◆奥武蔵顔振峠ハイキング報告
(高山不動尊~顔振峠~ユガテ)
今回報告者:高橋聡(S57年卒)
掲載日:2023/12/10
【メンバー】
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- 本格班
- 48石井啓,53田中亨,55三橋幸,57高橋聡
ゆるハイ班
- 44阿部佳、佐藤あ、中村一,46三木洋,48斎藤隆、斎藤恭,52関口豊,58西村和,63生田恵
【日程】
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- 2023年11月26日(日)
【工程】
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- 距離:14.3 km 登り:520 m 下り:931 m (本格班)
<20231126ヤマレコ高山不動尊~顔振峠~ユガテ>
飯能駅8:10 -(タクシー)- 8:50高山不動駐車場9:00 - 09:16高山不動尊9:14 - 09:27高山不動入口 - 09:38関八州見晴台入口 - 09:46関八州見晴台10:00 - 10:28花立松ノ峠 - 10:59傘杉峠11:02 - 11:27顔振峠11:49 - 12:08諏訪神社12:29 - 12:37越上山分岐 - 12:57越上山13:01 - 13:19越上山分岐 - 13:50林道笹郷線 - 14:00桂木峠方面分岐14:14 - 14:20林道権現堂線 - 14:56天文岩14:58 - 15:26ユガテ15:41 - 16:40東吾野駅
【まえがき】
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- 主人公「雪村あおい」は、人付き合いの苦手なインドア派の飯能の聖望学園に通う女子高生。
クラスメートのアウトドア派「倉上ひなた」に「一緒に山に登ろう」と誘われる。
あおいは、放埒なひなたに内心反抗しながらも、「飯能アルプス」に登ることになる。
『天覧山(197m)』に登ったあおいは、ひなたと登山に対する見方を変えた・・・。
『ヤマノススメ ©しろ/アース・スター エンタ―テイメント』の一幕である。
半世紀以上前は高校生だった男女一行は、『ヤマノススメ』を知ってか知らずか、“聖地巡礼”に臨んだ。
参考:
黒山三滝~顔振峠 義経伝説と滝のあるみち(2021年4月4日)
天覚山~多峯主山~天覧山 飯能アルプス(2020年12月6日)
【報告】
「高山不動駐車場」(標高535m)
「本格班」精鋭(?)4名!いざ、出陣!
少し前までは、「本格班」が多勢を占め、「ゆるハイ班」は少数派だった気がしますが、時代は「ゆるハイ班」が主流に。
ちなみにさらに前は、「本格班」「ゆるハイ班」は、「物好き班」「一般班」と称していたので、これが正しい姿かも知れません(笑)
「高山不動尊(常楽院)大銀杏」(標高569m)
推定樹齢800年、埼玉県指定天然記念物(昭和22年指定)だそうです。確かに!見応えあります!
「高山不動尊(常楽院)本堂」(標高580m)
成田不動、高幡不動と並び、関東三大不動の一つとのこと。
“伝承”によると、霊亀2年(716)行基が五大明王像(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)を自刻、そのうちの軍荼利明王像(ぐんだり)が現存していて、ここの本尊となっているそうです。
高山不動尊と呼ばれるのは、平安末期に秩父重綱の子が居住し、高山氏を称したかららしいです。
現存する本堂は、嘉永2年(1849)に再建されたものだそうですが、意外に立派です!
「高山不動入口」(標高650m)
あれっ?さっき高山不動は後にしたのに、ここが入口?この上にあるの?この下にあるから?
高山不動尊(常楽院)は、白雉5年(654) 藤原鎌足の子の長覚坊、三輪神社の宝勝坊、藤原氏家臣の岩田三兄弟が創建したとされ、創設の地がこの先にあり、現高山不動尊「奥の院」=「関八州見晴台」とのこと。
まあ、高山不動入口から上に登っても下に下っても、いずれにしても間違いではない、なるほど。
「関八州見晴台入口」(標高721m)
石碑には、「関八州見晴台」の脇に小さく「高山不動尊 奥の院」と書かれているのを後日確認。
そんなこととは露知らず、「関八州見晴台」を目指します!
「関八州見晴台」(標高771m)
関東八か国:相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野の関東平野が、“見渡せた”ようです(過去形)。
例のごとく低山は樹木を伐採して頂かないと、“見渡す”のではなく、“垣間見る”って感じです。
高山不動尊「奥の院」の祠もちゃんとあったようですが、「奥の院」など全くノーマーク、休憩をとった隣の東屋だけしか記憶がありません。
「“あおい”は、『山コーヒー』に挑戦する。
麓の水場で水を汲み、その水を一口『うん!美味しい!これならおいしいコーヒーができるね』
“あおい”と“ひなた”は、関八州を眺め、コーヒーを淹れる。『山で飲むコーヒーほんと美味いわあ』・・・」
「花立松ノ峠」(標高662m)
歴史、浪漫などには縁遠い一行は、さっさと下山開始です(笑)
この峠は、林道奥武蔵2号線(奥武蔵グリーンライン)と林道猿岩線との合流点です。
我々一行は、当然林道は歩かず、林道に並走している山道を進み、次なる「傘杉峠」を目指します。
「傘杉峠」(標高551m)
ここで、本体(?)である「ゆるハイ班」情報が入ります。既に「顔振峠」に到着済み!とのこと。
TNKリーダ曰く、「ゆるハイ班」の集合時間は、飯能駅でタクシーに手間取ることを想定しての設定だったが、事前にタクシーを無理やり(?)予約させられてしまい、計算が狂った!
計画では、大峰山(南乞塚)(標高622m)を経由する山道を歩く予定でしたが、これ以上「御本体」をお待たせする訳にいかず、林道奥武蔵2号線(奥武蔵グリーンライン)を急ぐことになりました。
「顔振峠(かあぶりとうげ)」(標高508m)
到着したころには、「御本体」は既に諏訪神社へと行かれた後でした。
「かおぶり」「こおぶり」とか言う人がいますが、文化12年(1815)斎藤鶴磯著「武蔵野話」に“冠嶺(かぶりとうげ)方言にて「かあぶり」”と記されており、公式(?)には「かあぶり」だそうです。
写真の石板は、対面の「平九郎茶屋」が建てた顔振峠の案内板です。前回2年前に来た時は、折しも「渋沢平九郎」ブーム(?)だったので、平九郎の話を素直に頷いて帰ったのですが、新たな事実が発覚!
石板に刻まれていた渋沢平九郎の辞世:"惜しまるる時散りてこそ世の中の人も人なり花も花なれ" の出所は?
細川ガラシャの辞世:“散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ” と被り過ぎ⁈
没年 渋沢平九郎:慶応4年(1868)、細川ガラシャ:戦国の慶長5年(1600)・・・
こちら「黒山三滝~顔振峠 義経伝説と滝のあるみち」(2021年4月4日) も是非、読んで頂きたいです!
「秩父サイダー」:彩の国(さいのたま)ちちぶ路
峠には、公のトイレがなく、どこかお店に入らなければならないことが分かっていました。
TNKリーダは、小洒落たカフェに入りたかったようですが、「平九郎茶屋」でトイレを借りることに・・・。
トイレ利用料(?)、1本200円!(2年前は150円/本)(驚)
ここにもインフレの波が・・・(泣)
「諏訪神社分岐」(標高475m)
「平九郎茶屋」で英気を養った我々は、「御本体」の待つ諏訪神社へと、林道奥武蔵2号線(奥武蔵グリーンライン)をさらに進みます。
このまま林道を進むと、遠回りになるので、ここで山道に入ります。
ちなみに、林道奥武蔵2号線は、この先、右に大きくヘアピンカーブして、林道権現堂線にぶつかります。合流点からはその林道権現堂線が奥武蔵グリーンラインになっています。
余談ですが、埼玉県では、「林道」を「森林管理道」と称するそうです。
「阿寺諏訪神社境内 砲弾碑」(標高511m)
山道を抜けると諏訪神社境内の裏手にでました。
こんなところに砲弾!何やら字が書いてある大きな記念碑が建っています!
こんなところに何故、砲弾が?
実は、こんな所だからこそ砲弾の碑が残っていたのです!
社史:大正14年(1925)大日本帝国海軍より、保式短五糎砲 一門 及び 四十口径二十五糎演習弾 一個 下附を受け奉納。碑文は全く読めなくなっていましたが、
「明治天皇御製 『鬼神を泣かするものは世の中の人の心の誠なりけり』記念碑 伯爵東郷平八郎書」
と書かれているそうです。
国民全て一丸となり富国強兵に向かっていった時代。日清戦・日露戦の戦勝記念として戦利品の下附から始まり、さらに帝国陸海軍から様々な記念に下附された砲弾は、日本国中のほとんどの神社に置かれたと言っても過言ではないほどの数量だったそうです。
ところが、時代は大東亜戦中の金属類回収令、敗戦後の占領軍の神道指令などにより、今日、ほとんど残されていません。
現在、ここにこうして残っている砲弾は、辛うじて当局の回収、撤去を免れた物凄く貴重なものだそうです!
「阿寺諏訪神社 鳥居」(標高506m)
境内裏側の山道から来たので、境内から降りてきましたが、こちら側が本来の参道です。
拝殿の他にも、人のいる気配はなく閉まっていましたが、祭事にはお札とか売っていそうな社務所もありました。
お待たせ致しました!「御本体」と合流です!
「御本体」はここで、待ち時間を「MIKコーヒー」で過ごされていました。
どうやら、平九郎茶屋でのトイレ使用料を「ワンカップ」と「ハイボール」とされたようで、それを熱燗に・・・
「本格班」も「MIKコーヒー」のご相伴に預かり、総勢13名、“登山” 開始です!
「越上山分岐(おがみやま)」(標高510m)
ここからが、本日「最初で最後のピーク」だそうです。
(標高555m付近)
痩せた尾根に大きく露出した岩が!
右も左も崖のような斜面!巻くにも巻けず、この岩峰を乗り越えざるを得ず!
意外に怖い所でした!
「越上山(おがみやま)山頂」(標高566m)
全員、無事登頂!
写真手間に三等三角点があります。
基準点名「越上」(基準点コード:TR35339721001)
北緯:35°55′30″.5661、東経:139°15′16″.3023、標高:566.32m
基準点は、国土地理院基準点成果等閲覧サービスで詳細を知ることができます。ご興味のある方はどうぞ!
そうそう、TNKリーダが「越生(おごせ)の上だから越上(おがみ)なのかあ」と呟いていました。
それも一理ありそうですが、どうやら「拝み山」とか「お神山」から転訛説が、有力みたいです。
もっとも、「越生(おごせ)」も秩父山地の「尾根越し」「尾越(おごせ)」「峰越(をごせ)」の転訛だとか。
まあ、難読地名であることには間違いないです。
越上山山頂標を中央に挟んでの記念写真でしたが、TNKリーダの陰に・・・(笑)
ということで、山頂標はこんな感じです。誰かが置いた小さな狛犬が一組、置いてありました。
越上山山頂からは、来た道を戻るしかありません。
来るときに難儀した、“痩せ尾根の露出した岩峰” を恐る恐る越えて戻ります。
今回最年少のIKT嬢、頑張って下さい!
「林道笹郷線」(標高453m)
無事、「尾上山分岐」まで戻り一安心。
ユガテ目指して進んで来て、林道笹郷線に出ました。
TNKリーダ、何やら思案しています!
計画書では、このままこの林道笹郷線から林道権現堂線(奥武蔵グリーンライン)を歩く予定になっていましたが、思慮深いTNKリーダの気配りです。
「先輩たちにもう少し山道を歩かせてあげよう!」という配慮から、山道に分け入っていきます。
「桂木峠方面分岐」(標高490m)
尾上山が最初で最後のピークと言っていましたが、本日、2回目のピークです。
「林道権現堂線 接近点」(標高464m)
山道は、林道権現堂線(奥武蔵グリーンライン)と概ね並走していて、ここで林道に急接近します。
TNKリーダは、「先輩たちにはさらにこのまま山道を楽しんでいただこう!」と、大沢山(標高480m)経由で抜ける山道へと一行を導きます。
さすがTNKリーダ、一旦は登り出しましたが、結構な坂道だったので、「まずい、このままでは日が暮れる!」
少し登ったところで、引き返すことを決断!林道歩きに切り替えました。
計画では、ここから林道を600~700mくらい進んだところの山道分岐(標高422m付近)から茶之岳(450m)~エビガ坂(384m)を経由してユガテに進む予定だったはずでしたが、“弘法も筆の誤り”!
TNKリーダともあろうお方が、その分岐を見過してしまいます!
林道歩きになった一行は、歓談(雑談?)しながら、たらたらと歩くので、TNKリーダもつい “おばあ様の引越しの話” に夢中になっていたとのこと(笑)
「天文岩」(標高330m)
林道権現堂線(奥武蔵グリーンライン)を延々と歩いていくと、道沿いに大きな岩と祠に!
天文学者「千葉歳胤」がこの岩と岩の間にある岩窟に入って、数学、暦法、天文について独学したそうです。
岩窟の暗闇の中で、果たして学問を学べたのでしょうか? 瞑想に耽ることはできそうですが・・・
「奥武蔵グリーンラインからユガテへの分岐」(標高330m)
多少(?)遠回りしたお陰で名勝(?)「天文岩」も見れたことですし、ここで、計画通りに戻りました。
いよいよ「ユガテ」です!
「ユガテ」(標高290m)
聖地到着!
現在も民家、畑のある山村の集落で、漢字で「湯ヶ天」と書き、昔は天に吹きあげるほど、豊かに湯が湧く村だったそうです。
「“あおい”は、東吾野駅の看板を見て、『ユガテって何だろう・・・』とつぶやく。
飯能には四方を山に囲まれた中にぽっかりと広がる「桃源郷」と呼ばれる地があった。
“あおい”と“ひなた”は、ここでケーキを食べ、その意味を理解した。」
「東吾野駅」(標高132m)
日没前には、どうにか、全員駅に着きました!
タッチの差で、電車が出ていってしまいました。
MIK会長には、「反省会」会場確保という大役を担って頂くためにその電車に乗って頂きました(敬)
「東吾野駅」:アニメ版(主人公 女子高生あおい)
出典『ヤマノススメ』©しろ/アース・スター エンタ―テイメント
「東吾野駅」:実写版(主人公 半世紀以上前の高校生)
「反省会」山内農場 飯能北口駅前店
子曰、過則勿憚改 過而不改是謂過矣 (过则勿惮改 过而不改是谓过矣)
過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ 過ちて改めざる、是れを過ちと謂う
【あとがき】
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「西武鉄道創立110周年記念 西武鉄道の前身である武蔵野鉄道時代の「デハ5560形」塗色された西武2000系電車!」(TNK喜)
その後、御三方は、また更なる会場へと向かった・・・(敬)
以 上
※写真はこちらです。
①齋藤さん撮影(最初ゆるハイク班)(2023/11/28 up)
②高橋さん撮影(最初本格ハイク班)(2023/12/9 up)
yabonokai
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