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- 【メンバー】
46三木洋、平石充,48斎藤隆、斎藤恭、石井啓,53田中亨,55北島博、三橋幸、中嶋広,57高橋聡、藤田剛(高橋友人)-
- 【日程】
- 2022年12月18日(日)
- 【工程】
- 距離:11.9 km 登り:722 m 下り:426 m
<20221218ヤマレコ羅漢寺山~昇仙峡>
甲府駅9:15 –(バス)- 9:44昇仙峡口10:05 –(アクシデント)- 11:23太刀の抜き岩 - 11:45白山展望台11:48 –(昼食)- 12:51白砂山 – 13:01白砂山山名標13:07 - 13:12白砂山 - 13:30パノラマ台下13:35 - 13:45うぐいす谷 - 13:54パノラマ台13:56 - 14:01展望台 - 14:20羅漢寺山(弥三郎岳)14:27 - 14:38展望台 - 14:44パノラマ台駅15:00 –(ロープウェイ) – 15:06仙娥滝駅15:14 - 15:21仙娥滝 - 15:26石門 - 16:23長潭橋 - 16:26昇仙峡口16:41 –(バス)- 17:00甲府駅
2022/12/18羅漢寺山~昇仙峡ハイキング報告(前編)
- 【報告】
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昇仙峡ロープウェイ「パノラマ台駅」(標高1015m)
昭和39年(1964)運行開始。全長:1,015m、高低差:300mを5分で下ります。
当時も今も羅漢寺山までの道はないのによくもまあ、この索道施設を建設したものだと感心します。
いざ、下山開始!やはり文明の利器は良いですね!
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「荒川ダム」(あらかわ)で作られた人造湖「能泉湖」(のうせんこ)が見えます。
昇仙峡の絶景の渓谷を作り出した荒川は、甲府市街を流下し笛吹川に合流、釜無川、富士川へと流れます。こんなところの水も我が富士川に流れてきていたとは!
「荒川ダム」は、高さ88メートルのロックフィルダムで、昭和34年(1959)伊勢湾台風で甚大な被害を受けた山梨県は、昭和44年(1966)調査開始、昭和61年(1986)総事業費356億円かけて作られたダムです。
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昇仙峡ロープウェイ「仙娥滝駅」(標高815m)
そうこうしているうちにロープウェイは麓に到着しました。
ここからが、今回の後半のハイライトです!
世に名高い大正12年(1923)名勝、昭和28年(1953)特別名勝に指定された「御嶽昇仙峡」観光開始です!
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昇仙峡必見の「仙娥滝」です。滝水高さ30m。
滝水の落ちるさまをゆっくり観賞したいのですが、時は、既にかなり急がなければならない状況になっていました。バスの時間の関係で、“急げ急げ指令”が出ました。
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「御嶽新道」開削の難所であった「石門」(いしもん)を一気に通過。
このような岩を何年もかけて開削した長田円右衛門の苦労を偲んでいる暇がありませんでした。
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昇仙峡シンボル「覚円峰」(かくえんぽう)も足早に通り過ぎます。
渓谷から見上げる180mもの岩壁からなる峰で、その昔、この頂上で禅僧の覚円が修業をしたらしいです。
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こんなような看板と奇岩が連続してあります。なかば強引に名前付けされた感の岩もありましたが。
さて、山間の渓谷、既に陽は陰っています。
それと、本稿もだいぶ長編になってきたので、天下の昇仙峡ですが、昇仙峡ガイドはこのくらいにしておきます。
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「長潭橋」(ながとろばし)到着です。ゴールまであと少し!
ただの道路橋と思いきや、近代構造物として”選奨土木遺産”に認定されている歴史的文化的価値のある橋のようです。大正14年(1925)に竣工した全長34.6m、幅3.6mのコンクリートアーチ橋で、昇仙峡の玄関口として有名らしいです。
確かに欄干が趣のある作りをしていました。
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「長潭橋」のすぐ下流側に新しい橋を建設中でした。
さすがに100年近く経って、道路幅員や老朽化の問題から、架け直すようです。
歴史的構造物の“渡り納め”が出来て良かった!と思ったら、現橋は、補修してこの先も歩道として保全していくそうです。
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バス停「昇仙峡口」に全員、無事到着。何とかバスの時間に間に合いました!
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さて、甲府駅に戻って来ました!これからが本番(?)
意外にも何処も満席で入れるお店がありませんでしたが、やっと入れた蕎麦屋で、反省会!お疲れ様でした!
以上
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- 【補足情報】
読者層は千差万別。ルポの情報量に対しては、賛否両論です。
せっかくですので、ここから先は、向学心のある方向けにもう少し情報をお伝えしたいと思います。
- 向学情報①
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「東宮登臨」の記念碑
「長潭橋」を渡る少し前、「天鼓林」と言われるところにあった、この碑に対して、の説明が見つからなかったので、いろいろと情報を調べたてみたのですが、きちんと説明された情報を見つけられませんでした。
ですので、向学心のある方々には是非ご紹介したいと思います。
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碑文は「東宮登臨之處」だと思われるのですが、一番下の文字は「處」で良いのでしょうか?
意味としても正解だと思うのですが、草書体にこのような字はありませんでした。
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隣にはびっしりと文字が書かれた碑が立っていました。写真を“必死”に写字してみました。(たぶん誤記はないと思います)
句読点のなく文の切れ目が定かではありませんが、漢文の終助詞、置き字、文意から適当に空白、改行を入れて記してあります。
「大正十一年十月七日 東宮行啓駐駕於茲而賞觀焉 金渓之勝大顯天下
昔時有圓右衛門者新闢此境業創 文化四年竣天保十四年其間實三十七年 圓右之盡心力亦偉矣
爾來八十餘年 人稍來遊而載筆之士詩之文之畵之然 以境在僻遠不甚顯也
東宮一乘盛躅遂至有今日 豈非所謂白日光曬幽隠皆照者哉 縣民歡喜無已
頃同志胥謀勒諸石 以傳其榮云
大正十四年十月三十一日 甲府地方裁判所檢事正島倉龍治謹譔併書」
何故、この時代にも拘らず、日文ではないのか解せませんが、「文系」諸兄、解読よろしくお願いします!
「理系」現代語抄訳:
大正11年10月7日東宮(後の昭和天皇)が行啓され、ここに来られ観賞されたことで金渓(昇仙峡)の名勝が広く世に知れ渡りました。
昔、長田圓右衛門というものがこの地を切り開き、文化4年(1807)から天保14年(1844)まで其の間実に37年間も圓右衛門は尽力しました。
以来80年余人が少しずつ訪れ、詩や書に載るようになりましたが、僻遠の地には未だ未だでした。
東宮が来られたことで、今日脚光を浴びるようになりました!
県民は歓喜して已む無し、同志あい謀ってその栄誉を伝えんと石を刻みました。
大正14年10月31日甲府地方裁判所検事正 島倉龍治“
- 向学情報②
- そうそう、長潭橋(ながとろばし)は、大正14年(1925)に竣工されています。
この碑が立てられたのと同時期だったのですね。
ついでに「潭」の字ですが、なぜこの字が使われているかは謎です。
秩父の長瀞と「瀞」とかぶるからでしょうか?(秩父の長瀞は瀞が長い)
川の水が深く流れの静かな所を「瀞」といい、「潭」は水が深く淀む所で、流れがなく溜まった水を指すように思えます。
- 向学情報③
- 龙潭虎穴(lóngtán hǔxué):龍の淵,虎の穴
不入虎穴焉得虎子(bùrù hǔxué yān dé hǔzi):虎穴に入らずんば虎子を得ず
前者は、即ち、危険この上ない所を指します。後者は言わずと知れたことわざです。
某OBG会のことでしょうか・・・(笑)
以上
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