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- 【メンバー】
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- A) ゆるハイク班 6名
- 44佐藤あ、阿部佳,48斎藤恭,H7鎌田明央、鎌田ふ、鎌田い
- B) 本格ハイク班 9名
- 46平石充、三木洋,48斎藤隆、石井啓,53田中亨,55北島博、三橋幸、舩生克,57高橋聡
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- 【日程】
- 2023年1月7日(土)
- 【工程】
- 距離:15.9 km 登り:929 m 下り:932 m
<20230107ヤマレコ高松山>
松田駅7:35 –(バス)- 7:43松田山入口07:45 - 08:42最明寺史跡公園08:56 - 09:16松田山(510m地点) -
10:08尺里峠- 10:58高松山11:58 - 12:34尺里峠 - 13:56東山北駅
- 【まえがき】
「秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣手は 露に濡れつつ」
藤原定家撰 小倉百人一首の巻頭歌番号1番 天智天皇の歌である。
天智天皇の近江大津宮ゆかりの近江神宮にて、昭和26年(1951)第1回「高松宮記念杯全国歌かるた大会」が開催され、第72回目が本年令和5年1月に開催された。
折しもその前日、我々一行は、令和5年初のイベントとして「高松山」に向かうことに相成った。
もっとも我々一行に高松宮宣仁親王からの賜杯が下賜されるわけではない。
- 【報告】
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新松田駅集合!
皆が駅についてゆっくりしていると「急いで!」TNKリーダから檄が!
コミュニティバスに乗車!当初の予定になかったのですが、ちょうどバスが発車するところで、2kmの舗装道路歩きのところ100円で「ワープ」できました!
注)ワープ(warp):“時空を超えた移動”:昭和の大ヒットアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が用いた“航法”。
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「松田山入口」バス停下車。
バスのナンバーに注目!エンジェルナンバー「1122」!
エンジェルナンバーとは、天使からのメッセーが込められたナンバーで、「1122」は幸せを呼ぶナンバーのようです。
そういえば、11月22日は、いい夫婦の日、今日それなりに市民権を得ている日本の記念日です。
山北町公式HPを見て、すごい事実を発見!
山北町役場 電話番号: 0465-75-1122!
山北町コミュニティバスは2台運行されていて、ナンバーが「あ1122」と「い1122」!であることを確認!
単なる偶然とは思えず、山北町のこだわりナンバー?エンジェルナンバー?か、これについて何かあるかと情報をいろいろ探ってみましたが残念ながら得られませんでした。
コミュニティバスもレトロ調なバスで、山北町の花「ヤマブキ」なので、色を「山吹色」と緑のツートンにしています。山北町、なかなか粋ですね!
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「松田山登山口」(標高80m)
ここから、登山開始!
しばらく舗装された道を進みます。
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今回もまたいい天気です!
メンバーの日頃の行いなのか分かりませんが、とにかく幸運にも毎回、天候に恵まれていることは確かです。
ということで、暑くなってきたので、道の脇が広がったところで、脱ぎ休憩。
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「最明寺史跡公園」(標高456m)到着。
入口に「からさわ古窯」がありました。奈良時代に屋根瓦を焼いていた「のぼり窯」です。昭和の東名高速道路の工事の際に松田庶子(まつだそし)で発見され、町の指定重要文化財として、4基のうち1基をここに移築されています。
この辺りの地図を見ると「松田惣領」と「松田庶子」という地名が実在しています。
昔、この辺りを支配者していた松田氏は、領地を「惣領」(そうりょう)と「庶子」(きょし)にそれぞれ分け与えて、それがそのまま今日まで地名として残っているそうで、松田町も面白いです。
ちなみに中世では、惣領は嫡子長男と限らず、優秀な跡継ぎが惣領で、その他が庶子だったそうです。
松田町公式HPによると、住所:松田町松田惣領2037、電話番号:0465-83-1221
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「最明寺史跡公園」(標高456m)
そう言えば、朝、慌ただしくバスに乗ったので集合写真を撮っていませんでした。
ということで、ここで記念写真!
- 最明寺史跡抄録:
- 承久3年(1221) 浄蓮上人源延は、夢のお告げを受け、信州善光寺の一光三尊善光寺如来を模写して仏像を製作、ここ庶子山に西明寺(後の最明寺)を創建。その後、鎌倉幕府の執権、最明寺入道
北条時頼より寺領の寄進を受け、「五歩に一楼、十歩に一閣」大いに寺運興隆。しかし応仁・文明の戦乱により、寺は衰退、文明年間(1469- 1487年)、寺の復興を計るも山道険しく、金子の郷(足柄上郡大井町金子)に移転。
・・・ということで、ここには「最明寺」は既になくなり、その史跡だけです。
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公園内には大小2つの池があって、その池を囲むように様々な種類の桜が植えられています。
開花の最盛期には水面に映りこんで、美しい景観が見られるそうです。
池の西側を廻って、高松山に足を進めます。
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いきなり道が崩壊していて、崩壊箇所を避け、道なき急斜面を登って行きました。
TNKリーダ曰く、池の東側を通る道が正規(?)の道で、崩落で通行止めの警告板があったから、こっち側を廻ったそうで、こちらの崩壊箇所の方がかえって酷かったのでは・・・。
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正規(?)の道に復帰?
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この辺りが「松田山(510m地点)」でしょうか?
「高松山入口」でなく「松田山入口」から来たので、“安直に”「松田山」の山頂(標高551m)を目指すものと思っていましたが、最明寺史跡公園からだと松田山は、高松山とは逆の方角にありました。
自分で地図を見ることなく、引率者に任せっきりで、ただついて歩いているだけということが露見・・・(泣)。
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最明寺史跡公園から「松田山みどりの風自然遊歩道」という遊歩道を歩いて来ましたが、舗装道路にでました。
この辺りが「高松」の集落のようで、国策による「戦後開拓」により入植がなされた地域だそうです。
集落には、元「山北町立川村小学校 高松分校」があります。同校は、昭和31年(1956)創立、神奈川県最後の分校として、約半世紀に渡りこの地域の子供達を育んできましたが、平成22年(2010)3月閉校になってしまいました。
緑の山に囲まれた可愛らしい学び舎が今も残っているそうです。
在りし日の子供たちの“都会の絵の具に染まらないで”遊ぶ姿が偲ばれます。
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「この付近 富士山絶景地」の看板が立っていました。確かに!
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「尺里峠(ひさりとうげ)」(標高535m)到着!
峠は、高松山の南東に伸びる尾根の鞍部で、南側の麓の尺里集落と北側の虫沢集落とを結ぶ“街道”の峠です。
「尺」を“シャク”と読まずに、“ヒサ”と読ませるとは!
謂れは分かりませんでしたが、なかなかの難読地名です。
「尺」は「尺貫法」の長さの単位1尺=10寸(10/33m)ですが、尺貫法は、今日、正式な取引や証明に用いることは禁止されています。
しかしながら、先輩方の間では、尺貫法の「升」「合」などの体積単位が依然“好まれて”使用されています(笑)。
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峠から高松山への尾根道を登って行きます。
何やら、石像、石碑が立っていましたが、帰りもまたここに戻って来るので、後ほどにします。
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「富士見台」と書いた看板が立っていました。
やはり日本の代表、天下の霊峰「富士山」、皆さん、喜んでいます。
日頃、雄大な富士山を見慣れている筆者は、特に興味を示しませんが・・・(笑)。
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「桜平」と書かれています。
なるほど、道はほぼ平坦で目の前には・・・
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このような樹齢何十年(?)の立派な桜の古木がありました。
この桜の木が花を咲かせれば、さぞかし見応えがありそうです。
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「真弓」の看板です。
筆者は、女性の名前として、全く違う謂れを想像していましたが、何と木の名前でした!
ニシキギ科ニシキギ属の樹木で、材質が強い上によくしなる為、古来よりこの木から弓が作られてきたそうです。
「真弓ヶ丘」
この辺りには、そんな「真弓」が多く自生しているみたいです。よく分からなかったですが・・・。
高松山に向かっているこの道は、「高松古道」とも呼ばれている昔からの生活道のようで、「虫沢古道を守る会」が整備、道標を立ててくれています。
道標の揮毫は、同会のメンバーでもある福昌院の黙應康雄住職だそうです。
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さて、いよいよ高松山の山頂に向かって、最後の登りに差し掛かりました。
ここで、道が「男坂」と「女坂」に分かれています。
どちらに行っても山頂に着くようですが、「善は急げ」か「急がば廻れ」かの選択です。
人は時に人生の岐路で大きな選択を迫られます・・・(その後に続く)
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高松山山頂(標高801m)に到着!
通称「さくら会」の皆様がお出迎えしてくれました!
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通称「かまちょふ」のご子息たちも!
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先ずは、富士山バックに記念写真!
高松山の山頂の富士山側は開けており、山頂一帯は、なだらかで広く、しかも今日は天気も良く、最高です!
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ランチを済ませ、山頂標を囲んで記念写真!
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「尺里峠」に足早に戻って来ました。
この鞍部から少し登ったところに小ピークの「第六天」(標高569.5m)があるみたいです。
峠には、馬頭観音と他化自在天(たけじざいてん)(「六欲天」の「第六天」)の碑がありました。
- 案内板抄録:
- 旧来、ここに「第六天」を祀る御堂が建っていたが、昭和10年頃、事情は分からないが山北町岸の天社神社に移転合祀された。その後は、馬頭観音石像の隣に小さな石碑としてひっそりと影をとどめていた。しかしながら、それも戦後のいつ頃か消失してしまって台座の石だけが残った。主なき台座の偲び難く、平成24年(2012)年「他化自在天の石碑」を再建。
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ゆるハイク班は、麓の松田駅と「尺里峠」間は文明の利器移動なので、ゆっくりと。
本格ハイク班は、今回も電車の時間の都合で余裕がなく、急げ急げで下って行きました。
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第ニ東名の工事現場を通ります。
ここが、開業を遅れに遅れさせている難工事現場の「高松トンネル」の西口でした!
「高松トンネル」はそのまま「尺里川橋」に繋がります。
尺里川右岸の道路は完全に塞がれ、工事用の仮設橋、仮設道路を歩くことになりました。
工事用仮設道路といってもさすがトンネル工事と架橋工事のための道路で、立派なものです。
急いでいるのに迂回させられて!と思ったのですが、このような仮設道路を歩けるのも今しかない貴重な体験です。良い記念になりました!
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「第二東名」の静岡県区間は、平成24年(2012) 162kmを一気に開業。愛知県区間55kmは平成28年(2016)に開業。神奈川県区間は、やっと令和4年(2022)で、海老名南-秦野21kmが開業できたに留まっていました。(「不老山報告(2022/3/20)」参照)
残りの秦野-御殿場間25kmですが、「神縄断層」と「中津川断層」に挟まれた断層破砕帯を掘削する「高松トンネル」がネックとなっていたようです。
NEXCO中日本曰く、「2023年度の開通は困難な状況」でしたが、ついに「開通予定時期を2027年度に見直し」とのことです。
我々が呑気に楽しんできた「高松山」の下では、大変なことになってたのですね!
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御殿場線「東山北駅」に無事到着!
さて、“肝心”の「反省会」会場ですが、松田駅付近では場所がなく、「渋沢駅」に移動です。
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渋沢駅前の目利きの銀次で「反省会」開宴!
お疲れ様でした!
人は時に人生の岐路で大きな選択を迫られます。
反省会は「軽く」済ませるか、「だらだら」と続けるか・・・。
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開宴から4時間以上経過!
- 過而不改 是謂過矣:
- 過ちて改めざる 是れを過ちと謂う
- 過則勿憚改:
- 過ちては改むるに憚ること勿かれ
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