◆仙元山ハイキング報告
(本格班:三浦アルプス~仙元山)
今回報告者:高橋聡(S57年卒)
掲載日:2024/2/16
【メンバー】
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- ゆるハイク班(11名)
- 44中村一、阿部佳、水堀勤、水堀雅、佐藤あ,45清水敏,48田尻哲、斎藤恭,55中嶋広,59大芝賢、大芝妻
本格ハイク班(8名) - 46三木洋,48斎藤隆、石井啓,53田中亨,55北島博、三橋幸,57高橋聡,58西村和
【日程】
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- 2024年2月12日(月・祝)
【工程】
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- ゆるハイク班
- 距離:5.9 km 登り:299 m 下り:298 m
< 20240212ヤマレコ仙元山(ゆる班) >
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本格ハイク班
- 距離:9.8 km 登り:660 m 下り:660 m
< 20240212ヤマレコ仙元山(本格班) >
JR田浦駅8:52 – 8:58田浦隧道 – 9:09田浦梅林入口 – 9:28田浦緑地展望台9:32 -9:39田浦橋(横横陸橋) – 9:58
[D7]東京湾要塞地帯標14号 – 10:00 [D8]三国峠 – 10:03乳頭山10:08 – 10:12 [D8]三国峠 - 10:28
[D9]茅塚分岐 -10:33茅塚 -10:38巻道復帰近道 – 10:40 [D10]上山口小分岐 – 10:46東京南線3,4号線鉄塔 –
11:09 [D12]栗坪分岐 – 11:10 [D13]新沢分岐 – 11:14 [D14]大桜11:20 – 11:34 [D15]分岐
– 11:53 [D16]森戸林道分岐 – 12:10 [D17]新沢分岐12:15 – 12:26高塚12:37 – 12:49観音塚12:50
– 13:01 [葉10]実教寺分岐 - 13:19ソッカ13:30 - 13:57仙元山14:31 - 14:51仙元山登山口 – 15:10森戸海岸
【まえがき】
- 「星が降るあのコル グリセードで あの人は来るかしら 花をくわえて
アルプスの恋唄 心ときめくよ 懐かしの岳人 やさし彼の君」(岳人の歌:野歩の会S53録音)
我々は、「飯能アルプス~多峯主山ハイキング報告(2020/12/06)」にて、「アルプス」(独Alpen/英Alps)についてと「飯能」にも「アルプス」があることを学んだ。
そんな「アルプス」が「三浦半島」にもあった。
「三浦アルプス」とは・・・
低い山々にもかかわらず、豊かな自然と、起伏にとんだ地形がまさに「アルプス」と称されるに相応しい。
但し、痩せた尾根、岩場、急登、アップダウンを繰り返す本格派の縦走路を侮ってはならない。
“ポカポカ陽気の三浦半島ハイキング”の文言に誘われた、かつての岳人たちの「三浦アルプス」への挑戦!
はたして結果は如何に・・・
注)
コル(col):尾根道の鞍部
グリセード(glissade):氷雪斜面をピッケルで制動しながらすべり降りる滑降
【『野歩の会』有志による「山の歌」集(S53録音)】←こちらも、是非、ご覧ください!
【報告】
「JR田浦駅」(標高:9m)
横須賀線の駅では、最も乗車人員が少ない駅とのこと。
JR東日本と相容れないJR東海管内から来た筆者は、Suicaの有人処理が必要なので、どうなるかと思いましたが、駅員がいました。(笑)
何故、こんな辺鄙なところに駅がと思いましたが、なんと明治37年(1904)に開業です!
田浦駅は、長浦港(横須賀本港に新井掘割水路で連結)の軍需施設への専用線のために設けられました。
さすが、大日本帝国海軍鎮守府の “軍都横須賀”です。
横須賀線の逸話は、こちら「大丸山 鎌倉駅~港南台ハイキング報告(2022/1/23)」へ。
「田浦梅の里」麓の谷戸(標高:8m)
国道16号の田浦隧道をくぐって、比較的古い住宅街を抜けると今から登って行くところが見えました。
田浦梅林は、昭和9年(1934)に皇太子(平成天皇)ご生誕記念で700本の梅が植えられたことから始まり、現在、約2700本あるそうです。
横須賀市公園HPによる田浦梅林発祥之地碑の案内文ですが、
抄写「皇太子明仁親王殿下の御誕生を長く壽ぎ奉る為・・・(略)」
“ことほぎたてまつる”・・・恥ずかしながら読めませんでした。(泣)
「田浦梅林」(標高:121m)
梅林の入口から、いきなり結構な段数の階段が続きました。一気に高度を稼ぎます。
梅が、ほんの一部咲き始めていました。
「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」 服部嵐雪
暖かい天気の中、ふと、そんな句が頭の中を過ぎりました。
この句は、「寒さの中に咲く一輪の梅に“一輪ほどの” 微かな暖かさに心がふるえる様」が正しいのだと、まことしやかに国語学者風の輩は解説したがります。
自然科学者である筆者の素直な感性として、「梅の花“一輪ごとに” 暖かくなる春の足音に心躍らせる様」と思いたいです。
「田浦緑地」(標高:125m)
そうこうしているうちに「田浦緑地」の広場に出ました。
昭和51年(1976) 地元田浦町在住の「素封家」石川宏氏が、田浦梅林を含む周辺山林緑地33万7千㎡を市に寄贈、緑化保全区域の「田浦緑地」として指定したとのことです。
「素封家」(そほうか)・・・諸侯のように位や領地はないが、諸侯と同等の富を持っている人、俗にいう資産家。
筆者には縁のない言葉なので、初めて聞きました。(泣)
「田浦緑地展望台」(標高:127m)
高さ6~7mくらいの螺旋階段で上る円柱形の展望台がありました。
ここまでで結構な登りを味わった一行からは、「展望台上るの?」の声が・・・
“上ってみなければ出会えない景色がそこにある”(拝)
「三浦アルプス、ハイキングコース」道標(標高:109m)
いよいよ、本格登山開始です!
「田浦橋:横浜横須賀道路陸橋」(標高:77m)
せっかく登って稼いだ高度を、この陸橋を渡るために一旦、高度を下げます。(泣)
「横浜横須賀道路」は、国道16号バイパスとして三浦半島を縦貫する道路ですが、“横横は高い” で有名でした。
都落ちしてから幾十年、今回初めて知りましたが、首都圏の高速道路料金が変わっていました。
平成28年(2016) “首都圏の高速道路料金は、「高速自動車国道の大都市近郊区間」の水準に統一”!
横浜横須賀道路は、大幅値下げ!(狩場-馬堀海岸1440円→950円)
逆に第三京浜&横浜新道は、激変緩和措置がとられているものの、大幅値上げ!(玉川-狩場470円→710円)
“格差是正”、日本が世界で唯一の成功している“社会主義国家”だけのことはあります。
三浦アルプス、侮れない険しい山道が続きます!
この辺りは、登るのに“手の助け” が必要です!
「FK2/D7分岐(道標なし)」(標高:140近辺)
この正面の斜面を“手を使って” 直登し、東尾根のFK2に出る計画でしたが、左の迂回ルートと思われる道を選択。しかし、山道は「乳頭山」には向かわず、どうも谷間をトラバースしていきます。
心配する先頭に対して、TNKリーダの「心配無用!分岐に出たら、右折!次の分岐も右折!」のお声掛け!
さすがです!
「畠山分岐」[D7] (標高:170m近辺)
南東の「畠山(標高:205m)」から来る尾根に出ました。
「東京湾要塞地帯標14号」 (「D7分岐」道標脇)
分岐道標脇に 「海󠄀軍省 東京湾要塞第一区地帯標 第十四号 昭和十六年七月三十日建設」 と刻まれた石柱が綺麗に残っていました。
東京湾は、大日本帝国の首都東京の防備に重要な場所なので、明治32年(1899)要塞地帯法が公布され、要塞を中心に一定距離内(第1区~第3区に区別)を要塞地帯と指定し、立入りや撮影などが禁止・制限されました。
ということは、戦前だったら、ここは通った我々一行は、処罰を受けたかも知れません・・・。(驚)
「三国峠」[D8」(標高:183m)
「乳頭山」を巻くかたちで、三浦アルプスの縦走路「南尾根」に出ました。
「三国」というからには、何処の三国かと思いきや、逗子市(桜山大山)、横須賀市(田浦泉町)、葉山町(上山口)の3市町界でした。
南尾根の北側は「逗子市桜山」ですが、“桜山本体”(桜山1丁目~9丁目)は、逗子中心市街地の南側にあり、“桜山本体” から遠く離れた飛び地でした。飛び地のくせに “桜山本体” と同じくらいの面積があります。(驚)
理由も年代も不詳で、「元は旧長柄村だったが、旧桜山村に引き取られたらしい」と伝えられているだけしか分かりませんでした。
「乳頭山」(標高:202m)
「三国峠」から、ピストンで「乳頭山」山頂へ。
名前の由来は、ずばり、山容がそのような形をしているからだそうです。
登っただけでは、よく分かりませんでした・・・(笑)
「茅塚分岐」[D9] (標高:185m)
南尾根を西に進むと「茅塚」と「観音塚」(茅塚巻き道)との分岐に出会いました。
計画では、「茅塚」は巻いていく予定でしたが、もはや “錬成登山”の域!
先頭を行く筆者は、TNKリーダの意向を確認、“どちらでもの回答” でしたので、あえて「茅塚」登頂を選択!
「茅塚」(標高:215m)
名前通り(?)茅を抜けて、今回の最高峰「茅塚」に到着!
但し、標も景色も何もありません。あったのは、送電塔だけです。
「東京南線1,2号線 No.33送電塔」
横須賀火力発電所から京浜変電所を結ぶ、高電圧275KVの送電線路です。
日本の電力会社は、戦後9電力会社に再編され、沖縄返還後、沖縄電力が加わりますが、昭和時代は、地域ごと電力会社が、電力をつくる「発電」、消費者に送る「送配電」、消費者へ販売する「小売」部門の全てを独占していました。
1995年から始まった電力自由化は、2016年完全自由化を経て、現在、電気事業者は、「小売電気事業者、一般送配電事業者、送電事業者、特定送配電事業者、発電事業者、配電事業者、特定卸供給事業者」に細分化されています。
ということで、この送電塔は、“東京電力”ではなく、送電事業者の“東京電力パワーグリッド”のものです。
ちなみに筆者は、理工学部電気工学科出身で専門です。(誇)
「上山口小学校分岐」[D10] (標高:185m)
「茅塚」からは、獣道のような急斜面を下って、元の縦走路に復帰しました。
目指せ!「観音塚」!
「東京南線3,4号線 No.34送電塔」(標高:180m)
小刻みにアップダウンを繰り返しながら、開けたピークに出ると、また、送電塔に出くわしました。
「茅塚」の1,2号線は、昭和35年(1960)の2導体、こちらは昭和39年(1964)の4導体です。
つまり、僅か4年の間に3倍に送電力アップしたわけです。
日本の高度経済成長時代ならではの仕業です。
「栗坪分岐」[D12] (標高:145m)
都市に近い“アルプス” だけにアクセスルートは多彩で、分岐が数多くありました。
まだまだ、全行程の半分までも来ていません。ですが、一行は、繰り返すアップダウンにだんだん飽きてきました。
読者の方も読むのにだんだん・・・?(笑)
ということで、一気に飛ばします!
「新沢分岐」[D13] (標高:140m)
「大桜」[D14] (標高:153m)
「分岐」[D15] (標高:157m)
「森戸林道分岐」[D16] (標高:150m)
「新沢分岐」[D17] (標高:150m)
「高塚」(標高:161m)
「観音塚」(標高:167m)
「実教寺分岐」(標高:130m)
「ソッカ」(標高:189m)
ここまでの道中、結構風も強く、景色もない中をひたすらずっと“錬成” してきましたが、やっと、「ソッカ」まで来ました!
一気に視界も開け、暖かくて良いところです。
文政四辛巳(かのとみ)と彫られた石碑もありました。1821年)ですので200年以上も前!すごいです!
「ソッカ」?変な名前なので、調べてみました。
「ソッカ山頂プロジェクト」に“山名の由来” と題して記載がありました。
ただ、結論は、“昔から言われている” で、由来の記載はなかったです。(笑)
「ソッカー」といえば、慶応の「ソッカー」 soccer:sɑ'kər(米)/sɔ'kə(英)!
現代カタカナでは「サッカー」ですが、慶応の伝統的発音へのこだわりです!(敬)
「FIFA(International Association Football Federation)」で分かるように「アソシエーション・フットボール(association football)」が正式競技名で、「soccer」はassociation の soc + er (行為者接尾辞) ・・・ 略語だそうです!(驚)
ちなみに早稲田のサッカー部は、「早稲田大学ア式蹴球部」となっています。
慶応ソッカー部紹介文にかように書いてありました!(敬)
階段を一気に下ります!
で、また階段を一気に登ります!
「仙元山」(標高:118m)
本隊(?)と合流です。「ソッカ」で時間をとった分、またもお待たせしてしまいました!(謝)
山頂には、西南戦争と日露戦争の戦没者の “軍事遺産”「招魂碑」明治37年(1904)建立!が建っています。
石碑もあります。
「食行身禄 不二仙元大菩薩」文政9年(1826)建立!
食行身禄(じきぎょう みろく)寛文11年(1671)~享保18年(1733) は、富士講指導者!
不二 = 富士、仙元 = 浅間! ・・・なるほど、「仙元山」は富士講の「遙拝山」であったとは!(驚)
今回の皆さまには、“小さな” 富士山を “遠くから” 仰ぎ見て崇拝して頂きました。(拝)
「仙元山登山口」(標高:50m)
「仙元山」からは、総勢19名の大パーティで下山してきました。
こちらは、「葉山教会」です!
公式HP曰く「葉山教会は、エホバの証人、統一協会などとはいっさい関係のない、正統的なキリスト教会です」!と書いてあります。アーメン!
「森戸海岸海辺」(標高:1m)
森戸海岸海辺に到着です!
ゴールの「森戸神社」は間近でしたが、さて、ここで、TNKリーダは、隊を二分します!
「森戸神社参拝隊」、「買い出し隊」(?)
「シーサイド葉山」
メイン(?)の反省会の会場に「MZH先輩の別邸」を提供して頂けることになりました!(謝)
葉山シーサイドビューなら「ワイン」でしょッ!乾杯~!
「森戸の夕照」(もりとのせきしょう)
こんな景色を見ながら、グラスを傾ける・・・
お疲れさまでした!
MZHご夫妻、ありがとうございました!
【あとがき】
- 飯能アルプス~多峯主山ハイキング報告(2020/12/06)で、西武の野望「中止となった天覧山・多峯主山の開発計画」を報告しましたが、今回、新たな発見と驚き!
西武は、この葉山にも触手を伸ばしていたとは!
西武のサステナビリティアクション(ESG)、「社有地を活用した森づくり」(開発計画の残骸?)に
「飯能・西武の森」
「葉山・西武の森」
も在るではありませんか!
これを見る限り、「観音塚」~「ソッカ」は、西武の土地?!
明治27年(1894) 葉山の御用邸ができ、葉山の名が一躍高まるのを “あの「堤康次郎」” が見過ごす訳ないです!
恐れ入谷の鬼子母神!
以 上
※写真はこちらです。
その1)齋藤(恭)さん撮影(最初ゆる班)
その2)田中(亨)さん撮影(最初本格班)
その3)高橋(聡)さん撮影(最初本格班)
野歩の会HP
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