◆北アルプス新穂高~折立報告(その3:三俣山荘~高天原山荘)   

 高橋さんから7月の登山のご報告を頂きましたので掲載いたします。

   

【メンバー】
46平石充,48石井啓,51常盤,53田中亨,57高橋聡
【日程】
2022年7月21日(木)
【報告】
◎3日目
 三俣山荘~鷲羽岳~ワリモ岳~高天原山荘
 距離7.6 km 登り558 m 下り979 m

<ヤマレコ(三俣山荘~高天原)>


コースタイム:6時間25分 休憩:1時間39分 合計:8時間4分

通過時刻:三俣山荘06:27 - 07:20鷲羽岳07:29 - 08:02ワリモ岳 - 08:22ワリモ北分岐08:44 - 08:54岩苔乗越09:00 – 11:35水晶池分岐11:52 - 12:38高天原分岐 - 12:48高天原山荘13:15 - 13:34高天原温泉14:00 - 14:31高天原山荘泊
 


 

三俣山荘」(2550m) 恒例の出発前の集合写真!
「三俣山荘」の看板の揮毫は、最後まで読めず、かつ調べられず、ギブアップ。

 

鷲羽岳(2924m)に向かいます。北アルプスの“天空の稜線歩き”!
今日の天気は、午前中は晴れ、午後また雨予報・・・、ということで、今のうちに!
ちなみに鷲羽岳の逸話は、三俣蓮華岳の逸話とセットで、書面の関係からまた今度です。

 

鷲羽岳山頂に近づくにつれて、“ガレ”てきました。
“ガレ”とか“ザレ”とか、結構、この業界用語に“カタカナ表記”多いですよね。本場アルペンの独・仏語を現地語発音で使うのが“アルピニスト”。なので、“ガレ”・“ザレ”は、どこかのアルペン言語かと調べてみましたが、見つかりませんでした。“キレット”の切戸(きれと)に続く、まさかの日本語、“瓦礫(がれき)”、“砂礫(されき)”・・・筆者推察。

 

「鷲羽岳」(2924m)登頂!少し雲がありますが、天気も良く、槍をバックにポーズ!

 

ワリモ岳(2888m)~水晶岳(2986m)へと稜線が繋がっています。

 

「ワリモ岳」(2888m)山頂が近づいて来ました。山頂は、板状に岩が割れているように見えます。ですので、“割物“を”ワリモ“と得意のカタカナ表記!

 

山頂直下の岩場には、ロープを伝ってトラバースするところがありました。若い人にとっては、それほど危険な場所ではないかも知れませんが、バランス感覚に不安がある年代にとっては、危険箇所です。無事、渡り切りました。

 

山頂の割れた岩の塊を巻いたところに「ワリモ岳頂上」の標がありました。ですが、この上の岩の塊をよじ登らないと“ピーク”には立てないみたいです。

 

“命(めい)を知る者は巌牆(がんしよう)の下(もと)に立たず”・・・

 

賢者一行は、割れた岩板が倒れてくる前にワリモ岳(2888m)を素早く通り過ごし、稜線歩きを進めます。
水晶岳(2986m)の姿に少し陰りが・・・。

 

「ワリモ北分岐」(2800m)到着。ここで、重大な決断の局面を迎えます。
実は、三俣山荘(2550m)から「岩苔乗越」(2730m)は、当初の案では“黒部川源流”経由でしたが、今日は“鷲羽岳~ワリモ岳経由”でここまで来ました。実は、“ワリモ北分岐にザックをデポすれば、水晶岳に行ける!”というおいしい話に皆が賛同。ここで水晶岳を断念するかどうか、御前会議。
肝心の水晶岳(2986m)が、ガスっちゃいました。「ガス」ではなく霧ですが・・・(笑)

 

天気予報は午後下り坂。断腸の思いで、水晶岳を断念!祖父岳(2825m)への鞍部に下ります。

 

「岩苔乗越」(2730m)着。
三俣山荘から黒部川源流経由でもここに来ます。景色の良さと肉体的疲労は反比例するという法則を知る筆者にとっては、谷歩きより、ここまで鷲羽岳と天空の稜線歩きを楽しめたのは、良かったです。水晶岳には後ろ髪を引かれますが・・・。

 

高天原へ「岩苔小谷」を下って行きます。岩苔小谷に流れる沢沿いを歩く道で、最初は花畑もあったりして、気持ちの良い登山道です。ですが、標高が下がるに従い樹林帯に入り、暑さと虫に悩まされながらの樹林帯歩きが意外に長かったです。

 

「水晶池分岐」(2310m)到着。ここで昼飯にします。水晶池へは、ここから10分くらいで行けるそうですが、足元も悪く、誰も行こうとはしません。とにかく食事中、アブやブヨが厄介でじっとしてはいられないです。

 

樹林帯を抜けるとぽっかり空いた湿原が広がりました。なるほど、先人がこれを見て、日本神話の天照大御神(あまてらすおおみかみ)や天津神(あまつかみ)が住むという「高天原」を思い浮かべたわけです。

 

高天原山荘」(2128m)到着です。
モリブデン(独Molybdän) の採掘は、戦前、軍需により全国で盛んに行われていましたが、終戦により一時休山になります。しかしながら、戦後の朝鮮動乱と新たな用途拡大で、昭和30年代には需要が過熱化し、本格採掘が相次いで再開されました。中でも島根県大東町の“大東鉱山”は、日本最大のモリブデン鉱山だったそうです。
その地名にあやかったは定かではありませんが、東京の「大東興業」という会社がこの山域で戦前からモリブデンを採掘してたそうです。その本格採掘に向けて、昭和35年(1960)作業員宿舎と黒部川右岸に沿って薬師沢出合に至る「大東新道」を建設します。が、ブームも束の間、採掘が本格化する前に鉱山は閉山し、作業員宿舎は山小屋に転用、改装したのが、現在の「高天原山荘」だそうです。
「大東新道」は、現在も登山道として使えるそうですが、沢の渡渉が困難で“玄人向き”だそうです。

 

「高天原山荘」は、数ある北アルプスの山小屋のなかでも、もっともアクセスに時間と労力のかかる小屋のひとつで、一日でたどり着くのは難しいとされています。
にも拘わらす、ここを訪れる人たちがいるのは、小屋から20分ほど下った渓流に湧く天然「高天原温泉」(2048m)が目当てだとか。
自分の足で歩かなければ決してたどり着くことのできない秘湯中の秘湯。温泉通の間でも有名らしいです。

 

土曜ワイド劇場の“混浴露天風呂事件シリーズ”に対し、少なからず記憶があるかと思います。古谷一行扮する“左近警部”の「美女たちと混浴露天風呂シーン」が毎回登場するのですが、それが功を奏し(?)、4半世紀以上26作もシリーズが続きました。もちろん、この写真のような人たちの入浴シーンは出てきません。

 

帰りがけに気が付いたのですが、この囲いのない露天風呂に浸かるのが“通”でした。囲いがあっては、露天の解放感、半減です!
ケロリン桶”が旅情を誘います。ケロリン桶は、昭和38年(1963)から全国に置かれ、現在も年5万個ペースで納入が続けられているというのには驚き!それと、ケロリン桶には関東サイズと関西サイズがあって、関西モデルは一回り小さく、軽いとは!

  

高天原山荘は、「ランプの宿」というのがここの売り。電気はありません。
なので、“ヘッデン”装着して、“明日への英気”チャージ!
注)“ヘッデン”:頭につける照明器具、ヘッド電灯。両手をふさがずに明りを確保できる優れもの。
 
 
to be continued
  
◎4~5日目:高天原山荘~雲の平~薬師沢~太郎平~折立
 
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◎1日目:新穂高温泉~鏡平山荘

◎2日目:鏡平山荘~双六小屋~三俣蓮華~三俣山荘
  
 
     高橋聡 記  


 
本編(三俣山荘~高天原山荘)の全ての大きめの写真はこちらからご覧頂けます。