◆北アルプス新穂高~折立報告(その2:鏡平山荘~三俣山荘)   

 高橋さんから7月の登山のご報告を頂きましたので掲載いたします。

   

【メンバー】
46平石充,48石井啓,51常盤,53田中亨,57高橋聡
【日程】
2022年7月20日(水)
【報告】
◎2日目
 鏡平山荘~双六小屋~三俣蓮華~三俣山荘
 距離7.9 km 登り772 m 下り494 m

<ヤマレコ(鏡平~三俣山荘)>


コースタイム:5時間58分 休憩:1時間9分 合計:7時間7分

通過時刻:鏡平山荘06:11 - 07:02弓折乗越07:19 - 07:37花見平 - 07:55くろゆりベンチ - 08:35双六小屋09:01 - 09:21双六岳巻道分岐 - 11:45三俣峠11:51 - 12:05三俣蓮華岳12:17 - 12:24三俣峠12:32 - 13:18三俣山荘泊
 


 

何はともあれ、雨も上がって、気分一新!「鏡平山荘」(2300m)出発です!

 

「鏡平山荘」の看板に注目!なにやら著名な方の揮毫でしょうか?拡大してみます。

 

“へんたい仮名”、“のぞき仮名”、“ちかん仮名”のうち、実際にあるのは?
答えは、 “変体仮名”ですよね。ここまでは分かっていましたが、若輩者の筆者は読めません。「坂倉」「鏡平」等々いろいろな検索ワードを駆使してみましたが、それらしい人物に当たりません・・・。
諦めて、根気よく変体仮名書体から解読を試み、ついに解明!
「坂倉登喜子」女性登山家、エーデルワイスクラブ創立者だそうです!

 

これから行く尾根が見えています。
笠ヶ岳(2898 m)から樅沢岳(2755m)に繋がる尾根上の「弓折岳(2592m)下の弓折乗越(2560m)」を先ず目指します。

 

振り返ると「鏡平」全景が見えました。
中央に小さく見えるのが「鏡平山荘」で右の方に「鏡池」が見えています。

 

「弓折中段」(2400m)。この辺りまで、“よくある”尾根に上がるまでの急な山道です。

 

「弓折中段」からは、尾根の斜面に沿って斜めに登って行きます。谷には雪渓が残っています。

 

正面が「弓折岳」(2592m)でしょうか?そして右に少し「切戸」になっているところが、「弓折乗越」かな?

 

「弓折乗越」(2560m)に到着です。「笠ヶ岳」「双六小屋」「鏡平」の三方向の「弓折岳分岐」の標識が立っています。肝心の天候ですが、また雲行きが怪しくなってきました。

 

雪渓を渡ります。斜面が急ではないですが、靴底は“ノーマル”なので、慎重の上にも慎重を期して歩きました。

 

「花見平」(2600m)。この辺りは、高低差のない稜線歩きで、天気さえ良ければ、楽しい所なんでしょうね。あいにくの天気でしたが、いろいろな高山植物に出会えました。
道中、花の写真もたくさん撮りましたが、如何せん名前が分かっておらず・・・。これから“花の図鑑アプリ”で勉強していきます!

 

おおっ!双六小屋(2550m)が見えてきました!

 

双六小屋」(2550m)で休憩、軽食タイム。
双六小屋は、戦前に村営小屋として開設するも戦後、無人となって荒れ果てた小屋を昭和25年(1950)、小池義清が引き継ぎ、再建、現在、三代目小池岳彦の経営に至っています。
昭和63年(1988)二代目小池潜が、双六小屋、わさび平小屋、鏡平小屋、黒部五郎小舎からなる「双六山楽共和国」を“建国”。小屋に掲げられていた看板の揮毫は、“共和国初代大統領”「田中澄江」です。

 

双六小屋を振り返ります。向こう側には「樅沢岳」(2755 m)が見えています。樅沢岳の向こうには、槍ヶ岳へと西鎌尾根が続いています。ということで、“裏銀座”コースの一端に合流です。

 

「双六岳巻道分岐」(2660m)。ここから三俣蓮華岳(2841m)を目指すわけですが、双六岳(2860m)山頂を通る稜線経由か、巻道経由かの分かれ目です。TKW先輩曰く、「“平坦と思わせる巻道の癖”に意外にアップダウンがあって“怒りをかう道”」とのこと。事実、そうでした・・・。

 

双六岳巻道は、小さな尾根、谷を越えて行きます。三俣蓮華岳が見えてきました。

 

「三俣峠」(2750m)に到着です。ここで、荷物をデポ(仏dépôt) します。

 

「三俣蓮華岳」(2841m)山頂!
「三俣」とはその名のとおり、山頂が古くから飛騨、信濃、越中の三国境に跨っているからだそうです。では、「蓮華」は?これについての逸話はこの場では語りつくせないので、また、別の機会にします。
ちなみに折角の集合写真ですが、手前の岩に焦点が合ってしまったようで・・・(笑)

 

鷲羽岳(2924m)~ワリモ岳(2888m)~水晶岳(2986m)が見えます!

 

振り返ると双六岳(2860m)からの稜線と巻道も見えます!

 

三俣峠(2750m)まで戻り、三俣山荘(2550m)を目指します。
正面に翌日のコースが見えています。
三俣山荘から高天原へ通過点“岩苔乗越”(2730m)までの選択肢、
A案)“黒部川源流(2400m)”経由 (写真中央の谷:1時間42分)
B案)“鷲羽岳(2924m)~ワリモ岳(2888m) ~ワリモ北分岐(2800m)経由” (写真右側の山:2時間25分)
さて、明日のリーダ判断は如何に!

 

鷲羽岳と三俣山荘が綺麗に見えてきました!ハイ、チーズ!

 

三俣山荘」(2550m)に到着です!とりあえず、乾杯!
三俣山荘は、『黒部の山賊』著の伊藤正一が戦前に建てられた小屋を戦後、山賊と共に再建させたものです。
伊藤正一は、昭和31年(1956)、調査7年、工期4年費やして、湯俣温泉から湯俣川沿いに三俣山荘に至る「伊藤新道」を開通させます。開通の翌年、伊藤正一は「湯俣山荘」を開業し、北アルプス最深部への画期的なアプローチ道の伊藤新道は、たちまち登山者の人気を博し、最盛期は1日に1000人が利用したとのことです。
しかし、時代は流れて開通から27年後の昭和58年(1983) には、要所に架けられていた吊り橋が次々に崩落し、“通行困難” (今でも通行禁止でも通行不可能でもないそうです)になり、湯俣山荘も休館になってしまいました。
朗報!現在、三俣山荘二代目伊藤正一の長男伊藤圭がクラウドファンディングを使って伊藤新道復活プロジェクトを始動。来年には40年ぶりの開通を目指しているとか・・・。湯又山荘も再開予定・・・。

 

山荘女将曰く、今シーズン最高の景色とのこと。ということで槍をバックに記念写真!

 

天に槍を衝く「槍ヶ岳」(3180m)の姿を堪能します!
槍から穂高に向かう稜線の南岳(3033 m)右端が大きく“切れて”います。「大切戸」(2748m)です。実は、“キレット”は“切戸”という純粋な日本語だったということを初めて知りました!(驚)
手前の「硫黄岳」(2544m)を擁する「硫黄尾根」が不気味に赤褐色の色彩を放っています。

 

折角ですので、槍ヶ岳(3180m)のアップを!
『日本百名山』著の深田久弥曰く「富士山と槍ヶ岳は、日本を代表する誰もが憧れる山・・・(抄略)」。
なるほど、槍を目指す縦走路に天下の“銀座”の名を冠するだけのことはあります。

 

カメラを穂高側に向けてみます。正面は樅沢岳(2755m)・・・。鞍部は、双六小屋のある樅沢岳と双六岳との鞍部・・・のはず。
樅沢岳が穂高連峰の一部を隠していますが、見えている部分は、「北穂高岳」(3106m)と「奥穂高岳」(3190m)だと筆者洞察・・・。先輩諸氏の“山座同定力”を期し、この写真の一部を拡大してみます!

 

左:「北穂高岳」(3106m)。山頂肩“北穂高小屋”?

 
鞍部:「奥穂高岳」(3190m)。山頂“穂高神社嶺宮”?

 

この日は、ヘリコプタが山荘に何度も荷物を運んでいました。
その昔、 “歩荷(ぼっか)”を生業とする人の背で物が運ばれていたことを思うと感慨深いものがあります。「強力(ごうりき)」と呼ばれる人たちは、100kg越えを背負っていたというから驚きです。(「金時山登山報告(2022/6/12)「強力伝」参照)

 

三俣山荘の夕飯は、「鹿シチュー」です。
「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」(平成27年5月29日)が改定されました。改定の要点は、鳥獣の保護に“管理”(=駆除)が加えられたのと狩猟免許年齢引下げです。鹿と猪の生息数増加と生息域拡大の問題が背景にあり、若者に狩猟とジビエの味を知ってもらうため、環境省、農林水産省ともに躍起になっています。
環境省の絶滅危惧種リストに“マタギ”、“猟師”が加わる日が近いかも知れません・・・(冗)。
 
 
to be continued
 
◎3日目:三俣山荘~鷲羽岳~ワリモ岳~高天原山荘
 
◎4~5日目:高天原山荘~雲の平~薬師沢~太郎平~折立
 
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◎1日目:新穂高温泉~鏡平山荘
  
 
     高橋聡 記  


 
本編(鏡平山荘~三俣山荘)の全ての大きめの写真はこちらからご覧頂けます。