◆谷川岳登山班報告   

 高橋さんから10月の登山のご報告を頂きましたので掲載いたします。

   

【メンバー】

46平石充,51常盤豊,48石井啓,53田中亨,55北島博,57高橋聡
 
【日程】
2022年10月3日(月)
【工程】
距離:7.4 km 登り:1303m 下り:716m

<20221003ヤマレコ谷川岳>

谷川岳ベースプラザ06:47 - 西黒尾根登山口06:58 - 07:20鉄塔07:25 - 09:30ラクダの背
09:42 - 09:47ラクダのコル09:49 - 11:14ザンゲ岩11:17 - 11:36肩の小屋11:44 - 11:54トマノ耳12:20 - 12:25肩の小屋- 12:39天神ザンゲ岩12:40 - 13:10天狗の留まり場13:16 - 13:47熊穴沢避難小屋13:56 - 14:22天神平・天神峠分岐点 - 14:30天神尾根・田尻尾根分岐点 - 14:43天神平
 
【まえがき】

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた」
文豪・川端康成の小説『雪国』は、これから始まる。
明治になると全国で鉄道建設が始まるが、江戸から越後へは、上越国境に“険しい山”が立ちはだかっていた。
中山道・北陸道経由では遠回りになるも、中山道の難所の碓氷峠をスイス登山鉄道技術の「アプト式」で越え、明治26年(1893)「信越本線」が全通する。
やがて、この立ちはだかる“険しい山”を貫くことに着手する。ついに昭和6年(1931) 東洋一の全長9702mの「清水トンネル」が開通した。
トンネルの上にそびえる「谷川岳」は、この開通により、東京から気軽に来られるようになった。
しかし、「谷川岳」の岩壁の厳しさと急激な気象変化は、多くの遭難者を出した。その死者の数は突出しており、「魔の山」と呼ばれるようになった。
では、行ってまいります!
 
【報告】

 

昨晩、前橋駅前のホテルに集合。今朝、ホテルからレンタカーで「谷川岳ベースプラザ」に到着です。
ベースプラザはなんと7階建て!写真の場所は、6F 。1階~5階が立体駐車場で普通車911台収容とのこと。屋外駐車場もあります。月曜なので1Fだけしか開けてありませんでしたが、空いていました。前日の日曜日だと激混みだったらしいです。

 20221003065030.jpg

「国道291号線」を進みます。群馬県と新潟県をつなぐ延長187 kmの国道らしいですが、歩き始めてすぐの「谷川岳登山指導センター」で一般車両通行止めになっています。この先、一ノ倉沢までは、観光用電気バスが乗り入れるらしいですが、その先の県境「清水峠」付近15kmは、今では廃道同然になっているそうです。明治18年(1885)に開通し、開通当時は、馬車が擦れ違うことができる“高規格国道”だったらしいですが、相次ぐ土砂崩れや雪崩で車両通行はおろか、歩行通行も出来なくなって、そのまま100年以上放置されているそうです。
ですが、れっきとした国道です。いつかは、再開通するのでしょうか?

 

すぐに「西黒尾根登山口」(標高801m)に着きました。いよいよ、「西黒尾根」に登って行きます。早速、急な坂道が待っていました。

 

高圧鉄塔を過ぎ、一頻り登ると尾根道らしいところに出ました。両サイドの景色が覗けます。ここは、標高1140mの小ピークでしょうか。せっかく登ってきたのにちょっと下ってしまいます。

 

尾根道を“ぐんぐん”登って行きます。標高1400m辺りでしょうか、この辺りから岩壁が登場してきます!
谷川岳は、気象が厳しいので、森林限界が低いそうです。いつの間にか広葉樹や笹は、なくなっていました。

 

行く手に結構、高い岩壁が現れました!鎖はありますが、手足のかけるところが少なく、気を抜いたら滑り落ちそうです。

 

それから、こんなところや・・・

 

こんなところもありました。

 

「ラクダの背」(1516m)に到着です。
谷川岳の双耳峰 “トマの耳”と“オキの耳”をバックに記念写真!
二つのピークを持つ山を“双耳峰”ということは知っていましたが、不老山(2022/3/20)は、“北峰”と“南峰”でしたので、全く気に留めませんでした。しかしながら、なるほど、谷川岳は、ピークをずばり“耳”と称しています。改めて“双耳峰”の意味を理解しました。

 

さて、山頂に向かって、前進あるのみ!
尾根道が見えていますが、道が見えず岩しか見えないところもあって、この先もちょっと不安になります。

 

「ラクダのコル」(1495m)
「コル」(col)は、尾根の鞍部で「峠」と同義とのことですが、峠「たお(たわ)」を乗越して、はじめて「たおごえ」となるので、稜線越えの道が無い所は、「峠」と呼ばないらしいです。なるほど。
この道標には「←厳剛新道」と書いてありました。「がんごう新道」というようです。
『巌』or『厳』?ちなみに名前での『厳』は、「9割方『巌』の間違い」だそうです。ということで、この道標は誤字でしょう。

 

歩いている尾根道の「西黒尾根」と向こう側の「東尾根」に挟まれた谷が、「マチガ沢」でしょうか。絶景です。
こんな岩壁を登るのは、やはり簡単ではないでしょうね。遭難者も多いのも納得!

 

西側の景色です。幾重にも山脈が連なっています。
左奥に一際高く、かつ形のいい山容は何でしょうか?山座同定は、先輩諸氏にお任せします。

 

これが噂の「ツルツルの一枚岩」というところでしょうか?
傾斜はそうありませんが、確かに滑りそうです。濡れていたら、結構、怖いですね。
ラクダのコル以降、行く手に立ちはだかるような岩壁は、もうありませんでしたが、やせた尾根で、岩場登りの結構な急登が続きました。

 

未だ、少し早いと思われた紅葉でしたが、山頂に近づくにつれ、色づいていました。
「色づく」 ≠ 「色気づく」 一字違いですが、だいぶ意味が違うようです(笑)

 

谷川岳シンボルの「ケルン」(cairn) に到着です。
このケルンは、昭和48年(1973)、東京雲稜会が友好山岳団体の協力を得て、建てたものとのこと。谷川岳はガスで道に迷い易く、沢筋に迷い込む遭難事故が当時多発していたため、ケルンの上には、一際高いポールと道標プレートがつけられています。写真の向きだと、左「天神尾根」右「谷川岳」手前「西黒尾根」、そして奥へは「肩の小屋52m」と書かれています。もし、ガスに巻かれたときは、このケルンに50mのザイルを結ぶことで「肩の小屋」が探し出せるようになっているそうです。

 

「谷川岳肩ノ小屋」(1912m)です。
古くから避難小屋があったそうですが、旧避難小屋は改修して休憩所に、新避難小屋を新築し、平成15年(2003)新しく有人の「肩ノ小屋」になったそうです。

 

トマの耳を目指します。おッ、「方位盤」だ!方位盤にしては、こんなところにあっても周囲が見渡せないのに!
と思いきや、「方位盤」を見て納得!ここからの「道」が書かれた方位図でした!
「此の山に於ける遭難防止の一助として之を建つ 昭和十年八月」と“右書き”で書かれていました。

 

振り返ると「肩の小屋」から「万太郎山」(1954m)に続く尾根。これまた絶景です。

 

谷川岳「トマの耳」(1963m)登頂!
昼食を取っていると寒くなってきて、急に雲行きが怪しくなってきました。せっかくなので、双耳峰の「オキの耳」まで足を延ばしたかったのですが、ポツポツと雨が!さすが、天気急変の谷川岳!

 

谷川岳「オキの耳」(1977m) 写真で良しとします!
ちなみに「トマ」は手前、「オキ」は奥の意だそうです。(半公的機関(財)交通公社 全国観光資源台帳より)

 

「オキの耳」の北側の岩の袂に「富士浅間神社奥の院」の祠があるそうです。鳥居が見えています。
この奥宮に祀られた御神体、古鏡八面の内の二面が現在、水上町歴史資料館に保存されていて、鏡の懸仏には「冨士浅間大菩薩 永禄八年乙丑六月一日」の文字が刻まれているそうです。永禄八年(1565)とは、そんな昔からこの辺りにも富士信仰があったとは!「オキの耳」を別称「谷川富士(ふじのくに静岡県公認)」と謂うそうです。富士山とは全く似てないと思いますが・・・。

 

「トマの耳」下山開始です。雨と防寒対策で、雨具を着用しています!

 

「天神尾根」を下って行きます。結構な下り坂です。ロープウェイを使って天神尾根から登るのも、この道を登るのは、結構楽じゃないかと思います。
そうそう、山頂でのポツポツ雨は・・・あっという間に天候回復!さすが、谷川岳!

 

「天狗の留まり場」(1665m)
怪しい“天狗たち“がたむろしています。天狗(てんぐ)は、日本では、赤ら顔で鼻が高く、手には扇子を持ち、山伏の衣装を纏い、背中に翼がある生き物とされていますが、中国の天狗(tiāngǒu)は、文字通り天を駆ける狗(いぬ)だそうです。”天狗吃月亮“、天文現象の月食は、“天狗が食う” からですか、なるほど。

 

「熊穴沢避難小屋」(1465m)
せっかくなので、扉を開けて、中に入って一休み。
小屋は、冬季は春まで雪にすっぽり埋まってしまうとか。そのため、入口に高いポールが立っていました。

 

「天神平・天神峠分岐」(1403m)を「天神峠展望台」(1502m)には行かず、「天神平」に向かいます。
朝登ってきた「西黒尾根」が見えました。“あんな尾根を登ったんだなあ・・”と一同、感心、寒心。

 

「谷川岳ロープウェイ天神平駅」(1319m)到着!
昭和35年(1960)開業、麓の「土合口駅」(746m)まで全長2400m、高低差は573m。文明の利器を使って一気に下山です。車を停めてある「谷川岳ベースプラザ」の7Fに到着!

 

おまけ!鉄分の入ったメンバーが揃っていたこともあって、「清水トンネル」の話で登る前から盛り上がっていました。
昭和42年(1967)9月「新清水トンネル」(全長13,500m)が開通し、それまでの昭和6年(1931)開通「清水トンネル」(全長9,702m)は、上り線として、「新清水トンネル」は下り線として複線化されました。
「清水トンネル」は当時、トンネルの長さを少しでも短くしようと、トンネル前後に「ループ」を設けて、高度を稼いていましたが、「新清水トンネル」は高度を稼がず、真っ直ぐに掘ったので、土合駅の上り線は昔の地上のままですが、下り線はトンネルの中へ長い階段通路を下った地下になりました。
HIS先輩は1年生夏の谷川岳は地上駅だったし、TKW先輩はこの土合の長い階段通路にビバーク(仏bivouac)したらしいです。滅多に通らない上り電車が丁度あるので、土合から湯檜曽に電車に乗ろうという画期的(?)な意見も出てきました。
何はともあれ、せめて、その「ループ」を通る電車を一目見ようと一同、湯檜曽側で電車を待ち伏せ!
「清水トンネル」から出てきた電車が、数分後、「ループ」を下って出てきた姿を見て、一同、歓心。

 

高崎駅でいつもの(?)大切な「反省会」! お疲れさまでした!
 
  
 
     高橋聡 記  


報告書は以上です。

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