◆金時山登山報告   

 高橋さんから6月の登山のご報告を頂きましたので掲載いたします。

   

【メンバー】
44中村一,46三木洋、平石充,48石井啓,51常盤,53田中亨,55船生克,57高橋聡
【日程】
2022年6月12日(日)
【行程】
距離:11.7km 登り:600m 下り:927m

<20220612ヤマレコ金時山>

金時登山口08:55 → 09:05金時神社口 → 公時神社09:10 → 09:31金時宿り石09:41 → 10:16公時神社分岐10:26 → 10:55金時山(昼食)11:33 → 12:17新柴分岐→ 12:29猪鼻砦跡→ 12:46足柄峠林道ゲート12:57 → 13:26足柄峠→ 13:34芭蕉句碑→ 13:36赤坂古道→ 14:15大名号塔 → 14:44足柄駅
 
【まえがき】

平成25年(2013)「和食;日本人の伝統的な食文化」としてユネスコ無形文化遺産に登録された。四季が明確な日本の豊かな自然に育まれた食文化が世界的に評価されたのである。
夏と言えば「かき氷」、かき氷を言えば「宇治金時」。日本の食文化である。
小豆(あずき)」と「金時豆」は種類が異なる豆ではあるが、食材の世界では「赤」を「金時」と名付けるらしい。「金太郎」の肌の色が由来している。
「鉞かついで 金太郎 熊に跨り お馬の稽古、足柄山の山奥で 獣集めて 相撲の稽古」
金太郎略歴:天暦10年5月3日(956/6/13)生まれ、天延4年3月1日(976/4/28)足柄峠にて新羅三郎源頼光に出会い家来となり坂田金時と改名、寛弘8年12月15日(1012/1/11)、筑紫へ向かう途中、美作国(みまさか)勝田郡で死去、享年55。静岡県小山町公式(?)
そんな金太郎の総本山(?)、足柄山の「金時山」にいざ行かん!
 
【報告】

 

金時登山口バス停集合。バス停前食事処「蔵一」駐車場で記念写真!駐車場内に公衆トイレもあります。登山者も駐車可能となっていて、車を置いている人がいました。聞けば、下山後、店にお金500円を払えば済むとのことで、“共益共存”、なるほど良い仕組みです。

 

明神ヶ岳(2021/12/12)」の時も金時登山口バス停に集合して、バス停脇のここから、「矢倉沢登山口」に向かいましたが、今回は、ここを素通りして、「公時神社登山口」に向かいます。

 

ものの数分で「公時神社」入口に着きました。えッ、“きんとき“は、公時?金時?どっちが正しいの?
金時神社」は、静岡県小山町にあります。小山町曰く、「金時神社:金太郎の生家「坂田屋敷」の跡にあった小祠を昭和9年(1934)社殿造営・・・」。
神奈川県箱根町「公時神社」公式HP曰く、「公時神社:諏訪大社の“分社”「仙石原諏訪神社」の境外“末社”、昭和36年(1961)社殿造営・・・。」
なるほど、小山町vs箱根町、勝負あり!
“金時山”、“金太郎”・・・おッ、“鉞”が“打出の小槌”になる!ヨシ!“金太郎”を祭神として「金時山」の登り口に“金時神社”を作っちゃおう!ところが、小山町はそれを許さず!しかたがない「公時神社(きんとき)」でどうだ!・・・(事実不祥)
ちなみに“分社”とは、本社の祭神の分霊(わけみたま)を勧請(かんじょう)した神社で、本社(総本社)の支配を受けず独立した神社。本社に付属し、その支配を受ける小社のうち、本社の祭神の后神、御子神、荒御魂、社地の地主神、その他特に由緒ある神を祀っている神社を“摂社”、それ以外が“末社”だそうです。(出典:神道神紙本庁)

 

ということを知ってか知らずか(?)、一行は、神社の“鉞”に寄進せず、脇を素通りします。

 

神社の脇から、いよいよ登山開始です。さすが、金時山です。たくさんの登山客がいました。

 

「金時宿り石」今にも転げ落ちそうな大きな岩です。なので、皆で支えました(笑)
岩は二つに割れており、伝説では、名の謂れの通り、この割れたところで金太郎と母親が暮らしたていたらしいです。公式 (?) では、昭和6年(1931)大音響を轟かせて割れたらしく、金時の怒りではと、明治時代に一時廃れた祭典をこの傍の「公時神社奥の院」で再開させたとあります。現在、例祭は、毎年端午の節句に「公時神社の“金時祭”」として盛大に行われているとのことです。

 

矢倉沢から登って来る道との「合流点」に到着しました。一般的には、矢倉沢口と公時神社口との「分岐点」というべきかも知れません。ここで、 “一服します“。
“服”は、薬・茶・煙草などを数える量詞です。で、“語源通り”に一服していると、矢倉沢から登ってきたご婦人が「何でこんな山に来てまで煙を嗅がなきゃならないの!」と聞えよがしに通り過ぎて行きました。“一服盛ってやる”!・・・(冗談)

 

「分岐点」手前が少し開けていて、「明神ヶ岳(2021/12/12)」が見えていました。(たぶん)

 

「金時山」は、カルデラが生んだ比較的なだらかな箱根外輪山ではなく、火口丘であって、生い立ちが違うとのことで、溶岩ドームだけあって、山頂までの道は、なかなかハードで階段や岩場道が結構、長く続きました。

 

山頂到着です!山頂には、昼食を取るのに丁度いい、テーブルとベンチがありましたが、「金太郎茶屋」のものらしく、利用料を払うか、茶屋に何か注文する必要がありました。

 

ということで、全員「しめじ汁」を注文!
金時山山頂には、茶屋が二軒“対峙”しており、どうやら、もう一つの茶屋の方が有名なようで、そちらの「キノコ汁」が人気とか。二軒の茶屋を簡単に紹介します。
茶屋1) 「金太郎茶屋」@神奈川県箱根町
女将・勝俣久枝さん。昭和47年(1972)、火災に遭い焼失したが、その後に再建。
茶屋2)「金時茶屋(金時娘の茶屋)」@静岡県小山町
看板娘・小見山妙子さん(昭和8年(1933)生)。昭和22年(1947) 14歳の時から茶屋を切り盛りし、昭和天皇に“金時娘”と命名された“元祖山ガール”。父、小見山正は、新田次郎著「強力伝」(白馬岳山頂2932mへ50貫(187.5kg)もの巨石を背負って運ぶ話)のモデル。

 

おッ、食後のデザート(?)が出てきました!「金太郎飴」です!
杓子定規で個性がなく、全員が同じ様な人種に対して、「どいつもこいつも金太郎飴だな!」と先輩方が若者に揶揄しそうです。そういう先輩方は、個性強すぎ!?

 

「金時山」1,212m山頂@箱根町での記念写真!今回の山行のタイトルは、「梅雨に負けない金時山」でしたが、多少の雲はあるもののいい天気!暑かったです!

 

下山開始!あれッ、もう一つ金時山山頂の看板「天下の秀峰 金時山 小山町」があります。バックにそびえるのは霊峰「富士山」ではないですか!後で判明したのですが、金時山の山頂記念写真は、こっちで富士山バックに撮るのが一般的なようです(泣)

 

金時山「猪鼻神社」です。社(祠)が三つ建っており、箱根町、南足柄市、小山町のそれぞれの土地に祀られているとのことなので、どうやらここが市町堺のようです。
金太郎は、この金時山へ『菱の腹掛』一つで毎日のように登って遊んでいたら、ある日、大石を落としてしまい、
金時山の主の大猪が死なせてしまいます。金太郎は、猪の鼻を切り取り、榊の枝を折って弔いました。金時山の別名“猪鼻山”と“猪鼻神社”の謂れらしいです。

 

足柄峠へ下ります。“崩落により通行止め”になっていてロープが張られていましたが、通れるという情報のもとに降りていきました。ものすごい急です!階段、ロープの連続です。崩落個所の巻道は、ただの斜面にロープがあるだけ、“道”ではないです。

 

ロープを握りしめながら、必死に下りる最中、「山つつじ」でしょうか、少し気が和みます。

 

「山つつじ」だとすると、ちょっと季節的に遅咲き?詳しい読者に判定をお願い致します。

 

「猪鼻神社の鳥居」ここまで、急な下りを大変な思いをして下りてきましたので、その記念写真を撮ることになりました。ご苦労様!はいチーズ!

 

足柄峠への分岐です。“一応”道を確認しています。(笑)もうここまでくれば、後は普通の下山です。

 

「猪鼻砦跡」です。山ガールがいらしたのでFNU先輩は“何気に”立寄っていますが、他のメンバーは見向きもせず、素通りです。筆者は、ルポ用に慌てて“案内板”を撮影!転記します。
「猪鼻砦は、金時山から足柄峠方向へ下る尾根の最初のピークに位置しており、御殿場側から望見すると、ちょうど猪の鼻の先端部の形に見えるため「猪鼻砦」と名付けられたものと思われる。地蔵堂近くの古城跡「定山(じょうやま)」から、一の金王(こんのう)、二の金王、三の金王を登り詰めると当砦に至る。ここから、小山町新柴(あらしば)へと尾根道が続いており、猪鼻砦は金時山から足柄峠、「定山」から新柴へと続く尾根道を押さえる目的で築かれ、足柄城の南方を守備する砦として重視されていた。足柄城からは2.7kmの距離にある。」

 

足柄峠の「足柄城址」に到着。
「足柄城」は大森氏により築かれたとみられ、その後天文5年(1536)北条氏綱が、天文24年(1555)北条氏康が改修しているようです。その後も甲斐武田信玄の脅威や豊臣秀吉と対峙のため、北条氏光は都度、防衛強化の改修を行いますが、天正18年(1590年)小田原征伐により落城したそうです。

 

「目にかゝる 時やことさら 五月富士」松尾芭蕉
元禄7年(1694)5月、芭蕉は江戸を発って上方へ最後の旅をしました。曇り空でとても富士は見えないと思っていたところ、峠を越えると雲が切れて五月晴れの富士がことさら美しく姿を現しました。当日の天気は雨との説もあり、「五月富士」は俳聖芭蕉の心象風景かも知れないらしいです。同年10月「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」享年50歳。
この句碑は、嘉永3年(1850)に建てられたとのことで、芭蕉はこの「足柄峠」を通ったからかと思ったのですが、史実はやはり「箱根峠」のようです。同じ句の碑は、静岡、神奈川だけでなく、東京、千葉、山梨、長野、群馬など数十ヶ所はあるそうです。

 

「足柄古道 」(「矢倉岳(2022/2/6)」参照)を下って行きます。もちろん、現在では舗装された車道になっていますが、一部、古道が残っています。ですが、「赤坂古道」入口にまたもや「通行止め」!ものともせず、8人中5人が進みます!残り3名は?・・・(後述)

 

程なく、また車道に出ましたが、その先もまた「通行止め」!
さすが、TNK先輩、さっき通ったのは短いからであって、ここから先の古道は長いので断念!本当に通れず、引き返すことになった際の代償が大きいとのジャッジ。

 

ということで、車道をしばらく下ると「古道はここに出てくるんだ」!少し石畳みが覗いています。

 

「唯念上人の大名号塔」です。「南無阿弥陀佛」と刻まれた「名号(みょうごう)」は、唯念上人(ゆいねんじょうにん)の自筆を彫ったもので、天保10年(1839年)飢饉と疫病に見舞われた村人が建てたもので、高さ3.8mと“日本一大きな名号塔”らしいです。
ちなみに「南無阿弥陀佛」「南無妙法蓮華経」等の「南無」とはサンスクリット語namoの漢語音写で、「南無○○」は「○〇に帰依します」の意味とのこと初めて知りました。もっとも「帰依(きえ)」という単語の意味も初めて知りました。

 

さらに少し下るとちょっと“侘しい”お墓がありました。足柄峠の山賊に襲われて命を落とした「甲府商人の墓」です。昔は命懸けで峠を越えたのでしょう。呑気に歩いている私たち・・・。平和に感謝!

 

竹之下一里塚です。竹之下は、鎌倉幕府を打倒して成立した「建武の新政」(大丸山 鎌倉駅~港南台(2022/1/23)参照)崩壊の第一幕となった、建武2年(1336)の足利軍と新田義貞軍と合戦となったところです。

 

馬喰坂の道祖神です。舗装された車道とは言え、さすが古くの東海道としての「足柄古道」だけのことはあります。至る所にその雰囲気が残されています。

 

「足柄駅」到着です!旧東海道線の現御殿場線(「不老山(2022/3/20)」参照)駅で、戦前まで信号所でしたが、戦後の昭和22年(1047)に駅に昇格しました。“無駄”と思える建物と駅前広場、令和2年(2020)小山町役場足柄支所兼交流センターとして改修・整備したそうです。

 

さて、次の電車まで時間はたっぷりあります。駅至近にコンビニがあります。足柄峠まで8人でしたが、5人で乾杯~!
実は、峠から下る「通行止めの赤坂古道」のところで、そのまま車道を進んだ3人は、その後、足柄駅に向わず、隣の駿河小山駅に向かって歩いていたようです。2kmくらい余分でしょうか?その間の筆者の手には2本目?!(笑)

 

会場の都合から(?)、御殿場線で御殿場駅へ。

 

無事、今回のメンバー8人が揃い、乾杯~!

 

どうやら、まだ、歩き足らないようです。さらに駅から匂いに誘われて歩行開始です!

 

いつも楽しい山行を企画して下さるTNK企画委員長殿、山行中の的確な指揮をお取り頂くTNK実行委員長殿、ありがとうございました!
 
 
【あとがき】

「金時山」ルポを執筆していると、改めて日本の歴史の奥深さを感じます。また、坂田金時、金太郎、足柄山、足柄古道等、随所に過去のルポとつながって来ます。金時山関連バックナンバーはこちらです。
  1. 明神ヶ岳(2021/12/12):金時山矢倉沢ルートと金時山と他の箱根外輪山との違い
     
  2. 大丸山 鎌倉駅~港南台(2022/1/23):鎌倉幕府を打倒した「建武の新政」崩壊の第一幕、竹之下の合戦
     
  3. 矢倉岳(2022/2/6):金太郎と足柄古道、金太郎をめぐる静岡県と神奈川県の対立
     
  4. 不老山(2022/3/20):静岡県小山町公式(?)金太郎住民票
     
  5. わたらせ渓谷花桃街道(2022/4/10):童謡「金太郎」の作詞、石原和三郎(上野国勢多郡東村花輪出身)
 
以上
  
 
     高橋聡 記  


報告書は以上です。

すべての写真はこちらからご覧頂けます。
その1)舩生さん撮影
その2)高橋さん撮影