◆多摩よこやまの道ハイキング報告   

 高橋さんから10月のハイキングの報告を頂きましたので掲載いたします。

   

【メンバー】
44 中村一,46 三木、平石,48 鈴木幾,52 吉川,53 田中,55 三橋、舩生克、舩生み、北島,57 高橋聡、金古,58 住枝、西村
【日程】
2021年10月24日(日)
【行程】

<ヤマレコ多摩よこやまの道>

はるひ野駅10:07 → 10:23よこやまの道東端 → 10:27丘の上広場10:32 → 10:51諏訪ヶ岳 → 11:05見返峠11:45古道五差路 → 11:53現鎌倉街道脇歩道再開 →12:35一本杉公園内円形キーウィ棚 昼食13:05 → 13:07鎌倉脇街道からの一本杉公園入口 → 13:25中坂公園 → 13:53Y字橋 → 14:15よこやまの道唐木田口 → 14:27 唐木田駅 → 14:54多摩中央公園15:00 → 15:05サイゼリヤ
 
【まえがき】

「滝山城址~拝島大師」(2021/10/16山行記録はこちら)に対し、日程が合わず参加できなかった人たちを救うべく、二週連続での企画!
「万葉集」は、4500首以上の和歌が収録された日本最古(奈良時代末期)の和歌集である。その「巻20中4417番」豊島郡上丁(かみつよほろ)の椋椅部荒虫(くらはしべのあらむし)の妻、宇遅部黒女(うじべのくろめ)の歌を詠む。
赤駒を山野(やまの)に放し(はがし)捕りかにて多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣らむ
防人の妻の「亭主に対する心優しさ」を羨むのは、筆者だけだろうか・・・(泣)。
 
【報告】

 

企画のお知らせ、参加者状況報告等、多くのメールが矢継ぎ早に発信されたお陰(?)で、卒業以来初めてというS58卒の若者(?)も来て、参加者は、総勢14名になりました。ということで、今回のオリエンテーションは卒業年度順に並んでの自己紹介からです。
集合場所は、「はるひ野」駅です。「そんな駅あったかなぁ?」と思ったら、ごく最近(?)開業した駅でした。少し前(?)までは一帯山林であったこの辺り黒川下地区を平成4年(1992)から造成に着手。平成15年(2003)居住開始、平成16年(2004)小田急線新駅開業、平成18年(2006)住居表示施行、「はるひ野」新興住宅地誕生!名前の由来は、「はる」は新しい街の成長への期待、「ひ」は温かさを、「野」は広がりを表すとのことです。

 

駅からしばらくは、道路の歩道を歩きました。約20分後、「よこやまの道」東端に着きました。ここまで緩やかな坂道を登ってきましたので、気がつくと尾根に上がっていました。さて、いよいよここから「よこやまの道」開始です!

 

この辺りが「丘の上の広場」かな? 多摩センター方面の眺望です。その奥には、奥多摩の山々でしょうか?筆者は、山には詳しくないので・・・(笑)

 

写真を拡大してみます。この独特な山容から、どうやら「大岳山(おおだけさん)」(標高1,266.5m)のようです。

 

案内板を見入っています。「よこやまの道」は、多摩丘陵の尾根道で、古代より武蔵野と相模野の双方を眺められる高台として、また西国と東国を結ぶ交通の要衝として活用されてきた「歴史とロマン」を感じることができる道だそうです。

 
ここが紅葉広場でしょうか?まだ、紅葉には早い気がしますが、紅葉を発見!定かではありませんが、紅葉ってことで、記念写真!皆さん、いい笑顔してます!

 

「防人見返り峠」に到着です。ここで、防人の妻が和歌を詠んだのでしょうか。見晴台でもあり、よこやまの道のハイライトです。

 

「多摩ニュータウン」の全景が見渡せます。「多摩ニュータウン」は、日本の戦後の高度成長期に東京区部の住宅難を解消すべき、多摩丘陵に東西14Km、南北4Km、総面積3千万㎡(3,000ha)、人口30万人という日本最大規模のニュータウン計画として、昭和41年(1966)巨大プロジェクト始動!昭和46年(1971)第一次入居開始、ラッシュ時10万人/時の都心通勤を想定し、昭和49年(1974)京王線、小田急線が相次いで開通!日本の高度成長を支えた方々が、競って「入植」したものです。オイルショックで高度経済成長は終焉し、その後、不動産バブルや幾多の景気の浮き沈みを経験しながら、今日に至っています。これも日本の歴史です。万葉だけでなく、昭和史まで感じることが出来るのが、この「よこやまの道」の魅力かも知れません。

 

「防人見返りの峠」から西に向かってなだらかに下り、国士舘大学裏を通って、多摩ニュータウン市場南まで、遊歩道が続きましたが、「古道五差路」と言われるところで、一旦歩道が途切れます。よこやまの道の尾根には、東西に並行する古道や南北に交差する古道が多々あるそうで、ここに古道が5方向から集まってきて交差していたらしいです。

 

「古道五差路」で右折、舗装路を下って、「鎌倉街道」(東京都道18号府中町田線)の上を渡ります。この現代の鎌倉街道は、「鎌倉古道」でなく車道ですが、あの「いざ鎌倉」の道の系譜です。この写真は、鎌倉街道の真上から撮った「南多摩尾根幹線道路(通称:尾根幹)」との交差点の写真です。
この「尾根幹」も多摩ニュータウンを語る上で、是非とも見て頂きたい道路です。多摩ニュータウンの南縁を東西に横断する総延長約17 km弱の道路ですが、その道幅が凄い!計画では、本線片側4車線、側道1車線計10車線幅!主な交差点は立体交差!これらは、全て“計画”であり、現在は、“暫定”片側2車線程度なので、道路中央には“広大な”中央分離帯があります。この道路標識の「鎌倉街道」から「尾根幹」への右左折で道路が分けて表示されているのは、日本人の素人感覚から逸脱しているからです。ちなみに「尾根幹」は「よこやまの道」の北側に並走しています。(というより「よこやまの道」が「尾根幹」の南側に並走しています)

 

「鎌倉街道」を超えるとまた、左に入る遊歩道が再開します。遊歩道入口の案内文を見ながら、会話が飛び出します。「地図もコンパスもない時代、どうしていたんだろう?」「だから、昔は、眺望の利く尾根筋を通ったんだよ」・・・なるほど。古道は尾根筋。案内文曰く、「現在の鎌倉街道が通る谷は、南北に伸びた自然の谷で、戦乱の時代には、源頼朝や新田義貞、上杉謙信らの大軍勢がこの谷を通過していった」・・・なるほど。

 

遊歩道は、妙櫻寺の裏で再び途切れ、恵泉女学園大学先の一本杉公園入口でまた復活です。一本杉公園に入ると緩やかな登りで少し小高い丘に着きました。トイレがあります。後から分かったのですが、トイレのもう一段上にあった建物は、古民家でした。そこから、階段で下ると何やら不思議な“モニュメント”?が、円形で外側が檻のようで、中央に石のテーブル、天井はキーウィの棚?結局、何のため、どういう目的か分からないままですが。

 

ここで、昼食です!昼食一休憩後、しばし、歓談し、出発です!「ところで『一本杉公園』というならば、杉はどこ?」、「一本杉公園」をいろいろ調べましたが、なかなか分かりません。その代り分かったことは「一本杉公園」は、四季折々いろいろと楽しめる公園のようです。観光、景観を目的としないTNK先輩は、そんなの関係ありませんが(笑)。
で、ついに発見!「昭和57年4月一本杉公園開園記念に川上哲治氏が植樹、平成27年3月スギ溝腐病により伐採」なぜ、こんなに重要なことが、隠されていたのでしょうか?なぜ、再植樹されないのでしょうか?

 

一本杉公園内を抜けて、また少し車道を歩き、南野公園北側を西に進むとまた遊歩道の入口があります。ここで、
元お嬢様方(失礼!)が、何を思ったのか、柵を揺らしながら「出してくれ!」って叫んでいました!写真は、TNK先輩のを拝借!ここから、しばし尾根先を巻いていくような感じの山道を歩きます。巻き終わると、また、車道に出て、一旦住宅をコの字に迂回して、中坂公園へ。中坂公園を抜けると、しばらく車道脇の歩道を進みます。車道と歩道とは、植木でしっかり隔離されていて、遊歩道ではないですが、散歩道としては合格です。

 

あの異常な道幅の「尾根幹」にでました!すぐ先にセブンイレブンがあるのですが、ここには「よこやまの道」用のトイレがありました。しばしのトイレ休憩を済ませ、更に西に進みます。セブンを越して、すぐ左に入る遊歩道が復活しました。ひたすら歩いて行くと「Y字橋」です。「尾根幹」に架かる歩道橋です。ここを通った時には、橋の手前側を通ったので、気がつきませんでしたが、反対側が二方向に分かれていて上から見ると「Y字」なっています。その手前右手には、「古戦場伝説:鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ新田義貞軍鎌倉攻めの古戦場」があります。(正確には全く気づきませんのでしたので、“あったと思います”の表現が正しい)

 

再びルートは、東京ガス多摩整圧所南の尾根筋の里山に入りました。この期に及んで、意表をついた結構な登りです(笑)

 

登りきると、小山田緑地方面に分岐点に出ました。小山田氏の話が何やら書いてあります。写真を見て頂くとして、手抜きします(笑)

 

分岐点を超えると道は下り坂になり、よこやまの道は、まだ西へ続きますが、我々はここ唐木田口で平地に降ります。降り口手前で、眼下に小田急唐木田車庫が見えました。小田急がこの新たな車両基地(収容能力 176両、敷地面積 43,271㎡)を作るために丘陵を25m開削して、搬出した土は10tダンプ約14万台と言われています。わざわざ(?)、小田急多摩線が多摩センターから唐木田1.2kmを延伸したのは、唐木田の清掃工場建設とのバーター取引があったようです。ちなみに小田急多摩線を、この先、横浜線相模原、相模線上溝への延伸「話」があるようです。この写真でも分かるようにトンネルを掘らない限り、行き止りなので、この先に進めないのですが、相模原と上溝が、小田急の延伸を未だ願っているのは、60年以上昔の話に遡ります。昭和33年(1958)、鶴川から横浜線矢部、相模線上溝を経由し城山に至る21.4Km「城山線」の免許申請したことがあり、時は「多摩ニュータウン」の機運で、その後にこの申請は取下げられてしまいましたが・・・。

 

唐木田駅通過します。平成2年(1990)に開業したばかりの駅です。ここにも歴史があります。
昭和38年(1963)京王が、京王多摩川から稲城、多摩ニュータウン、横浜線橋本を経由し、津久井湖南側の相模中野に至る「京王相模原線」を申請、昭和39年(1964)小田急も喜多見から稲城、多摩ニュータウン、横浜線橋本を経由し城山に至る30.5Km「多摩線」を申請します。結果的に小田急は、稲城経由は諦め、新たに多摩川に架橋しなくて済む、新しい分岐駅「新百合ヶ丘」から多摩センターを目指すことにしました。
昭和49年(1974)京王線が、半年遅れて小田急線も多摩センターまで来ました!が、そこからは、やはり時代でしょうか、しばらく、その先は進まなくなります。最終的に京王だけが、平成2年(1990)に横浜線橋本駅まで延伸させましたが、小田急の多摩センター~城山間、京王の橋本~相模中野間は、とうの昔、昭和63年(1988)には免許失効していますので、これ以上の延伸は基本ないです。戦後の高度成長期とオイルショック、不動産バブルとバブル崩壊、何となく重なります。ちなみに現在、橋本駅は「リニア新幹線」で密かなバブルだとか・・・。

 

私達の下山駅は、予定では唐木田だったのですが、この後のことを考え、多摩センター駅に向かいました。到着です。お疲れ様でした!記念写真!

 

で、昼の反省でなく、“晩の反省をすることになる”「反省会」です。「サイゼリヤ多摩丘の上パティオ店」の入口で、入店前に撮影しました。タイムスタンプは、15:05!

 

サイゼリヤ多摩丘の上パティオ店前(店を出て右脇/入口に向かって左脇)で、記念写真!タイムスタンプは、19:09!時刻、ちょっとおかしくないですか!!

追伸:

筆者は、性懲りもなく、また反省することになってしまいました・・・(泣)。
 
     高橋聡 記  

   
【筆者略歴】

高橋聡 : 昭和34年東京都世田谷区生まれ 昭和57年早稲田大学理工学部卒 静岡県富士市在住

早大在学中、野歩の会同人誌「のみち」にて初めて文壇に登場。科学者の鋭い目と豊かな感性をもつ作品は多くの人に感銘を与えた。その後、先端技術エンジニアとして活躍を続ける傍ら、60歳定年を機に野歩の会OBG会に参画、「理系ルポライター」として異彩を放つ。

主な著作に
などがある。

  

 報告書は以上です。

 すべての写真はこちらからご覧いただけます。
  その1)舩生さん撮影
  その2)高橋さん撮影