◆赤ぼっこハイキング報告

  (本格班:日の出アルプス~赤ぼっこ)

今回報告者:高橋聡(S57年卒)
掲載日:2024/3/18


【メンバー】

ゆるハイク班(9名)
43小柴迪,44中村一、佐藤あ、阿部佳,45清水敏,48田尻哲、斎藤恭,49鈴木幾,62生田恵

本格ハイク班(7名)
46三木洋,48斎藤隆、石井啓,53田中亨,55北島博、三橋幸,57高橋聡

 

【日程】

2024年3月3日(日)

 

【工程】

ゆるハイク班
距離:10.4 km 登り:393m 下り:421m

< 220240303ヤマレコ赤ぼっこ(ゆる班) >
 
 
本格ハイク班 
距離:16.0km上り:513m下り:470m

< 20240303ヤマレコ赤ぼっこ(本格班) >


羽村駅8:02 - 8:36浅間岳入口 - 8:52羽村神社9:07 - 9:08浅間岳 9:41羽村駅・小作駅分岐点 - 9:44旧満地峠 - 9:51将久保峠 - 10:05若獅子坂10:22 - 10:34第五機動隊「栄光の楯」 - 10:53 316標高点(二ツ塚峠、満地峠・草花方面、大荷田川方面分岐案内) - 11:19二ツ塚峠 – 11:40旧二ツ塚峠 - 11:54 馬引沢峠 - 12:13赤ぼっこ13:08 - 13:28馬引沢峠 - 13:47旧二ツ塚峠14:01 - 14:51天祖神社15:08 - 15:42JR青梅駅

 

【まえがき】

「春になれば 氷(しが)こも解けて どじょっこだの ふなっこだの 夜が明けたと思うべな」
秋田の伝わる民謡を唱歌とした童謡の一節である。
愛情、愛着、親近感を込めての「小さい」といった意味を表す指小辞(diminutive)というものがある。
(英)「-let」「-y」:packet、booklet、leaflet、tablet・・・,mommy、daddy、baby、doggy・・・
(中)「子」:饺子(jiaozi)、扇子(shànzi)、桌子(zhuōzi)、椅子(yǐzi)・・・
然るに「どじょっこ」「ふなっこ」などの「こ」の意味するところは、想像に難くない。
「春」つながりで『赤ぼっこ』!」
「アルプス」つながりで「日の出アルプス!」と相成りさうらふ。

関連報告:
「飯能アルプス~多峯主山ハイキング報告(2020/12/06)」
「三浦アルプス~仙元山ハイキング報告(2024/02/12)」

 

【報告】

「羽村駅」(標高:145m)
本格ハイク班7名が全員揃っての出発だったのですが、・・・
先ずは、6名で「玉川上水羽村取水堰」目指して歩き出します。

 

「羽村橋」(標高:123m)
「弘法も筆の誤り」「猿も木から落ちる」「河童の川流れ」・・・
ST(T)先輩ともあろうお方もタクシーで追いかけることになろうとは・・・(笑)。
何はともあれ、ここで無事合流! 7名全員揃いました!
「羽村」といえば、東京都民なら誰でも知っている「玉川上水」!
承応2年(1653)玉川兄弟(庄右衛門・清右衛門兄弟)が、羽村から四谷大木戸まで高低差92.3m、全長42.74kmの武蔵野台地を開削して築き、江戸を潤わせた上水道です。
現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されています。
「玉川上水」の堤には、多くの桜が植えられました。
NKM先輩の名勝「小金井の桜」もそうです。
筆者ゆかりの「桜上水」も「玉川上水」の堤の桜並木が駅名の由来です。
昭和12年(1937) 京王電気軌道の「京王車庫前」駅を「桜上水」駅に改称、さらに昭和41年(1966)町名として「世田谷区桜上水」が上北沢より独立を果たしました!

 

「羽村堰下橋」(標高:124m)
「玉川上水」は、東京都民なら小学校の社会科「私たちの郷土」で、習っているはずと思いきや・・・、
「俺は、相模川の長沢浄水場!」「私は、江戸川の金町浄水場!」と宣う都民がいて、興味ないとは驚き!桃の木!山椒の木!
せっかくここまで来ていながら「玉川上水羽村取水堰」や「玉川兄弟の像」などを素通りです(泣)。
ちなみに東京都水道局「配水系統~ご家庭の水道水情報」で都民の皆さんの配水系統が調べられます!

 

玉川上水羽村取水堰」(投渡堰)
せっかくですので、「羽村堰下橋」から撮った「玉川上水羽村取水堰」の写真と東京都水道局のリンクを載せておきます(笑)。

 

「浅間岳入口」(標高:128m)
「羽村堰下橋」で多摩川の右岸に渡り、「天端」を上流に少し歩いて行くと、いよいよここから山登り開始です!

 

「羽村神社」(標高:210m)
一頻り登ると「羽村神社」に到着しました。ここから、多摩川がよく見えます。
看板抄写:
「創建年代は不詳、もと富士浅間または琴平社と呼んでいました。
その後、明治3年(1870)に、秋葉社を合祀し、羽村神社と改称したが、俗に浅間さまといいます。
前方は絶壁となっていて羽村市域の展望が素晴らしい場所です。・・・」
なんと、総本社は、富士山本宮浅間大社!
昔から村の人達が「富士山」に如何に憧れていたのかが分かります(誇)。

 

「浅間岳」(せんげんだけ)(標高:235m)
山頂は、「羽村神社」からすぐです。
山頂では写真だけとって、いよいよ「アルプス」縦走です!

 

「大澄山-浅間岳-満地峠」分岐(標高:232m)
「フェンスの道」と副題を付けたいです。
ここからずっといろんな「フェンス」の脇を通って行きます。
先ずは、「立川国際カントリー倶楽部」のフェンス脇を進みます。
このゴルフ場は、やけに広いかと思ったら、なんと36ホールもあります!
“人生での価値はどれほどの財産を得たかではない。 何人のゴルフ仲間を得たかである”(ボビー・ジョーンズ)
・・・人の価値観は人それぞれ!

 

神霊教万寿山フェンス」
次なるフェンスが現れました!
塀の向こうは、「神霊教万寿山」昭和38年(1963)開山の神霊教の「御神域」だそうです。
“一切のものを善用するところに神の道あり 人の歩むべき誠の道がそこにある”(教祖大塚寬一訓話)

 

「御神域」は「万年塀」で囲まれていました。
「万年塀」:日本産業規格(旧日本工業規格)「JIS A5409鉄筋コンクリート組立塀構成材
普通の「ブロック塀」:「JIS A5406 建築用コンクリートブロック」よりも堅牢なのは確かです。
ですが、永久的なものでもないのに誰が名付けたか「万年塀」とは、恐れ入谷の鬼子母神!
万年も持つ訳がないので、古い塀には、君子危うきに近寄らず!

 

「送電線鉄塔」
東電送電線No.6多摩秋留線(青梅変電所-八王子変電所)と送電線No.72多摩青梅南多摩線(青梅変電所-南多摩変電所)です。
地図上で特に目印となるものがないような場所・地点を現地で特定するのは、なかなか難しいものです。
そんな時、送電線鉄塔は、地図と現地とがはっきりと分かるので、大変重宝します。
もっと送電線を見て楽しんで頂けるよう、送電線の見方を少し伝授します!
絶縁を確保する碍子の段数で、送電電圧が分かります。
写真の碍子は、6段ですので、特別高圧66KVです。(中電管内なら77KV)
交流は、三相で1回路を構成しますので、線数で回路数(回線数)や1相当りの導体数(単導体/複導体)で送電容量なども想像できます!

 

「羽村駅・小作駅分岐点」(標高:230m)
昔の「車道」らしき道に出ました。
地図上では、青梅市友田町(ともだちょう)とあきる野市菅生(すがお)を結んだ「旧街道」(?)となっています。
ということで、トンネルが出来るまでは、この辺りが「満地峠」だと思われます。
菅生側へは、道こそ繋がっているようですが、例の「御神域」で、現在通り抜けはできないらしいです。
現在の車道は、「滝山街道」(国道411号線)が、「新満地トンネル」(平成3年(1991))で峠越えしています。
「新満地トンネル」ができる前の「旧満地トンネル」(昭和33年(1958))も現存していますが、車は通れず、歩いて通る人など普通いないので、「心霊トンネル」化しているそうです。
お好きな方はどうぞ・・・

 

「旧満地峠」(標高:242m)
この辺りが、“地形的に”「旧満地峠」と言われる場所かと思われます。
地図だと、菅生側に行く道がありそうですが、例の「御神域」に阻まれて下りられません・・・

 

「古満地峠」(標高:242m)
ここ辺りが、“地形的に”「古満地峠」だと思われます。
「旧満地峠」のすぐ横にあります。
ここからは、菅生(福生警察署秋多警備派出所)へ下る道がありました。

 

「将久保峠」(標高:237m)
稜線の鞍部なので「峠」の名がありましたが、「峠」を越すように横切る道はありません。
この辺りの下には、「圏央道」(首都圏中央連絡自動車道)の「菅生トンネル」が通っています。
「高速自動車国道法の高速自動車道」(A路線)は、国道番号などないですが、「圏央道」は、「国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)」(B路線)ですので、一般国道468号に指定されています。
「高速道路」に関しても語ると長くなるので、先に進みます(詫)。

 

「警察庁秋川工場フェンス」
またまた、次なるフェンスが現れました!
ヤマレコ地図(国土地理院地図)を確認するも何故か「空白地帯」となっています。
消息筋によると、警察庁の弾薬製造所(警察庁秋川工場)だそうです。

 

「総理府」杭
フェンス沿いには、やたら「総理府」の杭が建っています。
「総理府」管轄地なら、この後に登場する機動隊の「警視庁」ではなく「警察庁」ですね。
「『都道府県警察』で、何故、東京都だけ『警察庁』なの?」 MTH嬢から質問されました。
良い質問ですが、この先まだ道のりがあるので、語るは、またの機会にします(詫)

 

「若獅子坂」(標高:263m)近辺
「警察庁」の「フェンス」が終わると休憩できそうな場所が出てきたので、この辺りで小休止にしました。
一休憩後、いざ歩きを再開すると、数メートル先に・・・

 

第七機動隊(若獅子の七機) 赤松庵」(標高:262m)
なんと休憩場所「東屋」があるではないですか!
東屋脇には「若獅子に7」のモニュメントが建っています。

 

第四機動隊(鬼の四機) 四季庵」(標高:265m)
ここにも!東屋の下には、日本地図のモニュメントがあるようです。

 

第六機動隊(若鹿の六機) 鹿望台」
「鹿」は六機の「六」、「望」は都民の「望」を表しているとのこと。
これらは、全て、隊員の手で作られたそうです。

 

第五機動隊(学の五機) 栄光の楯」(標高:285m)
「機動隊」とは、“日本の警察において、集団的警備力及び機動力を有し、治安警備及び災害警備等に当たる都道府県警察の部隊”、防衛省や警察庁の部隊ではないです。
警視庁機動隊には、第1機動隊から第9機動隊及び特科車両隊の計10隊ありますので、今まで登場した四~七機の隊以外の
「近衛の一機」「かっぱの二機」「ほこりの三機」「蜂の八機」「疾風の九機」「技術の特車」
のモニュメントも “この辺り一帯” を囲むように展開されているそうです。
“この辺り一帯” 45.3haは、「谷戸沢廃棄物広域処分場」で、昭和59年(1984)から平成10年(1998年)まで使われていました。
その頃だったら、この辺りも「フェンス」に出会えたかも知れません(笑)。

 

「二ツ塚峠(旧京塚峠)」(標高:326m)
車道「都道31号青梅あきる野線(秋川街道)」が稜線を横切ります。
この車道を通す際に峠の稜線をトンネルでなく、「切通し」としたので、稜線を歩く我々には、この車道横断のために大きく下ってまた登り返すはめに・・・(泣)。
トンネル掘削技術が発達していなかった時代には、このような地形に道路を切り開く手段として「切通し」は致し方ないでしょうが、技術が発達した現代、・・・「土被り(どかぶり)」が浅かったからか?
いずれにしても切通しを渡る「人道橋」が欲しかったです(笑)。

 

「旧二ツ塚峠」(標高:358m)
車道「秋川街道」に「二ツ塚峠」の名を譲り、こちらは旧未舗装道の「旧二ツ塚峠」。
看板抄写「今から何百年もの昔、峠の麓に貧しい母と娘が住んでいました。
不幸にして、不治の病にかかった母親は、山に生きたまま埋められることを願い、
親思いの娘も、一緒に葬られることを涙ながらに願って、この地に埋められました。
それ以来、二つ塚と呼ばれ、薄幸の親子を偲んで・・・」(合掌)

 

二ツ塚廃棄物広域処分場
またもや、次なるフェンスの登場です!
谷戸沢処分場」の後釜として平成10年(1998年)に受入れ開始した処分場です。
こちらは、コンクリートの再処理工場を稼働させて、谷戸沢と同規模の処分場ですが、受入期間は倍の30年、令和10年(2028)まで使えるとのことです。
いずれにしても、ここも廃棄物で一杯になるのは時間の問題!
“持続可能な社会” に真剣に取組みましょう!

 

「馬引沢峠(うまひきさわ)」(標高:326m)
道標は十字路です。
クロスする側の道標は「←日の出町玉之内 明治橋(バス停)→」となっていますが、
「日の出町にはどうやって行けというんだ?!」
二ツ塚処分場」フェンスが張り巡らされているのに・・・(怒)

 

「赤ぼっこ」(標高:409m)
フェンス沿いを結構な距離を歩きました。
フェンスから離れるとついに「赤ぼっこ」が姿を現しました!
山頂は平らなところは少ないですが、木はこの一本の檜があるだけ、一帯が開けています!

 

「赤ぼっこ」(標高:409m)
看板抄写「大正12年(1923)関東大震災の際、この付近の表土が崩れ落ち、赤土の露出した山となって
そのころから地元では赤ぼっこと呼ぶようになりました・・・」
「赤ぼっこ」の「赤」の由来は分かりましたが、「ぼっこ」の由来が分かりません!
すくなくともこの日は、 “日向(ひなた)ぼっこ” 日和でしたので、“ぼっこ” (?) できました。
「ほっこり」の転訛(語尾の脱落と連濁)という説?・・・
ちなみに静岡県では「ぼっこ」を【古い・ぼろ・壊れる】という意味で “普通”に使っています(笑)。
“ぼっこい時計・・・。この車ぼっこだけど・・・” etc.

 

「馬引沢峠」(標高:326m)
下山は、来た道を戻ります。

 

「旧二ツ塚峠」(標高:358m)
“薄幸の親子の悲話” のところまで戻って来ました。ここから、青梅方面に下ります。

 

「長淵天祖神社」(標高:225m)
日本人は、古代から自然万物に神が宿るとし、各地に様々な神明(しんめい)を祀っていました。
明治の新政府は、「祭政一致」を図るため、国民の「宗教改革」を断行します。
ということで、全国各地の「神明宮」は、明治に「天祖神社」に改称させられました。
筆者はいつも「天地神明に誓って」います・・・(?)

 

壺草苑(こそうえん)
「天祖神社」の境内から結構な階段の参道を下ると車道「秋川街道」に出ました。
車道歩きの道中に藍染工房がありました!
その隣は、タオルの「Hotman」ファクトリショップがありました!

 

「調布橋」(標高:152m)
「ここも調布なの?!」また、MTH嬢が疑問を投げてきました。
「調布」とは、昔の律令制下の租税である「租庸調」の「調」(特産品)として納めた「布」のこと。
この多摩川流域は、古くから「布」が特産品で、地名にもなったそうです。
なるほど、それで先の「壺草苑」「Hotman」にも納得です!
そういうことで、多摩川流域の地名の「調布」ですが、ここが「東京府西多摩郡調布村」。
「調布市」は「東京府北多摩郡調布町」、「田園調布」は「東京府荏原郡調布村」・・・
“多摩川にさらす手作り(たづくり)さらさらに 何そこの児のここだ愛(かな)しき” (万葉集巻十四 3373東歌)

 

「青梅駅」(標高:190m)
ゴールのJR青梅駅に全員、無事到着です。

 

「反省会」(一次会)
拝島で下車、お楽しみ(?)の「反省会」です!お疲れ様でした!

以 上
 


 
 
※写真はこちらです。
その1)齋藤(恭)さん撮影(最初ゆる班)
その2)田中(亨)さん撮影(最初本格班)
その3)高橋(聡)さん撮影(最初本格班)
 

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