然の織りなす美しい景色を楽しめます”とのことです。もっとも我々は往復とも普通の気動車でしたが・・・。
桐生駅で「反省会」!天候にも花にもメンバーにも恵まれ、最高でした!お疲れ様でした!
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